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1.陛下への直訴

「絶対に許さん」


 鳶色の眉がつり上がる。

 朝っぱらから逆鱗に触れたせいか、せっかくの美声も今日は少々かん高い。


 眩しいほどの朝日が射し込む、蒼色を基調とした大広間。謁見終了後に国王から呼び出されたマシェリは、玉座の前にひとりで跪いていた。大きな扉の前にはふたりの騎士。と、青ざめた顔の神父。

 どうやら謁見後、出て行きそびれてしまったらしい。


(お気の毒さま。まあ、かくいうわたくしも、人の心配をしてる場合じゃないけど)


 影猫のサラを追って入った魔本の『檻』の中の世界──三十年、時が巻き戻ったフランジア王国から無事生還し、再会を果たしたマシェリとグレン。王太子であるグレンとの分不相応な結婚に難色を示すマシェリの父をなんとか説得し、晴れて二度目の婚約を交わした。

 しかし、それから一年半ほど経過したある日。王都の別邸でグレンと甘い生活を送っていたマシェリの元に、なぜか魔王から花嫁衣装が届けられる。怪しげな漆黒の招待状とともに。

 しかもその後、魔王の雷が落ちて別邸は半壊。

 修理して再び暮らし始めたまでは良かったが、祖母の夢に呼び覚まされた記憶によって、マシェリの前世が魔王と交わした無責任な契約が判明してしまう。


(わたくし自身が約束したわけでもないのに、魔王と婚約だなんて冗談じゃありませんわ)


 今すぐにでも魔界に行って、契約を取り消させたい。

 そこで、反対するグレンには内緒で渡航申請書を手に入れ、こっそり提出した──はず、なのだが。


 玉座で不機嫌そうに足を組みかえ、蒼色のマントを踏みつける国王を見上げ、マシェリはごくりと喉を鳴らした。

 予想以上に怒ってらっしゃる。

 だが、この程度の脅しに屈するわけにはいかない。背後に隠しておいた、とっておきの切り札を差し出す。


「そ、そこをなんとか! このメロンに免じて、わたくしの魔界行きを許可してくださいませ!」

「馬鹿もの。わたしは物で釣られたりせん」


 しれっと言う国王に、思わず歯ぎしりする。


(くっ……! 時が巻き戻る前の世界じゃ、ルシンキ公国から賄賂どっさり受け取ってたくせに。よくもまあ、いけしゃあしゃあと)


 以前のほうがマシ、とまでは言わないが、こういう時は扱いづらい。


 駆け引き上手な父であれば、ここはいったん退()いて、策を練り直してくるのだろう。だがマシェリは、退くための言い訳を用意するのをうっかり忘れていた。

 つめが甘い、と父にたしなめられる由縁(ゆえん)である。


(どうしよう。分かりましたと言ってしまえば、もう二度と申請はできないし)


 どう切り抜けようか迷っている間に、国王が玉座から立ち上がり、階段を降りてきた。

 まさか無礼討ち? 思わず後ずさったマシェリの前で、鋭い目つきの美丈夫がふわりと跪く。


「とって食ったりはせん。そう怯えるな」

「は、はい」

「お前の右足の小指にある〝血の盟約〟のことなら、グレンから話は聞いている。だから、結婚前に魔王と会って何とか取り消させたいという、お前の気持ちも分からなくはない」

「でしたら……!」

「最後まで話をちゃんと聞け」


 そう言いながら、肩に垂らした赤髪を掴む。


「いいか? その血盟は魔王との(ちぎ)りによって婚姻が成立するものなのだ。つまり、お前が魔王と会いさえしなければなんの問題もない」

「で、でも! 半年後の、殿下との婚姻式は魔界の神殿で行われますし、その際には必ず魔王様が出席すると聞いております。もし……もし、式を妨害されでもしたら」

「その心配はない。神殿では、魔王だろうと手出しはできんはずだからな。……そうだろう? ミハイル」


 国王がちらりと扉のほうに視線を向ける。騎士の隣で小さくなっていた神父の肩が、びくんと跳ねた。


「へ、陛下の仰るとおりでございます。あの神殿は神の領域。(よこしま)なる行いなど、断じてできませぬ」

「そういうことだ。分かったら、さっさとフローラのところへ行け。今日はハンカチの刺繍の仕上げがあるのだろう?」


 指先で髪を巻き、弄びながら、国王が耳元でささやく。


「わたしにくれるという約束だ。楽しみにしてるぞ。マシェリ」

「……そんなに、期待しないでくださいませ」


(あんな失敗作、どうしてこんなに欲しがるのかしら)


