魔術のありようを問う
読んでいただき、ありがとうございます。
この物語が、皆様のひと時の無聊を慰めますよう。
本営から外れ、予備隊の訓練場へと足を運ぶ。
遮音魔術の効果範囲から外れたのか、通廊にいても軍事教練の威勢のいい声が届くようになる。
ちらちらと、こちらを値踏みする視線を感じた。
どちらかといえば、「あぁ、またか」みたいな慣れ切った値踏みの感じがする。
理由はわかるが、うんざりする。
引き続いて案内に立ってくれた受付の女性に、愚痴気味に文句をこぼす。
「俺みたいな手合いは、結構多いんですか?」
「公立校の卒業時期である9月頭は多いですよ。
今の時期は珍しいですが、月に1名ほどはいるかと」
「公立校?」
「ご存じないですか?
10年ほど前に制定された、子供に基礎学力を定着させるための教育制度です。
最低でも、読み書きと四則演算を学ばせて安定した知性を得るための学校で、巴里やそれなりに大きな都市では結構定着しています」
「ガスコーニュにはなかったもので。初めて知りました」
ガスコーニュでは、教育は貴族の特権と見る向きが強かった。
見栄を張ったのか、トマスは巴里から英吉利帰りと触れ込みの家庭教師をわざわざ雇い入れ、エヴァン達兄弟に教育を施したくらいだ。
触れ込み通りの優秀さはあったようで、エヴァンの勉学水準はかなり高いものとなっていた。
兄二人は武芸のほうに傾倒していたようだが、性に合ったのかエヴァンに関してはかなりの知力を保証されていた。
「子供を公費で教育してくれるという意見、働き手が足りなくなるという意見。
――賛否両論、様々ですね。
まだまだ試験段階の制度なので、全国に定着するのは先になります。知らないのも仕方ありません」
慰めるようにフォローが入った。
無知を馬鹿にされているようで、苦笑するしかない。
そして、好奇の視線が止む気配もない。
仕方ないと諦めた。視線に気付かぬふりをして、背筋を伸ばして女性の後を付いて歩くことに集中した。
―――――――――――――――――――
扇型に広がった講堂は、三分の二ほど席を埋めていた。
受付の女性は、エヴァンを最後列に座るよう指示して、壇上に立つ講師であろう男性に小声で2、3言だけ言付けてそのまま出て行った。
「…ふむ。この講義のみ、聴講生が座ることとなった。
エヴァン聴講生といったか?
講義の進度は変えないが、問題はないかね?」
「問題有りません。気にしていただきありがとうございます」
「では、講義を続ける。
銃士隊は、当然、戦闘組織である。魔術訓練は戦闘用のものを主に講義を行われるが、魔術概論においては『魔術とは何か』を中心に講義を行う。
――さて、訓練生たちの知識水準を確認しておこう。
魔術とは何か? サリオン訓練生、答弁を許す」
ガタリ。音を立てて講堂中央の男性が席から立ち上がる。
直立不動で胸を張って、大音声で講師に応えて見せた。
「はっ。
魔術とは、自身の内面世界を観測し、外界、つまり現実に投射する技術であります!」
「教書通りの回答だな。よろしい」
サリオンと呼ばれた男性が席に着くのを見計らい、講師が解説を続ける。
「サリオン訓練生の回答は、現在最も支持されている魔術の考察だ。
より正確に説明するなら、内面世界にて行われた概念の観測を、現実世界に貼り付ける技術であると考えられている」
講師が黒板に記述する文言を眼で追う。考え方もそうだが、説明されている内容がかなり初歩のものだ。
エヴァンの知る知識としてはやや物足りなく感じるが、その分、落ち着いて講義を受けることができる。
僅かに安堵を覚えて、椅子に深く座りなおした。
「自身の心象を観測する。これが、最も初期の魔術であるといわれている。
己の内面世界において、自己は限りなく万能である。その万能を現実に投射する魔術は、それ故に限りなく万能の技術であるといわれている」
「魔術は強大な異能を使用者にもたらすが、その反面、莫大なリスクも常に要求される。
当然だろう。無から有を生み出すほどの熱量だ、矮小なヒトの身一つで賄えるものではない」
「特に」そう続けながら、硝子の杯になみなみと水を注ぐ。
「心象と外界を繋ぐ燃料、通称、魔力。自身の生命力を精製して得られるそれは、己から生み出したものでありながら、その不可逆な性質から自身の裡にある異物と認識され、身体は激しい拒否反応を引き起こす。
つまり極論、魔力とは毒である。
精製した直後に使用しないと、魔力は術者自身を害するが、魔術式を通して魔術として使用しても僅かに逆流して魔力経脈を灼く。
これが、魔術を扱うものが覚悟しなければならない代表的なリスクだ」
講師が、腰に着けたランタン型の魔導器を机上に置いた。
上部を引き上げ、内部機構を露わにした。
複雑に噛み合う歯車と歯車の間、機構の中心に燦然と輝く藍玉の宝珠が見えた。
