表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
64/78

13.人と魔物(後)

「どちらだろうと、貴方に選ばれる(いわ)れはありませんわ」

「ほう。噂どおり、なかなか気の強い女だな」


 胸を張って言い切るマシェリを、大公は鼻で笑った。

 フランジアの国王と同じくらいの年齢のはずだが、顔のシワが深く少々老けて見える。その上、日に焼けたのかはたまた酒の飲みすぎか。全身の肌が妙に浅黒い。


「褒め言葉と受け取っておきますわ。それと、わたくしはマシェリ・クロフォード。赤髪姫などではございませんわよ」

「ふふふ、これは失敬。……しかしマシェリ嬢、君の前世である赤髪姫が魔王様と婚姻契約したのは事実だ。このまま無視し続ければいずれ、水竜が魔界に連れ戻されてしまうかもしれんぞ」

「ご心配には及びません。魔王様との婚約は解消するつもりですもの」

「解消するだと? 何を馬鹿な」


 ため息交じりに「やれやれ」と、大袈裟に手を広げてみせる。


「話にならん。君は、自分ひとりが幸せになれれば、人界の皆が飢餓で苦しんでもかまわないというのかね?」

「貴方……わたくしに、喧嘩を売ってるんですの?」


 したり顔で語る大公を、据わった目で睨む。──握りしめた右の拳が熱い。

 使い鳥を『檻』に閉じ込めた時と、ごく近い感覚だ。


(でも、あの時よりもずっと強い)


 手というか、全身に魔力が(みなぎ)ってくる。


「お巫山戯(ふざけ)は大概になさってください、大公閣下」

「僕らがこの国に来た目的は、魔石ランプの契約のためだ。貴方の悪戯に付き合うためでも、くだらない寝言を聞きに来たわけでもない。さっさと交渉の席を用意してくれ」

「ランプの契約など、そちらの言い値でかまわんさ。マシェリ嬢が大人しくこの『檻』に入ってくれるのならな」


 (いさ)めるビビアンとグレンの話に耳を貸さず、拾い上げた魔本をポンポンと愉しげに叩く。


「いいかい。よーく考えてごらん、マシェリ嬢。君の賢慮(けんりょ)で人界の未来は救われるんだ。……わたしも、魔界での発掘権を得られるし」


 本音はそれか。マシェリの中で、何かがキレた。


(少しは反省するといい)


 右手を大公に向けてかざす。

 無意識ではなく、明確に『檻』へ閉じ込める意思をもって。


「は……」

「……!」


 詠唱しかけたマシェリを、温かい手が掴んで止める。

 唇が『ダメ』と動き、衛兵の帽子がパサリと落ちた。


 背中に流れる翡翠色の輝く髪。絵画から抜け出した天使のような、おそらくは今まで出会ったこともない美少年。

 けれど、この綺麗な蒼色の瞳だけには見覚えがある。


「……ケルト?」


 気付けば、白い頰に手を差し伸べていた。


 指先に伝わってくる、温くて柔らかな感触。──幻などではなく本物の人肌だ。目をぱちくりさせるマシェリの傍らで、グレンが微笑む。


「やっぱりそうか。妙に僕と魔力の波長が似てると思った」

「気付いてらしたんですの? 殿下」

「うん。竜の魔力は強いし、とても独特だから。姿形は人間そっくりに擬態できても、隠し切るのは相当難しいよ」

「もっとも、気付いたのは殿下とわたしだけのようですがね。……しかし、どうして衛兵の格好を?」

「……」


 ケルトが長い睫毛を伏せて俯き、唇を噛む。


「もしかして、まだ言葉は話せないんでしょうか」

「にゃ、にゃにゃーお」


 怪訝な顔で小首を傾げるビビアンを、床にちょこんと座ったサラが見上げる。

 それを見たグレンが「ふむ」と顎を撫でて考え込み、ポンと手を打つ。


「そうか、分かった。──ケルト。人間の声帯は竜と違うから、声を出しても大丈夫だよ」

「…………」

「……喋りませんわね」


 というか、さっきから目をまったく合わせようとしない。


(まさか、まだ体調が悪いのかしら)


