8.魔術師
「これがクルルの足輪です。ま、予備ですけど」
「すごいわ。こんな小さな魔道具で使い鳥を操れるなんて」
まるで指輪のような、金細工の綺麗な輪っかだ。コロンと手のひらで弄び、マシェリは微笑んだ。
「やだなぁ、そんなことありませんよー。俺なんか、十五にもなって魔物使いしか能のない、ただのしがない魔術師なんですから」
肩まで伸ばした長髪は濃い緑色。髪と同じ色の垂れ目で穏やかに笑い返してくる。
親切な白ローブの少年はルシンキ出身の魔術師で、主に王都で郵便を配達する使い鳥、クルルの飼い主。名前をルドガー。ルドガー・ソドムリプカと言った。
「というか、どうしてクルルがここにいるんだ? 王城で緊急の書簡を頼んでたはずだけど」
ベンチの左側にルドガー、真ん中のマシェリを挟んで、右隣に座ったグレンが鋭くつっこむ。
「ああ、そのことならご心配なく。使い鳥が国を跨いで郵便を届けるのには、管理局への申し出等々、色々と面倒な手続きが必要でしてね」
「じゃあ、これから世界各国の国境へ?」
「行きませんよ。その手続きは一度だけで済むはずです」
いつのまにか、目の前にビビアンが立っていた。
腕組みをし、フェイスベールの上の細い目でルドガーを睨む。
「これはこれは。いつもお世話になっております、ビビアン様」
「挨拶など結構。こんなところで遊んでないで、さっさとクルルを飛ばしてください。高い割増し料金払ってるんですから」
「遊ぶだなんて滅相もない。なにしろ計五ヶ国に飛ばせるものですから、承認が下りるまでに少々時間がかかってしまうんです。……ついでに、ルシンキへの入国申請も出しちゃったし」
「じゃあ、今は待機中なんですの?」
「ええ。たぶんあと三十分くらいは」
緑色の長い尾羽が美しい、クルルがふわりと空に飛び立つ。
(魔道具、ということは……もしかして、わたくしにも使えるのかしら)
使い鳥は索敵能力にも長けていると聞く。もし使いこなせれば、魔界でグレンたちを待つ間、水竜の亡骸探しができるかもしれない。
それに所有権は契約した魔術師側にある。違反行為でもしない限りは、魔王からの干渉を受けないはず。
マシェリは思わず、隣のルドガーの手を取った。
「わたくしに、使い鳥の操り方を教えてくださらない?」
「ええー? 別にいいけど、林檎姫って魔法使えるの?」
「少しだけ。──お願い、師匠」
「師匠、かあ。悪くないな」
ニッとルドガーが口端を上げ、ローブの広い袖口に手を突っ込む。
取り出したのは、ぐるぐる巻きになった真っ赤なリボン。
「これはねー、足輪と同じ作用を持つ魔道具なんだよ。弟子の林檎姫にはこのリボンと、俺が所有してる使い鳥を一羽だけ貸してあげよう」
「はい! 師匠」
「……一体、なんの悪ふざけなんですか? これは」
「さあ? よく分からない」
グレンが至って冷静に言う。
「僕にとって、まったく笑えない冗談なのは確かだけど」
(もしや、逆鱗に触れた⁉︎)
マシェリはハッとし、横目でグレンを見た。
黒髪のすごい美形が無表情のまま剣を掴み、足を組み直す。同時に、背後の屈強そうな騎士ふたりの肩が、ビクッと跳ねた。──これはマズい。
「ごめんなさい師匠。わたくしたちの師弟関係は、今日一日かぎりでお願いいたします」
「うん。よく分かんないけど分かった」
「いい加減ですね、貴方がたは」
ビビアンが呆れ顔で言う。
「宰相様が真面目すぎるんですよ。──この世界のお隣さんには、危険な魔物がわんさか存在してるんだ。頭が少しイカれてるくらいでないと、神経が保たないでしょう?」
ルドガーが不敵な笑みを浮かべ、杖を持つ手を高く掲げる。
ゆらり、と赤い靄が杖先を覆った。その中に、クルルよりひと回りほど小さい、鳩ほどの大きさの深紅の鳥が現れる。
「コイツは〝クク〟。最近、ウチの家に迷いこんできたんだ。女の子だし、とても大人しいからねー。初心者には扱いやすいと思うよ」
「可愛い子ですわね。眼が真ん丸だわ」
「ク、ククッ」
足にリボンを結ぶと、ククがひと声高く鳴き、マシェリの指先に舞い降りてきた。
「お見事。さすが、あの水竜を手懐けただけのことはあるね」
「空を飛ばすにはどうすればいいんですの?」
「まずはククに意識を集中して。そのあとクルルを飛ばすから、その動きについてくるといい」
要は、魔道具の針と糸の応用だった。
クルルを目で追い、動きを真似てククを飛行させれば、回転も急降下も難なくこなせる。
「へえ、相当筋がいいな。ついてくるククが速すぎて、クルルのほうが少し困ってるよ」
「ありがとう。でも、そろそろ魔力切れのようですわ」
想像した羽ばたきと現実とのズレが、大きくなり始めている。
いつものクセで、少々無茶をしすぎたようだ。
「すごいな、もうそこまで分かるのか。じゃあ、いったん休憩させるから、この魔本に誘導して」
「分かったわ」
頷いたとたん、ほぼ無意識に右手が動く。
「──入れ」
かざした手の甲に、赤竜紋が浮き出る。
その瞬間、羽ばたきを止めたクルルとククが空から落ち、黄色の魔本の中へと吸い込まれた。
「チッ。例の血盟の影響か!」
グレンがこちらへ向かって駆け出すのが見えた。
(ダメだわ。意識、を……保っていられない)
左足に履いた魔法の靴の周囲に、強風が吹き荒れる。
思わず瞼を閉じたとたん、まるで真っ黒なカーテンが引かれたように視界が闇に塗り替わった。
『約束、だよ』
白く冷たい手が少女の右足をとり、小指の爪に唇を寄せる。
『約束だよ。赤髪姫』
『はい。わたしは来世で必ず、魔王様の妻となりましょう』
凛とした表情で頷く。その深紅の髪も顔も、幼い頃のマシェリと瓜二つだった。
でも──違う。姿形は似ていても、この女と自分は違う。
契約を交わした以上、責任をとるのは本人自身であるべきだ。なのに負の遺産を他人になすりつけ、自分はのうのうと幸せだけを貪ろうとする。
マシェリなら、そんな無責任なことは絶対に、死んだってやりはしない。
(もしも会えたら、思い切りひっぱたいてやるわ)
こんな女と混同されてたまるか。新緑色の瞳をカッと見開き、赤竜紋に左手を重ねる。
『赤髪姫なんかじゃない。わたくしはマシェリ・クロフォード。蒼竜石から祝福を賜った、王太子グレン・ド=フランジアの婚約者よ!』
気合いを入れ、マシェリは幻影を振りはらった。
「マシェリ!」
闇を割って差し出された手をしっかり繋ぐ。──ああ。
愛する人の手だ。強張っていたマシェリの顔に、思わず笑みがこぼれる。
「今の……魔王様の紋章だよね? もしかして彼女は」
「黙りなさい」
ビビアンが鋭い目つきでルドガーを威圧する。
「このことは他言無用。もしも余所で口外したら、わたしは全力で貴方を潰します」