4.魔花
祈るような思いで、大好物のメロンを差し出す。
「さあ、ケルト。おそうじのご褒美ですわよ」
「……」
いつもなら鼻先30センチのところで大口を開け、ペロリとひと飲みだ。
だが今日は、半分ほどかじって終了。
再び眼を閉じ、ぐうぐうといびきをかき始めるケルトを見て、マシェリはガックリ項垂れた。
「ダメでしたわ……」
「食欲がだいぶ落ちてるみたいですね。喉が腫れて熱もあるし、鱗の乾燥具合からみて、脱水症状も疑われる……と」
カルテに書き込み、「ふむ」とレネドが顎をさする。
「殿下、マシェリ様。ケルトはどうやら風邪をひいたようです。それもけっこう重篤な」
「風邪って、水竜が?」
「本当なのか? それは」
「間違いありません。このレネド、人体に関する知識はそこそこですが、竜種の生態については人一倍研究しておりますので」
キリッとした顔で断言する。──なるほど。
国王に直談判までして、フランジアに来たがった理由は水竜か。
「竜が風邪をひくとは知らなかったな。で、何か治療法はあるのか?」
「ええ。確か、竜の病気に効く薬草があったはずです。しかし、人界では入手が困難かと」
「人界では、ってことは魔界にしかないのか? その草」
「草じゃなくて薬草だよ、鴉」
「俺はガレスだ! ──ていうかそいつ、どっかで見たことある顔だな」
無精髭をさすりつつ、レネドを見てガレスが捻る。
そういえば、ふたりともカイヤニ出身だった。
(もしかして顔見知りなのかしら)
「彼はレネド・ゲヒナフ。医局に新しく入った薬師だよ」
「失礼ですが、僕のほうには憶えがなくって……すいません」
グレンが紹介すると、レネドが高い背を丸め、頭を掻く。
腕組みをし、上から下までレネドをじろじろ眺めていたガレスも、名前を聞いたとたん、ピタリとその動きを止めた。
「いや、どうやら俺の勘違いだったらしい。こっちこそ悪かったな、レネド」
「いえいえ。これから、どうぞよろしくお願いします。ガレスさん」
互いの名を呼び合い、握手を交わす。
少々ちぐはぐだが、ふたりの挨拶も無事済んだところで、改めてレネドに話を聞く。するとどうやら彼も、薬草の原産地が魔界だということ以外、あまり詳しくは知らないらしい。
「なぁんじゃ。研究しとると言うわりに大したことないの」
「申し訳ありません。なにしろ竜の病気じたい、かなり稀なものですから」
鼻を鳴らすジムリに、ペコペコと頭を下げる。背は高いのにレネドがやたら猫背なのは、しょっちゅう謝ってばかりいるせいかもしれない。
(見てるとなんだかイライラするわ)
マシェリは思わず、レネドの背中をバシンと叩いた。
「痛っ⁉︎」
「男なんだから、もっと胸を張りなさい!」
「はっ、はい!」
「よろしい。では、その薬草の名前を教えてくださる?」
コロリと態度を変え、淑女の笑みで優しく語りかける。
ガレスの「怖え……」という、呟きなど気にしない。ケルトの扱い然り、飴と鞭の使い分けは大事なのだ。
「確か〝ラキュラス〟という魔花で……薬になるのは、その花の葉の部分だったはずです」
「人界で認定されてる薬草かどうか、調べる必要があるな。魔界の植物図鑑が奥の書庫にあるはずだから、あとで図書館に行って、ユーリィに探してもらおう」
「ええ」
魔界の動植物でも特例で認定を受け、人界の市場に出回っているものが結構ある。
フランジア王国内で入手できるのが一番だが、他国にしか流通してなかったとしても、輸入できれば問題ない。
(すぐ手に入るといいんだけど)
今はとりあえず、ケルトの応急処置が先だ。
「薬の投与ももちろん大切ですが、水竜にとって、脱水症状が一番の大敵なんです」
