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14.竜の分身

 マシェリたちが通された大広間は、煌びやかな装飾と調度に埋め尽くされていた。

 金細工の枠に縁取られた大きな窓。浮き彫りの施された壁と、白い大理石の床。天井には空と天使が描かれ、自動点灯式のシャンデリアがぶら下がっている。


 十人がゆったり座れる長テーブルに腰をおろすと、侍女がすぐに紅茶のワゴンを引いて入って来た。


「皆様、長旅でお疲れでしょう。まずはお茶をどうぞ」

「お気遣いありがとうございます」


 礼を言い、紅茶を一口含む。──美味しい。


(初めて飲む紅茶だわ。香りが少し強めで、ハーブティーに近い)


「これはね、疲労回復に効くお茶なの。あと癒し効果」

「最近、こればっか飲んでますもんね。大公妃殿下は」

「あのふたりの相手をしてたら、疲れもするわ。……まあ、今回の件は前もって貴方に探らせていたおかげで、なんとか事なきを得ましたが」


 ため息交じりにカップを皿に戻すと、オリビアは杖を手に立ち上がった。


「ランプの契約はとりあえず置いておいてもいいかしら? 早急に、お話しておきたいことがありますの」

「僕はもちろん構わない。ビビアンとマシェリも異論はないだろ?」

「御意」

「ええ、是非お聞きしたいわ」

「……」


 マシェリの隣で大人しく紅茶をすすっていたケルトも、コクリと頷く。

 水の擬態を解き、オリビアから借りた末の公子の服に着替えた姿は七、八歳くらいの美少年。相変わらず無言を貫いてはいるが、ちらちらとマシェリを見る顔はどことなく嬉しそうだ。 

 手を伸ばし翡翠色の髪を撫でると、頰を染め、手のひらに頭を擦り付けてくる。


(かっ、可愛いぃいい。……なんだか、よく見ると殿下に似てる気もするし)


 見た目も仕草もまさに天使だ。つい、ニヤニヤしてしまう。


「本当に、仲がよろしいのですね。ふたり……いえ、ひとりと一頭と言うべきかしら?」

「も、申し訳ありません。お話中に」

「構いませんわ。それでこそ水竜を手懐け、人界を飢餓から救った赤髪姫の生まれ変わりに相応しい」


 オリビアがマシェリにふっと微笑み、手にした杖を水平に構える。

 時計と同じ数字の刻まれた金色の魔法陣が出現。杖が短針と長針に変化し、中央でクルクルと目まぐるしく回転を始めた。


「〝今この時より、内と外との時間を(ほど)き、閉ざさん〟」


 針が十二時で重なった瞬間、ピタリと止まる。

 大広間の中の様子に何ら変化はない。だが廊下から漏れ聞こえていた侍女たちの話し声や足音、ワゴンを引く音などが途切れ、辺りがシンと静まりかえった。


「さ、これでもう鼠一匹入れませんわ。魔王様にも聞き耳は立てられなくってよ」

「でもこの結界、もって一時間が限度でしょ? 魔力の消費量ハンパないし」

「良いのです。ここでしたかったのは〝血の盟約〟の話のみですから」


 ルドガーに応じながら席に着き、再び紅茶のカップを傾ける。


「最近、マシェリ様をめぐる魔王様の動きが活発化しているのは、おそらく、ヴェラドフォルク様が亡くなられたせいです。あの方の魔力で生み出した蒼竜石でなければ〝蒼竜の加護〟は完成しない。……魔王様を阻むものは、もう何も無いのですから」

「つまり、僕らが亡骸を見つけ出せたところで、意味はなかったということか」


 グレンが険しい顔で呟く。


「ええ。ヴェラドフォルク様が、右眼を蒼竜石として遺しておいてくだされば話は別ですが……あまり期待はもてませんわ」

「わたしもそれには同感です。彼にもしその気があれば、初めから両眼を魔石に変えてるはずですから」

「千年以上生きた老竜だし、耄碌しててもおかしくないもんね。それとも、魔王様がヴェラドフォルクの記憶を消しちゃったか。赤髪姫の生まれ変わりと再び出会っても、結ばれることのないように、ってね。──あの魔王様、幼女趣味な上にけっこう小心者だから」

「口を慎みなさい、ルドガー。あの御方は火竜の化身。小心者などではなく、用心深くて狡猾なだけなんですのよ」


(……幼女趣味は否定しないんですのね)


 思わずため息が出る。どちらかと言えば、そっちを否定して欲しかった。


「そんなにガッカリなさらないで、マシェリ様。まだ希望は残されてるんですから」

「希望……?」

「ええ。──さ、左手を貸してくださいませ。ケルト様もご一緒に」

「……?」


 促されるまま、怪訝な顔のケルトと左手を重ね合わせる。

 そのとたん魔力の風が渦巻き、互いの手の甲に蒼竜の紋がくっきりと浮かんだ。


「!!!」

「ど、どうして蒼竜石の祝福がケルトに?」

「……違う。僕としてはあまり認めたくないけど、この蒼色の鮮やかさは〝神の祝福〟だ。マシェリが赤髪姫の生まれ変わりだとすれば、この紋が浮き出る相手はヴェラドフォルクしかいない」

