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紺の隊旗は、風に揺られ

 読んでいただき、ありがとうございます。

 この物語が、皆様のひと時の無聊を慰めますよう。

 夜闇が帝都を覆い、ガス灯の朧な明かりが窓から入る頃、漸く荷物の整理を行える余裕ができた。

 もとは裁縫の作業用だったのだろう、部屋の中央に陣取っていたやたらと広い机にナップザックの中身を広げる。


 夕刻を超えた夜の暗がりを、ランプの明かりで辛うじて追い払う。


 ランプの中でチリチリと獣脂の焦げる臭いと音は、故郷でも慣れ親しんだものだ。


 都会は電気で灯りが点くんじゃなかったのかよ。

 近代小説の中に描かれた都会の描写に過剰気味の期待を寄せすぎだっただけなのだろうが、この一日で帝都のイメージの乱高下は激しすぎた。

――主に悪い意味で、だが。


 記憶を辿る。駅中とボナシューの云う川向うは、明らかに電線が走っていた。

 川向こうは電気をはじめとした各種の近代設備が揃い、スラムは数十年ほど文明が遅れているように思える。

 詰まる所、これもサービスが遅れている部分なのだろう。


 とまれ、今日来たばかりの俺に、行政の不満なぞ抱くだけ無意味だろう。

 それよりも、今後の行動を決める方がよほど有意義だ。


 赤の封蝋が捺された上質の白封筒。銃士隊総長のトレヴィル卿に宛てられた手紙。


 先ずは、トマスの要件を果たすのが先決だろう。

 餞別を奮発して貰った礼は、早めに果たす必要があるからだ。

 あわよくば、そのまま職を紹介して貰えるかも知れないという下心も強くあるが、こちらはあまり期待はできないだろう。若しくは、切羽詰まった状況での最後の選択肢という辺りか。

 単純に銃士隊の総長という立場が何処までの権力を保持しているのかわからないというのもあるが、貴族という肩書に下手に頼ると派閥に組み込まれる危険があったからだ。


 貴族未満の平民なぞ、都合よく使い捨てられる駒程度でしかない。

 自分の立ち位置をはっきりさせるためにも、手紙を届け終えたら貴族保障を得るために紋章院に足を運ぶ必要があった。

 将来平民になる事が決まっていたとしても、現時点では貴族としての特権を享受できるという不安定だがある意味おいしい立ち位置というのがエヴァンの居る場所だ。

 この立場を1年から数年維持するために必要なのが、カステルモールの名乗りだった。

 可能な限り貴族としての旨みを蚕食した上で、有利に平民としてのスタートダッシュを切るというのが、エヴァンの持っていた初期プランだった。


 騎士爵(カステルモールの家名)が得られる貴族特権は4つ。

 指折り数えてみる。

 市民権を得るための登録優先権。銀行口座の登録優先権。上級事務職への就職に際する信用(コネ)

――そして、市内における自衛目的での武装許可。


 ボナシューの忠告通り、本日だけで掏摸に会った回数は2回。気付いていないのも含めるとさらに数は跳ね上がるだろう。

 スラムにおいて武装許可はほぼ必須の権利と言えた。


 机に広がった自身の荷物のうち、木彫りの箱に仕舞われた銃を取り出す。

 しばらく使っていなかったため、動作確認とオイル差しを行っておく。

 中央政庁で武装許可を貰っていないのにフライングで武装する事に気が咎めるが、治安の悪い場所に住んでいるのだ、これくらいの用心は必要だろうと自分を無理やり納得させた。


