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「では、本日はこれで下がらせていただきます」

 

 マシェリに付く事になった侍女は、名をターシャと言った。

 水色のお仕着せに、フリルの付いた白い前掛けとヘッドドレス。年齢は十八歳と言っていたが、小柄でクリッとした大きな瞳のせいもあり、大分幼く見える。


「ええ。ご苦労様」


 礼儀正しく頭を下げながら部屋を出て行くターシャを、笑顔で見送る。ドアが閉まるのを待たず、マシェリはベッドにばたんと倒れ込んだ。


(何だか嵐のような一日だったわ)


 マシェリに用意されたのは宮殿の二階、東側角にある客室だった。天蓋付きのベッド、浴室と小さな衣装部屋も付いており、充分な広さがある。

 荷物は着替えの入ったトランク一つ。これ以外の大きな荷物は、明日から泊まる予定の部屋へと運ばれて行った。


 皇帝の正殿がある三階。本来は皇族しか住まうことが許されていない、宮殿の最上階である。


(一体、どうしてこんなことに……!)


 マシェリは思わず、うつ伏せの顔をシーツに埋めた。


 婚約誓約書への署名も済ませ、グレンの正式な婚約者となったマシェリだが、この先についての話し合いをする中で、ひとつの壁にぶつかった。

 フランジア帝国では皇太子の婚約者が国外出身の場合、婚約と同時に皇都にうつり住むしきたりになっている。しかし、マシェリの実家は公国の伯爵家。皇都に所有する邸宅などあるはずもない。

 だがこれはマシェリにとって、またとない好機。事業や縁談話をとりあえずどうするか、一刻も早く父と話がしたかった。


 早速、ビビアンに一時帰国を申し出る。すると案の定、「住居の相談では仕方がないですね」と理解をしめし、とんとん拍子に話は進んだ。

 そのまま、具体的な帰国時期を決める段階までこぎつけ、あとひと息で国に帰れる。マシェリがそう確信し、拳を握り締めたところで、思わぬ横やりが入った。


『それなら、宮殿の空いてる部屋を使えばいいじゃない』


 急に湧いて出た皇子様がけろりと言い、そのまま皇帝に直訴しに行くという暴挙に出たのである。

 結果あっさり快諾され、現在に至る──と、いうわけだ。


(いやいやいや。そこはいくらなんでも断るでしょう? 普通! 結婚前の男女が同居とか……皇帝陛下といいあの殿下といい、いったい何を考えてるのかしら)


 やや取り乱し気味に呟き、はた、と止まる。

 本当に……グレンは何を考えてるのだろう。


(公国のお姫様でなく、たかが伯爵令嬢のわたくしを婚約者に選ぶだなんて)


 あれだけはっきり求婚してきたのだ。グレンのマシェリに対する好意は、もはや疑いようがない。

 だがそのきっかけとなったはずの、執務室でのグレンとのやりとりはわずか数分。交わした会話も少ない上、恋愛要素などは皆無に等しかった。

 と、なれば。やっぱり赤髪以外に思い当たるふしがない。しかしどんな変わり者の皇子様でも、さすがに婚約者を髪の色で選んだりはしないだろう。


(だめだわ。いくら考えても分からない)


 マシェリはごろんと仰向けになると、天蓋に描かれた、月と太陽の絵を見上げた。捕らえるように伸ばした左手には、相変わらず何の変化も痛みもない。


 この客室を引き払うのは、明日の午後。ベッドや調度品の準備が整いしだいということなので、少しは時間に余裕がある。

 その間、答えは出なくとも……せめて心の整理くらいしておかなければ。


(この状況から、確実に脱け出すために)