 厳つい髭面で無邪気にはしゃぐ国王を見て、マシェリは首を傾げた。やんごとなき御方の趣味というものは、いまひとつよく分からない。


「おはようございます! マシェリ様」


 大広間を出ると、片側の頰だけを赤くした、小柄な侍女が目の前に立っていた。

 丸い黒縁眼鏡の情報通、ベル。エプロンのポケットには常にメモを隠し持ち、王都や王城で起きた出来事のほぼ全てを把握している。──つまりは。


「また、立ち聞きしてたんですのね?」

「やだなあ、そんなお行儀の悪いことしませんよ。ちゃんと座って聞いてました!」


 キリッとした顔で言う。

 単なる天然なのか、わざとなのかは微妙なところだ。もしこれが計算なのだとしたら、将来、傾国の美女にでもなれそうなのだが。


「これからお妃教育ですよね。そのメロン、お持ちいたしましょうか?」

「いいわよ。どうせ食堂の前を通るし、あなた、他に仕事があるでしょう」

「あ、それなら大丈夫ですよー。わたし、フローラ様から言われてここに来たんですもの。マシェリ様が城を逃げ出す前に連れてこい、って」


 ペラペラと流暢に暴露してくれる。良い子かどうかは置いておいても、正直者には違いない。


(誰が逃げ出すものですか。あの鉄仮面め……!)


 マシェリはギリギリと歯ぎしりし、メロンをベルに押しつけた。


「行きますわよ、ベル! 今日こそはフローラ様をぎゃふんと言わせてみせますわ!」

「えー。でもマシェリ様、ここのところ連戦連敗してますよー?」

「アップルパイも連続で失敗してますしね」

「そっ、それは、うちの台所で使ってる魔石の調子が悪いせいで……って。おはようございます、ビビアン様」

「おはようございます。相変わらず、無駄にお元気ですね。貴女は」


 書類のワゴンをひきつつ現れた、背の高い宰相を見て、高揚した気分が一気に氷点下まで落ちる。

 炭を塗りたくったような真っ黒い顔。鼻の下半分をフェイスベールで覆っているため、緑色の細い目だけで大方の感情を表す。それで言うと、今は完全にマシェリを小馬鹿にしていた。


「失敗するのは魔石のせいではなく、魔法の使い方のせいでしょう。つまりは貴女自身のせいです」

「そんな言い方あんまりですわ! せっかく作って差し上げたのに」

「どうせ試作品でしょう。そんなことより、陛下に魔界行きの渡航申請出したって本当ですか?」

「本当ですよ! マシェリ様ったら、この高級メロンを使っておねだり──ふぐっ?」

「おだまりなさい、ベル」


 ベルの口にハンカチをねじ込み、雑音を消しておく。


「わたくしは一片の穢れもない身で、殿下と結ばれたいんです。婚姻式の前までにこの血盟を消すか、魔王を消すかしなければ気が済みません」

「でも、却下されたんですよね」

「! ど、どうしてそれを」

「さっき、あの神父様にお聞きしました」


 そそくさと去っていく、聖衣の後ろ姿を指差す。

 知ってて聞いたのか。相変わらず性格のねじ曲がった男だ。


「何やら大袈裟に語ってらっしゃいますけど、その証のこと、夢に見るまで忘れてらっしゃったんでしょう? 貴女のことですし、放っておけばまた忘れますよ。──余計な書類を書く暇があるんでしたら、一週間後に行くルシンキ公国のお勉強でもなさってください。貴女が無知なままだと、帯同する殿下とわたしが恥をかくんですから」

「そんな簡単に忘れられません! それに、わたくしはまだ、諦めてなどおりませんわよ」

「じゃあ、今度は色仕掛けでせまってみたらどうですかー? マシェリ様ならきっと、陛下も一発でオトせちゃいますよ!」


 いつの間にやらメロンもハンカチも床に置き、メモと構えたベルが自信満々に声を張る。


(色仕掛けだなんて……悪ふざけが過ぎるわ)


 一瞬眉をひそめたが、あの好色な国王なら、メロン以上の効果が期待できるかもしれない。

 顎をさすりつつ、ふむ、と考え込む。


「それは、一理あるかもしれませんわね」

「無しだよ」

「そうですね。あり得ません」


 怒気を含んだ麗しい声、と冷ややかな声。


 背後から聞こえる、なんとも嫌な二重唱に、振り向くのが少々怖いマシェリだった。


 

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