 兎にも角にも明日。トマス、引いてカステルモール家との訣別のためにも、最後の用事をさっさと終わらせよう。


 やや硬めのベッドに寝転がって、眠くもないのに目を閉じる。


――――案外図太い神経をしていたのか、すぐに睡魔は訪れた。


――――――――――――


「銃士隊の隊舎? それならシテ島の西側だけど…。

――エヴァン君。君、もしかして枠狙いかい?」


 翌朝、開店準備に追われているボナシューを捕まえて、銃士隊の隊舎を聞くと、帝都で通して二度目の謎の名称を耳にした。

 枠狙いが何かは不明だが、台詞の前半部分から察するに銃士隊に関する隠語か何かと思えた。

 丁度いいので、枠狙いの意味に突っ込んでみる。


「銃士隊は預かり物があるからですが、枠狙いって何ですか?」


「知らないのかい?」

 どうやら、枠狙いとはかなり一般的な俗称のようだ。

「枠狙いっていうのは…」


 カラン。開店前にも関わらず、誰かが店内に足を踏み入れてきた。


「叔父さん、ちょっと急ぎで欲しい布と糸があるんだけど!」


 涼やかな声が、軽やかに耳朶を打つ。

 振り向いた先には、弾む息で肩を上下させた15歳ほどの女性がいた。

 蜂蜜色のセミロングが、背中で肩で踊る。

 よく晴れた空のような蒼い双眸が、俺に気付いて焦りに見開かれる。


「ヤバ。お客さん?」


「おはよう、コンスタンス。

――顔を合わせるのは、初めてだね。こちらは2階の部屋に住むことになったエヴァン君だ。

 エヴァン君。この()は私の姪でコンスタンス。この近辺で一番の出世頭だ。

 仕事の関係上、うちの店(ボナシュー雑貨店)を贔屓にしてくれていてね。

――コンスタンス、何番の布が欲しいんだい?」


「えへへ。こんなに早くても、すぐ在庫を確認してくれるから叔父さん大好き!」


「こっちも助かっているからね」


「――ありがと。青の27番の布と、同色の糸を頂戴」


最新の流行(ファーストカラー)じゃないか。

 表にはないなぁ。在庫(バック)を見てくる。ちょっと待ってなさい」


 ボナシューが裏に回り、沈黙が二人の間に落ちる。


「…えっと、コンスタンス・ボナシューです。

 よろしく」


見た感じ通りの物怖じしない性格なのか、僅かな躊躇いの後に握手を求められた。


「エヴァン・シャルル・カステルモールです。

――不躾ですが、出世頭というのは?」


「あぁ。私、こういう仕事をしています」


 仕事用の顔なのだろう。きりっとした表情で名刺を差し出された。

 正直、先程の顔との落差が激しくて、笑いを堪えるので必死だったが。

 受け取って、確認。

――驚いた。


「王妃付きの衣装係(コーディネーター)⁉︎」


 ルーヴル宮殿の主の片翼、そのお側付きなら確かに凄い。


 スラム出身者なら、本来見上げるしかできないはずの存在に侍っているというのだ。確かに相当な出世頭だ。


「エヴァンさんは、貴族の方ですか?」


「今はそうです」


「”今は„ですか?」


「騎士爵の三男でね。暫くしたら貴族籍を抜くことになっています」


「ごめんなさい!」


 エヴァンの状況に思考が至ったのか、気まずそうに勢いよく頭を下げられる。

 とはいえ、エヴァンの立場は珍しくない上に、当の本人は気にしていないのだが。


 やがて、ボナシューが光沢のある青の布を、数反抱えて戻ってきた。


「少ないけど、これだけならあったよ」


「やった。ありがと叔父さん」


「領収書は」


「お願いします。叔父さん、布の在庫は暫く販路を確保しといて」


「流行りそうかい?」


「手応えはばっちり。王妃様も流行の最先端に立てたので、ご満足だって」


「ならよかった。これから宮殿かい?」

 うん。と彼女の(いら)えを聞いて、エヴァンに視線だけ向けた。

「じゃあ、彼を銃士隊の隊舎に連れていってくれないか。

 昨日帝都に来たばかりでね、まだ地理が不案内なんだ」


 キョトンとした顔に花がほころぶ笑顔が映る。


「良いわ。せっかくの叔父さんの頼みだし。

――エヴァンさん、時間がないから今から行くけど、いいかしら?」


「ええ、問題ありません。よろしくお願いします」


「じゃあね、叔父さん。また、ご飯を食べにくるわ」


 笑顔で送り出すボナシューに手を振る。

 小走りに駆ける少女の後を、俺は引き離されないように足を速めた。

 いつの間にか、外はもう充分に日が高く昇っていた。

 


