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宴の杯は、高く掲げられ

 読んでいただき、ありがとうございます。

 この物語が、皆様のひと時の無聊を慰めますよう。

『―――銀の(Doigts d’)指先(argent)


 無慈悲に放たれた魔弾は、エヴァンのこめかみやや右をすり抜けてその先を一直線に、


「………がっ!?」


 その奥で剣を構えていた男の眉間を貫いた。

 間一髪で助けられたことを理解して、今度こそ安堵の息を吐く。


「…ご助力、感謝いたします」


「気にするな。

……生き延びたな」


「はい。運に助けられました」


「だけ、では無いだろう。

――枠狙いじゃなかったんだな、魔導器を持っていたとは思わなかった」


 その目は、エヴァンの持つモデスティに注がれていた。

 先ほど注ぎ込んでた魔力は手を離した時点で霧消していたが、魔術にしか出せない音は隠しきれるものではない。

 そのためか、ジュサックと同じ勘違いを、オリヴィエもしたらしい。

 説明が面倒くさいため、短く訂正するに留める。


「これは私のものではありませんが、枠狙いではないのは間違いないですよ」


「貴君のではない?」


「えぇ。先ほど拾ったんです」


「拾…?」


 何か胡麻化していると思われたか、渋面でこちらを睨む。とは云え、気持ちは解らないでもないが、睨まれても困る。宝珠を拾った何て有り得ない出来事(ファンタジー)、こっちが困惑している位なのだから。


「まぁ、それはともかく、これで逃げ場の確保はできたと考えていいでしょうか?」


 話を逸らして、自分に益のある話題に戻す。

 オリヴィエがこちらに来たということは、逃げるための道が拓いたと判断したのだが、果たしてそれは正解だったようだ。


「あぁ。ロシュフォールの都合できる人数は限られている。腹心のジュサックを連れていたから、あの場と貴君を追っていた数名で大体は限界のはずだ。

 伏兵を隠す余力も意味も無いからな。動員できる人数はこれで尽きただろう」


「…それは良かった。では、私はこれで失礼させて戴きたいのですが」


「そうだな。

……こちらの都合で、決闘を汚してすまなかった。

 後日、埋め合わせは考えるが」


「お気遣いなく」

 いや、ほんとに勘弁してほしい。本心から即答する。だが、埋め合わせというならば、欲しい譲歩は一つあった。

「もし可能であるならば、警邏隊に私の情報が渡らないようにしていただきたい。これ以上の厄介は、私の今後に差し障りしかなくなりますので」


「判った。エヴァンと云ったな。貴君の情報は出さないようにしよう」


「助かります」


 言質は取った。仮にも貴族なのだから、口にしたことは余程でない限り守るだろう。

 二人、肩を並べてオリヴィエの来た道を戻る。


「これから如何すれば?」


「先ほど言った抜け道を使って逃げればいい。ロシュフォールは追ってこないと云ったが、保証はない。警邏隊の赤服は憶えたな? あれに絡まれないようにおとなしくすればいい」


「はい」


「ついでだ。今日はこの後予定はあるか?」


 急に予定を問われて少し考え込む。

 決闘が如何なるか判らなかったので予定は入れてなかったのだが、つい先ほど、直ぐにでも寄りたい場所ができた。隠す意味もないので正直に応える。


「…夕方までは。夜は空いてますが」


「充分だ。コロンビエ通りは知っているか?」


 頷く。昨日訪れた銃士隊の隊舎前を通り過ぎた先が、その通りだった筈だ。

 遠目にだが、結構な賑わいがあったように覚えている。


「通り入り口の角に『黄金(オル)()蜂蜜酒(ミード)亭』と云う酒場がある。酒は奢ってやる。訊きたいことも事もあるからな、呑みに付き合え」


 タダ酒を相伴できるのは嬉しいが、意図は何か勘ぐってしまうのは、昨日今日で色々とあったおかげだろう。即答を避けるエヴァンに、肩を竦めてオリヴィエはその危惧を蹴って捨てた。


