プロローグ・奈落にて想う
今作に目を通していただきありがとうございます。
練習も兼ねた長編が1章のみ完成しましたので、投稿させていただきます。
今作は、タグにも付けていますが2次創作となっています。
原典はアレクサンドル・デュマ・ペール作「三銃士」です。
原作をご存知の方からすれば噴飯物の出来かもしれませんが、是非、ご寛恕の上、ご笑読いただければ幸いです。
原典が200年近く前の古典文学なので大丈夫だとは思いますが、2次創作と云うデリケートなジャンルを扱う以上、注意勧告等の覚悟をしています。
構成について、前書きで文章の修正があれば報告を、後書きにてTIPSと云う形で補足説明や小ネタを挟んでいこうと思っています。
奈落に落ちる。
暗闇に向けて己が身体が落ちていく。
朽ちかけた木材が、砕けた石材と煉瓦の欠片がゆっくりと宙を舞いながらエヴァンの視界に映る。
走馬灯のようなものか、馬鹿な思考が脳裏によぎる。
違う。
身体強化魔術の一つ思考加速の恩恵で、脳神経の情報加速が起きているからだ。
この魔術は、思考の加速を通常の2倍まで引き上げるが、一方で現実に何か干渉できる魔法ではない。
宙を飛ぶ事の叶わぬ身体は、残酷なまでに既存の物理法則に絡めとられたまま、何かもできる事のないまま足元に空いた奈落に落ちていく。
――くそ。どうしてこうなった!
加速された思考が占めるのは、最早どうにもならない罵倒にもならない何かだった。
――――3ヵ月前。
内陸部特有の雲の吹き溜まりは、ガスコーニュの積雪を一層厳しいものにする。
産まれてこの方、厳冬の景色は見慣れているが、この寒さに慣れることはないんだろうな。
俺はぼんやりとそんなことを考えた。
まだ暗い早朝に積もった雪を蹴り分けながら、屋敷に隣接された馬房の扉を開ける。
むわりとした熱気が、かじかんだ顔を包む。
足元で鶏が逃げ惑い、手前に繋がれた数頭の牛がつられて興奮した鳴き声を上げた。
「これは、坊ちゃんおはようございます」
馬房主のゼフ爺が、奥の宿室から挨拶を投げてきた。
「おはようゼフ爺。
――いい加減、坊ちゃん呼ばわりはやめてくれ。これでも16なんだ」
「はっはっ。儂にとっては坊ちゃんは、何時までも坊ちゃんですよ。
それこそ、変わることはないでしょうな」
「爺さんには敵わんな」
ゼフ爺と飽きず繰り返したやり取りをして、飼葉と水を補充する。
飼葉を食べに来た馬のうち、栗毛の老馬の身体を優しく藁の束で拭く。
ここ数年は俺が一人で支えた仕事だが、もうすぐそれも出来なくなることに寂寥感が募る。
今、言い出すべきだろうか? 逡巡がそのまま沈黙となって馬房を満たす。
「爺さん」
結局、云う事に決めた。近い内に知れることだ。
なら、早い方がいいだろう。
「はい」
「春に屋敷を出ることになった。以降、俺はこの村に踏み込むことはない」
追放される訳ではないのだ。絶対というわけではないが、エヴァンの持つ立場の特殊性はこの町に留まることを良しと出来るものではない。
エヴァン・シャルル・カステルモールはボルドーの南西部、ガスコーニュ地方の寒村を治める騎士爵の三男として生を受けた。
領地持ちだが貴族としては最下級位、僻地のそれも村民が10名ほどしかいない農村一つを受け持つだけの、平民とは変わりない環境でエヴァンは16歳までを過ごした。
貴族位と領地は、長男に継承が決定している。
さらにその下にマルコに問題が起きた際の控えとして、次男がいる。
そのどちらも心身ともに問題はなく、三男に貴族位が回ってくる可能性はほぼあり得ない話だった。
「左様ですか。
――寂しくなりますなぁ」
何時かは来る話だった。
正直、俺としても驚きはない。
縁談すらなかったのは、騎士爵という身分ゆえだろう。
騎士爵は、元来一代限りの暫定的に与えられる爵位だ。
継承が許されるものでもなく、貴族としても最低位に当たる。
一代限りが原則の騎士爵だが、抜け道というものはあるもので、代表的な手段の一つとして銃士隊をはじめとする軍務への従事があった。
