その決闘に意味は無く
読んでいただき、ありがとうございます。
この物語が、皆様のひと時の無聊を慰めますよう。
――決闘の日は、素晴らしく気持ちのいい晴天であった。
オリヴィエとイザークは、示し合わせてシテ島に続く橋をのんびり歩いていた。
急ぐ必要はない。決闘は余裕を持ち、相手の余裕を削ることが勝利の秘訣の一つだからだ。
「はっはぁ、いい天気じゃあないか」
「あぁ。
しかしだ、イザーク。ピクニック気分もいいが、周囲に気を付けておけ。
…どこに赤公爵の目があるか判らん」
何も無い風を装いながらも、オリヴィエの視線は絶えず周囲を見渡していた。
決闘そのものは問題ないにしても、リシュリュー麾下の警護隊に目を付けられたらそれこそ厄介極まりないからだ。
特にロシュフォール辺りに絡まれると、非合法すれすれの手段を以て此方を押さえられかねない。
「大丈夫だ。
あいつらは赤い隊礼服を脱ごうとしないからな。
あれだけ目立つ服だ、まず、周囲の視線から逃れられん」
「ならいいが…。
市中の警邏の真似ごとをしてる分には可愛いが、ここ最近、許された権利を逸脱した行為がよく目立つ。
奴ら、人数だけはあるからな。数で押し込まれたら、俺たちだけじゃキツい。
ルネとお前のコンビネーションを保険で持っておきたかったんだが…。
ルネの奴、どこ行ったんだか」
念のため、ルネの屋敷に寄ったのだが、朝早くにも拘らず捕まえることができなかったのだ。
「宮殿じゃないのか? あいつはアンヌ王妃のお気に入りだからな。
よく警護勤務を差し込みで依頼されるって聞くぜ?」
「…かもな」
短く応えを返しながら、カルム=デショー修道院跡地に続く裏通りを曲がった。
追跡される気配もないままに、日中の帝都中央区で最も人の気配の感じられない場所に入り込む。
開発し尽され人口の密集した都会の中央で、これほど緑のある場所があるのかと驚くほどの場所が二人の視界に広がった。
崩れかけてなお堅牢さを保つ石造りの修道院は、その年月のままに蔦と苔に覆われてその空間の中心に建っていた。
カルム=デショー修道院。
百年戦争終結後の安定期に一世を風靡したカルメル会の分派が起こした修道院は、その厳格な教えそのものを象徴するかのように飾り気のないまま其処に在った。
この場所は、シテ島内の数ある教会の内、リシュリュー枢機卿が、唯一干渉を避ける場所であった。
リシュリュー枢機卿がこの場所に触れたがらないのは、至極単純な理由からだった。
云ってしまえば、督教の中でもカルメル会は不可侵の領域に位置付けられているからである。
その中でもとりわけ荒行で知られる裸足派の領域ならば、仏蘭西督教の頂点の一人と云えども、「一目置く」必要があったからだ。
それが例え跡地であったとしても、枢機卿にとっては刺激したくない場所である。
とは云っても、そうやって避け続けた結果、銃士たちの決闘の聖地となってしまったのは、皮肉としか云えない結果だったが。
「イザーク、人の気配は…」
「無いみたいだな」
「残念、一人いるけどね」
予想しなかった返答に、剣に手を掛けつつ振り返る。
其処に、予想もしなかった相手を認めた。
「ルネ!?」
「久しぶりね、イザーク。
ピカルディーは如何だった?」
「よう、ルネ。
如何、とはまたえらく曖昧だな。観光じゃあねぇんだし、どうこう云った感想はねぇよ」
木陰から聖書をポーチに仕舞いつつ現れたルネに、驚きから立ち直りながらイザークは応えを返す。
ここで遭うとは思ってもみなかったため、オリヴィエは昨日今日ルネを捕まえるために歩き回った苦労を口調の険に変えて話しかけた。
「こんな処で会うとはな。
――お前を捕まえるために昨日から苦労したんだが、一体どこに雲隠れしていた?」
「あら、御免なさい。昨日は夜勤明けに教会で祈りを捧げて帰って寝たわ。
疲れていたからかしら、熟睡してたから起きなかったんじゃない?」
「今日は、朝早くからこんなところにお籠りか?
…何があった?」
「ロシュフォールに目を付けられていてね、部屋を張られていたの。
密偵を撒くために、早朝から逃走劇よ。
…全く、しつこいったら」
「撒けたのか? ここで押されると、逃げるのに厄介だぞ」
「多分ね。
――それで? 用件は何?」
「うん?」
「私を探してたんでしょ?
――用事があると思ったんだけど」
「あぁ、この時点になるとあまり意味は無くなったがな。
――今から決闘をするんだが、立会人を頼みたい」
「今から?