 そういえば、やけに手が熱い気がした。不安に駆られていたところへ、グレンがそっと耳打ちしてくる。


「ケルトはたぶん、君に怒られると思ってるんだよ。勝手に抜け出して来ちゃったから」

「わ、わたくしはそんなこと……! 怒ってるのはむしろ、ちゃんと見張ってなかったイヌルに対してですわよ」

「分かってる。でも、今はそっとしておこう。体調とか、あとで色々と聞きたいこともあるし」

「……ええ。分かりましたわ」


 そっぽを向いたままのケルトを、ちらりと振り返る。──せっかく、話ができると思ったのに。


(まあでも、今はこっちもそれどころじゃないか)


「何をそっちでゴチャゴチャ話してるんだ? わたしの話はまだ終わってないぞ、マシェリ嬢」

「話はもういいでしょ、お父様。さっさと赤髪姫を閉じ込めちゃってよ。早くしないと、お母様が帰って来ちゃうじゃない」


 四方を魔法陣に囲まれたライアが、眉を吊り上げ、結界の隙間からマシェリを指差す。

 その手を、ルドガーが本の角で押し返した。


「こらこら、人を指で差しちゃダメでしょ。……さて、そろそろこの場をおさめてもらうか」

「紋章付きの黄色い魔本……もしやそれは、ルシンキ公族のものですか?」

「そ、正解。さすが宰相様だねえ。実はこれ、やんごとなき御方からの預かり物なんだ」


 白い歯を見せ、ニカっと笑う。


「やんごとなき御方?」

「うん、その御方がね。自分の預かり知らぬところで、大公閣下やライア様が魔王様と何か闇取引きをしたらしいって、俺に相談を待ちかけてきたのさ。だ、か、ら。俺がふたりの尻尾を掴むまで、この中に隠れててもらったってわけ。本人はお茶会に出かけたフリをしてね」


 ルドガーが口元を押さえ、くすくすと笑いながら魔本を床に置く。

 それを見た大公の浅黒い顔が、サッと青褪めた。


「まっ、まま、まさか……それ、は」

「ええー? やだなあ大公閣下、そんな引きつった顔しないでよ。愛する妻との感動の再会なのにぃ。ほら、笑って笑って」


 黄色の魔本を開くと、大公がすごい速さでその場に平伏し、頭を床につける。


「わ、わたしが悪かった! 頼むから許してくれえぇ、オリビア」

「ふふふ。嫌だわ、あなた。お顔を上げてくださいな」


 光とともに本の上に出現した美女が、ころころと笑いながら大公を見下ろす。

 ライアと同じく、長い金髪に金ピカのドレス。小柄でとても愛らしいが、底知れぬ威圧感がある。さっきまで威勢のよかったライアも、怯えきった顔で目を見開き、結界の隅でガタガタと震えだした。


(周囲の空気が歪んで見えるのは、彼女の魔力のせいかしら)


「今はお客様がいらっしゃいますもの。そんな必死に謝らなくても、お仕置きなんていたしませんわよ。後からゆっくり、ね?」

「ひいぃい! ま、待って……」


 泣き縋ろうとする大公を冷めた目で見下し、パチンと指を鳴らす。

 一瞬で大きな体が霞と消え、黄色の魔本が光った。


(杖も詠唱もなしで『檻』に入れた? ……大公妃殿下のオリビア・グリ=ルシンキ。聞きしに勝る魔力の持ち主だわ)


 大事な用のため今日は会えないと聞いていたのに、まさか居留守だったとは。マシェリは少々複雑な思いで、スタスタとライアに歩み寄っていくオリビアを目で追った。


「お、おかえりなさい、お母様」

「ただいま、わたくしの可愛いライア。どうしたの? こんなところに閉じ込められちゃって」

「ちっ、違うの。わたしはまだ何もしてないわ! なのに、魔王様から呼び出し状が届いてしまって……お母様、願い! いつもみたいにわたしを助けて!」

「……そう。貴女の言い分は、よく分かりました」


 艶やかな唇が、わずかに弧を描く。


「ルドガー。この子、今すぐ貴方の『檻』に放り込んで、魔王城に送ってくださる? できれば速達で」

「はーい。間違いなく承りました」

「お、お母様⁉︎ どうして」

「どうして、ですって? そんなの、決まってるじゃない」


 満面の笑みのまま、ライアに杖を突きつける。


「人界には人界の、魔界には魔界の法規(ルール)があるの。守れない者が罰を受けるのは、当然の報いでしょう?」


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