「安心しろ。『黄金(オル)()蜂蜜酒(ミード)亭』は銃士隊御用達の酒場だ。

 他の銃士も入り浸っているし、警邏隊にとっては敵地(アウェー)そのものだ。

 俺たちにしたって、厄介事なり起こして出禁でも喰らったら、イザークが絶望で死にかねん」


「………判りました。」

 これは逃げられそうにない。が、これが最後と思い、後腐れなく別れるためと内心に言い聞かせて、慎重に承諾の頷きを返した。


「結構。8時までには来れるか?」


「…善処します」


―――――――――――――――――――――――――――――


――ジュサック、しくじったか。


 カルム=デショー修道院の正面扉から、オリヴィエと枠狙いが連れ立って姿を現した光景を認めて、ロシュフォールは自身の思惑が悉く無に帰したことを自覚せざるを得なかった。


 噛み締めた奥歯が、ぎりりと鳴く。

 意識を残している部下は、イザークと対峙している残り2名のみ。目に見える範囲で死者はいないようだが、救急を必要とする重症が10名以上に上る被害が出ているとなれば、利益と損害を秤に掛けても、間違いなく不利益しか残らない。


 何もできず手を拱いているうちに、枠狙いが、多少よたつきながらも裏道へ。

 やがて、ロシュフォールの視界から完全に消えた。


 無傷レベルにしか見えないオリヴィエが、悠々と此方に歩を進めてくる。

 仕方がない。諦めて、口笛を短く二つ。撤退の合図を上げた。

 残った部下が、ロシュフォールの盾になる形で前に立つ。


 その正面に、ルネとイザークが。少し遅れてオリヴィエが肩を並べた。


「やれやれ、一体何だと云うんだ。ロシュフォール?

 俺たちはただ、三人で模擬戦を交わしていただけだぞ?

 決闘と勘違いして、剣を抜くのは流石にお門違いと思うがね?」


「――どの口が云ってくれる…!」


 オリヴィエの台詞から、相手の主張が見えた。

 どうやら、枠狙いをいなかったものと言い張る心算だろう。

 しかし、悪口雑言は口の中で消えた。証拠が無いのだ、探せば(でっ)ち上げる事も可能だろうが、掛ける手間の費用対効果(コストパフォーマンス)が悪すぎた。


「まあ、此方も模擬剣とは云え、一見判らない武器で訓練をしてたんだ。

 我々に一片の非が無いとは云わんさ。

 幸い此方に被害も無かった事だし、これ以上事を荒立てなければ、銃士隊としてそちらを突くことは無いと思ってほしい」


 警邏隊からすればあまりに一方的な言い草に、部下が魔導器に手を掛けて殺気立つ。

 それに対抗して、余裕を口の端に浮かべてイザークが魔導器を構えるが、完全に崩れた姿勢がポーズで有る事を示していた。

 一触即発の剣呑さが場を支配するが、ロシュフォールは勿論の事、三銃士も手を出す事は無かった。

 手を出せば間違いなくロシュフォール側が全滅するが、挑発してから死者でも出れば、三銃士も責任問題からの重罰を免れないからだ。


 お互いに手が出せない状況での挑発は、オリヴィエからの暗の撤退要請だった。


「撤退するぞ」


「………はっ」


 部下の頷きを受けてから、迷いなく踵を返した。

 これ以上の戦闘が無意味になった以上、追撃は無い。剣を納めながら追従する部下の気配を感じながら、ロシュフォールの足は小走りに速度を変えた。


―――――――――――――――――――――――――――――


「………行ったか?」


「あぁ。気配は無い。大丈夫だろう」


 警邏隊の気配が消えて暫くの後、漸く、三銃士全員が大きく息を吐いた。


「あ~、助かった。こっちに被害が無くて何よりね」


 他人の視線を気にする必要が無くなり、大きく伸びをしたルネが安堵の表情を浮かべる。

 警邏隊の被害はかなりのものだが、此処まで突き抜けた被害が出れば、ロシュフォールが銃士隊に文句をつける事も無い。そんな事をすれば、間違いなくリシュリュー枢機卿の監督責任も問われることになるからだ。


「枠狙いは?」


「…名乗りは受けただろう、彼の名はエヴァンだ。覚えてやれ。

 エヴァンには、8時に『黄金(オル)()蜂蜜酒(ミード)亭』に来るよう云いつけて於いた。あそこで今後の事も含めて話し合うとしよう」


「おぉ、なら、俺は先に行って席を取っておくとしようか」


「気の利いたことを云った心算でしょうけど、どうせ呑みたいだけでしょう?」


 透けて見える本音にルネが突っ込むが、隠すことなくイザークが笑い飛ばす。


「席を取っておくのが本音だぞ?

