表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
77/78

26.霹靂

(クク、もう砦を越えるのかしら)


 まだ馬車が動き出してもいないのに。

 けれど戸惑う間もなく、上空に漂う霧の中へと赤い鳥が消えていった。


「どうした? 小娘」

「ククがもう行ってしまったんです。こんな事、初めてだわ」

「たぶん目標物が近いんだろう。そういえば、奴には一体何を探させてたんじゃ?」

「目標……」


 マシェリは馬車の屋根に留まる、白フクロウをちらりと見た。

 ウィズリーは中立派で、魔王とマシェリとの結婚は個人的には反対だと言っていた。しかし、その立場は魔王の側近。婚約を解消するため水竜の亡骸を探していることは、何となく打ち明けづらい。


(まあ、着けばどのみちバレるかもしれないけれど。ここはひとまず、もう一つの理由を使っておくとしましょう)


「わたくしは花を探してますの。葉が薬になる魔花なんですけれど、ウィズリー様は何かご存知ないかしら?」


 どうにか自然に言えた。やや得意げに振り返るも、ウィズリーは全くの無反応。首を傾げることすらせず、くるりと砦のほうを向く。


「まずいな。魔王城から出した馬車を追わせていた、ハリスたちの気配が途切れた」

「ハリス? ……どこかで聞いたような名ですわね」

(くら)き森で偵察部隊の隊長をしている、魔物の名前じゃよ。……どうやら、身代わりがバレてしまったらしい」


 細めた赤い両眼が、鋭く光る。

 大きく広げた真っ白な翼に、いくつもの火花が散った。


「ウィズリー様? 身代わりって、何のことを」

「いいから馬車に乗れ! 小娘。緊急事態だ」

「おやおや。どうなさったのです? ジェネフィス卿。そんなに慌てて」


 傘を手にふわりと屋根に降り立ったのは、白い髪に白い服。白いシルクハットを被った男。

 細く長い指先を伸ばし、ウィズリーの首を素早く掴む。


「ウィズリー様!」

「貴方という方は全く、手の込んだ偽装工作を思い付いたものだ。偵察隊の魔(カラス)に偽者を乗せた馬車を追わせるとはね。おかげですっかり騙されました。わたしの優秀な部下が念のためと髪を暴いてみなければ、気付けないところでしたよ」

「貴様……! どうやって魔界に戻って来た? 最終列車は……席、が取れなかったはず」

「どうやって? あの程度のトンネル、たやすく抜けられるのですよ。わたしほどの魔人になれば、ね」


 男の手が一瞬光り、ウィズリーが純白の鳥カゴに閉じこめられる。

 それはまさにあっという間の出来事だった。

 三日月のような細い目で、にたりと嗤う。この顔、この上から下まで白一色の格好は、ルシンキの駅で深紅の花束をくれた紳士だ。


「貴方は誰? ウィズリー様をどうするつもりなんですの?」

「わたしは北砦の番人にして魔王様の従者。ヤヌシュ、と申します。以後お見知りおきを。ああそれと、ジェネフィス卿の処遇については、貴女には関わりのないこと。よって、答える義務はありません。あしからず」


 流れるように言い募り、白いマントで鳥カゴを覆う。翻った時、そこにウィズリーの姿はなかった。

 次にカゴを消し、ヤヌシュが屋根を蹴って飛ぶ。マシェリは咄嗟に、シュカとサラを抱えたまま馭者席を飛び降りた。──今すぐ、この男から逃げなければ。

 それはほとんど、本能のような感覚だった。


「貴女がもし逃げたら、あの少年を殺しますよ」


 耳元で囁く声にハッとし、思わず足を止める。深い霧の向こうから、駆けてくる足音が聞こえた。


「あっ、マシェリ様。もうすぐ開門ですよ! おーい!」

「リダ……!」 

「いたいけな子どもの命を、目の前で奪われたくはないでしょう? ……ねえ? 赤髪姫」


 そう言ってマシェリの肩を掴む手は、氷のようにヒヤリとしていた。






「では、この部屋でごゆるりとお休みください。赤髪姫」


 ヤヌシュに案内されたのは、砦の最上階にある小部屋。

 鉄格子付きの小さな窓が一つあるだけなので、昼間なのに中はけっこう薄暗い。粗末な寝台とテーブルセット。それと床に敷かれた絨毯以外、調度類もほとんどなく、剥き出しの石の壁や天井がより一層冷たく感じた。

 壁に剣掛けがあるところを見ると、砦の兵たちが宿直や仮眠用として使っている部屋らしい。


 ドアの小窓越しに見える灰色の目を、キッと睨む。


「わたくしを、どうするつもりなんですの?」

「別に危害は加えません。貴女はただ、時がくるのをここで待っててくだされば良いのです」

「……時?」

「ええ。人界からノコノコとやって来て、身の程知らずにも魔王様に賠償請求するなどという愚行に及んだ。フランジアの人間二匹が、自分らの巣に戻る期限が過ぎるまでです」


 フランジアの人間。数え方はともかく、グレンとビビアンのことで間違いないだろう。

 ふたりの話をするヤヌシュの目や声には、明らかな嫌悪が滲んでいた。


「貴女は魔王様の、大事な大事な花嫁。あんな虫けらごときが婚約者を気取るなど、片腹痛い」


(この男、もしや王族か)


 魔王と赤髪姫の結婚、ひいては自分たちの地位の存続を望んでいる、いわば保守派。──となると、『危害は加えない』という言葉だけは信じてもよさそうだ。

 ならば、駆け引きの材料はある。

 マシェリは、チラッと背後のテーブルを見た。


「リダは、ちゃんと帰してくださるんでしょうね?」

「……そうですねえ。ま、砦の見張り兵の話だと、あの少年は相当な守銭奴のようですし。金で口は塞げそうですが……何しろ雇い主が雇い主だ。それだけでは、少々危なっかしい気もいたしますね」

「わたくしには、貴方のほうが数段危なっかしく見えますわ」

「それはどうも。わたしたち魔人にとって、この上ない褒め言葉だ」


(つまり、どう転んでも危険人物)


 のらりくらりと明言を避けるのは、初めから、こちらの希望に沿うつもりなどないからだ。

 頼み事では埒があかない。マシェリはテーブルに置かれた花瓶を掴むと、高く掲げて床に落とした。


 派手な音とともに、ガラスの花瓶が真っ二つに割れる。


「! 何をする」

「もう一度言います。リダを今すぐ解放なさい」


 言いながら、出来るだけ大きな破片、と選んで拾う。ハンカチもシュカにあげてもう無いので、素手なのが少々心許ない。

 だが今は、腕にしたたる血の一滴も交渉の手札になる。マシェリは、尖ったガラスを自らの喉元に突きつけた。 


「でなければ貴方の砦で、この首を掻っ切って差し上げてよ? ヤヌシュ様」


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