既視感の再演
読んでいただき、ありがとうございます。
この物語が、皆様のひと時の無聊を慰めますよう。
結局、決闘を押し付けられた形になってしまった。
肩を怒らせて去りゆくオリヴィエを呆然と見送った後、正気に戻ったのは数分以上経った後だった。
如何するか。決闘をドタキャンしてやってもいいのだが、伯爵位の貴族の機嫌を損ねたのだ。これ以上、状況が拗れるのは何としても避けたい。
決闘前に誤解が解けることを期待するか。
如何状況が転んでも問題ないように、準備だけはしっかりしておこうか。
溜息を一つ、今日の予定を熟す為に隊舎の出口に向かって歩みを再開させた。
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トレヴィル卿に紹介された銃技師の工房は、隊舎の近くにその居を構えていた。
一見しただけでは判らなかったが、中に入ると特徴的な潤滑油の臭いが鼻を突いてそれと判った。
「えぇと。ジミ・ノーマンさん?」
「客かい?」
「はい。トレヴィル卿の紹介で来ました。
――これが紹介文です」
工房主であろう背の低い小太りの男は、受け取ったトレヴィル卿の紹介文を開いてざっと一読。
「…エヴァン・シャルル・カステルモール?」
「はい」
「紹介は受けた。主だった依頼内容は?」
「基本的に銃の整備を。改造は俺の手でやるので、工具のレンタルもお願いしたい」
「見せてくれ」
差し出した拳銃を受け取り、中折れの留め金を外し回転弾倉を覗き込む。
軽く揺らして隙間の確認。
「中折れ式で45口径たぁ、珍しい。
こんな型式見た事ないが…」
銃身に刻まれていたロゴは、趣味の彫金で装飾を施す際に消している。
銃把に刻まれている刻印を確認して、感嘆の息を上げた。
「伊太利亜はモデスティ社の第三世代。ちょい前の最新鋭か。
あんた、随分やるな。銃身の装飾は、余り勧められたモンじゃあねぇが」
「彫金が趣味でね。
強度に関しては、充分計算している。
――実戦証明もしてるし、其処は安心してくれ」
そうかい。返ってきたのは何の気のない返事だが、手つきには興味が湧いているのが見て取れた。
「正直、うちで扱ったことのないモデルだな。代替品がないから取り寄せるしかない。準備はしとくかい?」
「可能なら。
もしかしたら、早急に必要になるかも」
「随分急かすな。何でだ?」
決闘の2文字を出そうとして、止めた。
決闘行為が周囲にどう見られるか判らない上に、血の気の多い輩と見られるのが嫌だったからだ。
「…俺はスラムに住んでてね。必要になる可能性が高い」
あぁ。納得の返事。
やはり、相応に治安の悪い場所と見られているか。
「…まぁ、何方にしても今は掃除と調整位だな。
その様子だと、金は無いんだろう?」
「察してくれて助かる」
「理解はするが、こっちも商売柄ツケは利かんよ。
…モデスティの代替品は取り寄せて置く。それで勘弁してくれ」
手に入らないと云われなかった分、ガスコーニュより環境はいい。
入手難度の高い銃だが、この銃がエヴァンの求める条件に最も合致していたのだ。
「とはいえ、護身用には口径が大きすぎるだろ?
うちの中の銃を見とくかい?」
「あんたが言ったろ? 金が無い。それに慣れない銃を慣らすほどの余裕も時間も無いんだ。
このままでいい」
「そうかい。調整と掃除はあんたでやるかい?」
「あぁ」
「工具はそこにある。レンタルは時間2リラだ」
思ったより安く済んだ。ほっと一息、指定された作業台へ向かう。
――貧乏くさかったが、30分で終わる調整を、時間ぎりぎりまで費やした。
工房を出る際、扉の隅に立て掛けられているものに目が行った。
細剣に似た形状の鉄の延べ金。
「ノーマンさん、これは?」
「あぁ、模造剣だよ。
騎士団や銃士隊から定期的に注文が入るんだ」
「…あぁ。トレヴィル卿との関係はそっちでしたか」
ようやく得心が行った。トレヴィルの口調から、銃鍛冶に個人的な伝手があるとは思えなかったからだ。
剣の注文なら、トレヴィルの関係も理解できる。
「調整してない上に刃も入れていないからな。
そんな成りでも鍛造品だ。安い出来じゃねぇぞ」
「見たら判りますよ。全体を均一に鍛えてある。刃を入れたら高値が付きそうだ」
「判ってるじゃねぇか。一本如何だい?」
「安いものじゃないんだろ?」
金は無いと云った筈だが。睨むと、無料でいいと答えが返ってきた。
「こっちは弟子が作った初打ちモンだ。棍棒程度の用途ならこれで充分だろうさ」
