闘いの決着
読んでいただき、ありがとうございます。
この物語が、皆様のひと時の無聊を慰めますよう。
地下牢の中央に立つ。
正直、脱出の方法はこれしか思いつかなかった。
もう一寸、スマートなやり方がないか思考を捏ね繰り回したが、結局、思いつくものは無かったのだ。
手の中に在るモデスティを確認してから、自分の装備を確認する。
そこで、ハタと気付いた。
模擬剣が無い。
近接攻撃の手段が無いことに、漸く焦りを覚えた。
何処に落としたのか、周りを見渡しても見つからない。
…こうなったら、相手に奇襲をかけて剣を奪ってやるか。
此処までさんざん迷惑を、我が物で掛けてきたのだ。
この程度の意趣返しは、赦されてしかるべきだろう。
ご都合主義の自己完結に、うんと大きく一つ頷いた。
先ずは、軽くジャブ代わりに『漆闇を透す瞳』を行使する。
『暗闇に墜ちた勲章 何人もその価値を知らず』
『ただ求めるものにその輝きを示す―――漆闇を透す瞳』
魔力のさざ波が、上に向けて放たれた。
1人は倉庫内に戻ってきているようだ。
他2人が修道院の奥で探索している。2名に減らしたところから3人に増えていた。どうやら応援か、1人合流したようだ。
――…どーした銃士隊最強! 敵に後ろ抜かれてんじゃねーか‼
流石にあの人数差を、3人で処理する事に無理があるのを認めつつも、こっちの難易度が上がった事に愚痴混じりの嘆息が漏れた。
願わくば、応援の1人もどっこいの実力でありますように(フラグ)。
『漆闇を透す瞳』には、相手の実力を見通す様なご都合主義の効果はない。
相手の実力は不明だが、直上の相手を沈めれば、再び1対2の状況に戻り対処のしようが易くなる。
奇襲が可能なうちに、相手の戦力を1人削る方が賢策か。
偶然手に入れた宝珠。どこまでの性能を有しているのかはしれないが、その能力のお披露目だ。
相手を押し返すためにも、此処は一つ、
――ド派手にイってやるか。
モデスティを満たす魔力に不安は無い。
師匠の言葉を信じるならば、モデスティの魔導器特性は圧倒的に魔術の回転が速い事だ。
それはどの戦闘状況下であっても、自身の優勢を約束しているのと同義と云えた。
ならば今後は、その回転の速さを使いこなす器量が、自身に有るかが問われる事となる。
気付かれていない今だからこそ、ゆっくりと初手の6発を選ぶ。
風圧系斬断魔術。『裂刃』
『旋風よ踊れ 千の刃よ在れ』
『汝、滅せよ』
術の発動を待機。立て続けに次弾の装填。
これもモデスティの特性である、6つの魔術を1つにする機能を応用したものだった。
鍵言を唱えない限り、装填した6発分の魔術の発動を遅らせる事が出来るのだ。
身体強化系思考加速魔術。『時間よ停まれ、汝は美しい』
『人生最後の微睡 悪魔だけが聴く末期の願い』
『其方だけが知る秘密』
3発目。
身体強化系身体強化魔術。『英雄は彼の地に至る』
『炎の鎚は巌を鍛え 脚は疾風に 拳は鋼となる』
『さぁ、喝采を上げよ』
4発目。
爆裂系魔弾魔術。『焔、咲きて』
『爆ぜろ 爆ぜろ 鳳仙花 咲きて誇りて、紅染めろ』
『罪なきその身、証し立てろ』
総数4発の魔術がモデスティに叩き込まれ、魔力光が唸りを上げた。
魔術の一斉待機は可能だが、銃の機能構造を基礎に使っているため、行使する魔術の順番を入れ替える事は出来ない。つまり、使用する魔術の順番を間違える事は、自身の窮地を作ってしまう事を意味していた。
一息吐く。
頭上を塞ぐ梁と石塊を見据え、モデスティを垂直に天井に向けた。
『―――裂刃!』
モデスティの銃口の前に魔法陣が現れた瞬間、急激に周囲の気圧が減り始めた。
当然だ。魔術は無から有を生む事すら可能な技術だが、既に有るものを利用した方が労力は易く済むに決まっている。
『裂刃』は圧縮した空気の刃で相手を切り裂く魔術だ。圧縮する材料を得るため、周囲から空気を掻き集めるために生まれた現象だった。
埋め立てられた地下牢内は一度に供給される空気量が限定されているため、必要となる空気が足りず魔術の成立が遅れている。
「――…く、ふ!」
