覚えるべきは、野心か政治か
読んでいただき、ありがとうございます。
この物語が、皆様のひと時の無聊を慰めますよう。
――近衛銃士隊。
仏蘭西皇帝直属の近衛大隊であり、勅令以外の命令系統を便宜上持たない部隊である。
独自の命令系統は、騎士団、軍部への命令拒否権すら保証され、その威光は創設より百年を数えた今もなお明確に皇帝より護られていた。
現在の銃士隊は中隊に分けて5つ、役割に沿って配置されている。
隊舎は銃士見習いの教育機関に併設されていて、予備隊に移ったものが主に後進の育成に詰めていた。
結論から言うと、拍子抜けするくらいあっさりとトレヴィル卿の執務室へと案内された。
何のチェックも通ることなく、父親の手紙一つで受付の女性が案内に立ち上がったのだ。
仮にもエリートだろうが。いいんだろうか、これで。
流石に疑問の一つも脳裏に浮かんだが、手間が省けるならそれでいいかとおとなしく女性の後を付いて歩く。
正面の本館を抜けて、奥の本営へ続く廊下を歩く。
「思ったより静かでしょう?」
何か話すべきかと迷っていたら、女性の方から話しかけてきた。
「あぁ、確かに云われてみれば…」
正面ではたくさんの人が出入りしている様が見えたのだ。ここまで静かなのは、いっそ異常と思えた。
「もしかして、魔術使っています?」
「当たりです。
もちろん、私語そのものが禁止されているのもありますが、異常な音の発生が通りやすいように廊下に遮音魔術が継続的に張られています」
「通りやすいように、ですか?」
「トンネルを想像してください。
音の逃げ場がない場所で、一方からの音は遠くに届きやすいでしょう?
あの現象を利用しています。
本館で発生した音は、本営まで届くように仕組まれているんです」
「は~。なるほど、勉強になります」
無論それだけじゃないだろう。今の、何気ない風を装った情報の漏えいは隠された別の意図がある事実の示唆を意味しているのだから。
なるほど。チェックがないのではなく、本丸のチェックそのものを隠していたわけか。
もしかしたら、今この時も何らかの走査を受けている可能性は充分に高い。
無意識のうちに、両手を上げてしまう。
隠しているものなどないというジェスチャーだったのだが、反って邪魔になったようだ。
「手を下してください。必要ない、というかむしろ邪魔になりますので」
前を歩いていた女性が、くすくすと笑いを押し殺して肩を揺らす。
こちらの方を向いていないのにこちらの仕草を把握しているあたり、やはり監視と何らかのチェックは入っていたようだ。
「参りました。何をされているのか、正直全く理解できない」
「されても困ります。
一応、軍事機密のひとつなので。ですが、頭の回転が悪くないことは把握できました。
枠狙いの方は年間にかなりの数来られるのですが、正直、脳筋の方ばかりなのでうんざりしてたんです」
また出た、謎の枠狙い。これで、通算3度目である。
だが、今回は訊くのにも抵抗はあるまい。
3度目の正直だ。意を決して口を開いた。
「…よく聞きますが、その枠狙いって何ですか?」
「ご存じありませんか?
