覚悟を決める
読んでいただき、ありがとうございます。
この物語が、皆様のひと時の無聊を慰めますよう。
エヴァンは何とか無事に、修道院の裏口に辿りついた。
朽ちて傾いだ扉の隙間から内側に滑り込む。
すぐ目の前に壁が迫っていた。
直進と左は行き止まり。残る右に空間があり、僅かに光が見えている。
壁に手を突いて、右側に広がっている空間に足を踏み出した。
あるべき床の感触が感じられない。
「は?」
失われた平衡感覚を取り戻す余裕など無く、崩れた姿勢のリカバリーを取れぬままに、半地下の倉庫であったろう部屋に続く階段を転げ落ちる。
顔を、腕を、足を、極めつけに勢いのついたまま最後まで転げ落ちたので、勢いよく突き当たりの壁に背中を強打する。
「がっ! げぇほ、あ、が、畜生‼」
狭く短い階段だったのが幸いした。大きな怪我は無く。背中を強打したので呼吸が詰まっただけで済んだようだ。
「建物の内部に逃げ込まれたぞ!」
「俺が行く!」
「逸るなマルタン、後続を待て!」
聴こえる怒号は、この場にとどまることの危険性を訴えていた。
躊躇う余裕すらない。
足音。扉をこじ開ける音。臙脂の服が確認できた瞬間、覚悟を決めて倒れた姿勢のまま、胸のホルスターからモデスティを引き抜いた。
モデスティは自身の身を守る武器である。当然、習熟のための試射と整備は欠かしていない。
日々の整備の結果をなぞる様に、滞りなく撃鉄は落とされ輪胴は6分の1回転を2回、正確に動作した。
乾いた発射音が2つ。
45口径の反動は相応に大きく、侵入してきた敵の右胸と肩を撃ち抜いた。
大口径の銃弾が持つ運動エネルギーが、敵の身体と意識を飛ばし棒立ちにさせる。
右手に構えられていた魔導器から魔力の光が失われると同時に、敵は階段から転げ落ちてきた。
「うわ! くそ! この!」
意識のない身体に覆い被さられて身動きが取れなくなる前に、身体を転がしながら階段から薄暗い部屋へ逃げ込む。
腐りかけた木の床を踏みしめて、倉庫と部屋を仕切る石壁の向こうへと身体を隠した。
「撃たれた!?」
「野郎! 銃を持ってやがる!」
後続が次々と修道院に侵入ってきた。最初に確認した人数は5人、其処から1人減って残り4人。
どかどかと長靴の立てる音も大きく、階段を降りてくる敵の気配。
――これで、2人目!
階段口の縁に手が掛かった瞬間に、拳銃を2連射。
気が逸った。相手が身体を見せる前に、引鉄を引いてしまった。
――クソッ! 数を減らせなかった!!
「其処にいるぞ!」
「マーチス! 深追いするな、人数はこっちが上だ。焦らず物量で押し潰せば、簡単に勝てる!」
「野郎、銃を持ってます」
「魔術じゃないなら恐れるな! 音からして口径はかなりデカい。
嵩張る弾丸は、持てて後6発分だ!」
大正解。冷静な奴が居るって、本当イヤ。
弾倉には、残り2発。牽制序でに階段目掛けて全部撃ち、倉庫奥の石壁にダッシュで逃げる。
壁向こうに滑り込むと同時に、『銀の指先』が群れを成して壁にぶち当たり始めた。
一つ一つの衝撃は弱いものの、終わりの見えない魔弾の群れが石壁を確実に削る感触が振動となって、背中を震わせる。
確実に大きくなるその振動が、石壁の寿命が短いことを伝えてきた。
留め金を外してヒンジからフレームを折る。連動した排莢ピンが跳ね上がって、空薬莢が宙を舞った。
慌てず、急いで再装填を行う。
最後の6発。使い処をミスれば一気に窮地に陥る。
相手は魔弾を使用してきている。魔力次第と云う制限はつくものの、弾数の差は圧倒的に彼方が上だ。
当然、相手もそれを理解している。だからこそ、『銀の指先』で壁ごと此方を潰す手段に訴えてきたのだろう。
乱暴だが、確実だ。
周囲の状況を確認する。