……貴方も!?」
「そうだが。
おい、まさか…」
「えぇ、そのまさか。
私も決闘よ。14時から」
「何でぇ、何でぇ。ルネもか!?
三銃士揃い踏みで決闘たぁ、如何いう偶然だ?」
「それはこっちの台詞よ。私は仕掛けられた側だけど、貴方たちは如何いう経緯でこんな馬鹿騒ぎを起こす羽目になったの!?」
その問い掛けに、男二人はむぐりと口の端を歪めてだんまりを決め込む。
流石に憂さ晴らしと酔った勢いで枠狙いに絡んだなんて、妙齢の女性に胸を張れる理由ではないことは自覚していたからだ。
ただ、行動は正直なようで、ルネはその雰囲気からおおよその事情を察した。
「呆れた、貴方たち、自分から絡みに行ったわね。
決闘絡みで枢機卿がピリピリしているの知ってるでしょ? 三銃士の自覚が無いって、また総長から小言を喰らうわよ」
「勘違いするなよ。決闘といっても、模擬戦のちょっと重い奴だ。
怪我程度はするだろうが、大事になる前に止める」
オリヴィエの言い訳じみた抗議に、ルネの視線がじとりと粘質の光を帯びる。
しかし、何も言うことはない。
仕掛けられた側とはいえ、ルネも決闘をするのだ。何を言ってもブーメランとなりかねないのなら、口を噤んだほうが得策と理解したからだ。
「そうね。
大事にはさせない、模擬戦のちょっと重いやつ。
相手にもちゃんと理解して貰わないとね。
――私は14時からだけど、貴方たち決闘は何時から?」
「正午だ、もうあと数分だな」
「俺は13時からだ」
「…見事にばらけたわね。偶然?」
「そりゃそうだろ。
――お、噂をすれば」
木陰の向こうからエヴァンの歩く姿を認め、オリヴィエは安堵の入り混じる声を上げた。
「「あぁ、来た」わね」
同時に上がる、同意の声。
そして、微妙そうな表情で全員が顔を向け合う。
「…ちょっと、まさか、貴方たちの相手って」
流石に何とも言えない表情で互いの顔を見あう三人。
混迷した状況がさらにぐだつく中、うんざりした顔のエヴァンが三人の前に立った。
――――――――――――
慣れない入り組んだ道をさ迷うこと30分。喧騒が途絶え、代わって静寂が支配する空間へとエヴァンがたどり着いたのは、最初の決闘の数分前だった。
「うわ、やっぱいるよな。しかも、三人ともかよ」
一人くらいは居なかった状況を期待していたが、見事に裏切られた形だ。
銃士隊の蒼い隊礼服を着た男女三人。昨日、決闘を約束した全員の姿を認めて、うんざりした愚痴を小声で零した。
兄二人によく似た口髭を蓄えた伊達男。イザークといったか、巨漢の偉丈夫。そして、ルネと名乗った怜悧な眼差しの佳人。
三人が揃っていると、不思議と馴染んだ感覚がそこにはあった。
――全員、銃士なのだから顔馴染みではあるのだろうが、それだけではない結束とでも云うか…。
まぁ、今考える事でも無いか。
頭を振って、現実逃避を願う思考を追い払う。
「どうも。お三方、お待たせしました」
三人を代表してか、伊達男が口を開いた。
「…あぁ、時間に間に合ったのなら、其処に関して云う事は無い。
だが、訊きたい事が出来たんだが」
「はい」
「貴公、我ら三人と決闘をする気か」
「止めて頂けるなら、重畳ですがね」
「…暫し待て」
三人が、顔を突き合わせてぼそぼそ話し込む。
エヴァンをそっちのけで、彼らの方が困惑しているように見えるが、そもそもルネ以外の決闘は押し付けられたものだ。
そう考えると、少し苛立ちが理性の先に立った。
「あの、良いですかね」
「…何だ?」
「私としては、男性二人の決闘は押し付けられたものです。正直、アラミス卿との決闘以外はご遠慮したいのですが」
「それは駄目だ。既に、貴族の名で決闘を宣言した。これを反故にすることは後々に無視できないしこりを残す」
「………」
「だが、訊いておきたい事が一つできた。
貴公、我らを知っているか?」
「…昨日が初対面と存じますが」
「三銃士と云う名称に聞き覚えは?」
「さあ? 一昨日に巴里に来たばかりの田舎者なので、寡聞にして存じませんが」
三人が、額を抑えて呻く。
「端的に云う。三銃士とは、銃士隊の中にあって最強の三人の称号でな、現在、ここに揃っている我らがそう呼ばれている」
「………まさか」
「そのまさかだ。貴公は三銃士全員と決闘することになっているのだよ」