――まぁ、帝都の外では意味のない俗語ですしね。
現在の仏蘭西において、貴族は決して増えることはありません。これはご存じですね?」
頷く。現在、国庫を食い潰している最大の原因と言われているのだ。この俺とて無関心ではいられない。
肯定が通じたのか、女性の説明が続く。
「騎士爵の方は1代限りの貴族位の延長を求めるために銃士隊を始めとした軍務に就かれます。
その他、貴族生まれの次男と三男の方も続いて軍務に就かれるのは?」
「次男は長男に何かあった際の保険で入るというのは知っています。三男は軍役に就く必要は感じないんですが?」
「必要がなくとも、貴族籍でなくなるという事に抵抗を覚える方が殆どです。
――ですから、かすかな望みに賭けて軍役に就かれる方が多いんですよ」
人間誰しも、今までの生き方から完全に違う生き方に路線変更することに抵抗を覚えるだろう。
それが、自身より下の世界であるなら尚更だ。
最初から平民になる事に躊躇わなかったエヴァンが、圧倒的に少数派なのだ。
しかし、枠狙いの意味がどこに掛かってくるのか、いまいちよく見えてこない。
「…宝珠がありますから、貴族籍の上限は厳密に決まっています。
宝珠は紋章院で管理されていますから、ごまかしも効きません」
宝珠とは、貴族が貴族たる証となる魔導具だ。
半貴石以上の宝石を起源に持つ魔晶石を基礎とした存在で、元は魔術師が魔術を使用する際に発生するリスクを回避するための魔導具と聴いている。
機能はいくつかあるが、その一つに契約がある。
機能としては単純で、契約を行った宝珠は、契約者以外の使用が不可能となるものだ。
宝珠の契約解除は紋章院による秘事とされ、契約者以外の宝珠の違法使用を可能とした例はついぞ聞いたことはない。
ここまで来たら、枠の意味が何となく判った。
「…枠ってのは、貴族の枠って意味ですか?」
「正解です。やはり頭脳の回転が速い。
現在のところ大きな戦争は起こっていませんが、内輪揉めは毎年何処かで起こっています。
銃士隊も駆り出されるのですが、年に何名か作戦中行方不明は発生しますし、その際、契約者の居なくなった宝珠が宙に浮くことは稀に起きるんです。
通常、契約者の居なくなった宝珠はその家系が定めた次の後継者に渡されますが、そういった後継者がいなくなった家系というのもたまにあります」
ここまできたら、展開が読めた。
――というか、確信した。
「…その場合、空いた枠に軍属の次男、三男を押し込むんですね?」
「はい、正解です。
――正確には、元所有者の従者から選定されます」
つまり、そういう幸運を口開けて待ってる輩が枠狙い。
俗語というより悪口じゃねーか! 頭痛くなってきた。そういう輩と同列に見られたのだ。
「枠狙いが何かは理解しました。
すみませんが、期待には沿えないかと」
「はい?」
「俺は、近衛銃士隊に入るつもりはないんです。
ここには、父親の手紙を届けに来ただけで」
「あ。そうなんですか?」
「まぁ、兄二人が入っているので、問題はないかと思いますが」
「それはすみません。早とちりでした」
廊下の終点に第二の受付が見えた。
銀のプレートが差し出される。
「武器をこちらに」
やはり、かなり高精度の走査を受けていたみたいだ。
頷き、脇に提げた銃が納められたホルスタをスリンガーごと置く。
「ブーツのナイフも」
バレてる。
ブーツに隠したナイフを抜き身の状態で渡す。
「以上ですね。
――では、こちらにどうぞ」
そんなに多くの武装をしていたわけではないが、それでも身を護るものが無くなった居心地の悪さに肩を落としながら、俺は女性の案内に従った。
――――――――――――――――――
案内された執務室は、重厚そうなエボニー製の机一つ、本棚一つの質素な部屋であった。
奥の大きな窓から教練場と銃士達の訓練が一望できるそこは、ともすれば、トマスの執務室よりも物がないように見えた。
だが、壁に掛けられた隊礼服と細剣の構図は同じで、トマスがこの部屋のデザインを真似していることはすぐに気が付いた。
案内されて暫く。ようやく、隣の部屋へと続く扉が開き、入ってきた壮年の男性が目の前の机に腰を下ろした。
「初めまして、だな。
――近衛銃士隊で総長を務めているトレヴィルだ」