この手段を代償に、以来細々とその命脈を保たせてきた家系は非常に多い。
騎士爵が多い原因は単純だ。1世紀前に起きた『百年戦争』の際、自領の戦力を即席で向上させる目的で貴族を考えなしに増やしたからである。
貴族は立場を保証されているため、何もしなくとも年間の俸禄が支払われる。
これが膨大な金額であり、現在進行形で国庫をひっ迫させる一因になっていると誰かから聞いた覚えがあった。
国家としても、カステルモール家としても、これ以上貴族を増やす訳にはいかないだろう。
継承権がほぼない俺は、存在しているだけでカステルモール家の爆弾になりかねないのだ。
昔は騎士として身を立てる自分というのを夢想したことがあったが、現実を知った現在となっては平民になることも既定路線として受け入れていた。
「坊ちゃんはどうなされるおつもりで?」
「帝都に行く」
迷いはなかった。既に己の進路については、何度も試行錯誤を繰り返していたからだ。
「折角、高等数学を修めたんだ。帝都で会計士でも目指すさ」
父親のトマス・シャルル・カステルモールは、良くも悪くも貴族意識の強い男だ。
貴族としての在り方はかくあるべしと思い込んでいるタイプで、自身の抱く貴族の理想像を息子たちにも強要していた。
それは、押しつけがましさがある反面、教育に関しては不自由なく受けられた利点があった。
読み書きはもちろんのこと、家庭教師を雇って高等勉学を叩き込む。
剣術、貴族の礼節、最新の政治経済の知識。
――ぶっちゃけ、その全てを十全に学びきれたとも思えないが、人並みよりも確実に密度の高い知識を得ている自信はあった。
「金融屋になるのは、お勧めいたしませんが…」
ゼフ爺の声が苦み走る。
カソリックに於いて金貸し業は外道の仕事と見做される。こう見えてゼフ爺は信仰篤い正教徒で、少々頭が固いきらいがある。
金の流れに関わる仕事は全て金貸しと同列に見る向きがあった。
「爺さんの好みでないことは知っているよ。何度も言うが、金貸しになるわけじゃない。
会計士は、金の流れを管理する仕事だ。金に携わる面では似ているが、全くの別物だよ。
うまく立ち回れば、結構な儲けが出るからその立場を狙っているだけだ」
「貴族にはなりたいと思いませんので?」
「興味ないしな」
「嘆かわしいことです。上のお二方は貴族としての責務を果たすため、帝都で銃士隊に入られたというのに…
――坊ちゃんが、勉学も剣術もお二方よりもよく修められたと聞いております。加えて魔…」
「爺さん」
流石に口が過ぎたと自覚したのか、俺の制止にゼフ爺は口を噤んだ。
「…申し訳ありません。差し出口でした」
言い訳でなく、貴族には本当に興味がないのだ。
ゼフ爺には悪いが、貴族の未来はあと百年持っていい方だと俺は思っている。
刻印魔術の民生化から蒸気機関の発展は始まり、英吉利から生まれた産業革命が一大ブームとして欧州を席巻した。
蒸気機関による物流と情報の高速化は、旧態然とした仏蘭西の貴族制度を空洞のような状態にしてしまった。
英吉利から広がり始めた資本主義は、仏蘭西の経済をゆっくりと、しかし確実に蝕んでいた。
「勉学をよく修めても銃士にはなれない。
――爺さんも解っているだろ? カステルモール家の宝珠はマルコ兄さんが受け継ぐことになっているんだ。
バチスト兄さんはともかく、俺には銃士になる術はない」
「…理解しております」
「爺さんの心遣いは有り難く思うが、俺の進路について気に病む必要はないよ。
――それよりも、俺の手がなくなるが、馬房のほうはどうなる?」
「大丈夫でございます。いずれこうなることは分かっておりましたので、息子を呼び寄せております。
春には儂の後継として房に就くことになっております」
「なら、安心だ」
これで、気がかりとなっていたことがほぼ消えた。
藁拭きに満足したのか、ロシナンテが鼻を鳴らして顔を寄せてきた。
慣れ親しんだ優しい眼の光に、俺の心が満たされる。
鼻面に手のひらを押し当てた。
――全体的にやや乾いている。
異常ではあるが、病気でないことは知っている。
