翠玉の決意に彩られ
読んでいただき、ありがとうございます。
この物語が、皆様のひと時の無聊を慰めますよう。
――木屑や石の破片が、虚空を舞う。
その様が、エヴァンの瞳に移り込んだ。
思考加速の効力下で、物理法則に絡めとられ、何もできない無力な自身を呪う。
――くそ。どうしてこうなった!
それが、暗闇に途切れる前の、最後の思考だった。
理解できない。
抑々、巴里には就職に来た筈だ。
平民になるのも受け入れて、この地で何不自由ない生活を手に入れるための、就職先を得るための猶予期間で有った筈だ。
なのに、3日で貴族の嗜みに、どっぷり3連続。その上、上位貴族の都合とやらで死ぬことが強要されている。
落ちている。
物理的にも、身分的にも、状況的にも。
ただ、何もできず落ちているだけ。
状況の激変に、自身の何もかもが付いていけていない事だけが理解できている。
…そ~ゆ~のが嫌だから、貴族の義務から逃れたかったんだが。
取り留めのない思考が、泡のように脈絡なくぐちゃぐちゃと、感情の表層に浮いては弾けて消えた。
やがて、意識が混濁から、正常なものへと繋ぎ合わさる。
時間軸の順に従って整理された記憶により、今、自分が如何なっているのか理解する。
「………っか、はぁっ!!」
意識が、一気に浮上した。再度、背中を強打して忘れかけた呼吸に、肺腑が痙攣しながら酸素を貪る。
痛みと呼吸が、交互に身体を苛む。仰向けになりながら、それでも出来得る限り呼吸を押し殺しながら、痛苦が去るのを待った。
少しづつ身体を動かして、骨折が無いかを確かめる。
不幸中の幸いか、骨折は無いようだ。
芋虫みたく身じろぎをしながら、改めて自分が落ちてきたであろう場所を確認した。
灯り一つない暗がりかと思っていたが、目が慣れると薄く光が差し込んでいるのが見えた。
狭い空間。何とか首を左に向けると、元は採光用の穴だったか、スリット状の縦穴からの光であった。
落ちてきた穴の先を見る。暗い原因は、崩落の穴が何かで塞がっているからのようだった。
目を眇めて、塞いでいるものを視認する。
暗闇の向こうに、巨大な梁が4つ交差しているのが見えた。そして、梁の間を埋める形で石の塊が穴の先を塞いでいる。
何だ? 内心で首を傾げてから、その正体に思い至る。
倉庫天井を支えていた梁だ。
石壁の崩落と同時に天井が崩れて、穴そのものを塞いだようだ。
良かった、暫く時間稼ぎは出来そうだ。
穴は意外に深く、一階分ほど掘り下げられているようだ。
つまり、二階分の高さを落ちて、かすり傷程度の無傷レベルの軽傷で済んでいる。
奇妙には思ったが、深くは考えないようにした。
――考えても無駄だろうし、意味が無い。
耳を澄ませる。
「………奥に逃げられたか!?」
「…判らん。兎も角、中を」
どたどたと長靴が鳴る音に紛れて、怒声が此方まで届いた。
どうやら、崩落の穴に落ちたとは思われていないようだ。
偶然生まれた時間は、どうやら、結構長くなるようだ。
ほっと息を吐いた。その頬に、ぱらぱらと粉のようなものが落ちた。
「?」右手を頬に伸ばして、粉を指先で擦り合わせる。
砂利特有のざらつく感触。
それが何か思い至り、背筋が凍った。
天井の石の破片。気づかなかったが、梁がきしきし啼いている。
――前言撤回、時間は無いようだ。急いで逃げないと、2次崩落に巻き込まれて確実に死ぬ。
とは云え、周囲に逃げられそうな出入り口は無い。
水でかびた臭いは、永い事、人が使用していなかったことを主張していたが、石塊に潰されたベッドや収納箱が、此処で誰かが生活していた事実を主張していた。
出入り口は見当たらない、埋められているようだった。
其処で、ハタと気づく。
此処は、地下牢だ。
反省室や、罪を犯していないが外部に知られたくない貴人などを封じ込めるために、こう云った修道院には人知れず牢獄が用意されていると、何時か誰かに聴かされた事があった。
部屋の主人が出されるか、死んだかして、用済みになった地下牢を石で埋めたのが此処のようだ。
――つまり、逃げ場所は無い。
万事休す。叫びたくなる感情を押し殺し、必死で周囲に助かるヒントを探す。
その時、潰れた収納箱の、横倒しになってズレた蓋の隙間から何かが石床に落ちた。
エヴァンの目が、大きく見開かれた。
――――――――――――――――――――――――
枠狙いを追う初動こそジュサックと部下5名が速かったものの、其処にオリヴィエが追い付くのは存外と云うほどでもなく容易かった。
まぁ、位置関係からしても当然だ。ジュサックが修道院に辿りつくためには、オリヴィエ達を迂回しなければならないのだ。
その上、ジュサックは総勢6名の所帯であり、オリヴィエは単身。身軽さの意味でも速さは段違いだった。
この時点で、ジュサックが取り得る手段は、ほぼ一択に限られた。
