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5.影猫と宰相

「さ、お昼ご飯ですよ。サラ」

「にゃ、にゃあーあ?」


 黒い子猫が、こてんと首を傾げる。

 それを見て、ビビアンは苦笑しながらお腹をさすった。


「朝に食べたアップルパイのせいか、少々胸焼けしてしまいましてね。わたしは後でいただきますから、かまわず先にお食べなさい」

「にゃんっ!」


 専用の皿に置かれた焼き魚に、勢いよくかぶりつく。

 食欲旺盛、体の肉付きも毛艶も至って良好。


(今日も健康そのものだな)


 ビビアンはふっと口端を上げた。


 食べ終わり、満足げに毛繕いする影猫(サラ)を見ていると、魔界で出会った日のことを思い出す。

 何年前のことだったか、もう数えるのも忘れてしまうほど昔々。

 その時は、お互い瀕死の状態だった。



 ……………

 ………

 …




「くっそう、どこ行きやがった。あのガキ!」

「あ、兄貴ぃ。雨がひどくなってきやしたぜ」

「今日は魔王様の機嫌が悪いんだ。そろそろアジトに戻らないと、雷に打たれちまいますよ」


 ここに逃げ込んでから、どのくらいの時間が経っただろう。


 突然、里を襲ってきた獣人たちに追われ、無我夢中で駆け込んだのは、山の中の小さな洞穴(ほらあな)だった。

 息を殺し、震える体を必死に抱きしめながら、雨音に混じって聞こえる声に耳を澄ます。


(早く……早くどっか行け!)


「チッ、仕方ねえ。今日のところは五人で終いにしとくか」

「そうっすね。このあたりの人間はもう狩りつくしちまったし、今度はエルフの集落とかどうっすか?」

「ククッ、そいつぁいいな。よし、引き揚げだ!」

「「へいっ!」」


 複数の足音が、バシャバシャと騒々しく去っていく。

 ──五人。それは、ビビアンを除く里の子どもの総数だ。


(皆、攫われてしまったのか)


 雨の中、ふらふらと里に戻った。

 空腹によるめまいと、緊張からくる疲れ。そのせいか、後のことはあまり憶えていない。


 ただ、気付けば一人きりで水路を歩いていた。


 浅く長い水路の果てには沼がある。その中央の大きな島は、魔物の墓場と呼ばれていた。

 墓場に向かってひたすら歩く。

 十四歳のビビアンがその時求めていたものは、食べ物でも寝床でもなく、死に場所だった。


 日が落ちる前になんとか沼まで辿り着き、ボロボロの橋を通って緑の生い茂る島へと渡る。

 そこには大小の魔物の骨が散乱し、奥の方にはまだ新しく、ひときわ大きな亡骸があった。


(これは……もしかして竜?)


 体は朽ちて崩れかけ、骨も露出していたが、黒い鱗はまだ美しいまま残っている。

 別名〝影竜〟とも呼ばれる黒竜は、魔界の絶滅危惧種に指定されるほどの希少種。死体とはいえ、出会えたのはかなりの幸運だ。

 しかも、珍しい黒の魔花や、キノコまで生えている。

 もう、思い残すことはない。かすかに微笑んだビビアンは、よろめきながら、竜の腹の中へと足を踏み入れた。

 ぽっかりあいた空洞の壁にもたれて座り、首に下げた小袋を開く。手のひらに出した小さな黒い粒は、空っぽの家から持ち出してきた、自害用の毒薬だ。


(僕もすぐそっちに行くよ。……父さん、母さん)


「にゃ……」

「ッわ⁉︎」


 足元で動いた影に驚き、手から薬がポロリと落ちる。

 土塊(つちくれ)かゴミだと思っていた()()は、ガリガリに痩せこけた子猫。


「い……生きてる、のか? これ」


 そっと手で持ち上げてみると、まるで紙か何かのように軽い。

 体温も、呼吸もほとんどなく、生きているのが不思議なくらいボロボロだった。


「おまえ……母さんいないのか? 父さんは?」

「……」

「返事くらいしろよ。おい」


 暗闇に目が慣れてくると、揺さぶった子猫の体が透けて見えた。

 昔、本で読んだことがある。こいつはたぶん〝影猫〟だ。ひどく寂しがり屋の精霊で、気に入った魔物や人に四六時中くっついてないと、すぐに弱体化してしまう。  


(この黒竜はとっくに死んで、もう二度と動かないのに)


 拾い上げた毒薬を、手の中でぎゅっと握り締める。


「……なあ。もしかしておまえ、このまま消えるつもりなの?」

「……にゃ」


(なんで今、返事するんだよ……!)


