表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
53/78

2.ケルトの病

 人界と魔界が隣り合わせのこの世界。


 気候が常に不安定で雨が少ないのは、太古の昔から変わりない。


 しかし人界ではこのところ、人々の生活に変化が起こりつつあった。

 工業大国であるレオスト公国と、魔導具生産世界一のルシンキ公国。この二国が婚姻による同盟を結んだことで、便利な魔道具の大量生産が可能となり、各国に安価で輸出されるようになったのだ。


 それに伴い、大なり小なりの改革を行う国も増えてきている。

 マシェリたちが暮らす、フランジア王国も例外ではない。


「今朝でちょうど100日目。試供品(サンプル)による性能の確認も、さっき無事に終了してね。当初の予定通り、王都の街灯と王城内の照明器具すべてを、自動点灯式の魔石ランプと交換することになったんだ」

「じゃあ、その報告をしに陛下のところへ?」

「うん。それと一週間後、正式な契約のために赴くルシンキ公国と、賠償請求のついでに花嫁衣装を突っ返しに行く、魔界への渡航申請も兼ねてね」

「い、痛っ! 痛いです!」

「当然だよ、痛くしてるんだから」


 にっこり笑ったグレンが、マシェリの両頬をギリギリとつまむ。


「ふたりで話し合って決めたよね? 危険だから、魔界へは僕ひとりで行くって。なのに……ど、う、し、て。渡航申請を勝手に出したりしたのかなー? 君は」


 黒髪の美しい王子様が、今だけ、情け容赦のない悪魔に見えた。

 すでに日は高く、先ほどまでベルとマシェリを交互に叱っていたフローラも、侍従長の仕事をしに戻ってしまった。

 執務室には、マシェリとグレンのふたりきり。


(あのお邪魔虫も、今日に限って登場しないし。いつもは頼んでもないのに、黒い顔をちょいちょい出してくるくせに! まったく、気が利かないんだから!)


 脳内で理不尽な怒りをぶち撒けたとたん、グレンがパッと手を離す。

 手首を掴まれ、そのままソファに押し倒された。


「殿下……!」

「おしおき」


 唇に少し長めの制裁を受ける。頰や首すじにまでキスを落とされ、果ては耳たぶを甘噛み。──このところ、ケンカの後はいつもこの手法で攻めてくる。


(嫌、じゃない。でも……だんだん歯止めがきかなくなってきてる、ような)


 マシェリを押さえつける力も、以前よりずっと強い。


「だ、ダメ……です。それ以上は」

「……魔界についてくるつもりだったの? 陛下に色仕掛けまでして」

「! それは」

「絶対にしないと約束して。でないと、やめてあげないよ」


 ドレスの胸元を引き下ろされ、マシェリは慌てた。


「ごっ、ごめんなさい! 絶対にしません! だから……だから、もう許して」

「よろしい。ちょっと残念だけど、今回は許してあげる」


(残念って)


 名残惜しげにソファから起き上がり、軍服を整える王子様をじとりと睨む。ちっとも怒ってるように見えないのは気のせいだろうか。


「フローラには僕が言っておくから、お妃教育は昼食を済ませた後に行きなよ。ターシャが食堂で、ルシンキ公国の話をしてくれるそうだから」

「ターシャが? ……ああ、そういえば出身国でしたわね」

「うん。本で勉強するよりいいだろうと思って、昨日、頼んでおいたんだ。──行く前にこの処理を終わらせるから、ちょっと待ってて」


 そう言いながら、机の上の書類に目を通す。

 まだまだ子供っぽいところもあるが、十五で成人してからというもの、グレンはだいぶ大人びて、男の色香まで漂わせるようになってきた。


 頬杖をつき、むぅ、と唇を尖らせる。


(誰かにオトされたりしないよう、しっかり繋ぎとめておかなくちゃ)


「……どうしたの? ジロジロ見て」

「なんでもありません。喜んで、ご一緒させていただきますわ」


 マシェリはグレンに腕を絡めると、肩にコツンと頭をのせた。




「姫。保管庫にメロン二個は、さすがにちょっと邪魔なんだけど」


 食堂のテーブルに着くや否や、無精髭の料理人がのこのことやってきた。王城の副料理長とは思えぬ、色んな意味で不健康そうな風貌である。


「君もけっこう邪魔だよ。(カラス)

「お言葉ですが、ここは俺の領域(テリトリー)ですよ王子様。ちなみに雇い主は貴方のお父上ですので、そこのところをお忘れなく」


 そして、いつもの如く火花を散らす。毎日毎日、よく飽きもせずケンカできるものだ。一瞬浮かんだ黒い顔は脳裏の隅に押しやり、マシェリは優雅に紅茶のカップを傾けた。

 グレンはガレスとの掛け合いが止まらないし、ターシャを待つ間ヒマなので、白を基調にした明るい食堂をぐるりと見まわす。

 すると、窓際のテーブルに見慣れない男性の姿があった。年齢は二十五、六といったところか。柔和で、とても人の良さそうな顔立ちをしている。


(白衣を着てる、ってことは新しい医官? それとも薬師かしら)


「とにかく! メロンは邪魔だから、なんとかしてくれ。以上!」


 ようやく一周したらしい。傾げた首を、ガレスに向き直す。


「夕方になったら一個は持っていきますわよ。あれはケルトのご褒美だから」

「ご褒美って、月イチのそうじの? 今日は朝メシ、やってこなかったのか?」

「人聞きの悪いことを仰らないで。ぐうぐう気持ち良さそうに寝てたから、起こさなかっただけですわ。それに朝は林檎とか、祭壇に置いてあるものを適当に食べるから、餌付けは特に必要ないんですのよ」


 昨夜は珍しく棲家に帰らなかったようだし、きっと相当疲れていたのだろう。こういう時は寝かせておくのが一番だ。

 万が一病気になっても、水竜用の薬などないのだし。


(病気……)


 ふと、嫌な予感が胸をよぎった。


「どうかしたの? マシェリ」

「よくよく考えてみたら初めてですの。わたくしの呼びかけで、ケルトが起きなかったのは」

「だよな。アイツ、姫が帰ったあとすっげえ寂しそうにしてるし。呼んだら飛び起きてもおかしくねえのに、ぐうぐう寝てたってのは異常だぞ」


 ガレスがふむ、と顎をさする。


「もしかして、そろそろ寿命なんじゃないのか?」

「ばっ、馬鹿なことを仰らないで!!」


 マシェリはテーブルをバン、と叩くと、勢いよく席を立った。──そんなわけない。

 人界生まれだろうと、ケルトはれっきとした水竜。平均寿命は悠に千年を超えるといわれている、竜の一種なのだ。


(たかだか三十年程度で、死んだりするはずがない)


 頭の中では否定しながら、不安で、気付けば駆け出していた。

 宮殿を出るとドレスの裾を上げ、中庭を駆け抜けていく。


 崖の階段を数段降りたところで、朝と同様、湖の岸にぐったりと横たわる水竜の姿が見えた。


「──ケルト⁉︎」

「……」


 巨体にすがりつき、胸のあたりに耳をよせる。すると幸い、ドクンドクンと心臓の音がちゃんと聞こえた。

 生きてはいる。しかし、わずかに体が熱い。それに、翡翠色の鱗が妙に乾燥している気がした。


(まさか、本当に病気?)


「待っててケルト。わたくしが、今すぐ医者を連れて来て差し上げますわ!」


 マシェリは再び走り出し、降りたばかりの階段を駆け上りはじめた。



評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