6.ふたりの夜
水竜の本と図鑑をくまなく調べた結果、魔花は認定を受けておらず、人界では入手不可能であることが判明。
ケルトの様子を見に来たビビアンにも一応確認したが、覆ることはなかった。
(困ったわ。魔界の市場にも出回ってない薬草だなんて。こうなれば、自分たちで探すしか……)
魔王との契約の件もある。やっぱり、自分も魔界へ行きたい。
けれどグレンには大人しく留守番してると約束してしまったし、二度も違えるわけにはいかない。相変わらずぐったりしたままのケルトを振り返りながら、マシェリはグレンとともに崖の階段を上っていった。
「分かった! じゃあ、クッキー二皿で引き受けてあげるよ。林檎姫」
目を輝かせた大型犬、もとい水の精霊が、湖に降りる階段へと駆けて行く。
食べ物が絡むとイヌルは行動が素早い。噴水前に集まっていたマシェリたちは、少々呆気にとられながら見送っていた。
「申し訳ありません、マシェリ様。どうにも食いしん坊グセが直らなくて」
呼び笛を首に掛け、ユーリィが苦笑する。
「いいんですのよ。イヌルには、これからたくさん働いてもらうんですもの。クッキーくらい、何皿でも焼いてきて差し上げるわ」
「そうだな。じゃあ、僕らも行くか。よろしく頼むよ、ターシャ」
「はい。ケルト様の一大事ですもの。わたし、精いっぱい務めさせていただきます!」
未来の侍従長候補にして魔術師。小柄なそばかすの侍女は、真剣な表情でエプロンをポンと叩いた。
魔道具のポケットが一瞬光り、もこもこと生き物のように動く。煙が弾け、現れたのは一冊の魔本。開くと雄大な山と湖が描かれている。
「まあ珍しい。フランジアの絵本と同じ、挿絵つきの魔本ですのね。」
「以前、ランプの売り込みに来たルシンキの商人にもらったんだ。ただの真っ暗闇じゃなく、擬似空間つきの新商品らしい」
魔本とは、人界に迷い込んだ魔物や不法滞在の魔女を封じこめるために作られた、通称『檻』と呼ばれる魔道具だ。
ちなみに製造元は約九割がルシンキ公国。
特殊な魔法を用いるため、魔女かターシャのようなルシンキ出身の魔術師にしか開閉できない。
「魔本なら王城内で保管できるし、弱ったケルトを保護しておくにはうってつけだろう。イヌルも一緒に入れてやれば、鱗の水分補給や食事の世話もさせられるし」
「ええ。さすがはわたくしの殿下ですわ」
思わず腕を組み、肩にしなだれかかる。そのとたん、伸びてきた手にきゅっと頰をつねられた。
「痛っ⁉︎ なっ、何をなさいますの?」
「悪いが、ケルトのところへは連れて行けない。君はユーリィと一緒に医局だ」
「えっ……」
ギクリとし、そっと目を逸らす。
「な、なんのことやら……。わたくしにはさっぱり」
「とぼけても無駄だよ。左足、怪我してるんでしょ? ちゃんとジムリに診せて、手当てしてもらってきなさい。──頼んだよ、ユーリィ」
「お任せください。さ、行きましょう。マシェリ様」
銀髪の美しい司書が、艶やかな笑みで手を差し出してくる。
いつバレたのだろう。落ち込みながら手を取ると、グレンがぽんぽんと頭を撫でてきた。
「ひとりで無理して頑張らないの。君には僕がいるんだから」
「……ごめんなさい」
「悪いと思うなら、二度と無茶をしないと約束して。でないと、魔界には連れて行けないよ」
「分かりました。もう二度と──って。わたくし、魔界に行けるんですの⁉︎」
自分の耳を疑い、顔を上げるなり切り返す。
するとグレンが、苦笑いの顔で頷いた。
「仕方ないだろ。だって、君をここに残していくほうが心配なんだもの。……色々な意味で」
「どういう意味ですの? それは」
「特に深い意味はないよ」
今度はグレンが目を逸らし、「いいから行ってきなさい」と背中を押される。
(魔界行きは嬉しいけれど、何かひっかかる言い方ですわね)
家に帰ったら追及しよう。医局で苦い薬を苦労して飲みながら、マシェリは密かに決意した。
現在マシェリが暮らしているのは、王都の東側にある閑静な住宅地の一画。フランジア王国の慣習に従い、父親のクロフォード伯爵が一年半前に購入してくれた、中古の庭付き一軒家である。
