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水竜のねがいごと

 チーズが一個、


 チーズが二個、


 チーズが三個……。



(今日って、何のお祝いなんだろう?)


 大きな箱に次々と入れられていく、大好物のチーズを眺めながら、水竜のケルトは目を輝かせた。


「これでよし。ぴったり十二個入りましたわ」

「サイズは注文通り。この一週間、宮殿内での使用は問題なかった。あとは商人の謳い文句通り、野外でも保冷効果が持続できるのかどうか、今夜一晩だけ試してみよう」

「基準に満たなければ、即刻レオストに返品いたします。もちろん、送料は着払いで」


 キリッとした顔でマシェリが言う。

 『ちゃくばらい』って言葉をやけに強調してたけど、意味はよく分からない。


(まっ、いっか。たぶん食べ物の名前じゃないし)


 箱のフタが閉まった時点で、話への興味が一気に失せた。湖から岸に、めいっぱい伸ばしていた首を引っ込める。


「フランジア産の魔樹を、魔道具の原材料として売り出すための試作品第一号なんですもの。妥協はできません」

「そうだな。この国の織物産業や装飾品の加工技術は世界に引けを取らない素晴らしいものだけど、原材料はほとんど輸入に頼っている。ルシンキ公国に足元を見られないためにも、駆け引きに利用できる切り札が最低一つは欲しいところだからね」

「お任せください。営業の助手なら父の手伝いで慣れていますし、きっと殿下のお役に立てますわ」

「うん。頼りにしてるよ、マシェリ」


 箱を挟んで頷き合うふたりを見て、はて、とケルトは首を傾げた。──今日はいつもと少し、様子が違う。

 マシェリのきれいな赤髪は背中でひとまとめにしてあるし、ワンピースの上にフリルのエプロンを着けてる。ちょっぴりお邪魔な婚約者のグレンも、いかにも王太子って感じの軍服じゃなくて、侍従みたいなシャツとズボン姿だ。


(もしかして、これって〝お仕事〟かな?)


 ケルトははたと気がついた。

 ふたりは時々ケルトを連れ、フランジア王国の外に出かけていく。テラナ公国っていう南の国で、そこに行く時は、いつもこんな格好だ。

 美味しそうな果物のなる木に、たっぷり水を撒いてやるのがケルトのお仕事。


 なぜって、この世界には、あまり雨が降らないから。

 魔界には魔王がいて、晴れでも雨でも、天候を自由自在に操れる。でも、人界にそんなすごい魔法使いはいない。

 だから人界では、魔界から不法転居して来た水竜でも、あたたかく迎え入れてくれるのだ。


(なにしろボクは、水を生みだす素敵な魔物だからね!)


 ザブンと水に沈むと、ケルトは湖底に向かって全速力で泳ぎ始めた。

 うっかり忘れてたけど、今夜は満月。月に一度、水脈のおそうじをする日だ。ちゃんと頑張れば、明日、ご褒美のメロンがもらえる。

 まぁ頑張るって言っても、浄化魔法でちょちょいのちょい、なんだけど。


 水脈はケルトが生まれるずっと前、ヴェラド・フォルクっていう水竜が創ったものらしい。魔法で開閉可能な門が五つあって、それぞれの国の紋章が付いてる。太陽の紋章は、マシェリのおうちがあるテラナ公国。だからちょっとだけひいきして、いつも一番最初にきれいにしてあげている。


(だって、マシェリはボクの大事なご主人様だし、美味しいごはんをたくさんくれるし、それに、それに……。とっても優しい)


 卵から生まれて約三十年。この湖でずっと、マシェリに会える日を心待ちにしてきた。再会できて、嬉しくて嬉しくて。あの日食べたクッキーの味は、今でも忘れられない。

 ──だから夕方、さよならする時はちょっぴり寂しい。


「今日のおそうじは、ずいぶん長いこと頑張ったのね。えらいわ」


(うん。森からの流木とか、ビンとか靴とかのゴミがね、けっこういっぱいあったんだよ。だから)


 鼻先を「よしよし」と撫でられたり、キスされたりすると、くすぐったい気持ちになる。

 でも、ぜんぜん嫌じゃない。


 ケルトは、マシェリのことが大好きだから。


「君……最近、ケルトによくキスするよね」

「あら。もしかして、やきもちですか?」

「ちっ、違う。いや、違わないか。少しだけ妬けるかな」

「ふふ。もし、ケルトが人間ならキスしてませんわよ。殿下だけです」


(えっ?)


 ちくん、と胸の奥が痛む。──人間ならキスしない? 


 一瞬ひどく動揺したけど、ケルトは水竜だから問題ない。

 良かった。ホッとして、マシェリの手に鼻先をすり寄せる。


「僕もケルトを見習って、書斎の片付けをしておかなきゃな。図書館から借りっぱなしの本が見つからなくて」

「わたくしも、家に帰ったら浴室の掃除をしないと」


(おうち? ……もう、ふたりとも帰っちゃうんだ)


「ビビアンが馬車で待っててくれてる。……そうだ。王都で寄りたい店があるんだけど、君も付き合ってくれるかい? マシェリ」

「ええ、もちろん。それで、何の買い物ですの?」

「道具屋だよ。あの魔王は火竜の化身だからね。たとえ気休めでも、耐火性のある装備を一式用意しておいた方がいいかと思って。僕とビビアンのふたり分、予め注文しておいたんだ」

「予め……では当然、わたくしの分はないんですのね」

「わたくしの分、て……マシェリには必要ないでしょ? だって、君は魔界には行かないんだから」


 首を傾げるグレンに、ハッと目を見開いたマシェリがこくこく頷く。


「もっ、もちろん無用です! じゃあ、また明日。メロン楽しみに待っててね。ケルト」


 ふたりが腕を組み、楽しげに話をしながら歩き出す。その後ろ姿を、ケルトはずっと見送っていた。


(……ばいばい、マシェリ)