呼吸さえも困難になる減圧の中、莫大な量の空気を圧縮し終えた魔法陣が、上方に向けて『裂刃』を解き放った。
乱気流とも思えるほどの爆発的な空気の渦動が、轟音と共に狭い縦穴を削りながら駆け上り、穴を塞いでいた梁と石塊を吹き上げる。
数tは有るだろう重厚なそれらが、空圧の刃で微塵に裂かれながら、元あった天井近くまで舞い上がる。
梁や石塊を支えるものは無く、慣性が消える僅かな時間の滞空の後、
微塵に裂かれたそれらは、今度こそ穴の蓋になることなく、地下牢目掛けて落下を始めた。
迫りくる石塊を見据えて、次弾の魔術を発動させる。
『―――時間よ停まれ、汝は美しい』
薄墨に染まる世界の中、身体に圧し掛かる抵抗を振り払うかのように、立て続けに3発目に籠めた魔術の鍵言を唱える。
『―――英雄は彼の地に至る!』
身体を取り巻く泥濘の重さが一気に薄くなった。本来なら身じろぎすら困難になる思考加速魔術だが、身体強化、つまり、ソフトウェアとハードウェアの強化が揃ったため、加速空間での自由が一時的に利くようになったのだ。
落下する梁や石塊を見て反応出来るほどに一瞬が引き延ばされた世界の中で、崩れかけた壁に目標を定める。
跳んで右手を掛ける。
ほぼ感じないほどに抵抗が薄れたこの世界だが、身体の落下は非常に緩慢としていた。
重力による自然落下よりも、思考認識の方が勝っているが故の現象だ。
今は、その現象こそが有り難かった。
壁を蹴り、落下する石塊に跳び移った。
次の石塊に手を掛ける。
結局のところ、思考加速と身体強化の結果、体感時間が引き延ばされているに過ぎない。慣性の法則はきっちりと存在している為、自身の体重より軽い石塊に下手に跳び移れば、そちらを弾き飛ばしかねない。それは判っていたので、比較的大きな石塊を選びながら、次々に跳び移って上を目指した。
最後の石塊を蹴り飛ばし、穴の上へと躍り出る。『漆闇を透す瞳』で確認していたのと同じ位置に、臙脂の隊服を着た敵方の男が呆然と此方を見て立ち尽くしているのが目に映った。
照準調整をする必要も無く、遅延された滞空時間の中で相手にモデスティを向ける。
『―――焔、咲きて!』
幾重に咲く火焔の花が、小規模の爆発を起こしながら相手を呑み込んだ。
同時にエヴァンも、自身が生み出した爆圧に圧し出されて、穴の外縁部に転げ落ちる。
衝撃と様々な痛みで脳の処理が遅れたのか、その瞬間に思考加速の効力が切断された。
身体強化はまだ効果を維持している。
効力下の膂力に任せて、身体を跳ね上げた。
爆発の照準が甘かったのか、相手も蹲ってはいるものの、戦闘不能には陥っていないようだった。
その相手目掛けて、腰を落として駆け出す。
迫るエヴァンの気配に相手が顔を上げた時、狙い澄ました跳び膝蹴りが顔面にクリーンヒットした。
声も上げることなく今度こそ崩れ落ちる相手から、強盗宜しく刀剣を奪う。
使い慣れた長細剣でも中細剣でも無いことにやや落胆しつつ、刀剣で軽く宙を斬る。
バランスは悪くない。しかし、扱ったことの無い刀剣の類は、やや手に余る感触で落ち着かなかった。
特に、斬るという動作はエヴァンにとって未知の動作で、自身の攻撃動作に織り交ぜる事は出来そうにない。
払う動作の応用で、感覚を慣らすか。
再詠唱時間の終了と同時に、魔力をモデスティに充填する。
術式の装填。『時間よ停まれ、汝は美しい』『英雄は彼の地に至る』。そして、『銀の指先』を順に装填した。
倉庫を出て、狭い通路に出る。採光用の窓も無い暗がりの突き当たりにある階段から、荒々しい足音が迫ってきた。脱出の際に音のどうこうなぞ気にもしていなかったので、こっちの居場所がバレるのは、覚悟の範疇だった。
相手が姿を見せて反撃の体勢を取る、僅かな間隙を突いて待機していた魔術を開放した。
『―――時間よ停まれ、汝は美しい』
刀剣を構えて、駆け出す姿勢を取る。
『―――英雄は彼の地に至る!』
駆け出す。
暗がりの中で薄墨の世界に落ちると、正直、視界が塞がれたのと同じ状態になるが、廊下は障害物の無い一直線の上、加速した今ならば、どう転んでも戦闘の主導権は此方のものである。
