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第6話 復活のおケツ

第6話 復活のおケツ


 尻の骨にヒビが入って、

もうすぐ1カ月になる。


 尻の痛みもわずかに痛む程度になった。

 ミュージックバーに復帰すると

マスターや常連客から


「おケツ大丈夫?おかえりなさい!」


 と励まされた。おケツおケツと連呼されると、照れ臭かった。


 ひなこの姿はなかった。


営業時間が過ぎ、片付けも終わった。

マスターから話があると、

何やら深妙な面持ちだった。


「マスター、約一カ月ほど

お休みすることになり、

ご迷惑をおかけしてすみませんでした」


 私は、出勤時にも伝えたが改めて詫びた。

マスターは、吸ったタバコを灰皿で潰して

座り直し、頭を下げた。


「え、マスター何ですか?頭上げてください」


「みちる、すまんかった、実はひなこが

あの多分オイルばね、階段にまいとったっさ。

やけん、そいに気づいたおいが

オイルば水で流して

これでみちるは転ばんやろうって

安心したとさね」


「やっぱり、ひなこだったんですね。

ホホバオイルの香りがしたんです」


「水ばかけた後、階段を拭けばこうはならんやった、すまんかった」


「マスターが謝ることないです、ひなこは

やめたんですか?」


「おいがオイルのこと問い詰めたら、謝って、止めたとけどな、辞めた」


「そうだったんですね」


 ひなこは、就職活動がうまくいかず悩んでいて、手に職をつけている途中である私が羨ましかったらしい。

 その上、自分を可愛がってくれる客を追い出したことに対して腹が立ったため持っていたホホバオイルを階段にわざとまいたという。

 私は、ひなこにネイリストに向けて勉強していることを自慢したつもりはなかった。

長澤さんに対して失礼な態度をとった時、ひなこは長澤さんに謝りに行ったが女性客の味方だと怒っているようにもみえた。


 頭が混乱する、こんな日はまた階段から落ちそうだ。

そしたら今度こそ尻の骨は折れそうな気がする。

恐ろしい…。


 家に帰りついて、いつものように洗面所で洋服に消臭スプレーをする。

スプレーのローズの香りとタバコの匂いが混ざった。



 次の日、バイオリンのレッスンが終わって、

そのまま店に出勤した。


「お疲れ様で〜す!」


 店のドアを開けると、マスターが

テーブルを拭いていた。


「おーみちる、お疲れさん、今日長澤さんギター弾きに来るってよ、仲直りばしなさいね」


「はい!マスター」


 私は荷物を置きに、厨房の奥の倉庫へ行った。


 長澤さんは、どこかで夕食と景気付けの一杯を済ませたようで、顔を赤らめて来店した。


「いらっしゃいませ!」


私はおしぼりを手渡した。


「みちるちゃん、久しぶり!」


「お久しぶりです、あの!」


私が謝るのを長澤さんは両手を広げてふせいだ。


「みちるちゃん、謝るのはこっちっさ、ごめんなさい、殴られるよりも痛くて響いた言葉やったばい。こがんいうと変やけど、かっこよかった!

やけん、謝るのはこっちっさ!

ごめんなさい」


「いえいえ、謝らないでください、こちらこそです、すみませんでした」


 私は身振り手振りを大きくして顔を歪めた。

どうやら尻の怪我で休んだことを数日は知らず、バイトを辞めてしまったのかと思っていたらしい。


「いやいや!」


「いえいえ!」


 が何度か続くと、笑い堪えたマスターが、

「その辺にしろ」と割って入った。


「まさえちゃんも今夜は店に来るやろ。

今日はやっとみちるも謝れたことだし仲直りの日やな」


 まさえちゃんとは、店で泣いていた女性客だ。


「さ、ギターば弾いてってください」


 マスターが長澤さんと目を合わせてギターを指差した。


「マスター、ありがとうございます」


 長澤さんは自前の楽譜が入ったファイルを持って、椅子から立ち上がった。


「長澤さん、今日バイオリン持って来ているんですけど、一緒に弾いてくれませんか?」


 私はマスターの言う通り仲直りのしるし

で提案した。


「もちろん!セッションしようや!」


「セッションターイム!」


 長澤さんとマスターがにかっと笑った。


 私はバイオリンを構えて、E弦に指を置いた。

イエローのジェルネイルが、

ステージのライトで光っている。


 長澤さんの「ワンツースリー」という

掛け声で呼吸を合わせる。


 華やかな高音のメロディに、

ビブラートをかけた。


 演奏が終わった後、長澤さんが握手を求めてくれた。


「みちるちゃん、ネイルの試験に合格してもしなくても、ここでお祝いばしよう!

怪我してても、頑張ったとやっけん!ね!!」


ゴツゴツと分厚くて、少し乾燥した温かい手だった。


  その1週間後、


 長澤さんが、亡くなった。


 長澤さんは、すっかり常連になっていたので、

マスターは今日店に来ていた他の常連客にもそのことについて伝えた。


 皆が落胆した。


「長澤さんの奥さんから連絡があってな、

交通事故やったそうだ、今日がお通夜、明日の午後ご葬儀」


「マスター、私も明日のご葬儀行きたいです」


「いや、おいだけ行くけん、よかよ」


「でも…」


「飲み屋のもんが、ぞろぞろ行くとな、仏さんに噂のたつとさ、やけん、おいが代表していくけんな」


 マスターは、そう静かに私をたしなめて香典袋が倉庫にあるからとってこいと厨房を指さした。


 次の日、今年初の夏日とテレビの天気予報が伝えた通りに雲ひとつない青空が広がっていた。

 長澤さんは、バイクで転倒して頭を打ってその打ち所が悪かったらしい。

ついこの前、姉から


「頭を打たなくて本当に良かった」


という言葉が身に沁みた。


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