――まぁ、先に2、3杯は空けているだろうが」


「それなら構わんが、酔いは抑えて於け。

 建設的な話が出来なくなる」


「それなら、オリヴィエ(オリー)。お前に任せるさ」


貴方(イザーク)も当事者なのよ、他人事はやめなさい」


「俺にアタマを使えって方が、酷な要求だと思うがね」


……確かに。

 肩を竦めながらの指摘は、オリヴィエとルネを思わず納得させるだけの充分な説得力を持っていた。


「ま、まぁ、話し合いそのものは俺に任してくれていい。ただ、酔って会話の内容を忘れてしまう。なんて間抜けはやらんでほしい。

 云ってしまえばこれは決闘の事後処理だぞ。ルネは兎も角、俺たちは決闘を吹っ掛けた側だ。

 素面(しらふ)で事に当たるのは、交渉上の礼儀だぞ」


「エヴァンは枠狙いと云っても、あの状況を切り抜けたのよ? 間違いなく、其処らの有象無象とは実力で一線を画しているわ。

――私たちも、一定の敬意は払わないと格好がつかないの」


「…そりゃな。警邏隊数名を相手取って、生き延びたのは認めざるを得んわな。判ったよ、酒は後の無礼講で埋め合わせるとする。」


「助かる」


 意外に素直な承諾の返答に、オリヴィエは安堵した。

 普段はお人好しだが、酒が絡むと途端に面倒になる性格(たち)のイザークだから、もっとごねるかと内心で危惧はしていたのだ。

 とまれ言質は取ったのだ。話題を蒸し返す前に方向転換を試みる。


「で、そっちの戦果はどうだ?

 ジュサック隊は、ロシュフォール麾下の中では精強だ。戦力を半分は削れたんだろうな」


「重症3、骨折辺りの軽傷(・・)は5。

…無傷2ってところね。

 イザークが処理した相手は、精神的外傷(トラウマ)で再起不能じゃない?」


「妥当よりやや上の戦果(リザルト)か。ジュサックを削れたのが最大の戦果だな」


「ジュサックを!?