流石に、頭を抱えて呻く。エヴァンとて予想外だった。
何をトチ狂っているのか、最強と呼ばれる者たち相手に切った張ったをせねばならないのか。
「…提案です」
「聞こう」
「決闘はしなければならないのですよね? ですが、状況を見るに私にかなり不利かと存じます」
「確かにな」
「ルールを決めさせて戴きたい。剣は模擬剣を、魔術は無し、殺さないよう加減する。以上を約束して欲しい」
「当たり前だ、昔じゃないんだぞ。決闘とは云え、命まで賭けるものかよ」
つい先日、殺し合いの決闘で、てんやわんやしていた者の台詞では無い。
しかし、それをおくびにも出さずに、当然のように頷いて見せた。
エヴァンの提案は、オリヴィエたちにとっても渡りに船だった。
元より、エヴァンからの申し出が無かったら、オリヴィエから提案した内容でもある。
「他のお二方もそれで宜しいか?」
オリヴィエから何食わぬ顔で放たれた会話のボールを、イザークもルネも苦笑を堪えながら受け入れた風を装ってみせた。
「うむ」
「構わないわ。その条件を呑んだうえで、誓います」
安堵する。これで、最悪の事態だけは無くなることが確信できた。
帯剣していた模擬剣を掲げてみせる。
「安心しました。では、約束を果たしましょうか」
「あぁ。
――名乗りが未だだったな。私はオリヴィエ・アトス・ラフェールだ」
「私は、エヴァン・シャルル・カステルモールです」
「――両名とも、準備はいい?」
流れで立会人を受けたルネが、最終通告を放つ。
「「はい」」
「構え」
模擬剣を前に立てて半身に構える。オリヴィエの剣は、やや幅広の特殊な造りだった。
剣の形状が気にかかるが、考える余裕はない。
何しろ、全身のブレが全くと云ってもいいほど少ないのだ。構えだけでも、相手の力量は相当なものと読めた。
どのルールであれ、決闘剣術は、速度が命となる。
必勝を期すならば、先手を取ることは絶対条件といわれるほどだ。
己の力量が劣るのならば、尚更に攻撃の優先権を譲るわけにはいかない。
相手に気取られぬよう、左の軸足に力を篭める。
「用意」
相手の構えは、やや半身、基本から外れた身体の正面が見えるそれ。
両脚が地面に完全に着いている。あれでは先手を取れはしない。
完全に後手を取るつもりでいるようだ。
舐められているのか、あれが相手の定跡なのか。
「始め!」
何方にしても、くれると云うなら遠慮なく取るだけだ!
開始の声と同時に、前に跳ねる。
吶喊とまではいかないものの、それに近い突きを胴体目掛けて放つ。
タイミングは完璧だった。だが、相手の払いが突きより速く剣先を弾いた。
相手の構えは、防御に意識を割いたものであることは判っていた。だから、初手が弾かれるのは予想済み。怯むことなく一歩前進、同時に牽制の突き。
相手も揺るがず、再度払う。
予想していたカウンター攻撃すらない。
だが、相手の防御が固い。山を相手にしているような錯覚すら覚えた。
――此処まで防御を固めた相手とやり合うのは初めてだ。
オリヴィエは動かない。恐れず前進、胴体全体に突きを散らして、本命の突きを中心に叩き込む!
ほぼ同時に放たれた三閃すら、余裕をもって受け止められた。
――やりにくい!
まだ動かないかと、思いながらさらに前進…
――胃腑を掴まれるような感触、悪寒が背筋を逆撫でた。
全身の筋肉を総動員して、後ろに跳ねる。
エヴァンが居た空間を、右の肩口から左下へ銀閃が撫で抜いた。
斬撃。
――気づけよ間抜け!
エヴァンは、心中で己の間抜けぶりを毒吐いた。
幅広の模擬剣を見て、気付くべきであった。
オリヴィエの使う剣は、刀剣だ。
そう考える最中でも、相手が止まることはない。
先の一撃は何とか避けたものの、無理矢理に前進から変えた後退は中途半端に体勢を崩したのだ。
明らかに失態で生まれた隙、追って突かぬは剣士の恥である。
充分に狙いを整えられた突き。
崩した体勢のまま、肺に残った呼気を総て使って、相手の剣身を叩いた。
念を入れて更に後退。辛くも相手の攻撃圏内から逃れる事に成功した。
――――――――――――
「巧い」
思わず零れた心中の独白が、イザークに届いた。
怪訝そうな視線が、ルネに向けられる。
「云うほどか?