つまり、
「私が先行する! お前たちは、足止めに回れ!」
部隊を2つに分けて、攻防を分担する手段だ。
――ち、不味い組み合わせを選びやがった。
内心で舌打ち。オリヴィエは、ジュサックが足止めに回ると踏んでいたのだ。
ルネとイザークの連携が乱戦制圧を得手にするように、オリヴィエにも得意な戦闘分野が存在する。
それが、1対1、若しくは1対2の単体制圧戦。
単体ならジュサック相手に秒で決着する自信が有ったが、弱くとも5名相手なら敗けずとも時間が必要となるからだ。
とまれ、戦闘環境は、相手に優勢を与えてしまった。
――長丁場になるか。
覚悟を決めて、拳銃型の魔導器を引き抜く。
オリヴィエの持つ魔導器は、主の覚悟を受けて菫青石の輝きを放った。
何よりも、攻撃の手を減らすのが対多数戦の鉄則だ。
後半戦を考えて、体力をケチるのは諦めた。
『破邪の飛礫 象る意思よ』
『汝の敵を指し示すは―――銀の指先!』
目眩まし代わりに、『銀の指先』を全体に散らすようにばら撒く。
囲まれる訳にはいかないので、端の一人に狙いを定めて斬撃。
決闘で刃物を持つ気は無かったため、持っているのは模擬剣だ。刃が無い以上、生半可な一撃で沈める事は出来ない。
だから、頸を狙う。
相手も、其処までは予想の内だったのだろう。
急所を襲う一撃は、相手の持つ刀剣に防がれた。
甘い。
相手と身体が交差する瞬間、拳銃型の魔導器を相手の腹に押し当てた。
銃身に燻るのは、先程放った『銀の指先』の最後の一発分。
放射。
残り火で撃った一撃だ。威力は本来の半分も無いはずだが、零距離で撃ったのならパンクラチオンのジャブ程度の衝撃圧が生まれるはずだ。
………双方に。
無言で、相手1人が崩れ落ちる。
その結果を確認せずに、油断なく拳銃型の魔導器を構えた。対する相手側は、1人減った事で足が止まった。
ずきり。
左の手首に走る、疼く痛み。
零距離放射のツケは、かなり大きなものになったようだ。
能力値としては落ちる拳銃型の魔導器だが、軽く取り回しがし易い利点がある。
今は、その利点こそが有り難い。
この戦闘の間、保てばいい方か。
疼痛を表情に出さずに、自己診断を下す。
残り、後4人。
攻略の手順を取捨選択しながら、じりじりと彼我の間合いを取り合う。
その時、
どうん。大きな崩落音が修道院から響く。
此処まで離れた地面が、明らかに振動で揺れるほどのそれ。
何かが有った。
それも、此方が不利になるような、おそらく決定的な何か。
時間が無くなった。悟られる訳にはいかないその情報。
焦りを必死に隠しながら、負担の軽い魔術式を魔導器に叩き込んだ。
――――――――――――――――――――――――
――…また、とんでもないものを造り上げたものだな。
組み上げたばかりの魔導器を視た師匠の第一声は、多分に呆れ果てた感情が含まれていた。
その評価を聞いて奇妙に感じたのを、今でも憶えている。
構造は簡単。材料こそ入手に酷く苦労したものだが、それ以外は既存の術式を組み合わせたに過ぎない。
魔術式における現実投射の部分は、魔術式を囲う円環の部分が共用で担っている事を聞いた時から、魔導器の基本構造は思い描いていた。
自分に考えられる構造なら、既に何処かの誰かが組んでるだろうとすら思っていた。
――そうだな。エヴァン坊やはこう思っているんじゃあないかい? …このシステムは、6回分の魔術に限り、在野の魔術師と宝珠持ちを対等にさせるだけの魔導器に過ぎない、と。
頷く。まさにその通りだったからだ。
――エヴァン坊やが持っている限り、その考えで基本は正解だ。だが、この魔導器の真価は其処には無い。
――この魔導器が真価を発揮するのは、宝珠を装着してからだ。
落胆した。そもそも、貴族になれないから魔術を学んだのだ。
真価を発揮する前提条件が宝珠を手に入れる事と云うなら、訊くだけ無意味な事では無いか。
その思いが、視線になって表れていたのだろう。師匠は、見える口元を苦笑に変えて弁明じみた台詞を紡いだ。
――判らんぞ。縁と云うのは奇妙なものだ。私と坊やがであった確率は、私が生まれた頃はゼロに等しかったんだ。それが、今、此処で、こうやって師弟の間柄を結んでいる。
つまり、未来なぞ誰にも判る筈は無いという事さ。
師匠の呟きが、耳元で幻聴となって蘇った。
震える指先が、収納箱から転げ落ちた其れを抓み上げた。
幽かに届く外の陽光を受けて、掌の中にある魔晶石が翠玉の輝きを放つ。
慎重に、光に翳す。緑柱石特有の強屈折率と、魔晶石特有の翠輝の中に、細かく刻印された魔術式が視て取れた。
宝珠座に固定するための共通規格の器具もついている、つまり、これは完成した宝珠という事だ。
宝珠自体の性能は、宝石としての起源を始めとして、明度、彩度、透度などで決まる。