そう考えて引っ掛けも入れず、最短直線で前に跳ねる。
愚直に突き出した剣先は、抜身のまま持っていた敵の刀剣と真面にぶつかった。
加速した空間の中というのは、非常に勝手が違う。相手もそうだが、身体の落下を含める周囲の環境の変化が、既知のそれとは違うのだ。うまく姿勢すら取れない状況の中で取れる攻撃は、単純なものでしかなかった。
その結果として敵に与えたダメージは、刀剣を弾き飛ばしつつ、わき腹を僅かに掠めて抉るに留まる。
次の瞬間、思考加速と身体強化が同時に効力を失った。
世界が色を取り戻したことで、思考加速が効力を失ったことを理解する。
体感でも効果時間は充分に余地を残していた最中での魔術解除に、思考が混乱をきたした。
それでも、身体を止めるわけにはいかない。
この状況では、足を止めることは死を意味する事くらい弁えている。
刀剣を弾き飛ばされ無手になった相手を、縺れ込むように体当たりで壁に叩き付ける。
敵は、あと一人いたはずだ。
運任せではなく、勘でもなく、ただ、やらねばならないと云う必然の思いから、モデスティを相手が来た階上の奥に向け、
『―――銀の指先』
待機させていた最後の『銀の指先』を、解き放った。
追撃を避けるための牽制の魔弾は、誰に中るでも無く虚空を貫く。
中らないことは想定の範疇。顔を上げて、階上に登ろうと足を踏み出し、
――くらり。脳が茹で上がったかのような、熱の帯びた眩暈がした。
「………っつつ」
思わず壁に手をついて、脳細胞を冷やそうと深呼吸。
――思考加速を使いすぎたか。
効果時間半ばで、身体強化魔術が切れた理由を理解した。
身体強化魔術に属する魔術系統は、総じて連続の使用を推奨されていない。
自身の身体能力を遥かに超える出力を強制的に捻りだす魔術は、当然のように絶大な負担を心身に与えるからだ。
特に脳のシナプス交感を引き上げる思考加速は、自身のデリケートな臓器を酷使する魔術であるため、負荷が許容範囲を超えると簡単に論理崩壊を起こして魔術が切れるようにわざと脆く術式が組まれている。
思考加速はこの短時間で既に3度目。これ以上の行使は自殺行為に近い。
――最後の一人は、剣と通常の魔術で倒さなければいけないか。
覚悟を決めて、半地下の倉庫から続く階上の部屋へと、足を一歩踏み出した。
――――――――――――――――――――――――――――――――――――
元は台所だったのだろう。そうと察せられる時代式の調理設備の跡が残るだけの、何もないがらんとした広い部屋の向こう端に、最後の一人は身を隠すでもなく立っていた。
「…枠狙いだとばかり思っていたんだがな」
大柄な男が発した苦々し気なその台詞は、見通しの甘い自分たちに対する皮肉だったのだろう。
相手の意図と実際のところは違うものの、漸く、枠狙い疑惑を外してくれた相手に、場違いな感謝を抱く。口には出さなかったが、軽く肩を竦めてはぐらかした。
「…枢機卿麾下ジュサック隊を預かっているジュサックだ」
名前を誤魔化すか、一瞬迷う。だが、相手の名乗りを汚すのは違うと思い、素直に口を開く。
「…エヴァン」
厄介事になるこの場で家名を名乗る事は出来なかったので名前のみの名乗りだが、相手も省略しているので許容範囲だろう。
名乗りは引くことは無いと云う意思表示と理解しているが、それでも敢えて言葉を続ける。
「一応提案だけど、ここらで分けとく気は無いか? そっちの被害は馬鹿にならんだろ。1対5で此処までやられたら、残りを連れて退いた方が賢い選択だろ」
「無理だ。最早、面子を維持するためにも、貴様を沈める必要がある。
――逆に、如何あっても貴様を殺さんと、周りが黙ってはいない」
………ご尤も。
予想された返しに、気落ちすることなく刀剣を構えた。
相手も剣を構える。剣種は中細剣。
仮にも隊長を名乗っている位だ、剣の不利を越えて強い可能性は充分にある。加えて、こっちは刀剣だが、刀剣は初心者以下のド素人だ。
朗報としては、拳銃型の魔導器は構えているものの、魔力を充填している様子は無い。
なら、魔術を織り交ぜて攻撃してくる可能性は少ないか。