「なるほど。〝神の祝福〟は、肉体ではなく魂に刻まれるもの。死して転生しようが『檻』を出入りしようが、消えて失くなりはしない、か」

「これで確定ですわね。ケルト様は間違いなく、ヴェラドフォルク様の分身だわ」 


 オリビアがにっこり微笑む。満足げだが、マシェリにはさっぱり状況が呑み込めない。隣のグレンにそっと耳打ちする。


「分身、って……一体なんのことなんですの?」

「竜は魂の一部を利用し、自分とそっくりな分身体を作り出せるんだ。小さく縮めて呪いの材料にしたり、受肉し、身代わりとしても使える。……もっとも僕は、本体が死んでも存在できるとは知らなかったが」

「人型に化けたり、『檻』から出たり。魔力の強い竜とはいえ、たかだか三十年かそこら生きたくらいで使いこなせる魔法ではない。……半信半疑でしたが、貴女の読みが当たりましたね。大公妃殿下」


 珍しく、ビビアンが感服したように言う。顔が黒いので表情は少々分かりづらい。


「ええ。本体と分身体の魔力は全く同一のもの。ケルト様の魔法であれば、蒼竜石の生成が可能なはずですわ」

「……」


 ケルトは、オリビアから熱い視線を受けてもただただ黙りこくっている。

 愛想ひとつないが、怯えて泣く様子もないのだけは幸いだった。


「用心深い、ねえ。……竜の分身を見逃すあたり、けっこうマヌケだと思うんだけどなあ。魔王様って」

「魔王様がマヌケというより、きっと、ヴェラドフォルク様のほうが一枚上手だったんですよ。記憶を奪われることを見越しあらかじめ誰かに依頼しておいたか、来るべき時がきたら作動する魔法でも施しておいたんでしょう。……おそらくは魔王の目となる魔物のいない、人界で」


 そう言いつつフェイスベールをめくり、紅茶をすする。──相変わらず勘の鋭い男だ。

 巻き戻り前の世界では、このビビアンがわざと封印のしおりを魔本から外したのでは? と疑った時もあった。


(けれどもし、あれがヴェラドフォルク様の残した仕掛けだったとしたら)


 あの時、咥えてきたのが水竜の卵ではなく、竜の分身だったとしたら。あるいはリリアかアイリスの手によって、密かにすり替えられたのだとしたら。

 すべては憶測だ。でも、真実とそう遠くない気がする。


「いずれにせよ一刻も早く魔界へ行き、ヴェラドフォルクの亡骸を捜索しなければ。魔物に右眼を喰われでもしたら困る」

「それはわたくしにお任せを。ルシンキ公国の最新にして最高傑作の魔道具、魔界列車の最終便を一両貸し切ってあります。通常のトンネルの三分の一、わずか二時間で魔界に到着いたしますわよ」


 にっこり微笑み、オリビアが黄色の切符を差し出してくる。

 金の縁取りに金文字。ルシンキの国色が金色のためか、どれも見事な金ピカだ。


「お心遣いありがとうございます。……けれど、どうして大公妃殿下はわたくしに味方してくださるの?」

「それはもちろん、人界の平和のためですわ。貴女が魔王様に連れ去られるのを傍観してたら、きっとケルト様はわたしたち人間を決して許さないでしょう」

「……、……」


 穏やかに告げるオリビアの言葉に、ケルトがこくこく頷いた。──やっぱり可愛い。

 思わず抱きしめ、頭をぐりぐり撫でる。グレンの視線が少し痛いが、構わず撫で続けた。


「たしかに。神を敵にまわすより、小心者の魔王様に睨まれるほうがまだマシだもんね」

「ルドガー。聞こえてないからと、あまり軽口を叩くものではありません。不敬ですわよ」

「不敬? 人界に住むすべての人間を盾にして、愛する女を脅すような男ですよ? 魔界の王だか何だか知らんが、敬ってやる必要なんかないでしょう」


 真剣なのか巫山戯(ふざけ)ているのか今ひとつ掴みづらい雰囲気で吐き捨て、ルドガーはテーブルを立った。

 ローブの袖口から深紅の本を抜き取り、マシェリの前に置く。


「魔界は広いし、空から探索するのが一番だろう。滞在中、俺の弟子としてこの〝クク〟を使うといい」

「ありがとうございます。師匠」

「どういたしまして。旅の無事を祈ってるよ、林檎姫」 


 固く握手を交わす。思えばこのルドガーとの出会いも、不思議な巡り合わせだった。


(帰ったら、改めて弟子になろうかしら)


「いつまでマシェリの手を握ってるの? エロ魔術師」

「……!」


 グレンとケルトが揃ってルドガーを睨む。


「あらあら。ルドガー、貴方のせいで人界の危機が訪れてしまうかもしれなくってよ?」


 ころころと笑うオリビアの背後で、時計の針が杖へと戻る。──次の瞬間、窓の外が明るく光った。

 ガタンガタンと響く音とともに天井のシャンデリアが大きく揺れ、落ちてきやしないかと冷や汗をかく。


「あっ、ほら。あれが魔界列車だよ」


 ルドガーが指差した窓の外を横切る影は、大きく長く、まるで天翔ける大蛇のようだった。


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