どうやら、こっちがトラブルに巻き込まれていることは薄々察していたようだ。
自衛用の武器に対する礼を言葉少なに述べ、足早に工房を後にした。
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工房を出て大体の用事が済んだことを自覚したら。腹の虫が鳴いた。
気付けば昼は随分と過ぎている。
セーヌ河の畔で、遅い昼食と洒落込むか。
河の畔は意外と人気が見られなかった。
身分の層の無い場所を選び、腰を下ろす。
昼飯は、バゲットに酢漬けのキャベツとチーズを挟んだもの。正直、旨いものではないが、腹に納めるものが有るのと無いのとでは随分と違う。
水筒に詰めた薄めたワインで昼飯を胃袋に流し込みつつ、カルチェ・ラタンの宝石加工技師への接触を考える。
彫金に関してトレヴィル卿に告げたことは嘘ではないが、当然云っていない裏の目的もあった。
それが魔術刻印用の精密工具の使用である。
自慢ではないが、エヴァンは魔術に関する知識が相当にあった。
どれだけのものかというと、魔術の行使だけでなく刻印魔術の術式を組む事ができるほどだ。
因みに彫金は魔術刻印のための技術を流用したもので、本質は魔術の方にあった。
エヴァンが魔術を学べたのは、幸運が重なったからだとしか言いようが無い。
エヴァンの家庭教師は、勉学と礼節について充分にその力量を発揮したが、当然、専門外の事を教えられるわけでもなく、武芸や魔術に関してはからっきしであった。
ただ、決闘剣術はトマスの手ほどきがあった。
しかし、魔術などの知識に関してはトマスは素人同然であり、教授し得る伝手はガスコーニュには無かった。
銃士隊で隊長を務めるまでに至ったトマスが魔術に関して素人であった理由は、『宝珠を所有した貴族であったから』これに尽きた。
先も述べた通り、宝珠は魔術のリスクを最小限にまで低減し得る魔術具だ。
莫大なメリットを有するそれは、それ故のデメリットとして貴族の魔術理解を低下させてしまう。
何しろ、自身のダメージを考慮することなく魔術が行使できるのだ。
長大な詠唱を必要とするコストの重い大魔術より、概念深度が浅く魔術式の成立が容易な小魔法を、物量で押し込む方が理に適っているからだ。
――皮肉な話ではある。神秘の利便性を突き詰めた結果、戦術面で魔術の特性をを捨て去るのが合理に適っているとは。
エヴァンが幸運であったのは、ガスコーニュが行商人たちの通る流通経路の一つであったという事だった。
行商人に紛れて、たった独り森の魔術師の末裔を名乗る女が訪れたのは、エヴァンが魔術に興味を持ち始めた頃だった。
イザベラと名乗ったその女性はトマスと交渉し、魔術に関する知識の教授と引き換えに村近くの森に居を構えた。
ただ、残念な事にトマスは勿論の事、兄二人も魔術に関しては興味を持たなかったため、結局、魔術を学ぶ素地を得たのはエヴァンのみであったというのが残念な結果であったが。
だが、イザベラは契約を違うことなく果たしてみせた。
惜しむことなくイザベラは知識を与え、興味が後押しをしたのか、エヴァンもかなりのレベルまで魔術を習得してのけた。
魔術や宝珠の扱い。神秘の在りよう。
何故、田舎の森に引き篭っているのか判らないほどに、その知識は高レベルで多岐に渡っていたのだ。
――――恐れる事はない、エヴァン坊や。魔術とは状況における手札の一つに過ぎない。
――――貴族共が欲しいのは、宝珠であって魔術ではない。それさえ理解しておけば、宝珠なぞ無くとも坊やは貴族と同等の戦力をその手に得ることができるだろう。
魔術は呪文一つで如何にかなるような手軽な技術などではない。
だが、準備をしてリスクを覚悟すれば使用は可能なのだ。
その準備のためには、精密工具を使用できるアテが必要だった。
既に、時刻は15時に差し掛かろうとしている。
早めに行っておくとするか。決心して立ち上がった瞬間、背中に衝撃が走った。
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イザーク・ポルトス・ヴァロンは、久しぶりに帰って来た帝都で存分に呑みに飽かしていた。
手持ちは少ないため酸化の進んだ安葡萄酒ばかりであったが、味より酔いとばかりに昂揚した気分でボトルを空にする。
親友のオリヴィエからの頼みとは言え、面倒事のピカルディーへの随伴行は中々に気が張ったものだったため、解放された今はその鬱憤を晴らすかの如くふらつく足で三店目のはしご先を物色していた。
ピカルディー地方での決闘は、報告通りの結果であった。