だが、此方が正々堂々を付き合ってやる必要はない。牽制や引っ掛けの意図を込めて、モデスティに魔力を充填する。
流石に、此処まで接近されたら詠唱よりも直接攻撃した方が速いので、現実的に魔術行使は無理筋だが。
フー。細く長く息を吐いて、同じ調子で息を吸う。
肺に酸素を七分目まで満たしたところで、左脚で石床を蹴って一気に間合いを詰めた。
払いの応用で手首をしならせて、右上から左下に抜ける袈裟斬りを放つ。
此方の攻撃に合わせる形で払い。間髪入れず防御から踏み出して、流れるような突き。
お手本のような丁寧な突き返しに、突きのための引きの時間を惜しみ、手首の返しを続けて斬撃もどきを重ねる。
拙い斬撃で攻め込むのは無理がある。相手の防御を固めた後の突きに、あえなく畳みかけは潰れた。
――強い。
隊長と名乗ったのだ、弱い訳はないと思っていたものの、充分な先手を取った上でさらに上をいかれたのは、オリヴィエに続いてこの短時間で二人目だ。
…ズルくねぇ? こっちは格下なのに、何でこんな強いやつと一日にぶつからにゃいかんのだ。
エヴァンは、自分が弱いことを自覚している。
故郷で猪や強盗相手にさんざん戦ってきたが、それらは総じて食い詰めて追い込まれた弱者であったため、自身の力量ではなく有利な立場からの当然の勝利であることは理解していたからだ。
――魔術を使うか?
一瞬浮かんだ考えを振り払う。魔術は強力だが、詠唱の時間はそのまま隙になる。
この相手が、其処を突かない愚を犯す事は考えられない。
なら、やはりあの手しかないか。
足先を並べて相手に正面が見えるように剣を構える。
完全に先手を捨てた、防御重視のそれ。
ぴくり。その構えを認めた相手が、目尻を僅かに引き攣らせた。
初見でこれを見ると、やはり莫迦にされているかのように感じるのか、苛立ちが所作に見え隠れする。
激高しなかったのは、やはり訓練の賜物だろうか。
だが、先手を取ろうと踏み込んでこないのは、自分の知らない手段を警戒しているが故だろう。
此方から仕掛ける事が無い以上、そのままでは千日手になってしまう。
――それでは困る。
仕方がない、ダメ出しの隙を見せてやる。
左手に握っているモデスティを、わざと視界に入るように揺らした。
「…む」
流石に、魔力が充填されている以上、魔力が放つ翠輝には注目をせざるを得ないのだろう。
しかし、動くことは無い。
………そこまでは想定通りだ。
賭けに出る。
『…『破邪の飛礫 象る意思よ』
選択したのは『銀の指先』、詠唱をゆっくりと唱えて相手が仕掛けるのを待つ。
相手の先制を釣れなくてもいい。『銀の指先』で攻勢の支配権が得られるなら損にはならない。要は、待ちの姿勢でも攻めの姿勢でも、相手に詰みと思わせられればいい。
『汝の敵を指し…』
その瞬間、相手が一気に間合いを詰めた。
――釣れた!
躊躇なく詠唱を捨てて、迎撃に移る。
喉元を狙った吶喊を払う。先手からの攻勢の支配権は当然相手に有るため、続けて、2閃、3閃と突きが重ねられる。
それを、速度優先の払いで迎撃した。
明るさの薄い空間で、迎撃の度に火花が散る。
ジュサックの中細剣の攻撃手段は刺突のみだが、取り回しのし易さで全体に攻撃を散らしやすい。
刀剣にはない刺突の回転速度は、中距離から近距離に入られた際の一方的な攻撃へと変化していった。
払いも大味となり、最終的に上方へと逸らそうと剣身の根元で受けたとき、護拳と護拳がぶつかり、体格差に任せて押し込まれてしまう。
剣身同士がぎりぎりと悲鳴を上げるが、上背で抑え込まれて逃げようがない。
押し切られるか!? 脳裏に危険信号が点ったとき、左手に衝撃が走った。
ジュサックの右足が、エヴァンの左手首を狙って蹴り上げられたのだ。
無理な体勢からの蹴り上げだから威力はそれほどでもないが、握っていたモデスティは蹴り飛ばされて後方へと転がっていった。
「く…のっ!」
「うぉっ!」
思惑通りだが、ただでやられるのは癪に障る。蹴り飛ばされたモデスティから意識を離して、体勢を崩したジュサックを強引に押し返す。
