11.追跡
鼻先には、大小様々な果物のピラミッドが積み上がっていた。
「はい。ごはんだよー、ケルト」
「……」
「あれぇ? リンゴいや? じゃあ、メロンにする?」
(そういう問題じゃない)
湖畔にグッタリ横たわったまま、大型犬にしか見えない水の精霊を睨む。
ある程度の魔力と、意識が戻ったのは二日ほど前。いつの間にか、マシェリもグレンもいない、魔法で創りあげられた偽物の世界に閉じ込められていた。
空も山も湖もあり、出来は決して悪くない。
だがしかし。唐突に水をぶっかけてくる、デリカシーのない犬とふたりっきりは少々ストレスが溜まる。
「今日はねぇ。夕飯まで時間が空いちゃうからって、朝ご飯が少しだけ豪華なんだぁ」
(病み上がりなのに、そんなバクバク食べられるか)
メロンを前足で転がしながら、鼻歌交じりに運ぶイヌルを見てため息をつく。──感謝はしているのだ。
この水の精霊のおかげで鱗は常に潤い、熱も冷め、魔力を取り戻せたのだから。
(ついでにこの『檻』の脱出方法も。なんとなくだけど解明できた)
よっこいせと重い頭を持ち上げ、果物が並んだ祭壇をちらりと見る。
朝と夜の計二回。あのあたりに空間の歪みが発生し、食糧が放り込まれたり、イヌルが出入りしたりしていた。
高度で独特な魔法術式で閉ざされた『檻』は通常、ルシンキの魔術師以外には開けない。だが歪みを繰り返し、弛んだ術式であれば、解くことはさほど難しくない。
ただひとつの懸念は、この『檻』の解除には人の声の詠唱が必要なこと。
あの夜、人型になれたのは、あくまで偶然の産物。少々ドキドキしつつ、覚えたての魔法を試みる。すると二度目の変身は痛みもなく、一度目よりも早くできた。牙が消えた人間の口で、ニッと笑う。
「あれー? ケルト、男の子の姿になってる。いつからその魔法使えるようになったの?」
「つい最近。あ、マシェリたちには内緒だよ」
髪で作った服を纏い、唇に人差し指を当てる。
「ええー? 別にいいけどさぁ、ヴェラドフォルクとおんなじこと言うんだね。変なのぉ」
「竜はねえ。掟とか、色々と面倒くさいんだよ」
「オキテってなに? それって美味しいの?」
首を傾げるイヌルに、苦笑いでごまかす。
『マシェリのキスが惜しいから』とは、さすがに言えない。
「さて。ボクはこれから外に出るけど、イヌルはどうする?」
「んー。ユーリィ様に怒られちゃうから、ぼくは残るよ。ケルトは?」
「え?」
「林檎姫。勝手に出ちゃって怒られないの?」
「……いいや。バレたらすっごい怒ると思う」
なぜかプルプル震えだすイヌルに、ニコッと微笑む。
きっとチーズは禁止されるし、キスどころか、口もきいてくれなくなるかもしれない。
「それでもボクは行く。何か、悪い胸さわぎがするんだ」
弛んだ空間に手のひらをかざす。
「〝解錠〟」
魔本から飛び出した先は、馬車の荷台の中だった。
服と同様、髪から創り出した短剣を手に厩舎を出て、開いていた窓から城の中へと飛び込んでいく。念のための武装だったが、さいわい廊下には誰もいない。
(しかし、目も耳も鈍い人の身体では、マシェリの居場所が分からない。……さて、どうするか)
悩みながら走り、突き当たりの角を曲がると、大理石の床に数体の人形が転がっていた。よく見れば、魔力でできた糸の残滓が手足に残っている。
コイツで探索するか。人形の胸に手を当て、傀儡の魔法術式を埋め込む。さらに髪を一本抜いて杖に変化させ、魔力を糸状にして杖先から伸ばし、人形と繋いだ。
『〝マシェリを探せ〟』
思念を糸に絡めて流しこむ。放った傀儡は合計七体。自分を合わせ、十六もの目で探索可能だ。
(……いや。十五か?)