左の踵に、右の踵をぶつける。トマスに叩き込まれた銃士の最敬礼が自然と出た。
「エヴァン・シャルル・カステルモールです。高名はかねがね。
会えて光栄です、トレヴィル卿」
「トマスのところの三男か。トマスは壮健であったか?」
「毎日、狩りに興じる程度には」
「そうか。羨ましい限りだ。巴里はその手の遊行には向かんでな。
幼い日、奴とともに狩りに行ったことは未だに忘れられん」
罠まで仕掛けてようやく獲れた兎を自慢げに見せびらかしたことを、懐かしそうに語る。
「まぁ、儂らの子供の頃の話など、興味はなかろう。
――本題に入ろうか。君は、銃士隊に仕官する気かね?」
「いいえ。父親にも云っていますが、私は仕官する気はありません。
巴里へは、職を探しに来ました。
貴族籍は、ゆくゆくは抜く予定です」
「君の意思は確認した。
トマスからの手紙にも書いてあったことだしな。
…本音を言うなら助かる。君たちの立場の者は年に数十人は隊舎を訪れるからね」
そう、貴族籍にしがみつこうとする次男、三男はかなり多い。
当然のように、近衛銃士隊も受け入れる限界で人員をやりくりしている状態であった。
「さて、エヴァン君はどういった職を志望しているのかね?」
「会計士を望んでいます。
狭い門とは聞いていますが、相応に儲かるとも聞いていますから」
「金融屋か。数年見ないうちに変わった職が人気を帯び始めてきたな」
眉を顰められた。どうやら、ゼフ爺の同類のようだ。
これは口利きを期待できないかな。内心で落胆する。
「英吉利からきた資本主義というやつだな。平民の若者から支持を集めていると聞いた。
陛下も頭を痛めていたが、ポピュラーな考え方かね?」
「田舎に概要が伝わる位には、広まっていますね」
ふう。あからさまにため息を吐かれた。
「貴族の権利である、財産の所有にケチをつけるとは。
高位の貴族が何人か破産したと聞いたよ」
「時代ですね。銀行は便利なので、私も口座を作りたいと思っていますが」
平民になるエヴァンにする愚痴では無かろうに。
めんどくさいことになる前に、退散できないかな、と思ってしまう。
「あぁ、そうか。君は巴里に来たばかりだから、市民権を持っていないのか」
「はい。この後、向かうつもりです」
「うん? という事は、君は銃を所持していたと報告を受けたが…」
痛いところを突かれた。
「…はい。スラムに下宿を取っているので、自衛権の許可を貰っていませんが武装をしています」
「はは、なるほど。大事にならん限り、咎めるつもりはないよ。
――だが、許可の申請は急ぎ給え。銃士隊なら私の裁量で如何にかなるが、赤の隊礼服を着た連中に見られると厄介な事になる」
「赤、ですか?」
突っ込まれて、余計なことを口にしたとトレヴィル卿は口の端を歪ませた。
「…気にすることはない。別の命令系統の私兵が、我がもので警邏の真似ごとをやっているだけだ」
絶対、厄介な事だ。深く突っ込んでも突っ込まなくても、巻き込まれたら最期的な意味で。
「判りました。気を付けます」
「平民となるのだ。これから先、面倒なこともあるだろう。
今のうちに、何か紹介が欲しいものがあるかね?」
幼馴染の息子が平民になるのだ。気の毒そうな声音が、トレヴィル卿の声に混じった。
一番欲しいものはどこかの商会への口利きだが、先程の台詞でそれは望み薄と感じた。
与えられた短い時間で、必死に頭を巡らせる。
欲しいもの、欲しいもの、欲しいもの。
今一番必要で、貴族の紹介文が必要なもの。
あった。
「…トレヴィル卿の懇意にしている銃技師はいますか?」
「いるが?」
「では、その方への紹介をお願いします」
「ふむ」
「あと」
ペンを取り、紹介文をしたためるトレヴィル卿に言葉を続ける。
「宝石の加工技師には、伝手がありますか」
奇妙な要求に片眉が上がる。
確かに居ることは居るが、平民に縁のある存在ではない。
宝石の加工技術は、宝珠の調整において欠かせないものだ。
特に魔術の根幹に関わる知識を要求されるため、簡単に仕事を依頼できるものではない。
「…紹介文は構わんが、一応如何いう目的か聞いてもいいかな?」
「別に大した理由ではありません。
――恥ずかしながら趣味で彫金をやっていまして、これでも少しは売れ筋の細工で儲けたこともあるんです」