踏鞴を踏んで後退するジュサックの表情は、エヴァンから魔術行使の手段を奪ったからか、それでも余裕が充分にあった。魔術さえなければ、剣の応酬はジュサックに軍配が挙がるからだ。
それは、確かに正しい。エヴァンは長細剣に関してはかなりの手練れだが、いま持っているのは刀剣だ。仕切り直して剣で戦えば、ジュサックに敗けは無い。
次の瞬間、ジュサックの表情が引き攣った。
体勢を仕切り直す前に、エヴァンが吶喊を仕掛けてきたからだ。
伸びる剣先に、ジュサックの剣身が辛うじて合わさる。
ガリガリと刃筋を削りながら、護拳と護拳がぶつかった。
先程の応酬を焼き直したかのような、同じ競り合いが起きる。
違いがあるとすれば、ジュサックが体勢を崩したところにエヴァンが勢いをつけてぶつかったため、優勢が逆転している事か。
勢いに任せて剣を外側にずらしていく。だが、優勢だったのは其処までだった。
剣を抑えていられたのは、崩れた体勢と勢いをつけた吶喊が噛み合ったからだ。
勢いを止められて、競り合いの最中にも体勢を整えられたら、再度、優勢が逆転するのは目に見えていた。
「く…く。惜しかったな、吶喊は流石に肝が冷えたよ」
「………」
「だが、これで詰みだ。此処から逆転の目なぞ無い」
ぎりぎりと刃金が悲鳴を上げながら、持ち直してくる。
身体の正中線まで剣身が持ち直されれば、確かにエヴァンに勝ちの目は無くなる、筈だった。
「いんや? これで予定通りだよ」
顔を上げたエヴァンとジュサックの視線が交差する。
その僅かな意識のブレを突いて、左の掌をジュサックの脇腹に押し付けた。その左腕に、うっすらと魔力の燐光が舞い踊る。
「? ――まさか‼」
――本来、魔術師とは何だ? 宝珠を持っていれば魔術師か? 魔導器を持っていれば魔術師か?
――違うだろう? 魔術師とは………。
左腕を薬室代わりに、先ほど叩き込んだ術式の鍵言を叫んだ。
『―――銀の指先‼』
――己が身一つで、神秘を再現する者を讃えた称号だ。
魔導器の補助無しで行使するのだ、収束率も変換効率も最悪に近い。だが、ジュサックの身体に密着した状態で放射された魔弾は、粗い一撃ながらもジュサックの脇腹を貫通して反対側に抜けた。
「が!? ………ぁ」
激痛と致命傷に悶絶して、ジュサックが床に沈む。
ジュサックが完全に沈黙したのを確認してから、漸く一つ、大きく呼吸を吐いた。
身体はガタガタで、勝利した高揚なぞ一欠片も無い。
酷使のし過ぎで、脳細胞は煮えかけて、全身の筋が浮き立ちかけていた。
補助なしで魔術を行使したので、魔力経脈を灼く幻痛は半端ない。
おまけに、左手は魔弾の放射点にしたためか、反動に痺れて今ひとつ痛覚が鈍かった。
恐る恐る、握って広げるを繰り返してみる。
正常に動いてくれて、一応安堵した。
――これ以上の戦闘はないよな?
蹴り落されたモデスティを拾い上げながら、願望混じりにそう思考した。
身体も脳もぎりぎりで維持しているのだ、これ以上戦うだけの余力は無い。
そして、内心に僅かな余裕が戻ってから、遅ればせながら気付いた。
軍靴の鋲が立てる、高い音。
誰かが歩いてこちらに来る。
ジュサックが立っていた場所のさらに奥。通路の暗がりから、紫紺の燐光を立ち昇らせた魔導器を構えたオリヴィエが進み出る。
敵でなかった事に安堵したエヴァンが口を開くよりも早く、オリヴィエが鍵言を唱える。
『―――銀の指先』
銀の螺旋が、無慈悲に解き放たれた。
TIPS
魔術について。
作中において、魔術を装填する場所を『薬室』と呼称しています。
これは、主人公が魔術を装填保持する場所として、モデスティのチャンバーを思い浮かべているからです。
実際は決まった呼称がある訳ではありません。そもそも論として、そういった明確な使用区分を造り上げているのはエヴァンだけです。
これには、メリット、デメリットが当然あります。
メリットは、モデスティのように完全に別個の魔術を、同時に保持できる点。
デメリットは、反動を始めとする魔術行使の負担が一点に集中する点です。
どちらが良い悪いはありませんが、負担の集中は器が何であれ寿命が短くなってしまう可能性があります。