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ルーテッド・リーヴァの絶望

作者: 莉多

 ルーテッド・リーヴァは、自らの顔色を美しくも雄大な青空と同じ色に染めていた。

 友達も、クラスメイトも、名前すら知らない同級生も、教師でさえも一言も発せず、身動きすら取れない。驚愕か、恐怖か、それとも到底信じられそうもないこの場面への不信か。

 痛いほどの静寂の中、刃を潰し殺傷能力を極限まで抑えたナイフがカラン、と地面に落ちたその音だけがやけに大きく響く。


 うめき声一つ漏らさず目の前に倒れた少年と、空に浮かべた今はもう力の入っていないナイフを握っていた自分の手を、目線を彷徨わせながら交互に見て立ち尽くすルーテッド。

 彼の頭の中には困惑と焦りと疑問符が大量に生み出されていた。


 無意識に口から泣き出しそうな、消え入りそうなか細い声が漏れる。

 けれども小さな小さな、ひどい静寂の中であれば響いていたであろうその声は、無情にも授業の終わりを告げる学園の鐘の音によってかき消されてしまった。




 ルーテッド・リーヴァは冒険者を夢見る普通の少年だ。

 王都から馬車で五日と数刻という辺鄙な田舎で生まれ、十を数える年までその村で育った。

 三十人ほどの村人が暮らす小さな村で、その全員が家族同然で暮らす、典型的な田舎だった。近くに三つほどある村との交流の中で若者は結婚相手を探し、婿のいる村へ嫁ぐという習わしがある。また旅に疲れた人間が、最後に訪れ居着く場所でもあった。その村は、それが誰であろうと快く受け入れる場所なのだ。

 もちろん出稼ぎに王都へ行く若者もいるが、どうしてか最後には村に戻ってくる。その時は、伴侶を連れて。


 そんな村の中では一つだけ他の村にない風習が続いている。

 仕事も遊びも、村人総出で行う、というものだ。

 いつ、誰が決めたのかもう誰も知らないが、現在まで受け継がれている固有の風習。嫁に来た娘は、誰も彼もこの風習に驚くものの、ふと気付けば知らぬうちに染まっているのだった。


 ルーテッドはそんな村で畑仕事から狩り、家事や時にはいたずらまで一通りのことを年長者に教わり、こなしながら普通に暮らしていた。湧き溜まりが近くにあるのか、定期的に現れる魔物の討伐を独りの時でもこなせるようにと時たま村人総出で模擬戦のようなこともしながら。


 村人との仲も良好で、通りすがる村人とそれぞれ話していたら、家に着くのが夜になってしまうほど。それでルーテッドは何度も母に怒られた。

 この村の住人は、本当の兄弟だと錯覚するくらい密接に関わりながら過ごしている。派手な喧嘩もするし、手伝いを押し付け合ったりもする。つまみ食いをしては年下の女の子に叱られ、経験豊かな知識を生かした盛大ないたずらを仕掛ける。そこにいい年の大人が混じっていようが、誰も気にしないのだった。



 極々一般的な少し赤みがかった茶色の髪に、同色の目。目も当てられないほどの不細工ではないが、目を瞠るほどの端麗さもない。ただ、彼が幼い時に最期の地として選んだ老いた冒険者からの話を何度も何度も聞いて、その命が燃え尽きる時に託された夢を追うために、冒険者を目指す普通の少年だった。

 突出することもなく、何事も無難にこなし、そして村でのびのびと暮らす少年。


 ルーテッド・リーヴァは、普通の少年だった。






 世界の果てまで広がる青空と同じ顔色になってから、ルーテッドの周りには誰もいなくなっていた。


 誰もが遠巻きに、それでいてぶしつけな視線を向けるだけで、話しかけようとするそぶりさえ見せる者はいない。興味はあるが、関わりたくはない。誰もが言外にそう言っていた。

 親友とも呼べる、とルーテッドが思っていた少年も先ほど、ほとぼりが冷めるまで達者に暮らせよ、と薄情な一言を残して去り、今はここにいない。薄情者め、裏切者。とルーテッドはむくれにむくれ、分かりやすく拗ねてもみたがそうしたところですでに隣には誰もがいない。

 面倒なことになったという自覚もあるし、何よりおそらく同じ状況なら自分だって友人…――親友から降格した――からしばらく離れるであろうと自分に対する信頼感があったので、仕方がなくため息一つで見逃した。

 ルーテッドは聖人君子ではないし、どちらかといえば情に厚いわけでもない、薄情な面も持つ普通の少年だった。




 大きな、深いため息をついたル―テッドは、どんよりとした空気をまとわせながら食堂を歩く。廊下より人数が多い分、ぶしつけな視線は更に増えた。

 売店は戦争のような商品の奪い合いがすでに終わって、棚に残るのは腹の足しにならないようなものばかり。かと言って調理の出来る教室は特別な許可をもらう必要があるし、その特別な許可を取っていたら昼休みが終わる。