そこそこの広さの、二階建てのごく平凡な家。だが、そのうちの三分の一ほどは魔王の雷によって破壊され、真新しく修繕されていた。
婚約者であるグレンもほぼ毎日のようにここへ通い、宿泊していく。
半分、同棲しているみたいなものだ。
送ってくれた王城の馬車から降りると、グレンがマシェリをひょいと横抱きにする。
「だいぶ日が短くなったな。もう月が出てるのか」
空を見上げたグレンの瞳が普段の黒から蒼色に変化し、首元には翡翠色の鱗が輝く。
初代フランジア国王は、水竜と人間の混血である半竜。王太子のグレンはもちろん、血を受け継いだ王族は皆、大なり小なりの魔力を持って生まれてくる。
竜と同じく月夜の晩は魔力が増大。
いつもなら一つ一つ火を灯すランプも、グレンが手のひらをかざすだけで、家中に光が溢れる。
(蒼竜石の祝福のおかげで、わたくしも少しは魔法が使えるようになったけど……一年前からぜんぜん進歩してないのよね。満月でもしょぼい魔力のままだし)
もっとも、じきに王太子妃となるマシェリに求められているのは、社交術や礼儀作法。魔法ができなくても特に問題はない。
問題はない。が、できて悪いということもないだろう。
「殿下、わたくしに魔法を教えてくださいませんか?」
「魔法? ……ああ。上手くいかないって嘆いてたもんね。もちろん、いいよ」
グレンがにっこり微笑み、怪我をしたマシェリの左足にテキパキと魔法の靴をはかせる。その後、おもむろに手を取られ、なぜか台所に連れていかれた。
「じゃ、そこでよく見ててね。まずはこの火竜の魔石を」
「お待ちになって。それってもしかして、一番最初に教わった魔法じゃありません?」
「? うん。マシェリは火の魔法が苦手みたいだし、基礎からやり直したほうがいいのかなって」
首を傾げてグレンが言う。悪気がないのがよけいに傷つく。
(火の魔法が苦手、ということは)
「水の魔法だったら、わたくしにも上手にできるかしら」
「いや。もしかしたら君は、火とか水とか形が曖昧なものより、魔道具を使った魔法のほうが向いてるのかもしれないよ。さっきのターシャみたいにね」
「魔道具?」
「うん。──ちょっと待ってて」
そう言って、グレンが二階から取ってきたのは豪華な装飾の裁縫箱。
中から針と糸を取り出し、刺繍が未完成なままのハンカチと一緒に差し出してくる。
「はい。これあげるから、手を使わずに刺繍してみて」
「……魔道具なんですの? これ」
どこからどう見ても、ごく普通の裁縫道具だ。怪訝な顔のマシェリに、グレンが微笑む。
「うん。これはね、母上が使っていた魔道具なんだ。君と同じように、火や水の魔法が苦手だったらしくてね。見かねた陛下がルシンキ公国から取り寄せたものらしい」
マシェリはハッとしてグレンを見た。
フランジア王国の王妃であり、グレンの母でもあるコーネリアは八年ほど前に亡くなっている。
「そんな大切なもの……わたくしが使ってもよろしいんですの?」
「もちろん。君が使ってくれれば、きっと母上も喜ぶよ」
俄然やる気が出てきた。
この魔道具でハンカチの刺繍を仕上げ、国王陛下に贈ってさしあげよう。
(必ず成功してみせますわ)
「意識を集中して。道具の動きを頭の中で思い浮かべるんだ」
「自分以外の指先を想像してもよろしいの? たとえばフローラ様とか」
「構わないよ。母上もそうだったみたいだし」
ならば遠慮なくいこう。マシェリは早速、針と糸に手をかざした。
元々の素質か、それとも魔道具との相性が良かったせいか。
マシェリの針使いはみるみるうちに上達し、わずか数分で見事な刺繍が完成した。
ただし、予定とは少々違う仕上がりで。
〝カトゥール & コーネリア〟
「完璧ですわ……!」
悦に入りながら呟く。──やり切った。
満足げなマシェリの手元を覗きこみ、グレンが感心したように頷く。
「色々な意味ですごいな、君は」
「ですから、その色々ってどういう意味ですの?」
「何度でも惚れ直しちゃう、って意味だよ」
(本当かしら)
疑いつつも唇を重ね、マシェリはグレンと笑い合った。