 また、胸がチクチク痛みだす。

 おそうじの時、棘でも刺さったのかもしれない。


 慌てて長い首を伸ばし、翡翠色の鱗をじぃっと見つめる。念のため、蒼いたてがみや鋭い爪の先まで、よく調べてみた。

 でも、幸いどこも異常なし。強いて言うなら、いつもよりほんの少し、魔力が強い気がするだけだ。


(ううん、満月のせいかなあ? 体が熱いし、ムズムズする)


 それに、なんだかお腹がすいてきた。チーズの箱をちらりと見る。


 黄色くて、真ん丸で。見れば見るほどお腹がすいてくる。昇り始めた月とチーズを交互に眺め、ケルトはため息をついた。

 象をはるかに凌ぐ巨体でありながら、草食の我が身がうらめしい。


『お腹を壊しちゃうから、チーズは一日一個までよ。分かった? ケルト』

『……』


 マシェリの言うことは、いつもだいたい正しい。


(解ってるよ)


 そろそろ棲家に帰ろう。ケルトは名残惜しげに箱から離れ、湖にザブンと入ると、ワニに似た頭だけを水面から出した。

 足の水掻きを上手に使い、鼻歌交じりでスイスイ泳ぐ。


 本当は、もうだいぶ前から人語を解してるし喋れる。

 いつかマシェリと話してみたい。けれど竜の声は特殊で、仲間を呼び寄せてしまうから、ずっと口を噤んできた。


 人界では最強の水竜も、竜種の中では最弱。


(万が一、魔界から来た竜に襲われたら、ボクにはマシェリを護ってあげられない)


 ケルトには解ってる。

 人間は竜と違い、とても弱い生き物だってこと。

 どんなに体が丈夫でも、せいぜい百年程度しか生きられないってこと。


 だから、ともにいられる時間はとっても貴重だ。


(ボクがもし人間だったら、マシェリともっといっぱい一緒にいられるのに)


 ぱちん、と胸の奥で何かが弾けた。


 心臓がドクドクと音をたて、魔力がまるでマグマのように熱く滾り、体中を駆け巡っていく。

 それと同時に、全身の骨が軋み始めた。


(いっ、痛い、痛い! ──なに⁉︎ コレ!!!)


 水中で暴れながらもがく。

 たまらず見上げた満月が、蒼く輝いて見えた。

 魔力の分厚い靄に閉じ込められ、視界を遮られる。それでも必死に体をばたつかせて泳ぎ、水面に向かって力いっぱい手を伸ばす。


(! これは、手……? 人間、の?)


 月明かりに照らされた、マシェリと同じ、白い肌の五本指。鋭い爪も、水掻きも付いてない。

 体もだいぶ縮んだ……ような、気がする。

 しかし、しげしげと眺めてる暇はない。何度も溺れそうになりながら、犬かきでなんとか湖の岸にたどり着く。


 ケルトは上半身だけ陸に上がると、ぜえはあと肩で息をした。震える手で、ぺたぺたと顔を触ってみる。──柔らかい。


(人間だ。……完全に、人間になっている)


 水面をそっとのぞきこんで見ると、数年前のグレンにちょっとだけ似た顔が映っていた。


(おとこのこ、だよね。なら、まぁいっか)


 うんうん頷く。物事を深く考えるのは、生来、あまり得意な方じゃないのだ。


 人の身で水に浸かりっぱなしは寒いので、とりあえず陸に上がり、風魔法で体の水気を飛ばして乾かす。もちろん、この時点では一糸纏わぬ全裸なので、やっぱり寒い。腰まで伸びた翡翠色の髪の一部を魔法で分解し、衣服として再構成する。参考にしたのは、今日のグレンの格好だ。


(うん完璧。えーと、あとは……)


 ちらりと魅惑の箱を見る。人間なら一個と言わず、いっぱい食べても平気なはず。

 いやダメだ。勝手に食べたら泥棒だ。でも、お腹がすいて我慢できない。


(ど、どうしよう)


 ぐうううぅ、と腹の虫が鳴る。

 一個くらいならいいか。ケルトは本能に従うことにし、箱のフタをおもむろに開けた。


 取り出そうとしてふと気づく。なんだか、チーズがちょっと生ぬるい。

 箱に刻まれた氷魔法の術式を解析してみると、案の定、二つほど間違いがあった。


(直しておいてやるか。えーと、チーズの美味しさを保つ最適な温度は、っと)


 手のひらをかざし、ちょいちょいと術式をいじくる。──完璧だ。

 これできっと、マシェリも喜ぶ。


(……。マシェリ?)


 待望のチーズに大口を開けた瞬間、ケルトはハッと我に返った。


『ケルトが人間だったらキスしてませんわ』


 手からチーズがポロリと落ちる。


(あーーっ! すっかり忘れてた!!!)


 ケルトは思わず頭を抱えた。チーズは惜しいが、マシェリのキスには換えられない。


 慌ててチーズを箱に仕舞い、手のひらに魔力を込めると、出てきた魔法陣を胸に押し当て変身を解く。

 水竜に戻る時には幸い、体の痛みはあまりなかった。


(これでよし。……でも今日はおそうじもしたし、初めての魔法ばかりたくさん使ったから、すっごく疲れちゃった)


 棲家に帰るのはあきらめよう。


 ケルトは草原に巨体を横たえると、ぐうぐうといびきをかき始めた。







だいぶ久しぶりの投稿ですが、最後までお読みいただきありがとうございます!

m(_ _)m

次話は月曜日更新の予定。その後もだいたい一日おきの更新の予定。


これからも水竜をよろしくお願いします!

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