 寮に戻れば簡易な台所はあるが、日中は残念ながら立ち入れない。忘れ物をしても取りに行けばいい、なんて甘い考えを刈り取る教師からの策だった。

 消去法で食堂に来る選択肢しか取れなかったルーテッドの気持ちは、世界一深いと言われた幻の湖よりも深く沈んでいた。


 一歩一歩、重りが付いたように地面から離れ難くなった足を無理矢理動かして進むたびに、人混みが割れる。まるで昔話か神話に出てきた海をも割ってしまった聖人のようだと鼻で笑う。

 自分がもし本当に聖人ならば、こんな気持ちで歩いちゃいない。乾いた笑いだった。


 そんな卑屈な思考のルーテッドに近づく影が2つ。周囲が遠巻きに、そして避けていることを知ってか知らずかその影は恐れを知らず、ずんずんと突き進んでいく。

 紅と蒼の対照的なオッドアイはキラキラと輝いているし、黄金色の髪はふわりと揺れる。癖のある肩ほどの長さの髪を、一人は左右少しずつ編み込んだみつあみを耳の後ろにかけていて、もう一人は無造作に後ろでくくっていた。恐ろしいほどに整った同じ顔が、二つ並ぶ。その顔には、満面という表現がしっくりくる笑顔が浮かんでいた。


 ルーテッドが周囲の変化に気付き少しだけ顔を上げると、もうその目の前には美しい顔が並んでおり、その刹那、二人は勢いよくルーテッドに飛びついた。

 あまりの勢いにルーテッドはよろけたが、踏ん張ることで耐え事なきを得る。少し、腰から嫌な音が聞こえた気がした。


 満面の笑みを浮かべた美しい二人は、ルーテッドと同じ村出身で一つ年上の双子の兄妹だった。

 どちらが兄か姉か物心ついたときにはすでに言い争いをしていた二人が、村で真剣勝負をしてどちらが上かを決めた日のことを、ルーテッドは忘れてはいない。それまではどちらが上でも同じだと言っていた村人たちが、あの日を境に一言も口に出さなくなった。

 あの日から、双子の兄妹は"兄"と"妹"だった。

 そんな兄妹から、軽やかで繊細な美しい楽器の様な声が紡ぎ出される。


「ルティ、すごいことしたなァ!」

「ルティなら何かやってくれると信じてたわよ!」


 そっくりの美しい兄妹は、ルーテッドの両手をしっかりと握ると、三人で手を繋ぐようにしてはしゃぐ。

 その表情はどこか誇らしげで、ル―テッドの快挙――本人は快挙どころか面倒事だと心底思っている――を自分のことのように喜んでいる様子だった。


「アス、キア……。あのね!全ッ然!すごいことじゃないんだよ!僕、これからどうやって生活すればいいのさ…」


 兄のアスと妹のキアの手を軽く振り解くと、ルーテッドは手に力を入れて熱弁した。最後には自分の言葉にダメージを受け、またもズブズブと深い深い悲しみに沈んでいた。それを聞いて兄妹は心底不思議そうに顔を見合わせる。


「あれれ?ルティは自分がすごくないってさ、キア」

「あらら?どうしてかしらね、勇者を模擬戦とはいえ倒すなんて快挙、十分誇れることよね、アス」


 全く理解できないという体の兄妹のやり取りを見て、ルーテッドはまた一つため息をついた。

 マイペースな双子は、いつもこの調子だ。常人とは少し違った感性の持ち主らしいこの二人は、いつだって周囲の雰囲気や視線なんてものともしない。自分達が思うまま、自分達のやりたいようにやる。他人なんて、所詮は違う人。考えも行動も違って当たり前。合わせるなんて、愚の骨頂。それを地で行く二人だ。だから今はただ、純粋にルーテッドを称賛していた。


「あ!あれはまぐれだよ。まぐれ!勇者くんの体調が最悪だったとか…力を封印されてたとかさ!だ、だって、普通の僕があ、あんな、…できるわけないもの…。あ、もしかして夢?今僕は、夢を見てるんだよ!きっと!」


 一人で百面相をするルーテッドを見てくすくすと笑う二人。

 今日、ルーテッドが成し遂げたことは二つある。

 一つは厳正なる模擬戦のくじ引きで、誰もが望んでいた『希望の勇者』との対戦権を手に入れたこと。

 魔王が復活し、暗黒の時代が訪れると予言があってから選ばれた勇者は、勇者となる前から学園でも一目置かれる存在であった。

 温和な性格の好青年で、それでいて正義感も持ち合わせている。かといって自分の正義を信じ切っているわけでもなく、間違いを認める勇気もある。自らの過ちに気付けばそれも受け入れさらなる向上を目指す。

 生徒はもちろん教師からも信頼が厚く、勇者に選ばれた時には盛大な祝福を受けた人物でもある。


 そして、2つ目。それはその祝福を盛大に受けた絶大な人気を誇る勇者を、ルーテッドが魔法なしの体術戦とはいえ、歴代最速で倒してしまったことである。

 体術のみでの模擬戦は、ルーテッドにとって人生初のことだった。

 万が一魔法が使えなくなった状況になった時、立ち尽くして何もできず殺されてしまう。

 そんな状況にならないとは言い切れない。そしてそんな状況が本当に起こってしまったときに、知恵と機転で乗り越えられるように経験を得るという名目で五年前から取り入れられた授業だった。