老いだ。去年からもう満足に走れていないから、寿命が近づいている事には気付いていた。
「…お前の死に目に会えなくなるのが残念だ」
「申し訳ございません」
「爺さんの所為じゃないさ。
――さて、話し込みすぎた。親父に呼ばれてたんだ。俺は行くよ」
「かしこまりました」
ノックして数拍待つ。
「入れ」
「失礼します」
扉の奥の書斎で父親が決裁書類に判を押していた。
しばらく沈黙が続く。やがて、仕事がひと段落してトマスが顔を上げた。
「待たせたな。呼んだのは他でもないお前の出立についてだ」
予想はついていた。驚きもなく首肯する。
「判っているとは思うが、出立の後、お前はこの村に足を踏むことは許さない。
――マルコに問題が起きない限り、バチスタも銃士隊に籍を置くよう厳命してある。
お前は、銃士隊にも入らないそうだな?」
「はい」
「ならば、貴族としての命脈も続かないことを意味するのは?」
「理解しています」
「よろしい。お前の縁談がなかったことが幸いと思うか。
お前が結婚した際、正式に紋章院に赴き貴族からの除籍を申請せよ」
「判りました。カステルモールの名を名乗っていてもいいですか?」
「暫くは構わんが、問題が起きる前に止めるように。カステルモールはお前の後ろ盾にはならん」
「寛大な判断、有り難うございます」
軽く礼を述べ部屋を辞そうとするが、足を向ける前にトマスの制止が動きを止めた。
「餞別だ」
投げ渡されたのはチケットだ。
表面に金粉で打刻された行先には、三ヵ月後に発車する巴里に向かう欧州鉄道のロゴ。そして高級旅客列車の指定個別車両の文字が表示されていた。
驚いた。かなり値が張ったであろうそれを指で抓んだまま持て余す。
餞別というにはやや高価だが、巴里までの間、快適な旅客を味わわせてくれるというのは、ありがたい。
こっそりと売り払って、巴里での活動資金にしてやろうかと企む。
次いで机に小さな袋が置かれる。軽いものと重いもの、金属のこすれる音が袋からする。
「20リーヴルある。金が尽きる前に仕事を見つけろ」
「…感謝します」
流石にここまでしてくれるのは予想外だった。
寒村での20リーヴルは相当な大金だ。平民になる三男に多少なりとも負い目があったということか。
「住まいは決まっているのか?」
「『ヴァンタール商会』に仲介を頼んでいます。
心当たりがあるようで次に来るとき渡りをつけてくれると。
ダメだった場合も、別口に仲介を働いてくれるそうです」
「なら問題ないな」
首肯を一つ。さらに真っ白な封筒を袋の横に置く。
「こちらは、金の代価と思っていい。
宛ては銃士隊を纏めている総長のトレヴィル殿だ。
卿は私の幼馴染でな、時候の挨拶は欠かしたくない。巴里についたら早いうちに伺うように」
トマスは少し自慢げに壁に掛けられた細剣と銃士隊の青い隊礼服をみた。
トマスの自慢は、銃士隊の3番隊の隊長を務めた経験だ。
――――正直、事あるごとに聞かされたので耳タコなのだが。
だが、言葉の裏の意図は嬉しかった。
小さくとも困窮した際の伝手を用意してくれたことが判ったからだ。
「はい」
だが、事務的に受け入れる。
「巴里に就いたら、トレヴィル卿に会うようにいたします」
「うむ」
要件はすべて済んだのか、手で払われて退出の許可が出る。
それからは出立準備に追われて目まぐるしく時間が過ぎる。
――――――――――3ヵ月後、エヴァンは村から初めて足を踏み出した。
百年戦争より数えて百年数余。
欧州動乱の傷跡も言えぬ仏蘭西は帝都巴里。
蒸気と魔術が花開く産業革命の只中の帝都から、物語は始まった。
TIPS
世界観として魔術が存在する欧州を舞台としたため、フランスではなく仏蘭西と表記しました。
魔術の普及と共に100年早く産業革命が起きたため、仏蘭西では貴族制度と産業革命が入り混じる奇妙な世界になっています。
急速な工業技術の発展がもたらす恩恵が都会に集中したことで、周辺地域は殆ど中世のまま都会のみ資本主義による経済発展の利益を享受する歪な世界が出来上がった。