というレネドの指示に従い、皆で湖水をバケツに汲み、ぐったりと横たわる巨体にかけてやる。
ケルトの鱗が十分潤ったところで、ガレスたち三人は、それぞれの仕事場へ戻っていった。
マシェリとグレンはそのまま、中庭の端にある図書館へと向かう。
赤い瓦屋根に、木造りの古めかしい佇まい。色とりどりのステンドガラスの小窓が付いたドアを開けて入ると、まっすぐ奥へと続く通路の両側に、背の高い本棚がいくつも並んでいる。
だが、受付に司書の姿が見えない。マシェリは大きく息を吸い、奥に向かって声を張り上げた。
「ユーリィ、中にいらっしゃる⁉︎」
「……。その声は、もしかしてマシェリ様? ちょっと待っててくださいね」
やや間があって突き当たりのドアが開き、長い銀髪を掻き上げながら、司書のユーリィが顔を出す。
色っぽい顔立ちに体つき。前屈みになると、豊満な胸で白いシャツがはちきれそうだ。
「ごめんなさい。ちょっと今、書庫の片付けをしていたものだから……って、あら。今日は殿下もご一緒でしたの」
「ちょうど良かった。僕らは、魔界の植物図鑑を借りに来たんだ」
「魔界の図鑑、ですか? これはまた、ずいぶんと珍しいものをご所望なのね」
「実はケルトの一大事ですの」
そう言いながら、ドレスの袖をまくり上げる。
「わたくしも一緒に探します。なんなら、片付けもお手伝い致しますわよ」
「お気遣いありがとうございます。でもその図鑑なら、さっき見つけたばかりなのですぐ持ってこれますよ。──そこの机にでも座って、お待ちになっていてください」
ユーリィがにっこり微笑む。
長いまつ毛が縁どる大きな瞳、ぷるんとした形のいい唇。にじみ出る知性の中に色気がほどよく同居している。女性のマシェリが見てもため息が出るような、完璧な美女だ。
「どうして彼女、鴉と婚約したんだろうな」
「失礼ですわよ。……それに貴方とわたくしの婚約の方が、きっと世界中に驚かれてますわ。フランジアの王太子殿下と公国の伯爵家令嬢では、身分格差がありすぎですもの」
「世界にどう思われようと構わないよ、僕は。それより君のお父さんに、僕らのことをちゃんと認めてもらいたい」
「……。認めてますわよ?」
「結婚は、でしょ。しかも渋々。初顔合わせの日に『王太子から求婚されれば断れませんからね』って、真顔で言われた時はショックだった」
「…………」
(言えない。お父様は〝分不相応〟という言葉が死ぬほど嫌いなので、和解はたぶん一生ムリです、だなんて)
母のマリアが『婚姻式までになんとかするわ』と豪語していたが、あまりアテにはできない。
愚痴るグレンを横目に見ながら隣に座り、ハイヒールをそっと脱ぐ。さっき走った時にマメができたらしく、左の踵が痛むのだ。
(あとでジムリに痛み止めの薬をもらって……帰ったら、あの魔法の靴をはこう)
それまではグレンにバレないよう、気を付けなくては。
罰の鞭打ちも怖いし、禁忌の魔法をそうポンポン使われては敵わない。
「お待たせしました。こちらが、魔界の植物図鑑の上下巻。それとこの二冊が水竜関連の本です」
「水竜の本?」
「ええ。ケルトの一大事とお聞きしましたので、念のためにお持ちしました」
そう言ってユーリィが机に置いたのは、厚くて大きな図鑑サイズの本四冊。
どれも豪華な装丁ばかりで、紙も上質で厚手な上、ほぼ全ページ挿絵付きだ。図書館からの持ち出し厳禁、永久保存版の蔵書というだけのことはある。
「魔花は確か、植物図鑑の真ん中あたりに……あった!」
「こっちの水竜の本にも載ってるな」
「本当だわ。とても綺麗な花なんですのね。……でも」
本の挿絵を見て、思わず眉を寄せる。
その『魔花』は水竜の亡骸にびっしりと根を張り、眼と同じ蒼色の、それは美しい花を咲かせていた。