 ルーテッドの魔法の成績は中の上。極端に得意な属性や極端に苦手な属性があるわけでもなく、やや得意な属性とやや苦手な属性がある程度で、実技の授業では優は取れずとも不可は取らない。そんなレベルだ。

 今まで幾度も行なってきた魔法使用可の模擬戦では、いつも無難な成績を残していた。


 勇者との対戦を控えたル―テッドは、そのこともあり最初から全力を出して立ち向かおうと考えていた。

 勇者は、強い。定期的に国髄一の実力者から指導を受けている。おそらくというか、確実に勝てないだろうとは簡単に予測はついたが、それでも何も出来ないまま無様に負けてはさすがのルーテッドでも後悔が残るだろう。

 勇者と直接の関わりはほとんどなかったが、それでも少し関わっただけでいい人だと印象を受ける様な人間だ。変に手を抜いたら相手に失礼だといつも全身全霊で物事をこなす姿も見ている。

 勝てなくても、少しでもやってやろう。どうせなら、いい経験にしてやれ。


 そう決意したルーテッドの運命は、面白いほどにグルグルと回っていった。


 その結果が歴代最速での模擬戦終了、及び勇者の敗北である。模擬戦とはいえ多くの人々に愛され祝福を受けた勇者の敗北。

 勝てないという前提で行動していたルーテッドには、青天の霹靂どころではない。

 呆然とするル―テッドに待っていた現実は、非情なものだった。



「信じてないみたいだけどさァ、ボクらいつも言ってたよね?ね、キア」

「そうそう。ルティは強いってワタシたち言ってたわ。ね、アス」

「あれ冗談じゃなかったの!?」


 言った通りだと自慢げに胸を張る二人に、少しだけ涙が出てきたルーテッドは声を荒げて叫ぶ。


「ボクら冗談なんて言わないさ。ね、キア?」

「そうよ、冗談なんて言わないわ。ね、アス?」


 しれっと顔を見合わせて言い合う二人を見てルーテッドは脱力する。実はルーテッドが二人が言っていたことを戯言だと流していたのには理由がある。


 ルーテッドは今までこの二人に勝てたためしがなかった。それも、圧倒的な差で。


 不意に現れる魔物に対抗するための模擬戦。村で定期的に行われていたそれで、いつもルーテッドはこてんぱんにされていた。

 怪我をしては本末転倒、ということで実力の近い者同士で組んでいたにも関わらず、勝てるどころか引き分けすらなったことがない。

 けれどどうして三人が繰り返し模擬戦をやっていたかといえば、兄妹が村で一番強く、ルーテッドがその次に強かったからである。子供の中で。

 それでも兄妹の強さは大人と比べても謙遜なく、美しく圧倒的だった。そして毎度こてんぱんにやられるルーテッドに、村人は笑いながら言うのだ、「ルティ、次があるさ」と。


 そんなやり取りが幾度となく繰り返され、ルーテッドのプライドはズタズタを通り越してとうとう紙より薄くなってしまった。そして一度も勝てないまま、兄妹が先に学園に入学してしまったために、ルーテッドは自分のことを強いだなんて微塵も思っていなかった。


 そんな中で、圧倒的な強さを誇る二人に「ルティは強い」と言われたところで、到底信じられるものではない。むしろ嫌味なのではないかと疑ってしまうだろう。

 なぜならルーテッドは事あるごとに二人に完膚なきまでに叩きのめされていたのだから。





 ルーテッド・リーヴァは普通の少年だ。

 子供の中では三番目に強いけれど、村の中で強くもなく、弱くもない。

 無難な性格に無難な容姿。能力も突出した部分はない。



 ルーテッド・リーヴァは普通の少年だった。彼の故郷である()()()では。








 癖のある黄金色の髪がふわりと風に揺れる。兄妹はルーテッドと別れると、人気のない廊下で向かい合い、にこやかに会話をしている。

 透き通るような声は淡く響くのに、足音一つしないその場には、少しだけ不穏な雰囲気が漂っていた。



「ねえキア、ボクのキアレティア。ボクはルティが"希望の勇者"と対なす"絶望の勇者"だと思うんだァ。ルティ、いつも絶望してるし?自分にだけどね」

「あらアス、ワタシのアスティレア。奇遇ね。ワタシもそう思ってたの。いつも絶望してるもの、自分にね。なんてピッタリなんでしょうね」


 クスクスと鈴の転がるような声で笑い合う。なんの変哲もない廊下であるというのに、絵画を切り取ったかのような美しさと、少しの不気味さがあった。

 紅と蒼のオッドアイが、ゆるく歪む。細められた目には、微かに狂気があった。


「ねぇ、キア。あの二人でボクらを倒せると思う?」

「そうね、アス。どうかしら。今のままじゃ無理ね」

「だよねぇ。それじゃあ、」

「えぇ、ワタシたちの手で、」


「育てましょうね?」



 声が揃うと幼子のように無邪気に笑い合う。心底楽しそうに話している彼らこそが魔王だと、ルーテッド・リーヴァは知らない。


 誰も、知らない。


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