………殺ったの?」


 オリヴィエの申告に、ルネの藍色の瞳が見開かれた。

――無理もない。ジュサックはロシュフォールの腹心の内、最も剣を能く使うことで知られていたからだ。

 ただ、ルネが驚いた理由は其処では無かった。

 生存能力(サバイバビリティ)。ジュサックは、如何な状況からでも生き延びる事を得意としていたのだ。

 ジュサックを倒したという事は、ロシュフォールの引いてはリシュリュー枢機卿の権力を護る盾を大きく削った事と等しかった。


「…流石に驚いたわ。オリヴィエ、どうやったの?」


「俺じゃない」


「は?」


「殺ったのはエヴァンだ。彼の戦果は警邏隊5名にジュサック」


 イザークが愉快そうに調子はずれの口笛を吹く。

 新人以前の田舎者が、警邏隊の精鋭を仕留めたのだ。大金星といっても過言ではなかった。

 公式にできる記録ではないが、銃士隊に入隊した暁には間違いなく彼の存在感を後押しするはずだ。


「…彼、枠狙いじゃなかったの?」


 ルネの疑問は、修道院から響いてきた魔術による破砕音を捉えていたが故のものだった。

 奇しくもそれは、オリヴィエの思考と同じ過程を辿って得た疑問だった。


「…当人曰く、”違う”らしい。

――魔導器は持っていたが、それも拾ったとの事だ」


「拾った!?」


「誤魔化された気もせんでは無いがな」

 鵜呑みにしたのかと睨むルネを、肩を竦めてやり過ごす。

「気にするな、この後で呑む約束は取っといたんだ。

 訊きたい事は、その時に聴けばいいだろう?」


 確かに。此処でオリヴィエを追及するのは、お門違いというものだろう。

 納得はしたものの、不承不承と云った心情のままに頷くルネに苦笑する。


「――では、この場を離れるとするか。

 ロシュフォールは居ないと思うが、念のために警戒を」


 三人は視線を合わせて頷き合った。

 踵を返して、努めて軽快にオリヴィエが笑って宣言する。


「祝勝会だ。後腐れなく旨い酒を呑むとしよう」


 イザークの歓声が上がり、三銃士がからりと笑った。


―――――――――――――――――――――――――――――


 『シモンズ工房』を経営する工房主のマーチス・シモンズは、来ると思っていなかった訪問客を迎えて困惑していた。

 昨日来て随分と立派な紹介文を見せた割に、金が無いと嘯いて去った客だ。

 大した秘密も持っていない癖に高額な口止め料を支払ったので、否が応でも、顔から声から覚えていた。


「まさか、昨日の今日で此方に来られるとは思っていませんでしたよ。

――エヴァンさん」


「…えぇ。俺も思っていませんでしたよ」

 疲れからか、ぶすりとむくれた声でそれに応じる。

 何をしていたのか、砂ぼこりに塗れ擦り切れた服が、並々ならぬ労苦をシモンズに伝えてきた。


「それで、何の御用でしょうか?」


「鑑定をお願いしたい」

 エヴァンの寄る必要が出来た場所とは、昨日も訪れた宝石加工の工房だった。

 つい先ほど、所在不明の宝珠を手に入れたのだ。この存在が公になったら、エヴァンが受けきれる以上のトラブルが自身を襲う事は、想像に難くなかった。

 解決すべき緊急の問題への手がかりとして、宝珠の鑑定は可能な限り早く必要だった。


 翻って、エヴァンから返って来た依頼は、シモンズの予想を斜め上に超えたものだった。

 金が無いから顔合わせだけで消えたエヴァンが、たった一晩で金貨を飛び越えて宝石を手に入れたなんて予想すらできていなかった。

 それでも、シモンズも宝石加工工房で生計を立てているプロだ。

 驚きはしたものの、努めて顔には出さずに承諾の意思だけをエヴァンに伝えた。


「判りました。丁度、手の空いている弟子が居ます。昨日顔繋ぎをしておこうとした相手ですが、そちらに仕事を回します。

――今後の仕事は、そちらと遣り取りしてください」


「判りました。

――守秘義務に関しては、徹底されていますか?」


「…宝石加工業は、扱う品が品ですので。従業員の末端に至るまで身分の保証がされています」


 昨日と同じく機密の保護を求められて、内心で嫌な気分になるが、努めて表情には出さないようにする。

 内線電話の受話器を取って、自身の弟子の内、芽の出ないだろう末端を呼び出す(コールする)