本来の理由を隠して、表向きの理由を口にする。
不自然な理由ではない。彫金に関しては事実だし、売れ筋の細工で小金を手にしたこともある。
ただ、口にしたことが全てではないというだけだ。
「彫金の道具は高価なので、精密細工の道具のレンタルをお願いしたいんです」
「わかった。紹介文は書いてあげよう。
行きつけのカルチェ・ラタンの宝石技師の紹介になるが、道具のレンタルに関しては君の交渉次第だ。
技師は自身の道具の扱いにシビアになる。あまり期待はしないでほしい」
内心、安堵する。
紹介文の必要なものは貰えた。
こちらに興味を持っていないのなら、内情を探られる恐れもないだろう。
「ありがとうございます」
素直に礼が口を衝いて出た。
「こちらはおまけだ」
礼に気をよくしたのか、端紙にさらさらとペンを走らせる。
渡された内容には少し離れた場所の住所。
『ミションの喫茶店』という店名。
「巴里に来たばかりで、旨い店なんかも知らないだろう。
ここから少しばかり歩くが、この喫茶店は手ごろな値段で旨いものを出してくれる。
私もよく利用してね。特に火曜と木曜の昼はここと決めている。
銃士達も知らない結構な穴場だから、エヴァン君も利用しやすいだろう。
――特に、旅行鳩の胸肉のパテを贅沢に使ったサンドイッチが絶品だ。
おすすめだよ。一度、食べてみなさい」
驚いた。こんな情報をくれるのは完全に予想外だった。
トレヴィル卿は意外と気前がいい。
「…ありがとうございます。懐に余裕ができたら、食事に伺います」
「そうしたまえ」
一礼し、踵を返して辞去しようとした際、トレヴィル卿に呼び止められた。
「そういえば」
「はい?」
「君の兄二人には、もう会ったかね?」
「いいえ。
そもそも、二人には会うつもりがありませんでした。
どのみち私は平民になるつもりでしたし、血が繋がっているとはいえ縁は切れますから」
その返事を予想していたのか、驚くこともなくトレヴィル卿は首肯を一つ返した。
「やはりか。君は野心はそれなりに持っているようだが、政治を少し学んだ方がいいな」
「?」
「昼まであと数時間だ。休憩時に二人と引き合わせよう」
「いえ、それは…」
「会っておきなさい。
君が巴里に来ることは、二人とも知っているのだろう?」
「はい」
「なら、直接会ってカステルモールの継承権争いから正式に離脱することを宣言しておきなさい。
――貴族というのはとかく本心を隠すものだが、それは言葉の重みをよく理解しているからだ。
一度口にしたことは、双方の同意があっても簡単に無かったことにはできないのだよ
逆を言うならば、言質を取られていないなら潜在的な邪魔者と見做され続けるということだ
相手に言質を与え、敵となる可能性を潰しておきなさい。
…政治、というやつだよ」
確かに兄弟二人に対して、平民となる旨を正式に口にしたことはなかった。
なるほど。もう終わったことと思っていたら、余計な茶々を兄弟たちから受けていた可能性がある訳か。
「…ありがとうございます。
ご指摘の件に従い、マルコ・シャルル・カステルモール、バチスト・シャルル・カステルモールの両名との面会を希望します」
「うむ。手配しておこう。
――昼までどうするか。そうだな、確か、初歩の魔術概論講義があったはずだ。
せっかくだ。受けておきたまえ」
どうしようか。迷う。
しかし、今後受けることのない授業の内容に興味が湧いた。
しかも、タダ。
「判りました。受講させていただきます」
その言葉に、甘えることにした。
TIPS
銃に関して。
銃の系統は、大別して2種類あります。
実弾を用いる銃火器と、魔術行使の補助を目的とした銃の形をとった魔導器の2つです
一般的に、実弾銃は平民の持つ武器、銃型の魔導器は貴族の武器と云う認識ですが、これは、貴族の魔導器とよく似た武器を平民が持つのは許容できないと云う貴族の感情からきています。
実は、設定した歴史上、最初に開発されたのは実弾銃であり、その利便性から銃型の魔導器が開発されたという経緯があります。
つまり、パクったのは魔導器であり、割を食ったのは銃の方だという事です。
言動から判別するに、トレヴィル卿は銃火器を下に見る貴族の典型だと想像がつきます。