表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
54/78

3.薬師

「あのなぁ嬢ちゃん。わしは一応、人間の医者なんじゃが」


 寂しい頭頂部をつるりと撫で、医官のジムリが半眼で言う。


「そんなことは知っています。でも、病気かそうでないかくらいは分かるでしょう?」

「うーむ。しかし、人と魔物ではそもそも身体のつくりが」

「まあまあ。よろしいじゃありませんか、ジムリ先生」


 ドアから顔を出した男性が、にっこり笑ってとりなす。


「少なくとも、マシェリ様より僕らのほうが病気には詳しいんですから。いっぺん診てあげましょうよ、ね?」


(さっき食堂で見た人だわ)


 ひょろりと背が高く、頭上を気にしつつ、前屈み気味で入って来る。

 やっぱり医局の新人だったのか。マシェリがじっと見ていると、視線に気付いたらしい男性が、深々と頭を下げた。


「初めまして、マシェリ様。僕はレネド・ゲヒナフ。先週からこちらの医局で務めさせていただいている、新米の薬師です」

「何を白々しいことを。あんたはカイヤニ公国で、薬師として十年ほど稼いどったはずじゃろう」


 腕組みをしたジムリが、ただでさえしわくちゃの顔を、くしゃりと(しか)める。

 こちらは小柄なため、その身長差はまるで大人と子ども。何か気に食わないのか、レネドを見上げるジムリの視線がやけに鋭い。


「城の医局に入ってわずか二年で、大公に引き立てられ、薬局長にまで上りつめたと聞いとるが」

「ええ。ただし無資格(モグリ)でね。ちゃんとした薬師として働くのは、こちらの医局が初めてで間違いありません」


 にこにこと笑いつつ、過去の犯罪行為をさらりと暴露する。人は見かけによらない、とはまさにこのことだ。

 だがこの際、出自や犯罪歴などどうでもいい。


「ケルトを診ていただけるのなら、貴方が何者でも構いません。とにかくふたりとも、湖まで一緒に来てください」

「こっ、こら。白衣が破れる!」


 ジムリの抗議を無視し、白衣の裾を掴んで引っ張る。


(一応、医療カバンも持っていこう)


 空いてる手を伸ばすと、レネドがひょいとカバンを持ち上げ、ニコッと微笑む。


「僕が持ちますよ。助手ですし」

「あ、ありがとう」

「お任せください。……ところでマシェリ様、殿下のほうは大丈夫なんですか? さっき、食堂でご一緒だったようですが」

「あ」


 すっかり忘れていた。狼狽えるマシェリの肩を、レネドがポンと叩く。


「あそこにいる侍女にでも、言伝(ことづて)を頼んでおきましょう。おふたりは先に湖へ行っててください」


 ずいぶんマメで機転のきく男だ。感心しながら、廊下を足早に歩いていくレネドを見送っていると、ジムリがぴたりと足を止めた。


「おい、嬢ちゃん。あんまり奴を信用するなよ。陛下が連れてきたもんじゃから、仕方なく置いてやっとるが……名前と年齢、城の医局にいたってこと以外、素性がまったく分からん男じゃからな」

「彼はどうしてフランジアへ?」

「それも分からん。ただ、陛下が外遊でカイヤニに行った際、王城の薬師をやらせてくれと懇願されたらしい。あんまりしつこいんで、資格を取れたら考えてやると言い残して帰国したら、猛勉強して一発合格したと手紙がきちまったんじゃと。しかも、たったひと月足らずで」

「まあ。相当優秀な方なんですのね」


 国家資格である薬師の試験は、かなりの難関だ。通常は薬屋などで見習いをしつつ勉強し、合格するまで最低でも一年以上はかかる。

 城の医局で数年働いていたとしても、そんな短期間で試験に合格するというのはごく稀な例だろう。


「だーから胡散臭いんじゃ。それだけ出来のいい奴が、今の今まで何故、無資格のままでいたのか。よっぽど何か、うしろ暗い過去があるのかもしれん」


 ぶつぶつと言いながら、ジムリが再び歩き出す。


(だから不機嫌だったのね。でも、わたくしからすれば好都合だわ)