裏口に続く階段は、相手に抑えられている。
向こうは階段手前の倉庫裏口の壁を盾に、此方を攻撃している。一方、此方は修道院内部に続く倉庫表口の壁を盾にしている。
修道院内部に続く路は、倉庫表口を越えて反対側の扉しかない。
逃げ込んだ方が袋小路とは、つくづくツイていない。
背中に伝わる振動が、石壁の寿命が短いことを伝えてきた。
木材が派手に転げ落ちる音と共に、薄暗かった周囲が一気に明るくなった。
衝撃か誤射で、採光用の窓を塞いでいた木材が落ちたのだろう。
派手な音に戸惑って、魔弾の乱射が止まることを期待したのだが、壁を削る音は止む気配は無かった。
余程、仲間が撃たれた事が頭にキテるのか、取らぬ狸はやはり甘かったか。
元々、期待していなかったトラブルだ。
落胆もせずに、プランを決める。
薄暗かった方が好都合だったが、ここまで来たら無いものねだりも空しい。
此方の有利な点は、相手はエヴァンの事をただの枠狙いと見做している、その一点に尽きる。
――憶えて置きなさい、エヴァン坊や。現代の魔術師は、大別して二通り存在する。
かつての師匠の言葉が、脳裏を過ぎった。
――魔術を使うもの、そして、宝珠を使うもの、だ。
――…同じものでは?
――似て非なるもの、だ。違いを理解しなさい。両者の違いは、云わば、概念深度の深浅に例えられる。
――理解し易い点を指すなら、宝珠持ちは宝珠を持たぬものと魔術師をイコールで結び付けたがる。
これは、すぐに理解できた。
貴族は魔術を始めとした神秘技術を、自身の特権として捉えがちだ。
しかし、魔術は貴族の技術ではない。
宝珠は、魔術を使用するに足るハードルを著しく下げることが可能ではあるが、宝珠がなければ魔術は使用できない訳ではないのだ。
だが、貴族はそれを特権と思ってしまう。
魔術を使用できるのは宝珠を持つ者の特権であり、持たざる者は魔術を使えないと云う思い込み。
――そこに大きな付け入る隙が生まれる。
わざと粗く狙いをつけて、銃を3連射。
相手側の隠れている壁の縁に1つ、奥の階段に2つ、新たに銃痕が生まれる。
「せいぜいあって、あと3発だ! 油断せずに押し込め!」
カウントを取っていたであろう相手が、此方に聴こえるように怒鳴ってくる。
エヴァンの焦りを誘発するのが目的なのだろうが、かえって好都合だ。
――反撃のタイミングが取りやすくなる。
背中の振動から、石壁の寿命を見積もる。
1分有るか無いか。
モデスティの留め金を外し、輪胴を外す。
まだ、実弾が残っているそれをそこらに放棄することに、懐具合が悲鳴を上げる様を幻聴する。
発見する時まで、無事でありますように願いつつ、ポーチに隠していたもう一つの輪胴を掴み出す。
それは、奇妙な輪胴だった。
外側に秘蹟文字が隙間なく象嵌された輪胴。その薬室には、薬莢の代わりに同径に成形された水晶が埋め込まれている。
当然だが、銃としての用途は成せない筈のそれを、慣れた手つきでモデスティに取り付けた。
エヴァンが手にしているモデスティ・カスタムは、魔術師たる己が組み上げた戦闘用儀式魔導器。
師匠さえも唸らせた、最高傑作だ。
魔導器とは、予め刻印された魔術式の記述に沿って、対応できる魔術に関して手順や対価を短縮する機能を持つ、魔術を補佐するために造られた器物の総称だ。
魔導器内に宝珠を装備し、魔術行使をより先鋭化するのが現在の宝珠の特徴であるため、多くの貴族は勘違いしているが、実は宝珠もこの魔導器の一種に数えられる。
そして、貴族は平民が魔術を行使しないと思い込んでいる。
それ故に、貴族の多くは、魔導器を己たちの為のものと勘違いしているのだ。
これらの器物は、元来、魔術師が戦闘用に魔術を効率化する為の、又は、長大な儀式魔術の負担を軽減させるものだというのに。