この翠玉の性能値がどこまでのスペックなのかは、この方面には疎いエヴァンには知れなかったが、素人目にも彩度がやや浅い以外はかなりの品質ではないかと想像は付いた。
契約は? 可能だろうか。
契約そのものは何処でも可能だが、契約の解除に関しては紋章院で特殊な儀式を経なければ出来ないのだ。そして、契約は例え契約者が死亡しても、宝珠があれば継続されるのだ。
如何いう経緯でこんな場所に在るのかは知らないが、此処まで上質の宝珠だ。契約者が居ないなんて事は考え難かった。
何年前から此処に有ったのかは知れないが、契約者が故人であったとしても契約済みの宝珠であるならば、重複して契約を結ぶことは不可能なのだ。
――提案だ、エヴァン坊や。この魔導器にもう一つ細工をしておきなさい。有り得ない可能性が坊やの前に現れたとき、坊やが決して後悔しないように。
高望みするなと言い聞かせながら、魔導器の銃把を改造した遊底の留め金を外した。
中に差し込んであった、重量バランスを整えるための、錘代わりの鉄板を外して捨てる。
銃把の内側は、師匠の提案で造り上げた宝珠座となっていた。
息を吸い込んで、興奮を押し隠す。
――これから教える契約魔術も、その奇跡のためのものだ。
――決してその瞬間が無駄にならないように、憶えて置きなさい―――
左の薬指に出来た裂傷から、血液を一滴、絞り出す。
盛り上がった紅い珠を、傷口ごと宝珠に押し当てた。
『汝に捧げるは 我が血脈 我が歴史 我が生は汝が歩み 我が死は汝が歴史』
『我らが歴史に血脈の誓いを交わさん―――宝珠契約』
宝珠契約。死すら分かち得ぬ、魔術の契約が結ばれる。
長兄が一族の宝珠を受け継いだ頃、エヴァンやバチストに向けて自慢げに契約時の事を語っていた事を思い出した。
曰く、傍目に契約の有無は判らないが、結んだ瞬間に自分が一族にとって最も重要な存在になった事が判る、そうだ。
表現上の修辞が過剰に盛り付けられたその台詞を、当時は興味なく聞き流していたものだが、今現在においてその感想は、ある意味真理を突いていたのだと実感した。
契約を結ぶ。一族がどーたらはさて置いて、生命の根源足る魂魄と宝珠が結ばれた感触なら確かに感じたのだ。
この宝珠は、確かにエヴァンそのものと契約が出来たのだ。
宝珠をモデスティの宝珠座に固定する。
モデスティの重量がやや軽くなっているのに気付いた。生き延びたら、重量の調整は必要だな。
生命力を汲み上げて魔力精製を行おうと考える。
――魔力炉を起動させることなく、今まで感じた事のないスムーズさで魔力精製が行われ、宝珠に蓄えられていった。
全く違和感なく、モデスティに翠の魔力光が輝き満ちる。
此処までストレスのない魔術行使は、当然ながら初めてだった。
こりゃ、貴族が独占したがるのも頷ける。
己自身も、いまだ貴族の身分に腰を落としている事を棚に上げて、その魔術行使の快適さと貴族の優越の源を理解して苦笑した。
多分、貴族が優越を感じているのは、貴族を貴族足らしめている宝珠を所有している事実に根差しているのだろうが、この快適さを実感できないとは少し憐れな気もした。
――この魔導器の真価は、異なる魔術を1つの魔術として処理する部分にある。
あの日、師匠が告げたモデスティの価値。
――魔術は基本的に、1つの魔導器につき1つしか行使は出来ない。
原因は、魔術を装填するための薬室が一つしかないためだ。これは、在野の魔術師であっても基本は変わらない。
一つの魔術を使用すれば、その魔術に染められた魔力は使用不可のものとなり、行き所を失い術者の魔力経脈に逆流する。
魔力経脈が灼かれるのは、この残った魔力が原因だ。
この残留魔力は、次の魔術に使い回しは不可能であったため、魔術を連続で使用する際は残留魔力を押し流してから使用する必要があったのだ。
――だが、6発もの異なる魔術を、1つの魔術として纏める事が出来ればどうなるか。
――魔術を押し流す術式は一定の長さがある上、1つも6つも押し流す時間は変わりはしない。
宝珠には、この式が魔術ごとに自動的で起動するよう、術式が組まれている。
――これを再詠唱時間とよぶ。
――だが、モデスティはこれが最長で6発後にやってくる。
つまり、この魔導器は余所の魔術師の追随を許さない間隔で、
――魔術の行使が可能、なんだよ。
TIPS
魔導器について。
魔導器の種類は、これまで3通り登場してきました。
最も基礎的な長銃型、腰に装備して使用するランタン型、モデスティを始めとした拳銃型。
それぞれに特性があり、戦闘スタイルに合わせて魔導器を換装します。
因みに、現在の人気は拳銃型で、魔導器としての性能はその他のものよりやや落ちますが、圧倒的な取り回しの良さで扱いやすいのが特徴です。