 将来に期待が持てない弟子を選んだのは、ただの嫌味混じりの抗議の心算だった。


 狭い工房の中、幾ばくも経たない内に呼ばれた弟子が姿を現した。

 (ヘイゼル)色の髪と瞳の十代を半ば過ぎた辺りの年頃の少年が、恐る恐る工房主の部屋に入室する。


「…シモンズ親方。ヴィクターです」


「来たか。エヴァンさん、こいつはヴィクター。今度から、こいつに仕事を回してやってください」


 目も向けてこなかった工房主からの、思ってもいなかった仕事の推挙に、驚いたヴィクターが顔を上げた。

 その仕草から、どんな相手が推されたのか大方の処を察したエヴァンだが、まぁ仕方ないかと肩を竦めた。実際、相手の気分を害するような要求を重ねている自覚位はあるのだ。

 まぁ、それでも問題は無い。求めているのは、機材に(さわ)れる程度の技術だ。

 あとは、幾つかの条件に頷いてくれるならエヴァンとしても文句は無かった。


「えぇ、有難うございます。

――エヴァン・シャルル・カステルモールです。よろしく」


「あっ、はい。ヴィクター・ノリスです」


 差し出した右手を握り、握手を交わす。


「…では、早速、仕事の話に入りたいんですが」

 頷いて、承諾の意思を示すヴィクターに満足して、シモンズに向き直った。

「機材をお借りする意味も込めて、『魔術刻印室(あちら)』をお借りしたい」


「…えぇ。云われると思いました。ヴィクターも機材の扱いは一通り心得ております。

 レンタル料金は、時間当たり金貨(リーヴル)一枚で。

――よろしいですか?」


 仕方はないが、やはり安くはない。

 もう、残り財産が金貨(リーヴル)13枚まで減りこんだ。

 目減りする財布の軽さに漏れる溜息を必死に押し殺し、案内のため先に立つヴィクターの後に続いた。


―――――――――――――――――――――――――――――


 エヴァンが『黄金(オル)()蜂蜜酒(ミード)亭』の扉に手を掛けたのは、夜半も回った8時をやや超えた時分だった。

 遅れた理由は『シモンズ工房』での鑑定依頼が、予想を超えて大幅に長引いたからであり、土地勘が無いエヴァンが、コロンビエ通りに行きつくのにやや迷ったからであった。

 通り角に店を構える『黄金(オル)()蜂蜜酒(ミード)亭』の場所はすぐに分かった。

 表通りまで、ランプが放つ橙色の明かりと、大勢の客が放つ喧騒が届いていたからだ。


 軋む蝶番が立てる鳴き声を越えた先には、紺の隊服を着崩した銃士達が酒を(あお)って店内の席を占めていた。

 銃士隊御用達、オリヴィエの台詞が脳裏に過ぎる。

――成る程、確かに。

――けど、なんか違う。

 納得はしたが、少し釈然としない。

……実は云うと、銃士(貴族)御用達なんて聞いたから、もっと物静かな社交場(サロン)みたいなのを想像していたのだ。


 目当ての連中が見当たらない。銃士隊でない客(エヴァン)を不躾に睨め付ける連中を努めて無視を決め込み、カウンター目指して一歩。


「ぃよう! 待ってたぜ、エヴァン。こっちだ!」


 見えない圧力が臨界を越えようとした時、陽気な酔漢さながらの声が緊張感を霧散させた。

 視線を送れば、奥の一角に有る(テーブル)を三銃士が独占しているのが見えた。


 手を挙げて応じると、目の前の男が誰の客か判ったのだろう、残った視線が一気に散る。

 気分のいいものではないが、此処での異分子は自分の方だ。郷に入っては郷に従えはどの社会でも通じる常識だろう。

