表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
73/78

22.シュカ

 大きく木が揺れ、雨しずくと木の葉がパラパラと落ちてきた。

 ついでに、


「ぴゃっ!」


 という声と、小さな影。


 猿も、いやフクロウも木から落ちるか。慌てて受け止めると、予想に反して手足付きだった。

 結い上げた髪も服も、マシェリを見てぱちくりさせた目もぜんぶ緑色。ギザギザの葉の形をした髪飾りだけが朱色の、二、三歳くらいの女の子。


(……人? それとも魔物、かしら)


「ごっ、ごめんなしゃい。あああのっ、わたちは大切なお遣いの途中なのでっ、そのっ。お、おろして……くだしゃい」

「え? あっ、ごめんなさい」


 真っ赤な顔で懇願され、ついつられて頰を赤らめる。──可愛い。

 やけに軽いし、体が僅かに光っているところをみると、少なくともただの人間ではなさそうだ。

 いずれにせよ、ウィズリーに聞けば分かるだろう。そっと地面におろすと、小さな水溜りに足がついた。


「ひゃっ! み、みず。水はダメでしゅ!」

「ああ、裸足ですものね。でも雨が降ってるから、地面はどこも濡れているのよ」

「……そう、でしゅか」

「もう少し、わたくしの腕で雨宿りしていく?」

「はっ、はい! ……よろしく、お願いしましゅ」


 頭をペコリと下げ、おずおずと小さな手を伸ばしてくる。その肘に、僅かに血が滲んでいた。


(さっき、枝か何かで擦りむいたんだわ)


 罪悪感で胸が痛む。急いでハンカチを出し巻いてやると、女の子がじぃっと見つめてきた。


「これ、お姉しゃんのお名前でしゅか? ふたつもありましゅ」

「いいえ。わたくしはね、マシェリというの。この刺繍はわたくしの愛する方の、大切なお父様とお母様のお名前なんですのよ」

「お父しゃんとお母しゃん……大切、なんでしゅね」

「ええ。……そうだ、貴女のお名前はなんておっしゃるの?」

「お名前……。シュカ、でしゅ」


 語尾のクセを予測していたのか。かなり先見の明のあるご両親だ。

 ハンカチを結び、シュカを再び抱き上げたところにバサバサと羽音が近づく。


「わしは知らん」

「知らんって、ウィズリー様はこの森の番人なのでしょう?」

「知らんと言ったら知らん。おそらく精霊の一種じゃろうが、魔眼のほうにも反応がないしな。何より気配が弱々しすぎる」

「弱々しい?」

「生まれたばかりか死にかけか。どちらにせよ、そいつは長くは保たん。放っておけ」

「お断りいたしますわ」


 怪我人、それもこんな小さな子どもを、魔物だらけの森になど捨て置けるか。

 雨が弱まったところを見計らい、マシェリはさっさとシュカとともに馬車へと乗り込んだ。


「シュカ。もしよろしければわたくしに、貴女のお手伝いをさせてくださらない?」

「……え……」


 不安で光の揺れる瞳。

 テラナ公国に置いてきて久しい、三歳下の妹を思い出す。


(サマリー、また薔薇の棘を触ったりしてないかしら。何もないところで転んだり、迷子になって……ひとりで泣いてたりはしないかしら)


 いつも、心配と不安ばかりが頭をよぎる。──やっぱりダメだ。隣に腰掛けたシュカの手をきゅっと握り締める。


「嫌ならせめて、この森の外まで送らせて。でないと、わたくしのほうが心配で帰れないの」

「ふぇっ? あ、あああのっ、その」

「なんじゃ、そいつを口説いとったのか? 悪趣味だな小娘」


 脚で器用に扉を開け、ウィズリーも馬車に入ってくる。からかい口調だが、不機嫌ではなさそうだ。

 これならきっといける。咳払いを一つし、きちんと座り直す。


「いいえ。わたくしが口説きたいのはウィズリー様だけですわ」

「ほう。悪寒がするな」

「まあ大変! 魔王城まで送り返し、もといお送りいたしましょうか? もちろんウィズリー様お一人だけですけれど」

「ほほう。……ああいかん、鳥肌まで立ってきた」

「それは元からじゃありませんの」


 つい冷め切った口調でつっこみ、ハッと口元を押さえる。

 よりにもよって自爆とは、まだまだ修行が足りないようだ。ガックリ落としたマシェリの肩に、ウィズリーがふわりと留まる。


「心配するな。下手な小芝居などせずとも、そいつはちゃんと送ってやる」

「! よろしいんですの? ウィズリー様」

「もしダメと言ったら、そいつと一緒に歩いて行くつもりだったろう。お前さんを放っておいたら、魔界が洪水になりかねん」


 窓の外には再び、大粒の雨が降り始めていた。

 魔界の天候は魔王の心を映す鏡。

 ふと、魔王城に向かうグレンとビビアンの後ろ姿が思い浮かぶ。


 心配だが、不安は微塵もよぎらなかった。


「あら。わたくしには、恵みの雨にしか見えなくってよ?」

「なるほど。感じ方は、生きてきた環境によって変わるか」

「雨……マシェリしゃんは、好きなんでしゅか?」


 魔本をよいしょと膝に乗せ、シュカが潤んだ瞳で見上げてくる。

 マシェリはその皮表紙と、お団子頭を順番に撫でた。


「もちろん好きよ。だって水は、すべての生命の源だもの」

「……いのち……」

「ほう。好きなのは、『水』で良かったのかの? 小娘」

「ええ。これ以上の言葉を引き出したければ、殿下と帰国後、フランジアの王城までお越しくださいませ。ウィズリー様」


 きっと、魔王城でその言葉を告げることは永遠にない。


 雨を縫うようにして飛び回る、紅い影を目で追いながら、マシェリはふっと微笑んだ。

 雨なのに、気分はなんだか晴れ晴れとしている。


「風船が舞い戻ってきたようじゃな」

「気付いてらっしゃったの⁉︎」

「ただの独り言じゃ。そいつを送るにせよ、どこかに寄り道をするにせよ。ここにいるより、馭者席にいたほうが都合がいいと思うがな。わしは」

「……! ありがとうございます」

「礼などするな。これはあくまで独り言なんじゃから」


 くるりとそっぽを向いた顔が、少し照れているように見えた。


「独り言ですが、ウィズリー様とこの森で知り合えて本当に良かったですわ」

「シュ、シュカも」

「は⁉︎ なんでお前がそこに出てくる!」


 再びくるりとこっちを向く。慣れはしたが、不意打ちで見るとやっぱり不気味だ。


「……シュカ、雨もお水も大好きだけど、触っちゃダメで。マシェリしゃんが連れ出してくりぇて、フクロウしゃんが馬車に乗しぇてくりぇなかったら、今ごろ一歩も動けなかったでしゅ。だから……ありがとうございましゅ」

「シュカ……」


 椅子に正座し、ぺこりと頭を下げる。


 赤い眼を大きく見開いたウィズリーは、「勝手にしろ」とぼそりと呟き、窓の外を眩しげに見上げた。




評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