決闘そのものは問題でない。問題は国有の森林が一部灰に変わった事だった。
これはつまり、国家の財産が貴族の諍い如きで傷つけられたという事を意味していた。
その結果、イザークの随伴に王宮の調査員が絡んできたのだ。
王宮の調査員にリシュリューの息がどっぷりと掛かっていることは容易に予想がつくし、短い調査期間中に盛大に足を引っ張ることはほぼ既定事項であったからだ。
自慢でないが、イザークは脳筋と称される銃士隊の中にあって、さらに典型的な銃士である。
ぶっちゃけ頭を使うのは苦手以前の代物で、猪以上の直情径行さを誇っていた。
王宮の調査員の嫌味や妨害を、額に青筋立てて聞かぬ振りと決め込み護衛に徹する事が出来たのは、僥倖や奇跡以外の何物でもなかったほどだ。
だからこそ、任務が終わって許された休日に、昼間から多少羽目を外しても文句を言われる筋合いは無いと、イザークは自己完結をしていた。
とはいえ、酔いは酔い。ふらつく足は縺れに縺れてセーヌの畔に。
盛大に体勢を崩して、立ち上がろうとしていたエヴァンを不意打ち気味に突き飛ばしたのだった。
むき出しの地面に散らばる荷物とエヴァン。
流石に頭に来た。無言で立ち上がり、剣呑な視線でイザークを睨めつける。
その有様を見て思うところもあったのか、酔いの回った陽気な口調でイザークは笑う。
「ははっ。すまんすまん。
ちと酔いが酷くてな。まぁ、笑って勘弁してくれ」
「は? 幾ら何でも謝り方ってもんがあるだろ?
突き飛ばして、その態度は如何かとおもうが!?」
「だから、謝っただろう?
俺はイザーク・ポルトス・ヴァロン。家格は子爵だ。
その服装から察するに、平民だろう? 突き飛ばしたのは悪かったが、貴族に対してその態度は頂けないとも思うがね」
「残念だが、俺も貴族だよ」
騎士爵だけど。ぼそりと吐いたその呟きの内容までは聴かれなかったのだろう。
貴族と聞いて、イザークはフムと思案顔。
流石に、貴族相手に笑って済ませることは難しいと踏んだのだろう。
一方、エヴァンも妙な既視感に首を傾げていた。あれ、これつい先刻似たような事があったような。
思い出した。あの伯爵殿に決闘を押し付けられたのと同じ流れ…。
嫌な予感が、背筋を走る。
「あ…」
これ以上の厄介事を無くすために撤回と謝罪を口にしようとしたが、嫌な予感は時既に遅かった。
「貴族であるなら致し方なし、貴族の流儀にて決着をつけるとしようか」
「いやいや。待て待て待て。
あんたまさか…」
「決闘だ。貴族なら逃げると云わんよな?」
「ちょっと用事があるからな難しいんじゃないかな?
――と云うか、こんな下らん事で切った張ったの命のやり取りにする気か!?」
先刻の伯爵といい、血の気が多すぎやしないか?
如何にか止めさせようとするが、相手は止まる様子をみせない。
「安心しろ。俺も今日は相手をできそうにない。
時間は明日午後1時、場所はシテ島のカルム=デショー修道院の跡地。
準備はしっかりして於け。イザーク様の武勇を貴様の身に叩き込んでやろう」
聞いちゃいねぇ。頭を抱えるエヴァンを尻目に、呵々大笑とボトルを片手にイザークが去っていった。
時間が絶妙にズレている上に、場所まで同じ。
ドタキャンを本気で検討するが、上位貴族との諍いで決定的な罅を入れる事だけは避けなければならない。
微かな望みだろうが、伯爵殿とは何かの誤解があるようだしそれが解けることを祈るか。
イザークと名乗った子爵殿は随分と酔っ払っていた。酒精が脳に回って記憶が曖昧になっていることを祈るしかないか。
いろいろなものが溜まった息が、食いしばった歯の隙間から漏れる。
「…って云うか、会った人間に決闘を申し込むのが、帝都の流儀かなんかか?
――それとも決闘が流行りとか?」
そんな流行りなんか嫌だけど。
一日で2回も決闘を申し込まれたら、流石にそう云う邪推もしたくなる。
何方にしても、今日のやることは変わらない。
止まらぬ溜息を無理矢理呑み込み、行きがけに抜けたラテン語地区に足を向けた。
TIPS
銃の形式について。
エヴァンの所有する武器は、伊太利の銃を製造販売する株式会社(架空の会社です)モデスティ社の銃です。
装填は6発、口径は45としています。
中折れ式という、現在では珍しいリロードの方式を取っています。
中折れ式はシリンダーと撃鉄部分がヒンジで折れるため、シリンダーの後半が完全にオープンになるという特徴を持っています。
エヴァンがこの銃を自身のメインウェポンとして採用している理由は、後の話で明らかにします。