正直、ぎりぎりで避けれたようにしか見えないが」
「ぎりぎりなのは、確かにね。
だけど、オリヴィエの初見殺しを回避したのは評価すべきよ。
完全に前進の体勢になっていたのに、無理やり後退に切り替えた。
さらにオリヴィエの追撃を読み切って、崩れた体勢から剣身を叩いて見せた。
技術は未熟だけど、勝負勘はあるとみえるわ」
ほぉ。イザークが感嘆の息をついた。
「ルネがべた褒めとはな。
これは、オリヴィエも危ないかね」
「それとこれとは、話が別よ。
オリヴィエは絶対に敗けないわ。だって…」
――――――――――――
――こりゃ、敗けるなぁ。
どこか他人事のような感想が、思考の片隅に浮かんだ。
何しろ、相手の技術と自分の技術は、相性が最悪なのだ。
決闘剣術の流儀は、剣の種類に沿って大別される。
長細剣、中細剣、刀剣。そのうち、エヴァンが修めているのは長細剣であった。
対するオリヴィエの使う剣は、刀剣である。
刀剣の特徴を挙げるとするなら、たった一つ。
斬る事ができるのだ。
極端な話、刺突に特化した長細剣や中細剣は点の攻撃しかできないが、刀剣は線の攻撃ができる。
この違いは、実戦に於いてかなりの格差を生む。
何しろ、相手と自身の手数が違うのだ。
――この差で勝ちを拾うのは、無理筋ってもんだが…。
斬撃で畳みかけてくるオリヴィエを何とかいなしながら、内心で臍を噛む。
否、最初の目的が違うか。
勝利は俺の目標ではない。
オリヴィエ、イザークとの決闘は押し付けられたもので、絶対に勝つ必要など何処にもないのだ。
問題はルネだが、相手が銃士隊でも名うての銃士であるならば、やりようによっては敗北でも充分に面目が立つ。
加えて相手は決闘が1回のみだが、俺自身は3回相手を変えてやり合わねばならないのだ。
勝利よりも何よりも、3回決闘を越えれるダメージ配分こそが、この決闘の俺が求めるべき本分であろう。
結論、無理な勝利に食い下がるより、無傷で敗北こそが最上の戦果である。
相手に一撃与えて、此方は無傷で敗けたように見せかける。
出来るか? …やるしかないが。
長細剣の利点は、攻撃距離の長さにある。
長さを活かした吶喊は、刀剣に勝っている数少ない利点だろう
相手も其れは理解しているだろうから、払いに専念して防御を固めてくるのは確実だ。
何とか前進を誘って、防御を抉じ開けれないものか。
――――此方の狙いに気付いたのだろう。オリヴィエは刀剣を引くと見せかけて上段からの斬り降ろしを放ってきた。
防御。長細剣の刀身が、エヴァンの手の中で震えるほどの悲鳴を上げた。
接近戦で畳み込まれるのはマズい。そう叫ぶ本能を信じて、引かれる刀剣から刀身が離れないよう、身体ごと剣に体重を乗せて鍔迫り合いへと持ち込んだ。
剣をずらして仕切り直しまでは、オリヴィエもさせてくれなかったが。
さて、如何するか?
時間は稼げたものの、一気に追い込まれた事を理解してエヴァンは眉間に皺を寄せた。
オリヴィエも追い込んだことは気付いている、競り合いながら余裕の声音で語りかけてきた。
「…君の手札は尽きたと見えるが。
さて、如何するね?」
「判っているなら、剣を引いて戴けませんかね。
これじゃ、仕切り直しも出来やしない」
「それは無理だよ。貴公の目はまだ死んでいない、ここで仕切り直されるのは少々不味いと思ってね」
バレてら。
思わず舌打ち。仕切り直しと見せかけて吶喊を仕掛ける、非常にセコい企みが見透かされていて憮然とした。
こうなれば、無理にでも仕掛けに行くか。
左脚に力が籠り、無理矢理、防御の向こうから吶喊を放とうとしたその時、ルネの焦る制止が二人の動きを止めた。
「オリヴィエ、止めて!」
同時に二人が後退、戦闘できない距離まで離れた。
「ルネ、如何し…」
オリヴィエの詰問は、尻すぼみに宙に消えた。
その様子に疑問に思って振り向いたエヴァンの目に、臙脂の隊礼服を着た一団が映った。
TIPS
決闘剣術について。
恥ずかしながら、フェンシングについては完全に無知です。
参考資料が映画の「三銃士」「ロビンフッド」「快盗ゾロ」なので、アクションの見栄えのために誇張した面がかなりあります。
他にも、基礎知識を紹介するHPをごたまぜで参考にしているので、勘違いで理解している可能性が大きいですね。
詳しい方がおられたら、まぁ、そういうもんじゃないの、くらいの生温かい目で読んでいただければなと思います。