 ビビアンは外に飛び出すと、毒薬を沼に放り投げた。いつのまにか雨は上がり、宵闇の空にまん丸い月が浮かんでいる。

 月明かりの下、竜の背になんとかよじ登り、黒い魔花の茎をつかむ。ついでにキノコもむしり取った。


 この二つのうちのどちらかが、竜ですら治癒する強力な回復薬。ただし、人間が飲むと様々な副作用が起きる。

 残る一つは不老不死の薬になるが、人間以外には猛毒だ。


(正体不明の副作用と不老不死、か。まあ、毒薬よりはマシかな)


 不思議と笑みがこぼれる。曖昧な記憶へのいら立ちも、未知の薬に対する恐怖もなにもなかった。

 怪しげな黒キノコを、ためらいなくひと口かじる。


「! にがっ」


 見た目通りの味だ。頑張って飲み込んだものの、残った苦味で舌が痺れてしまう。

 だが、しばらく待っても副作用は何も出ない。消去法で残った魔花の葉を持ち、再び竜の亡骸の中へと入っていった。


「おい、起きろ。猫」

「……」

「これ、食え。僕が体張って選んだ薬だぞ。回復薬だ」

「……。……にゃ?」

「僕がずっと一緒にいてやる。だから……消えるなよ、猫」


 祈るように言い、小さくちぎった葉を子猫の口に運ぶ。

 気が遠くなるくらい、何度も、何度も。




 …

 ………

 ……………




「じゃあ、人界に精霊使いの隠れ里を作ったのって、竜のキノコで不老不死になった少年だったんですの?」

「ええ。彼はわたしたちに安住の地を与えてくださった救世主ですわ。精霊使いは皆、特殊な魔力をもって生まれてくるので……大昔の人界では魔女と呼ばれて迫害され、魔界に移住したらしたで、子どもが人身売買のために攫われてしまうんですもの」


 ユーリィがふぅ、と物憂げにため息をつく。

 仕草がいちいち無駄に色っぽい。


「それが数百年前の話、か。この魔花やキノコについて、他に知ってることはあるか?」

「いいえ、わたしの知る限りでは……ああでも、ビビアン様なら何かご存知かもしれませんわ」

「そういえば、ビビアン様も精霊使いでしたわね。彼、ユーリィ様と同郷ですの?」

「いや、たしか別の里だったはずだ」

「あの方は、救世主が一番最初に作った里の出身なんですのよ。隠れ里なので、詳しい場所はお互い秘密にしてますけれど」


 この国は洞窟の奥。あっちの国では滝の裏側。

 精霊使いの隠れ里は、世界各地に点在している。


 魔界で不老不死になった少年は、その後しばらくして人界へと戻り、無限にある自分の時間を惜しむことなく里の創生に費やしたという。

 最初の仲間と出会うまで、百年以上もたったひとりで。

 魔法の結界を張り巡らせたり、特殊な仕掛けを施したり。ありとあらゆる手段を尽くし、どんな人間にも魔物にも侵略できない、平和な隠れ里を数十ヶ所も創り出したのだ。


「その救世主様、お名前はなんて?」

「実は、わたしたちも知らないんです。彼は誰にも名を明かすことなく、里を作り終えた後、姿を消してしまったらしいので」

「そう……残念ね。一度でいいから、お会いしてみたかったわ」


 マシェリは心底ガッカリしていた。

 竜のキノコなんて怪しげなものを食べるとは、よほどお腹を空かせていたに違いない。頑張ったご褒美に、美味しいものをたくさん作って、食べさせてあげたかった。


(たとえば、シナモンたっぷりのアップルパイとか)


 いつかどこかで会えますように。祈りながら、マシェリは水竜の本を閉じた。


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