―――――――――――――――――――――


 巴里の都市構造は、百年戦争の時代より基本変わっていない。

 都市を縦断するようにセーヌ河が走り、セーヌ河の中央にある巨大な中洲『シテ島』を中心に、ほぼ全ての都市機能が詰め込まれている形となっている。

 莫大な水源であるセーヌ河は、都市用水の供給源であり、海に続く運搬の路であり、天然の防衛要衝である。


 やや小走りに慣れた道を行くように、少女(コンスタンス)は若干遠回りの橋を迂回してセーヌ河を越えた。

 ルーヴル宮殿の方向とは少し違う事には気付いたが、案内されてる身としては指摘もできず黙って歩調を彼女に合わせるしかない


「ごめんなさいね」


「え?」


「遠回りしてるの気付いてるんでしょ? スラム出身者って、やっぱりどこかコンプレックスがあるの。

 河を超えると相手にも自分にも壁みたいなのを感じちゃってさ」


 きっと、それは気のせいではないのだろう。

 橋を超えると、一気に人の持つ雰囲気が変化したからだ。

 あちら側にあった雑多な雰囲気が無くなり、高層建築が建ち始める。

 電線と蒸気の供給管が所々に走り、漂う蒸気が生まれた動力を贅沢に蕩尽している様が見てとれた。

 俺が近代小説で夢想した都会の一風景がそこにはあった。


「問題ないですよ、俺の用件は特に急いではいません。

…地下鉄は使わないんですか?」


「さっき買った布は排煙を吸いやすいの。

 ちょっと入手しづらい製品だから、不必要なリスクは負いたくないんだ。

――大丈夫、それ込みでこっちは移動の時間を取っているから」


 エヴァンの指摘を却下し、地下鉄の駅口を超える。

 距離と掛かる時間は把握しているのだろう。

 人混みを迷いなく駆け抜けていく。


 走ること30分、周りの様相が歴史を色濃く残したものに変化した。

 ラテン語地区(カルチェ・ラタン)の狭い小路を抜けて更に20分。

 大きな通りの更に向こうに白亜の宮殿(ルーヴル)が見えた。


「私が案内できるのはここまで。

 銃士隊の隊舎はこの通りをさらに行って。突き当たりの建物がそうよ。

 壁に紺色の隊旗が掛かっているからすぐにわかるわ」


「丁寧にありがとう。後は大丈夫だよ」


「じゃあね。

――あなたがもうちょっと偉かったら、今夜の夜会(パーティー)で私の最高の仕事を見れたのに」


「それは残念。機会があったら、堪能させてもらうよ」


「あははっ。楽しみにしてるね!」


 巴里らしい小粋な返しができただろうか。記憶に残る笑顔を見せてコンスタンスが仕事場へと駆けていった。

 彼女とはこれでさよならなのだろうか? いいや、あの部屋に住んでるなら、また機会はあるか。

 こういった出会いも巴里ならではなのか。


 苦笑が唇に残っているのを感じながらも、俺の足は軽く目的地に向かって進んでいった。


――――――――――――――――――


 銃士隊の隊舎はコンスタンスの指摘通り、通りの突き当たりにあった。

 壁に掛けられた紺色の下地に白抜きの十字架の隊旗は、遠くからもそれと分かるほど色鮮やかに白の壁に映えていた。

 セーヌ河から吹く風は隊舎にぶつかり千々にちぎれ、紺の隊旗を波打たせまた翩翻と宙を踊る。


 隊舎には様々な人員が出入りしていた。

 場所柄当然だが、トマスの執務室で見た紺の隊礼服を着た人員が多く見られた。

 かつては、憧れを抱いた場所だ。

 以降関係が無くなるとはいえ、感慨深いものは確かに胸中に残っていた。


 正面の門扉を見上げる。

 縁のないはずのその場所に立っている違和感にやや戸惑いが残るが、何時までも門扉の前で足踏みしていてもしょうがない。

 思い切って、門扉の向こうへと足を踏み入れた。


 問題があるとすればただ一つ。


――面会予約(アポイントメント)取ってないけど、トレヴィル卿には会えるのだろうか? という疑問だった。

TIPS

 コンスタンスが持っていた青い布に関しての小ネタです。

 本文では言及していませんが、特別なのは布の色ではなく、素材の方です。

 ナイロン素材、つまり石油製品なんです。

 現実世界においても産業革命よりかなり後、1935年に合成に成功した新時代の繊維です。

 産業革命は1700年代~1800年代にかけて起きてますから、どう甘く見積もっても1世紀近い技術格差の矛盾が起きているはずです。

 それでも敢えて登場させた理由はちゃんとありますが………

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