23.対峙
「やあ。遠路はるばるよく来たね、グレンどの」
人の顔を見るなりそれか。
相変わらずの上から目線と、ペラッペラな軽口。それに何より、八年経とうと変わらぬ姿。
玉座から見下ろす顔は天女のごとく、腰まで流した黒髪は、まるで星空のように美しい。
魔王、ジェノス・ヴィラザード。
「お母上の葬儀以来だな。あれから、えーと……。もう三十年くらい経つんだっけ? ユヅミ」
「約八年です。陛下」
「そっかあ。長く生き過ぎてると、時間の感覚が鈍くなって困るね」
(人の心の機微への疎さも、相変わらずだ)
変わったのは側近くらいか。
本当の姿か知らないが、執事のような格好をした、やや無愛想な男が魔王の傍らに立っている。以前は確か、穏やかで品のある白髪の紳士だった。
世代交代したのだろうか。だだっ広い謁見室を、視線だけで見回してみる。
護衛は出入り口に立つふたりのみ。人型だが魔力も纏っているので、人間か魔人のどちらかまでは分からない。
魔王城にグレンが入るのは二度目。幼い頃なのでほとんど記憶にはないが、フランジア王城と負けず劣らず大きく、石造りの歴史ある佇まいだ。
密偵による調査も済んでる。
城の周囲にフランジアのような塀や掘はなく、昏き森が城壁の役割を担っているらしい。三階建ての城の内外には大掛かりな結界も、物々しい警備も特になし。最上階にある謁見室に辿り着くまで、フランジアよりもむしろ、立つ兵の数は少ないくらいだった。
(だが、人間の密偵に深部の調査まではまず不可能。早めにマシェリが戻って来たとしても、城内に連れて来ないに越したことはないだろう)
もちろん、そうでなくとも二度目はない。
一応儀礼で胸に当てていた拳を、ぎゅっと握り締める。
壁際にいる他数名も人型だが、官吏服を纏った者はただひとり。
残り六人とも聖衣姿だったのが、グレン的には一番引っかかった。
「どうかなされましたか? 殿下」
「……別に、なんでもない。ただ、賠償金の請求をしに来た人間を出迎えるにしては、側に控えさせる人選に難があると思ってな」
「……」
冷静な側仕えが、空気を察してか口を閉ざす。
否定も肯定もしない。それでもグレンの言葉の端から意図を汲み取って動き、最善の結果に導いてくれる。
(逆らったのは、妃候補を選定する時だけだったな)
だからこそ、二番目に引っかかっていた。
「ははは、こちらこそ。一瞬、我が目を疑ったよ。……ビビアンどのが影を脱いだ姿とは、初めましてだったからね」
「それは奇遇ですね。……列車で話を聞いた時、わたしも耳を疑いました。魔界の王ともあろう御方が分身体などという姑息な手段を使ってまで、女性を拐かそうとなさるとは」
「! ビビアン。お前、一体なにを……!」
隣に立つ優秀な側近の顔をバッと見て、グレンは思わず頭を抱えたくなった。──やっぱり、勘違いじゃなかったか。
影猫のサラもフェイスベールも身に付けてない、ビビアンの素顔。白銀の髪の美少年が堂々と胸を張って立ち、魔王と対峙している。
魔王を真っ直ぐに見上げる赤橙色の瞳には、明らかな敵意が滲んでいた。
(『初めまして』はこっちもだ)
おそらく、どこかで変化を感じてはいた。
でも気付かないフリをしてきた。彼女を見るビビアンの目に、以前とは違う熱が込められていること。ふたりの何気ないやりとりに、胸がざわついてしまうことも。
そして、今ここに彼女がいないことに、ホッとしてしまっている自分にも。
「おや。もしかして、怒っているのかな?」
「どう映っていますか? 貴方には」
「そうだねえ。顔もだけど、魔力もかなり物騒に見えるよ。水もしたたるほどの美少年なのに。勿体ないなあ」
紅い双眸が、冷徹に煌めいている。
八年前、子どもだったグレンに向けてきた視線と近い。
(……。まさかアレも、そういう意味が込められてた、とかじゃないよな)
「顔色がお悪いですよ、殿下」
「ッ放っておけ!」
半分はお前のせいだ。そう言いたいのをグッと堪える。
「ジェノス陛下。挨拶はこれくらいにして、そろそろ本題に入らせていただきたいのだが」
「本題? ……ああ、例の雷の件だよね。いいよ」
足を組みかえ、頬杖をつく。女神の笑みと、背後の稲光とのギャップが凄い。
窓の外の雨足も、一段と強くなったようだ。
(態度を改めるか感情を抑えるかして、どちらかに統一すればいいものを)
ビビアンは平然としているが、こっちはどうも気が散らされる。
ただでさえマシェリのことが心配で、気がかりで仕方ないのに。
本当なら一緒にいて守ってやりたい。
だが、魔界で水竜の亡骸探しをするのには別行動を取るほうが効率的だった。
(マシェリがククで魔界を捜索している間、僕が魔王を足止めする)
単純だが、これがなかなかに厄介。
「──ただし、わたしの話も一つ聞いていただきたいのだが」
「お断りします」
「ははは、即答か。さすがはあのカトゥールの息子だねぇ。……でも、聞いといたほうがいいと思うなあ」
思わせぶりな口調、わざと逸らしたままの視線。本心なのか、それとも全てが芝居がかった計算なのか。
本当に、斬り捨てたくなるほど面倒だ。
「わたしは魔王の座を、近々退くつもりでいる」
「──は?」
「ははは、いい反応だ。相変わらず、グレン殿下は可愛らしいな。やっぱり八年前に攫っとけばよかった」
「……陛下。お戯れが過ぎます」
「ごめんごめん。……それでね。わたしは今、後継者探しの真っ最中なんだ」
雨が弱まり、雲間から光が射し込む。
「その候補者のひとりが、どうも人界にいるらしくてね。ちょっと前から探らせてたんだけど、最近になってようやく、カイヤニ公国にいたと情報が入った」
「……カイヤニ? 候補者って、まさか人間なのか?」
「半分は不正解かな。彼は人であって人じゃない。死して黒竜に成り得る、この世で唯一無二の存在だ」
は、と息が漏れた。黒竜は数百年も前にすでに滅亡したはず。しかも人が死んで竜になるなど、夢物語にしても馬鹿げた話だ。
思わず、腰の剣に手をかける。
「意味が分からん。魔界の王ともあろう者が、くだらない作り話で時間稼ぎをせねばならぬほど、賠償金の請求が怖いのか?」
「怖い? ──ははは。金貨など、欲しければ一万だろうが百万だろうが、いくらでもくれてやるさ」
魔王が玉座を立つ、その背に再び雷鳴が轟いた。
「わたしが背負ってきた面倒な負の遺産を、彼が肩代わりしてくれるのなら、ね」