エヴァンの持つ魔導器は、6つの水晶が嵌め込まれた薬室を魔法陣で物理的に繋ぎ合わせたものだ。
能力は非常に単純だ。6つの水晶に一時付与した術式は、魔法陣で物理的に繋がれている為、一つの魔術と認識される。
つまり、6発の魔術に限り、エヴァンは魔力経脈が灼かれるデメリットを後回しに出来る。
輪胴の薬室溝に指を掛けて、思い切り引き下げた。
丁寧にオイルを塗布した輪胴が、抵抗少なく回転する。
薬室を繋ぐよう刻んだ魔法陣が、回転に伴い起動した。
『炉心挿入―――魔力炉起動』
左胸、心臓直上に刺青た魔力精製の魔法陣が起動する。
生命力が吸い上げられ、減った分量分、精製された魔力が流し込まれた。
「ぐ」
何とも云えない異物感が、心身を圧迫する。
血液の代わりに油に似た粘質の何かが、血管内を我が物で蹂躙される。そんな感覚が内腑を衝いて僅かにえずきを覚えた。
実際に吐くことはなく、続く倦怠に似た身体の重さを無視しながら、モデスティに魔力を流し込む。
ぼぅ。宝珠持ちに比べるとやや頼りない魔力光が、輪胴に埋め込まれた水晶に宿った。
水晶を起源とする魔晶石は、組成が粗いため宝珠に成り得ないが、一般に出回る事ができる数少ない魔晶石だ。
魔力の保持能力はかなり低いが、術式の補佐には問題が無く何よりも安価なため、在野の魔術師や金の無い貴族たちの補佐専用魔導器の材料として人気があった。
使用する魔術式は、3つ。
覚悟を決める。耐え忍ぶ覚悟、戦い抜く覚悟、そして、魔力経脈が灼かれる苦痛に耐える覚悟。
『人生最後の微睡 悪魔だけが聴く末期の願い』
それは、魔術師を名乗るのであるならば、必ず知っておかなくてはならない魔術。
『其方だけが知る秘密―――時間よ停まれ、汝は美しい』
身体強化系思考加速魔術。『時間よ停まれ、汝は美しい』
視界が、思考が、薄墨に染まる。
一瞬が極限まで引き延ばされ、世界そのものが泥濘に沈んだかのような重圧が、身体を支配した。
脳のシナプス交換が、異常なまでに早まったために起きた現象だ。
強制的にハイクロックに引き上げられた思考が、情報処理の限界を超えたため、正気を保つために無意識で示す防衛反応。
脳に干渉する、その危険性と引き換えに得られる効果は絶大だった。
魔術とは、自身の心象を外界に投影する技術である。
当然、その根幹にあるのは自身の思考であり、思考を加速させるこの魔術は、術式の成立を加速させる効果が有った。
魔術の発動と同時に、薬室の一つから魔力光が消失する。
続けて、二つ目の詠唱。
『暗闇に墜ちた勲章 何人もその価値を知らず』
『ただ求めるものにその輝きを示す―――漆闇を透す瞳』
身体強化系知覚拡張魔術、『漆闇を透す瞳』。
魔力光が消失した薬室の次の薬室が、光を失う。それと同時に、薄い魔力の揺らぎが、己を中心にさざ波を立てながら広がった。
励起した魔力を反応対象にしたそのさざ波は、石壁を無視してその奥に隠れる対象の位置を暴き出す。
裏口を挟んで、右に2人、左に2人。
記憶にある間取りと、相手の位置関係を重ね合わせる。
――出来れば二人は落とす。
最後の詠唱。
『此処は深闇に沈む夜の森 契約の射手は静寂に待つ』
――憶えておきなさい。
『放たれるは必中の運命』
――貴族どもは、便利な武器程度に魔術を見ているが、戦闘における魔術の優位性は、現代にいたるまでこの一言に集約される。
――曰く、戦術面での圧倒的な柔軟性。
裏口を抜けて測定した相手の位置を貫く軌道を、脳裏に描く。
脳内で設定した座標の始点にモデスティの銃口を合わせる必要があるため、左腕を上げる。
粘性の液体に浸かっているかのような抵抗が、左腕に掛かった。
実際に抵抗が発生している訳ではない。