ふと疑問が湧き、ぴたりと足を止める。
そのとたん、左目に激痛が走った。思わず目元を押さえ、階段わきの壁によりかかる。──動けない。
その肩をポンと叩かれ、ハッと目を見開く。
「おい、お前! ここで一体何をしている?」
(……ああ、ちょうど良かった)
ニィッと口端を上げ、突き出された槍の刃をかわす。
(おかげで目が覚めたよ)
衛兵の頭を掴み、魔力を溜めた水で覆う。溺れない程度に気絶させると、近くにあった部屋に引きずりこみ、服を奪った。
小さいながらも城は城。兵も使用人もそれなりにうろついている。騒ぎにならないよう、目立たない格好で探しまわるに越したことはない。足りない部分は水で補って擬態し、手足の長さや肩幅、身体の大きさを服に合わせていく。
帽子を目深に被ったところで、杖に傀儡からの反応があった。
(外、か?)
窓を振りかえれば既に日は落ち、夕焼けの空が真っ赤に染まりつつある。
廊下に杖ごと傀儡を放棄し、急いで中庭へ駆けていくと、人だかりが出来ていた。
グレンと、顔は白いがビビアンもいる。
その中心にいたのはマシェリと、全身金ピカの背の高い女。
顔立ちは美しいが、だいぶ怒っているらしく、吊り上げた眉をピクピクさせている。
「……何ですって? もういっぺん言ってごらんなさい」
「まあ、嫌だわ。ライア様ったら、わたくしより一つお若いんですのに、もうお耳が遠くなってしまわれたの?」
一方のマシェリは至って平常通り。ケロリとした顔で言い返し、小首を傾げる。
綺麗な蒼色の生地に、金糸で縫い上げられた太陽の刺繍。ケルトには見覚えのない豪華なドレスを身に纏い、珍しく薄っすら化粧をして、紅までさしてる。こちらも見た目はとても美しい。が、いつも以上に圧が強く、違う意味ですごく怖い。
「ッこの……! たかが伯爵家令嬢の分際で、生意気な口をきくんじゃないよ! このわたしが、直々に勝負を挑んでやったんだぞ? それを『くだらない』などと一蹴し、城を出るとは一体どういう了見だ!」
「ライア様。おそれながら、それは……」
「いいから、貴方はすっこんでてくださいませ。ビビアン様」
腕組みをして顔だけ振り返り、背後の宰相を牽制する。
マシェリの新緑色の瞳が、完璧に据わっていた。──やっぱり怖い。
(心配したような緊急事態でもなさそうだし、人垣にまぎれておこう)
ふたりとも声が大きいし、きっとここからでも聞こえる。ケルトは人の輪に近づくと、コソコソと数人の侍女たちの背後に隠れた。
「あれって、赤髪姫ですよね?」
目の前の若い侍女が声をひそめて言う。すると言われたほうの年配の侍女が、「しっ」と諫める。
ケルトは眉を寄せた。赤髪といえば、おそらくマシェリのことだろう。だがなぜ、その呼び名を隠す必要があるのか。
(……なんだろう。また、胸がざわざわする)
何かに惹き寄せられるように、ケルトは一歩前に出た。
「聞こえてないなら、もう一度だけ言って差し上げるわ。勝負は受けないし、貴女には決してケルトを渡さない」
「フン。たかが魔物をペット扱いされただけでムキになって……くだらないのは、寧ろそなたのほうだろう」
「おだまりなさい」
ビリッ、と空気が振動する。
魔力ではなく気迫のみの覇気だが、ライアと野次馬を黙らせるには十分だった。
「水竜は、ただの魔物でもペットでもない。この世界の人間にとって、神も同然の存在ですのよ」