講師が誇らしげに胸を張る。
室内の何名かが同様に胸を張り、残りが隠せない嫉視を俯くことで隠そうとするのがエヴァンの席からよく見えた。
「魔術を使う者には避けえないリスク。これをほぼゼロまで軽減し得るのが宝珠である」
そうだ。宝珠の代表的な機能は4つ。
先に述べた契約に加え、生命力を魔力に精製する魔力炉の代替、契約者の魔力を貯蔵する貯蔵庫、術後の魔力を散らして逆流を防ぐ排除。
つまり宝珠とは、それを持ち得るものの支払うべきリスクを肩代わりして、魔術の行使を可能にする魔術英知の結晶である。
「…あと一つ存在はするが、ここに貴族になれぬものも多い。これに関して言及するのも酷だろう。
程度の差こそあれ、宝珠は貴族に神秘の力を与える。まさに、貴族のための武器であるといえる」
そこまで言い終えて、宝珠を腰に仕舞い直す。
机上の自身が注いだ水の杯で、咽喉を潤す。
「だが、魔術が貴族の特権であった時代は終わった。刻印魔術が開発されたからだ。
刻印魔術は今までの魔術と違い、魔術効果の固定を可能にした。
つまり、これまでの一過性の効果しか得られなかった魔術に、限定的であるが永続性が与えられたのだ。
その結果、刻印魔術は蒸気機関の開発を促す。魔術の一般普及だ。
――これにより、我々は考えなければならなくなった。
魔術は何ができるか、を」
再び、杯に水を満たす。先程よりもやや多く、ぎりぎりまで注ぐ。
机上に置かれた杯を指さして、講師は口を開いた。
「さて、ここで魔術概論において有名な例題を出す。
――ここに存在する水、この中に火を点すことは可能か、否か?
理由と手段を合わせて述べよ」
講堂が騒めきに満ちる。
水の中に火は存在できない。そんな当然の結論ありきの問いを出されたからだ。
中央左端に座る、赤毛の女性が手を挙げた。
「シェナ訓練生、答弁を許可する」
「その前に、前提条件を確認させていただきたくあります」
触れば切れるような威勢の声。想像通り、男勝りの女性のようだ。
「ふむ、いいだろう。
前提条件は、これは触れれば火傷する本物の火であること。
発生起点を、当該の水中とすること。
そこから誰が見ても、火であると認識できること。
――以上である」
「…つまり、火傷をする熱を発生させ、幻影魔術で水中に火を重ね合わせるのは」
「つまらん回答だ、訓練生。
それは、本物の火ではない。不可だ」
講師の返答に肩が揺れた。席に着く後ろ姿が悔しげだったのは、多分見間違いではなかろう。
――――つまらん答えだな、エヴァン坊や。魔術は、限りなく万能だ。
もっと正攻法で、当たり前に考えろ。
講師の台詞に、エヴァンの記憶が泡沫のように浮き上がり弾けた。
エヴァンの視界が、過去の記憶に切り替わる。
昏い森の闇、長衣を纏った女性が、見える口元だけ嗤いに歪め、エヴァンを挑発する。
あぁ、そうか。師匠そこにいたのか。
嬉しくなる。もう会えない相手が、記憶の中であの時のまま嗤っている。
――――魔術とは概念だ。単純に、まずそこが出発点であることを自覚しろ。
魔術の限界を決めるのは、何よりも己が決めた概念の深度そのものであると知れ。
そうか。まず、前提条件の出発点が違っていたわけか。
思わず、嗤いが零れた。
記憶に浸っているうちに、訓練生が何名か方法を口にして論破されている。
そのうちに、サリオンと呼ばれた訓練生が立ち上がった。
「水中に魔術で火を点すことは不可能です。
例えば、点火の魔術で水中に火を点した場合、論理崩壊を引き起こして、魔術そのものが成立しません。
水の元素が火の元素に対し優位性があることは、パラケルススの四大元素論でも証明されています」
「ふむ、不可能という答えだな。古いとはいえ四大元素論を持ち出してくるとは意外だ。
――アプローチとしては悪くない。だが、40点だ」
かなり自信があったのだろう。なぁっ、と喉奥で呻いて、しぶしぶ着席する。
一通り意見が出尽くしたか、ぐるりと講師の視線が巡る。
――エヴァンを眼が合った。
「エヴァン聴講生。随分と愉しそうだな。
いい機会だ。君にも意見を聞くとしようか」
やられた。嗤っていたところを見られたか。
訓練生の不満を逸らすためのやり玉にされたらしい。
とはいえ、参加してみたい気持ちもあった。
不承不承半分に立ち上がる。訓練生たちの視線も集中した。
「答弁の前に確認はいいでしょうか?」
「構わん」
「前提条件は、本物の火であること、水中に術式の発生起点があること、誰が見ても火と認識できること。
以上で間違いはありませんか」
「その通りだ」
「では回答は、可能であり不可能である、です」
「「「はぁ?」」」
講師を除く全員が、俺を唖然と見上げた。
サリオン訓練生が立ち上がり、こちらを指差して傲然と声を張り上げた。