思考加速魔術は、あくまでも脳内シナプスの情報交換速度の加速を起こすだけでしかない。
現実の身体が、加速した思考に追いついていないが故の身体の重さだ。
それでも、じりじりと左腕に力を籠め続け、想定した位置までモデスティを持ち上げた。
『―――貫き通せ、魔弾!』
魔術を発動させる鍵言を口にすると同時に、銀の閃光が銃口から放射された。
閃光は表口を抜けて倉庫の中へ、当然、直進では壁にぶつかるだけの軌道だったが、壁に当たる直前に、相手の死角を縫うかの如く低空から裏口に軌道を変えた。
誘導系魔弾魔術、『貫き通せ、魔弾』。
事前に設定した軌道に従い、ついには裏口を抜ける。
まさか、枠狙いが魔術を使ってくるなど思ってもいなかった相手側は、飛び込んできた閃光に反応が遅れた。
裏口の天井近くまで抜けた閃光は、180度急反転して右側に隠れていた2人を襲う。
『銀の指先』より貫通力の高いその一撃は、裏口近くに立っていた男の右腕と、膝をついていた男の腹部を貫いた。
「がっ!?」
「マクシム! アーチュウ!?」
「野郎っ」
一気に味方が削られた。腹部を撃ち抜かれたアーチュウは勿論の事、腕を貫かれたマクシムも現時点での戦力には数えられなくなった。
残り二人しかいなくなり、戦力に余裕が無くなった。その事実が、『貫き通せ、魔弾』の難を逃れた残り二人の内、新米の判断力を奪う。
固有魔術で石壁を一気に削る。
短絡的な思考に従い、その新米の宝珠が縞に歪んだ紅光を放った。
「――!!」
新米の固有魔術を知っていたもう片方が、制止の声を上げる暇も無かった。
放たれた魔術光は二つ。
一つは表口前の朽ちかけた木床。もう一つはエヴァンが背に隠れている石壁。
――着弾、爆発。
木床が大きく削れて、木地の内側が朽ちた繊維を曝け出した。
「よせっ! こんな傷んだ場所で爆発系なぞ使うな!
崩落に巻き込まれて、共倒れになるぞ!」
その怒声を、エヴァン自身も聴いてはいたが、意味まで理解できた訳ではない。
未だ、思考加速魔術の効力下にあったため、単語一つ一つが間延びして聴こえた所為だ。
しかし、その云わんとした指摘内容は、現実となってエヴァンの視界に映った。
朽ち爆ぜた木床が、引き伸ばされた思考の中でゆっくりと崩落の兆しを見せる。
当然、もう寿命の尽きていた石壁も、天井の方から崩落を始めている。
悩む暇は無かった。
泥濘のような抵抗を振り切り、立ち上がる。
石壁の崩落に巻き込まれたらその時点で終わりだし、たとえ無事であったとしても、木床の崩落が逃げ場を完全に奪うからだ。
石壁から身体を逃し、木床にできつつある崩落の穴を跳び越……。
――失念していた。
「づぁ…!!」
エヴァンの魔導器は、6つの魔術の魔力経脈を灼くデメリットを後払いにできるが、デメリットそのものが無くなる訳ではない。
今、3つの魔術を行使したから、3つ分。神経が焦獄の痛苦を味わう。
宝珠を持っていない限り、避けえぬ痛み。魔力経脈は概念上の臓器だ、その痛苦は幻のものだが、痛みそのものは現実だ。神経を灼かれる痛みは、薬物ですら軽減は不可能。
3つ分の痛みが、木床を跳び越えようとする脚力を僅かに落とした。
――跳躍が足りない。
崩落で空いた暗闇の広がる奈落に、当然の結果として身体を投げ出す事となった。
TIPS
エヴァンの持つモデスティについて。
既に前話でも軽く触れましたが、モデスティは中折れ式の銃です。
エヴァンがこの銃をメインウェポンとしている最大の理由は、今話のシチュエーションの通り戦闘中でも比較的簡単にシリンダーの換装が可能であるからです。
実際の運用は実弾銃の印象を強く付けた後、魔導器として使用することで、相手に対する心理的な優位性を取り続けることを目的としています。