 余計に絡まれる前に、三銃士の卓に足を向けた。


 ランプの灯りからやや外れた薄暗さは、周りの喧騒から切り離された静寂を保っていた。

 男性二人に女性一人が囲う卓の上には、葡萄酒(ヴィノー)を湛えた鉄杯が4つ、紅い水面を揺蕩えている。


「遅くなりました」


「土地勘はまだ無いだろう? 気にするな。

……それと、今日はもう無礼講だ。言葉を崩してくれて構わん」


「それは、…助かる。これ以上、気を張るのもキツイ」


 椅子を勧められ、僅かに引いた位置でその上に腰を下ろした。

 杯に手を伸ばして、オリヴィエに確認を取る。

 無言で肩を竦めたのを、了承の合図として、二口三口、喉を湿らせる。

 割ったというより水で薄めた葡萄酒(それ)は、酔いを呼ぶものではなく、喉を潤すためのものだった。

 話し合いの本番はこれから始まるという事だろう。


 エヴァンの舌が濡れたの待った後、オリヴィエが口火を切った。


「さて、あの闘いの顛末を詰めるとしようか。

――先ずは、エヴァン。決闘に関しては、有耶無耶(お流れ)になった。

 不満が残るかもしれんが、ロシュフォールとのやり取りでエヴァンはあの場にいなかった事になったからだ」


「構わない。あの決闘には、益が無さすぎる。

 お流れになったのは、有り難いくらいだ」


「ならいい。…ルネ、イザークもそれで良いか?」


「…問題無いわ」


「応よ」


「よし。それと恐らくだが、ロシュフォールはエヴァンの事を知らない。万一、顔を見ていたとしても、奴はお前の事を枠狙いと思っているはずだ。

――枠狙いじゃないと云ってたな、あれは事実か?」


「そこからか。俺の身上だけど――」


 平民になるため、職を求めて巴里に来た事。当然、銃士隊には入らない事。滔々と語られたその身上話に、オリヴィエは困惑した。


「枠狙いじゃないことは理解したが、それだとおかしくないか? 平民になるにしては腕が立ちすぎているし、何より、宝珠持ちだろう?」


「そうね。あれだけの魔術よ? 宝珠が無ければ、行使できないはず」


「剣の腕に関しては、父の指導が良かったとしか云えないな。宝珠は、修道院での出来事だな」


「おっ、待ってたぜ。エヴァンの武勇伝を聞かせてもらうとしようか」


イザーク(イズ)。すり合わせのための状況把握だぞ。間違っても、酒の肴じゃない」


「いいじゃないか。巴里に来たばかりの新米(向こう見ず)が、俺たちの想像にも及ばない活躍をしたんだぜ? 活きのいい話は、つまみに丁度いい」


 給仕の女性を捕まえて、葡萄酒の水割りを求める。

 酔いどれ(イザーク)に付き合ってられんとばかりに(かぶり)を振って、オリヴィエは無言で話の続きを促した。

 同感の思いだったエヴァンは、オリヴィエの要求に乗っかる。

………少し活躍を誇張したのは、見栄と云うよりイザークに向けたリップサービスの心算だった。


「……拾ったと聞いた時には何かの隠喩かと思ったが、真逆、そのままの意味だったとはな」


 一通り話を聴いた後、オリヴィエは、比喩でも何でもなく文字通り頭を抱えた。

 警邏隊との悶着が片付いたら、さらに厄介な問題が裏で起こっていたのだ。

 未契約の宝珠(オーブ)が、修道院の地下牢で眠っていた。世の陰謀論者や盗掘者が聴いたら、巴里中の修道院は暴き立てられるんじゃないかと危惧するくらいの厄介事(トラブル)だ。


