12.人と魔物(前)
「神を賭けの代償にはできない、か。だったら水竜の代わりに、お前がわたしに飼われてみるか?」
ライアが厭らしく笑い、杖先でマシェリの顎を持ち上げる。
これ以上の対話は無意味か。マシェリは杖を振り払うと、上目遣いでギロリと睨んだ。
「どちらもお断りですわ。……というか、賭けをすることじたい不可能でしょう」
「……は? どういう意味だ、それは」
「こういう意味だ。──上、見てみろ」
眉間のシワを深くしたグレンが、宵闇の空を指さす。
次の瞬間、稲光が走った。しかも続けざまに二回。
「こ、これ……は? まさか」
ポカンと見上げるライアの手元に、ヒラヒラと四角い何かが舞い降りてくる。
(怖いくらいに素早いわね)
覗き込み、ふっと微笑む。
無記名の赤い封筒。おそらくは、魔王からの呼び出し状だ。
「ライア様、貴女……使い鳥を飼うにあたり、魔王と契約を交わしたでしょう? 売り買いはもちろんのこと、傷付けたり、賭博目的で利用する行為は重大な契約違反。未遂だとしても、きっとただでは済みませんわよ」
「そっ、そんなことくらい、わたしだって重々承知している! し、しかし、今回はきっと見逃してくださると……なのに、どうして」
長い金髪を振り乱しながら喚き、ライアは地面に座り込んだ。
集まっていた野次馬たちも、少々気まずげな顔で目配せしつつ、立ち去っていく。
とりあえず、これで一件落着だろう。
慌てて駆け寄る護衛にライアを任せ、マシェリはグレンとビビアンの元に戻った。
「魔王様の落雷、今日はありませんでしたわね」
「当然です。平和条約がある以上、魔王は本来、人間に手出しはできないんですから」
「そう。だから、君の家に落ちたのは例外中の例外なんだよ」
そう言ってグレンが顎をさする。考えごとをする時の、いつもの癖だ。
(例外……といえば)
「さっき、ライア様が言ってた『見逃す』って、一体何のことなのかしら」
「うん。僕も今、それを考えてた。魔王は、すべての魔物を統べる竜の化身。魔界の法を司る者でもあるし、金や媚びでどうにかできる存在じゃないと思うんだけど」
「……いえ。魔王をどうにかできる方なら、ここにひとりだけいらっしゃいますよ」
ビビアンに真顔で指さされ、「どこに?」と言いかけた口が開けっ放しになる。
「わ、わたくし?」
「ええ。実は今日、城に入った時からずっと違和感を覚えてたんです。落とし穴や襲いかかってくる人型の傀儡。ただの悪戯にしては、少々手荒すぎるんじゃないかと」
「まさか、初めからマシェリを狙ってたっていうのか?」
「それは分かりません。とりあえず、いったん城に戻りましょう。ランプの契約ついでに、大公閣下を事情聴取しなくては」
「それなら俺も付いていくよ」
ホウキに跨り、空から降りてきた白ローブが、ふわりと地面に着地する。
「ライア様、だいぶフラフラだったし。万が一の時『檻』を解錠する、魔術師が要るでしょう?」
マシェリたち三人に、ルドガーを加えた四人。さらに顔面蒼白のライアと、それを支える護衛ふたりを合わせた総勢七人で、ぞろぞろと城の中へ戻っていく。
さほど大きくない三階建ての居城の、二階に大公の正殿がある。ライアが大公を封じ込めた魔本は、正殿のちょうど中央、寝所のテーブルの上にあるという。
しかし、マシェリの左足は魔法の靴。左右のヒールの高さが違うため、正殿に上る螺旋階段が少々しんどい。
(靴、脱いで上れば良かったかしら)
一段上って後悔しかけた時、前を行く護衛兵が手を差し出してきた。
帽子を目深に被っていて、顔が見えない。
「もしかして、手を引いてくださるの?」
「……」
無言のまま、こくりと頷く。
「ありがとう」
「……、……」
再びこくこく頷いた、口元が綻んでいる。少々無愛想ではあるものの、きっと善い人なのだろう。
(手、とても温かかったな)
「マシェリ、何をそんなにニヤニヤしてるの?」
階段を上り切ったところで、後ろからグレンに肘で突っつかれた。振り返れば、頰が見事にふくれている。
どうやら、護衛兵と手を繋いだところを見られたらしい。
「……。何でもありませんわ」
「何でもなくはないでしょ? すっごく嬉しそうな顔して」
「あら。わたくしは今のほうが嬉しくってよ?」
指をからめて手を繋ぎ、にっこり微笑む。グレンが「だったらいいや」とボソリと呟き、少しだけ冷たい手で、きゅっと握り返してきた。
階段わきにある大公の寝室は、金細工が施された大きな扉。
「待っていろ。……今、開ける」
よろめきながら近付いていくライアの前に、ルドガーが立ちはだかる。
「ちょーっと待った。ここは俺が先に行くよ」
「……フン。なんの真似か知らんが、この扉は特殊な魔法術式で閉じられている。わたし以外には開けられんぞ」
「だろうね。まあそれも、本当に閉じていればの話だが」
フードをとったルドガーが、杖を構える。その瞬間、四つの魔法陣がライアを取り囲んだ。
「なっ、何をする⁉︎」
「えー。やだなあ、質問したいのはこっちのほうなんだけど? 君と、扉の向こうで待ち構えてる大公閣下にもね」
「大公閣下ですって?」
「『檻』に入ってるんじゃなかったのか?」
「くそっ、邪魔をするな! ──父上‼︎」
ライアが叫んだ瞬間、金色の扉が両側に開く。
目の前の寝所の入り口に、金髪の大男が立っている。ライアとよく似た細い吊り目。マシェリを見てニヤリと笑い、手にした本をこちらに向けた。
(あれは、もしかしたら魔本?)
「ははははは! 赤髪姫さえ献上すれば、きっと魔王様もお喜びになる。これで、魔界の採掘権はわたしのものだ!」
開いたページは漆黒。強い風が巻き起こると同時に、蒼い石の髪留めが外れ、吸い込まれていく。
たまらず一歩前に踏み出した時、横から肩を突き飛ばされた。
「逃げろ、マシェリ!」
「! 殿下」
「退け、大公! ──さもなくば、今この場で斬り捨てる‼︎」
グレンが剣に魔力を纏わせ、黄色いマントを翻した大公に向かっていく。
その瞬間、大公が僅かに口端を上げた。
ハッとし、手を伸ばしたマシェリの前を黒い影が横切る。
「にゃあっ!」
サラがグレンに体当たりし、剣ごと影で覆い尽くす。マントの裾が触れると、金色の火花が散った。
おそらくはこれも魔道具。裏生地に、薄っすらと魔法文字が刻まれている。
「ふむ。そういえば、宰相どのは影猫使いだったか。……いやはや。フランジア王国は国王や王太子だけでなく、側仕えの者どもも厄介な連中ぞろいで困る」
「厄介なのは貴方のほうです。発明バカで短絡バカ。どうせ魔界に欲しい魔石でもあるんでしょうが……こんな真似をして、ただで済むと思ってるんですか?」
「済むさ。なにしろこれは、人界の誰もが納得する、賢明な判断だからな」
大公が厳つい顔を歪めて笑う。
「神も同然の魔物である水竜と、たかが公国の伯爵家令嬢。人間にとって選ぶべきがどちらかなんて、考えるまでもないことだろう?」