「マシェリ様、起きていらっしゃいますか?」


 二回、叩扉の音がした。

 慌てて髪の乱れなどを直し、応じる。細くドアを開けてみると、ルドルフが立っていた。


「夜分に失礼いたします。実は、マシェリ様にお届けしたい物がありまして」

「届け物?」


 念のため、適度な距離感を意識しつつドアを開けると、ルドルフが四角い包みを差し出してきた。 


「これは……アディルの」

「大切な物なのでしょう? 他の荷物と一緒に三階へ運ばれて行くところをかっさらって来たんです」


 目を細め、ルドルフが優しく笑う。

 その笑顔には一片の曇りもなかった。馴れ馴れしすぎるとか、邪な気配がするだとか、勘ぐって悪かったなとマシェリは心の中で密かに詫びた。


「ありがとうございます。ルドルフ様」


 素直に礼を言い、包みを受け取る。


「そうだ、ご婚約おめでとうございます。しまったな。一番最初に言うべきだったのに」

「そんな、お気になさらないで下さい。わたくしはまったく気にしておりませんので」


 ばつが悪そうに頭を掻くルドルフに、きっぱりとマシェリが言い切る。

 ルドルフは、目をぱちくりとさせてマシェリを見た。


「もしや、あまり喜んでらっしゃらない?」

「まさか。そんな不敬なこと、思っていても口に出せるはずがございませんわ」

「思ってはいるんですか⁉︎ 何か事情がおありなら、わたしが聞きますので遠慮なくお話し下さい、マシェリ様」

「……ルドルフ様が?」


 訝しむマシェリを、長い前髪の下の涼やかな瞳が見つめる。


「陛下より、貴女の相談役を仰せつかりました。このルドルフ・ダニエ、マシェリ様の城での生活を誠心誠意支えていく所存ですので、改めてよろしくお願いいたします」

「相談役?」

「ええ、仮の呼び名ですが」

「それってどういう……」

「ここではなく、サロンへ行って話しませんか? よければわたしが薔薇茶(ローズティー)を用意しますよ」


 ルドルフの誘いに、マシェリは迷いなく頷いた。

 お茶につられたわけでなく、支度をするとドアを閉め、一度彼から目を逸らすために、だ。


(虫も殺せないような、穏やかな目……なのに)


 『怖い』と思ってしまった。


 しかし考えてみれば、優しげな見た目でもルドルフはれっきとした騎士なのだ。いざとなれば虫どころか、人を剣で斬らねばならない。


(秘めた殺気くらい、あっても当然か)


 気を取り直してサロンまで付いていくと、ルドルフにすすめられた丸テーブルの席に座る。


 広いサロンの中を見回したマシェリは、贅を尽くした造りの天井や調度品に感嘆していた。さりげなく置かれたチェストなどは装飾が見事すぎて、自分だったら畏れ多くて使えない。飾っておくのがせいぜいだ。

 遅い時間のサロンには、入り口に立っていた護衛の近衛以外誰もいない。なのにシャンデリアの明かりははじめから点けられていた。

 やっぱり油や蝋燭がどれだけあっても足りないわ。と、つい堅実なクロフォード家流の呟きが漏れたところで、トレイを手にしたルドルフが戻って来た。


「さあどうぞ。お口に合うといいのですが」

「……え? これは」


 マシェリは目を丸くしてカップの中を覗き見た。蕾のような、小さな薔薇が紅茶に浮かんでいる。


「〝ダルク〟という、小さめの薔薇を乾燥させてつくった花茶です。マシェリ様がお好きかと思って、帝都で買っておいたものなんですよ」

「ええ。……ええ、好きよ。何て素敵なのかしら……! 見た目も、香りもとても良いわ」


 こんな紅茶が、自分でも作れたら。ついそう思ってしまうマシェリは、父の言った通り根っからの商売人なのだろう。 


 しかしその向上心は、皇太子の妃には不必要なものだ。


 そのかわり必要となる淑女の基本的な嗜み、刺繍や詩の朗読などはマシェリがもっとも苦手とするもので、たいてい半刻ももたずに挫折してしまう。

 母の小言を聞く時間の方が長く、余計に次が嫌になって続かない。そうしてさらに嫌気がさす。そのくりかえしだった。


 分不相応にこのまま皇太子妃になったとしても、自分を活かせる場所が見出せるとは思えない。

 ここから脱け出したい。マシェリは改めてそう思った。


(でも……相手は帝国の皇太子)


 下手に拒絶などして皇帝の怒りをかえば、その影響はマシェリのみならずクロフォード伯爵家や、下手をすればテラナ公国にも及ぶだろう。それに、水脈もまだ開放されていない。

 婚約の辞退をこちらから申し出るのは、現実的に見て不可能だ。考えるなら、グレンの方からマシェリとの婚約を破棄させる方法しかない。

 それも、できる限り穏便に。


「相談役、ということは……ルドルフ様、わたくしの悩みを聞いてくださるの?」

「ええ。わたしでよろしければいくらでも話を聞きますし、力になります。なんなりとおっしゃってください、マシェリ様」


 にっ、とルドルフの唇が弧を描いた。


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