 宝珠は、貴族の家紋を管理する紋章院で厳重に管理されている。

 前述もしたが、契約は兎も角、契約の解除は紋章院でしか行えないのもその為だ。

 エヴァンが契約した宝珠は、その管理から外れたものが存在する、何よりの物証なのだ。


「宝珠の本来の所有血統を探す必要があるな。

――ルネ。あの修道院は、何時使われなくなった?」


 督教に造詣が深い隣の女性に、その知識を求める。

 話題を振られたルネは、喜々してその知識を披露するかと思いきや、眉間に皺を寄せ渋面を作った。


「カルメル会の、それも裸足(デショー)派の管轄よね。

 あちらは完全な男社会だから、縁が無いのよ。

――カルメル会が仏蘭西から撤退したのは、30年くらい前。あの修道院は、多分それより前に廃棄されているわ」


「詳細は、カルメル会に問い合わせる必要があるか」


「相手は市国(ヴァチカン)に引っ込んでいるわ。はっきり云って、問い合わせる伝手も無いわね」


 加えて、カルメル会と云えば市国(ヴァチカン)の回帰派でも重鎮であり、裸足(デショー)派は人気が無くなったと云え、荒行を自身に課す秘密主義者たちの集いでもある。

 例え伝手を辿って接触できたとしても、真面な回答が返ってくるとは思えなかった。


「手掛かりは無し。…手詰まりか」


「――でも無い」

 エヴァンが、卓の中央に四つ折りの紙片を置く。

 広げたその中には、(ドット)を重ねたような粗い模様が描かれていた。

 描かれた模様を、少し遠目に眺めていると、やがてある意匠を象っている事に気づく。


「…これは、…花、か?」


先刻(さっき)、宝石工房に寄って鑑定を依頼した。

 術式が書き込めない端に記述されていたのが、その模様だ。花を囲っているのが盾だから、もしかすると家紋じゃないかと云ってたな。

 (ドット)の粗さから、使われた刻印器は100年近く前(最初期)のものだと。宝珠の切除(カッティング)も当時の流行りだそうだ」


 粗い画だが、随分と丁寧に点が重ねられていた。

 描かれているのは盾に花の意匠であると判別がつく。盾は兎も角、何の花か判れば紋章院で出自を辿る事もできる。


「盾に花は仏蘭西貴族の意匠でも一般的(オーソドックス)なものだからな。

 何の花か判れば、紋章院で手掛かりになるか」


「あぁ。紋章院は明日にでも行くつもりだが、その前に何の花か判ればと思ったんだが。

 恥ずかしい話、花にも家紋にも疎くてな」


 家紋に関して貴族でない限り、覚える必要はそうそうない項目だ。

 興味も生まれなかったのは、無理のない話と理解しながら、紙片に描かれた模様を矯めつ眇めつ眺める。

 しかし、オリヴィエも、そこまで花に詳しいわけではない。


 ルネをちらりと流し見る。視線に気づいた彼女は、肩を軽く竦めてその意図の返答とした。

 まぁ、ルネの興味は督教方向に全振りしているのだ。主要な貴族の家紋に関しては、必要最低限は知っていたとしても、それ以外を知っているとは思えない。


 さして落胆もせず、視線を模様に戻した。

 しばし、花の種類に頭を悩ませるが、答えは意外なところから来た。


「…アマリリス、じゃねぇかな?」


「イザーク。知っているのか!?」


 こういった問答に不得手そうなイザークからの応えに、卓を囲む全員の驚きの視線が集中した。


「俺は興味ないがね。…恋人がこの手の花に詳しくてな」


 真逆の恋人発言に、エヴァンの内心が割と大きめに抉られる。

……ご同輩(独り身)だと、勝手に確信していた。


「ここらの花じゃないぞ。地中海側、だったはずだ」


 仏蘭西貴族の家紋に選ぶにはチョイスとして的外れな気のする花だ。


「…家紋じゃないとか?」


「盾に花だぞ。他に無いと思うが」


 確かに。

 ある意味、真っ当な反論に、そこにいる全員が深く頷いた。


「ま、まぁ、それは兎も角、これで花の種類が判った訳だ。

 紋章院でも、少しは元の所有血統が辿りやすくなるだろ」


「あぁ。助かった。

……元の所有者が名乗り出た場合、俺は罪に問われるんだろうか?」


「流石に、それは相手次第としか云えんな。

 そもそも、失くした方が悪いが、貴族は正論より面子でものを考えたがる。

 まぁ、その場合は俺たちを頼れ。これでも結構、名のある家系でな。三人集まれば、お前一人くらい守ってやれる」


「……その時は頼む」


 オリヴィエの申し出に、素直に頼る。

 何しろ、こちらは平民になるしかない騎士爵の三男だ。

 立場の弱さは充分自覚している。少しでも後ろ盾になってくれるのであるならば、非常に有り難かった。


 任せろ。そう気前よく請け負ってオリヴィエが立ち上がる。

 事前に準備はしてあったのだろう。指先で店員を呼び、運ばれてきた4つの杯の一つを手に取った。


「さて、紆余曲折はあったが、話は一段落ついた。決闘に関しては、…まぁ、お流れになったが、割り込んできたロシュフォールの野郎に一泡吹かせてやれたんだ。大勝利と云ってもいいだろうさ。

 祝勝会と行きたいが、各々、文句は無いかね」


「待ってましたっ‼」

 イザークが、歓喜と共に杯を取る。苦笑混じりにルネ、エヴァンと続く。

 覗き込むと、杯の中にはややとろみを帯びた黄金色の液体が揺れていた。


 何だろう? 首を傾げるエヴァンに、運んできた店員が笑いながら疑問に答える。

「当店自慢の蜂蜜酒(ミード)ですよ。お客さんの故郷では馴染みがありませんか?」


「出はボルドーの更に辺境でね、酒と云ったら葡萄酒(ヴィノー)だった」

 揺らすと、強い酒精(アルコール)と共に、蜂蜜の甘い芳香が立ち昇った。

「だが、悪くない香りだ」


 店員が場を去るのを見計らい、オリヴィエが杯を掲げて音頭を取る。


「エヴァンは銃士隊の乾杯の作法は知っているか?」知らない。首を横に振るエヴァン。「そうか、銃士隊の隊紀は知っているか?」


 それなら知っていた。首肯するエヴァンに、オリヴィエの後に続けるよう告げた。

 全員が立ち上がり、杯をランプ近くまで掲げ、


一人は皆(Un pour)の為に( Tous)

 オリヴィエの言葉に続き、全員が唱和する。

「「皆は一人(Tous pour)の為に( Un)‼」」


 同時に杯は干され、顔を見合わせて全員でからりと笑った。

TIPS

「一人は皆の為に、皆は一人の為に」

 あまりにも有名なこの台詞ですが、実は誤訳だそうです。

 2節目の一人ですが、一つの目的という意味の誤訳だそうで、全部繋げると「一人は皆の為に、皆は一つの目的のため協力しよう」と云う意味だそうです(諸説あります)。


 確かに正訳のほうが意味としてはしっくりきますが、それでも誤訳のほうが作者としては個人的に好きです。

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