24.再会
愉しげに笑う魔王を、少々呆れながら見上げる。
(……いったい、何がしたいんだこの男は)
幼女趣味なだけでなく、色々と精神が病んでるのだろうか。だとしたら、多少は同情してやらなくもない。
顎に手をあて、グレンは悩んだ。
「そんなもの、我々の知ったことではありません」
ビビアンがにべもなく言い切る。
「えっ⁉︎」
「えっ、て。当然でしょう。魔界は魔界、人界は人界です。こっちに振られても迷惑なだけですし。後継者うんぬんは、貴方がたで勝手にやっといてください」
冷めた目で淀みなく言い切り、足元に置いた鞄からテキパキと書類を取り出す。
それにペンで何やら書き足し、玉座の魔王に向かって高々と掲げた。
「先ほど『一万でも百万でも』と仰ってましたので、こちら訂正させていただきました。えーと。マシェリ様の別邸の浴室及び二階寝室の修繕費、並びに、屋根と壁の張り替え費用が金貨各五千ずつ。それにマシェリ様への慰謝料、金貨百万。合わせまして、金貨百万とんで一万枚をここに請求いたします」
「ちょっとちょっと。それはいくらなんでもふっかけすぎじゃない?」
「異議は一切認めません。無駄話で時間稼ぎするのもいい加減にして、さっさと請求書にサインしてください」
「……時間稼ぎ?」
──を、しているのはこっちのはずだが。
意味が分からず玉座を見上げ、ふと目が合った魔王の、紅い双眸が明らかに揺らいでいた。
(まさか)
「……いったい何のお話かな? ビビアンどの」
「このわたしが、ただの気分でこの姿になっている、とでも?」
そんなこと、あるはずがない。
グレンはビビアンの手から書類を引ったくった。
「急ぎ、この書面にサインをいただこうか。ジェノス陛下。それと今すぐ、我々の帰りの馬車の手配を!」
「殿下」
「これは僕の役目だ。お前は、赤馬車にくっついてるサラとの影の糸が途切れないよう、集中しておけ」
時間稼ぎ、というより距離稼ぎか。いくら頼りになる護衛でも、繋がれる影の長さと、それを保つための魔力には限界がある。
途切れたところで魔道具の馬車に魔力を送り、マシェリを捕らえる算段だったのだ。
(初めから、わざと自由に泳がせていた、ということか)
道理で、表情と天気がバラバラだった。
「あーあ、バレちゃったな。彼女の顔を見るの、すっごい我慢して頑張ってたのに」
「天候で丸わかりでしたよ。陛下」
「ユヅミ、るっさい。──まあ、正当な理由なき人界への落雷行為は重大な平和条約違反だし? それくらい、男らしく分割で支払うよ」
「一括だ」
「もちろん。当然です」
頷くビビアンと、チラッと視線を合わせる。それを許せば、怒られるのはこっちのほうなのだ。
(強気で美しい、我らが赤髪の姫君に)
◆
◇
◇
「わたくし、こう見えて寛大ですのよ。リダ」
怯え切った目で見る馭者にぐっと迫り、マシェリは慈悲の笑顔を向けた。自己評価的には、聖母と並んだつもりである。
「は……はひ」
「だからね。貴方がお金目当てにわざと道を間違ったとか、同じ場所をぐるぐる回っていたこととか、今さら責めるつもりはないの。ただ、この首をほんのちょっぴり締めたくなっただけで」
「お前さん、もうとっくに締めてるがな」
一時停車した馬車の狭い馭者席。椅子の背もたれに留まった半眼のフクロウが、呆れ顔で言う。制止のつもりか知らないが、こちらにそれを聞き入れるつもりはない。
掴んだ襟首を、さらにキュッと締め上げる。
「いいこと? 引いてるのが魔王城の馬車だろうが何だろうが、貴方の雇い主は陛下のはずよ。馭者のプロである貴方が、雇い主をないがしろにしてどうするの!」