 例え訳ありだろうと、そんなに優秀な薬師なら、ケルトの体調不良の謎も解明できるかもしれない。

 後ろを気にしつつ、崖の長い階段を降りていく。半分ほど過ぎたあたりで、ぶんぶんと手を振る男性の姿が見えた。


「よぉ、姫。やっと来たか」

「ガレス? どうして貴方がここに……仕事は?」

「ちょいフケてきた。ケルトのことが心配だったからな。大好物の匂いでも嗅げば、起きてくるんじゃないかと思って」


 そう言いつつ、背中に隠していたメロンの箱をひょいと出す。


「わざわざありがとう。あの……ところで、殿下は?」

「ターシャと少し話してから、執務室に戻ってったぞ」

「そ、そう」

「『早く終わらせよう』とかなんとか、呟いてたな。ひどく思いつめた表情で」

「おっ、終わらせる⁉︎」


 マシェリの顔から血の気がひいた。


(まさか、婚約破棄?)


「わたくし、ちょっと執務室に行ってまいります!」


 慌てて踵を返したとたん、ズキンと左足が痛む。

 つまずき、前のめりに転びかけたマシェリを、力強い腕が抱きとめた。


「大丈夫? マシェリ」

「! 殿下」


 心配げな顔を見て、愛しさがこみ上げてくる。マシェリは思わず縋りつき、グレンの胸に顔を埋めた。


「遅くなってごめん。急ぎの仕事だけ、先に終わらせて来たんだ」

「そんなこと……! 謝らないでくださいませ。わたくしこそ、いつもいつもひとりで暴走してばかりいて、本当にごめんなさい」

「構わないさ。だって、僕はそういう君が好きなんだもの」

「殿下……」


 じわりと目頭が熱くなる。

 この人と出会えて、愛し合えて、本当に良かった。


(離れませんわ。絶対に)


 邪魔する者は、例え魔王だろうと許さない。

 マシェリはグレンの軍服に頰をすり寄せ、きゅっと掴んだ。


「あれ? 殿下、もうここにいらしてたんですか」


 ほどなくしてやって来たレネドも加わり、総勢五人が、寝ているケルトの周りを取り囲む。

 それでもケルトはぐうぐう眠ったままだった。


「ううむ。水竜にしては熱が高いし、脱水症状も起こしとるようじゃな。何の病気かは分からんが、体調不良なのは間違いないじゃろ」


 ジムリがケルトの体のあちこちに聴診器を当て、唸る。なんのかんのと言いながら、心配してくれているようだ。


「これは、確かに少し変だな。初対面のレネドがこんな近くにいても、眼を開きもしないなんて」

「そうですね。……ちょっと失礼」


 高い背をかがめ、レネドがケルトの大きな口の上顎を掴む。そのままぐいっと上に押しあげると、おもむろに頭を中に突っ込んだ。


「おっ、おい! 何を」

「おやめください! 万が一、パクッと食べられでもしたら」

「ははは。爆睡してるから大丈夫ですよ。……ふむ。舌垢が白っぽくて厚めだし、口の中が少々乾燥しているな」


 慌てるマシェリたちをよそに、レネドはさらに口を大きく開き、奥のほうを覗き込む。


「それなら胃腸関係かもしれん。喉の腫れはどうだ?」

「ええと、ちょっと待ってくださいね。中が暗くて、よく見えなくて」


 レネドが牙を掴んで身を乗り出すと、わずかに巨体が揺れ、ケルトの瞼がピクリと動く。


「危ない!」


 いち早く気付いたグレンが、レネドの白衣を掴み、ケルトの口から引き剥がす。

 次の瞬間、大きなワニのような上顎が、ガチンと勢いよく閉じた。


 ケルトがカッと蒼い眼を見開き、尻もちをついたレネドをギロリと睨む。


「……」

「は、はは。……本物だ。本物の水竜だ」


 震えながらケルトを見上げるレネドの瞳は、少年のようにキラキラと輝いていた。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