「ふざけるな! そんなどっち取らずの回答、認められるわけないだろう!」
確かに、この回答だけでは、可能なら可能と言い、不可能なら不可能と言える。
どちらにも付くことができる玉虫色の回答ととられかねない。
「ふざけていません。講師殿の説明を一から推論立てれば、おのずと出る結論です。
…えぇと、サリオン訓練生殿」
「貴様っ、銃士でもない分際で我がダランベール家を下に見る気か!」
「そのような事はありません。申し訳ありませんが、田舎者でして貴族をそこまで知っている訳ではないんです」
青筋を立てたサリオン訓練生がさらに言い募ろうとする姿勢を取るが、講師が壇上から制する。
「静粛にしろ、サリオン訓練生。
エヴァン聴講生、私は理由と手段も述べよと云った筈だ。
――そう結論付けた、論拠を述べよ」
「はい。
講師殿の出した前提条件には、概念の深度が言及されていませんでした。
論拠は、概念深度による魔術の成立が何処で為されているのか、それによって成立の如何が変わってくるからです」
「正解だ」講師の声が喜色に弾む。
「概念深度とは?」
「現実と心象のずれ。現実の強度に対しどこまで乖離しているのかを数値化したものです。
この乖離が大きくなればなるほど、現実への投射に必要な魔力が等比数級的に跳ね上がります」
「その通りだ。では、可能と不可能の説明を」
「ヒントは、サリオン訓練生殿の不可能に対する点数が40点だったことです。
これを現実強度と心象の乖離の確率に当て嵌めると、論理崩壊による不成立は40%、80%までが魔力不足による術式の励起失敗、残り20%が術式成立での魔術顕現となります」
「充分な回答だった。
――水中に火を点す。この矛盾に対する現実強度を突破するために必要な魔力ははっきり言って莫大なものになるが、理論上は可能と結論付けられる。
但し、点火魔術程度の術式であっても、これを可能にするための魔力は現実的なものではなくなるだろう。
サリオン訓練生の回答にヒントを得たとはいえ、概念深度の言及が出来たのは称賛に値する。
…サリオン訓練生も、情報がない中でよくここまで推論づけた」
「…ありがたくあります」
やや不満が残る口調で、サリオンが礼を述べて席に着く。
座る際にちらりとこちらを睨めつけたのは、まだしこりが残っている証左だろう。
貴族とは、兎角プライドを張り合う人種であるというのは、経験則で知っている。
こんな下らないことで、遺恨が残るのは避けたいのだが、どうすべきか。
――まぁ、銃士隊に入る訳でもないのだ。余程の事でもない限り、彼との関係も一期一会で終わるだろう。
敢えて楽観的に考えながら、当たり障りなく残りの時間を過ごすことに決めた。
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その後の講義は、討論も交えながら穏便に過ぎていった。
サリオンもエヴァンに殊更に絡むことなく、昼前に講義が終わる。
訓練生たちが講堂を三々五々に散っていく中、エヴァンは講師に呼ばれて壇上に向かった。
「エヴァン聴講生、事情は聞いている。
マルコ訓練生とバチスト訓練生は、ここを出た階段端の面会室に呼び出されている。
…先程は済まなかったな。まさか、魔術概論の例題を正答する者がいるとは思っていなかったが」
「問題ありません。サリオン訓練生殿の回答と講師殿の推論への誘導が巧みだったから気付けただけです」
「謙遜だな。サリオン訓練生の回答の前に、概念深度には気付いていただろう?」
「そんなことは…」
「あるだろう? エヴァン聴講生が嗤っていたのは、サリオン訓練生が回答する前だ。
――謙遜はほどほどにしたまえ。それから後は嫌味になるだけだ」
「…は、申し訳ありません」
「まぁ、サリオン訓練生の事はあまり気にしなくていい。
もとより、エヴァン聴講生と縁がそこまで生まれない相手だ。余程の事がない限り、関わってこようとはおもわんよ」
「ありがとうございます。安心致しました」
本当に安心した。これで絡まれたら如何しようかと思ってた。
「あまり遅れてもいかんな。
引き留めて済まなかった。行って宜しい」
「はい。
――失礼致します」
一礼して、エヴァンは講堂から足を踏み出した。
TIPS
この世界の魔術に関する説明回です。
他と違い、結構、異質な魔術設定をしました。
そのため、説明が長くなり、物語がダレ無いよう気を使いました。
身も蓋も無くいってしまえば、燃料としてイメージしたのは石油です。
精製前の安定した原油状態であれば自然界への影響もさほどありませんが、精製するとガソリン、つまり揮発性の高い可燃性の液体に変化します。
……そして、ガソリンから原油に戻す事はできません。
この不可逆性をキーワードに、魔術を構築しました。
これをギミックとして戦闘シーンに活かせたらな、と思っています。