「もっ、申し訳ありません! ……だけど、俺たちが仕事しているのは、魔界なんです」
「そんなの知っているわ。でも、それとこれとは」
「関係あるじゃろ。──もう、それくらいで勘弁してやれ。小娘」
諫めるように言い、白フクロウが肩に留まる。
「魔界に住む人間の立場は弱い。力ある者に逆らえば、あっという間に魔物どもの生き餌に成り下がってしまうんじゃ。そいつばかりを責められまいよ」
「……そう。お金目当てじゃなかったんですのね。ごめんなさい、リダ」
「い、いえその……。お金も、多少は惜しいなー、なんて」
「……。せっかく庇ってやったのに。お前さん、真面目か不真面目か分からん奴だな」
同感だ。揃って半眼でじっとり見つめると、そばかす顔のリダが乾いた声で「ははは」と笑った。
薄汚れていたので気付かなかったが、よくよく見るとまだ若い少年らしい。
「リダにお金を渡したっていう、ユヅミと名乗る魔人に心当たりはございませんの? ウィズリー様」
赤髪姫と魔王との結婚に反対する者の仕業だろうか。いずれにせよ、ただでは済まさない。
憤慨しつつ言うと、白フクロウがかくんと首を傾げる。
「……。まあ、心配せんでも魔王様は今のところ上機嫌じゃよ。この晴れ渡った空を見れば分かる」
「から元気でないことを祈りますわ」
そう言いつつも、馭者席に付いてる庇は小さいので、雨がやんで助かった。雲が散り太陽が顔を出した青空を、目を細めて見上げる。
そこに、小さな影が降ってきた。
「にゃにゃんっ!」
「! サラ⁉︎」
黒い子猫が顔にべしんと張りつき、息が止まる。
一瞬死ぬかと思ったが、首を解放されたリダがそっとつまみ上げてくれ、事なきを得た。バクバクいう胸を押さえつつ、膝にちょこんと乗ってきたサラの頭を撫でる。
「いつの間に……まさか、ずっと付いて来てたんですの?」
「なんだ、お前さん知らんかったのか。そやつは影に潜み、ずっとこの馬車を見張っとったぞ。おかげで魔王様も迂闊に手出しできんかったようだ」
「にゃんっ!」
サラが得意げに胸を張る。その時ふと、腹黒宰相の背中が思い浮かんだ。
(……顔、隠さなくて大丈夫だったのかしら)
ほんの一瞬不安になり、すぐに思い直す。──あの男に、抜かりなどあるはずがない。
大丈夫だからこそ、サラをマシェリの元に寄越したのだ。
それに、今はグレンが一緒にいる。
(きっとふたりとも大丈夫だ)
だが水竜の亡骸探しもあるし、急ぐに越したことはない。
サラを肩に乗せ、マシェリは馭者席を立ち上がった。
「シュカを馬車から連れて来ますわ。今度こそ、まともな道を通るんですのよ? リダ」
「へえい」
「疲れ果てて寝とるんじゃろ。起きるか?」
そういえばそうか。頷きながら扉を開けると、もたれていたシュカがズルズルと倒れかかってきた。
マシェリが慌てて受け止めた、その体も髪も半透明で、色が無い。
ただ一つ、赤い髪飾りをのぞいては。
「シュカ!」
「……マシェリしゃん……シュカ、はもう」
「しっかりして! 貴女にもしもの事があったら、リダの命はありませんわよ!」
「へえっ? そ、そんなあ」
リダが馭者席から飛び降り、青褪めた顔で駆けつけてくる。マシェリとシュカに向かって「すんません!」と言い、交互に頭を下げた。
守銭奴だが、憎めない男である。しかしシュカにもしもの事があった時、許すか許さないかは別問題だ。
さらに軽くなったシュカの体を抱き、唇を噛む。
「まあ落ち着け、小娘。その影猫を上手く使えば、とりあえずこの場は凌げる」
「……サラを?」
「にゃっ、にゃにゃん!」
『任せておけ』とばかり、肩の黒猫が再び胸を張った。