15.魔界列車(前)
「夜なのに、けっこう混んでますのね」
明るい街灯が照らす駅の停車場は、列車の到着を待つ人々でごった返していた。
グレンのエスコートで馬車を降り、辺りを見回してみると、そのほとんどが白や黒のローブ姿。肩には使い鳥を乗せている。どうやら皆、魔術師らしい。
「ああ、列車が来たみたいですね」
「すごいわ。あんな大きなものが空を飛ぶなんて……どういう仕組みなのかしら」
感心しながら、星が瞬きはじめた夜空を見上げる。
十三両編成だという漆黒の列車は、左右に大きくくねりながらゆっくりと下降し、停車場近くにある石畳の広場に到着。
馬車などとは違い、全く音もなく静かな停車だ。
「巨大な飛竜の魔石を動力源にしてるとか、太古の秘術が車両全てに刻まれてるとか。色々と憶測が飛びかってはいるけどね。残念ながら、今のところ公表はされてないんだ」
「どこぞの魔術師が太古の飛行術式を発見し、魔王が完成させたというのが一番有力な説です。その証拠に……ほら。あそこに赤竜紋が刻まれてるでしょう?」
「え? どこに……」
ビビアンの指差したほうを振り返る。──と。目の前に突然、薔薇の花が咲いた。
「きゃっ⁉︎」
「失礼、お嬢さん」
シルクハットの下からのぞく灰色の目を細め、マシェリを見る。
白い服に白い髪。高く尖った鼻も唇も、全体的に色素が薄い顔立ちの男性は、大きな花束をふわりとマシェリに手渡してきた。
(人……間? それとも)
「ああ。やはり貴女には、深紅の薔薇がよく似合う」
「とても嬉しい誉め言葉ですけれど……こんな豪華な花束、受け取る理由がございませんわ」
タダほど高いものはない。早々に突っ返すも、男はなおも花束を押しつけてくる。
「そう仰らず。実はわたし、とある御方をお迎えに上がったんですけれど、今しがた不必要になってしまいましてね。この花束、捨てるかどうか迷っていたところなんです」
「まあ、捨てるだなんてもったいないわ! それならわたくし、有り難く頂戴いたします!」
「! マシェリ?」
「おお、受け取ってくださいますか。良かった。これで心置きなく帰れます」
花束を手放すと、心底ホッとした顔で男性が言う。
一瞬、マシェリの胸に違和感がよぎった。
けれども、それが何なのかがよく分からない。
首を傾げつつ花束を胸に抱き、シルクハットを掲げて歩き去った男性を見送る。
「見知らぬ方から物を貰うなんて……少し軽率すぎたかしら」
「ええ、それはもう。空気やら貴女のオツムやらと同じくらい軽いですね」
しれっと冷ややかに、黒い顔がマシェリを睨む。
「そうだね。あまりに警戒心がなさすぎる」
「……!」
「ケ、ケルトまで? ──ひどいわ、置いて行かないでくださいませ!」
マシェリは、スタスタと先を行く三人を慌てて追いかけていった。
一行が乗り込んだのは、列車の最後尾である13号車。ゆったりした座席の他、寝台やシャワー室まで完備。豪華な車両に入るなり、グレンとビビアン、ケルトまでが腕組みをしてマシェリを取り囲む。
「あ、あの……。なぜ皆んな、そんなに怒って」
「当然だよ。いいかい? あの駅には魔界に向かう魔術師のみならず、魔界からの来訪者も少なからず紛れているんだ」
「さっきの花束にはさいわい、何の仕掛けもありませんでしたが、次はどうか分かりません。くれぐれも用心してください」
「! ……!!」
「よ、用心ってわたくしが? どうして」
「そんなの決まってる。──たとえ前世の契約だとしても、君があの、難攻不落の魔王の婚約者だからさ」
「殿下……?」
珍しく鋭い目つきで、グレンがマシェリを見つめてくる。
「あの魔王は、病的なほどの幼女趣味。それは君も知ってるだろう?」
「ええ。……まあ、あまり知りたくありませんでしたけれど」
あちこちから風の噂で耳にする上、幼女の姿で魔界に行った時、実際に魔王からあからさまなアプローチを受けている。
(国境で見た幻……というかあれは、魔王に求婚された前世の赤髪姫の記憶? そういえばあの時もたしか、十歳くらいの少女の姿だったわ)
しかし──だとすると、魔王に先駆けて婚姻していたヴェラドフォルクのほうが、より重度の幼女趣味だということになる。
竜の化身にはそういう性癖の奴しかいないのか。背筋に悪寒が走ったマシェリは、思わずブルッと身震いした。
「かなりおぞましい話なのですが、残念ながら事実です。そのせいか現在の魔王は火竜として生まれてから数千年もの間、一度も結婚したことがない。だからもちろん子どももいません。……ここまで聞けばカンの鈍い貴女でも、わたしたちの言わんとすることがお分かりでしょう」
「……」
「……もしかして、お世継ぎ問題?」
理由は違えど、状況は一年半前のグレンと同じか。
いくら長生きな竜でも、いずれはヴェラドフォルクのように寿命が尽きる。魔王が幼女ばかりにうつつをぬかし、いつまでも結婚しないでいる現状は、魔界に住む者たちにとって、かなり深刻な問題なのかもしれない。
「その魔王がたった一度だけ、結婚を望んだ相手がいる。──それが、君の前世の赤髪姫なんだ」
「魔界の上層部は、やっきになって貴女を攫おうとしてくるでしょう。いつ何時、どんな手段に出てくるか分からない。これから先の道中、決して気を抜かないでください」
「……、……?」
ケルトが『分かった?』と言わんばかりに、ひょいと顔を覗き込んでくる。
じっと見てると吸い込まれそうな、蒼い瞳。今にも涙がこぼれ落ちんばかりに潤んでいる。
それほど心配してくれたのか。感動し、思わず頰に手を伸ばす。
(柔らかくて、あたたかい……というか、熱い⁉︎)
「た、大変! ケルト、また熱が上がってきてるわ!」
「なんだって? 風邪、治ったんじゃなかったのか」
「わたしは係の者に飲み水を頼んできます。申し訳ないが、マシェリ様はバスタブに水を張っておいてください」
「ええ、分かりましたわ」
マシェリは慌てて浴室へと向かい、水栓のコックをひねった。
落ち着かないので、貰った薔薇の花びらをちぎって入れつつ水が溜まるのを待つ。
飛沫のあがる水面を見下ろすと、映っているのは、まるで染め上げたような深紅の髪。幼い頃は近所の悪ガキたちに、魔女だの捨て子だのとはやしたてられた。
(そういえば、火竜は赤竜とも呼ぶのよね)
もしかしたら魔王も、グレンと同じく赤が好きなのかもしれない。
「いざとなったら黒く染めるか、髪を根元からバッサリ切り落としちゃおうかしら」
うんうん頷きながら、コックを戻し水を止める。
落ちた雫が波紋になると同時に、クスクスと笑う声が浴室に響いた。
『それは少し困るな。この赤髪は、わたしの大切なものだ』
「……え?」
水中から伸びてきた手が、肩に垂らしたマシェリの髪にするりと触れる。
ハッとして見下ろすと、薔薇の浮かんだ水面に映る黒髪の男性と目が合った。




