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柱時計の追憶

「時計のゼンマイを巻いてきておくれ、マシェリ」

「はい。お祖母さま」


 シワだらけの手から小さな鍵を受け取り、針が止まった柱時計を見上げる。


 一日に一度、椅子に乗って背伸びをし、何回も何回もゼンマイを巻く。

 それがマシェリの、三歳の時に初めて与えられた仕事だった。


「さ、終わったらここにお座り。今日はカモミールティーを淹れてあげよう」


 くしゃりと祖母が優しく微笑む。


 妹のサマリーが生まれたばかりの頃で、母は実家へ長期里帰り中。新しい当主となった父は、亡き祖父がこしらえた借金返済のため、朝から晩まで領地を奔走していた。

 伯爵家としてはごく平均的な大きさの屋敷でも、幼いマシェリにとってはとても広い。ひとりぼっちになるのが怖くて怖くて、ともに留守番を頼まれた祖母の後ろを、一日中くっついて歩いていた。


「お祖母さまー、どこー?」

「こっちだよ、マシェリ」


 植物を育てるのが上手だった祖母は、毎日毎日、何かしらの花や薬草を中庭から刈り取ってきては、離れの小屋にこもる。

 春はカモミール、夏は薔薇とリンデン。少ない水でも咲く品種を選び、祖母が世話していた植物たちは数十種にも及ぶ。中でも赤い薔薇は祖母のお気に入りで、満開の頃を見計らってはバスケットに詰め込み、紅茶やジャムを拵えていた。


 質素なワンピースにエプロンを掛け、姿勢よく鍋をかき回す姿が凛としていて美しい。

 自分と同じ、新緑色の瞳と深紅の髪。

 マシェリは、祖母とよく似た自分の姿を鏡で見るのが大好きだった。


 けれど── 両親と同じ金髪碧眼で生まれた妹が母とともに帰って来ると、近所の悪ガキから『捨て子』や『魔女』などと揶揄されるようになる。


「ただいま……」


 破れたドレスの裾をきゅっと握り締め、薔薇の生垣の手入れをする祖母のもとへ、トボトボと向かう。

 顔を上げた祖母は「おやまあ」と驚き、手にした籠を置くと、俯くマシェリの赤髪を優しく撫でてくれた。


「今日は一段と派手にやったねぇ。また、ディムと喧嘩してきたのかい?」

「だって……あの子嫌い。いつも会うと意地悪ばかり言うんだもの」

「構うのは興味がある証拠さね。きっとディムは、お前のことが好きなのさ」

「う、うそ! そんなことないもん!」

「ふふふ。──ほら、屋敷の中に入ろう。薬を塗ってあげるから」


 ふんわり香る花と葉の匂い。


 祖母の緑の手は、まるで魔法のようにマシェリの心を落ち着かせてくれた。


「マシェリは、サマリーのことが可愛いかい?」

「もちろんよ。だって、ちっちゃな手でわたしの指を一生懸命握ってくれるんだもの。そしてね、にっこり笑ってくれるのよ。天使みたいですっごく可愛いの。サマリーが生まれてきてくれて、わたしとても嬉しいわ」

「そうかい。じゃあ、話は簡単だ。サマリーがもう少し大きくなったら、一緒に外へ出て、たくさん遊んでおやり。きっとそのうち誰も、お前たちが赤の他人だなんて言わなくなるよ」


 そう言って微笑むと、エプロンのポケットから丸い容器を取り出す。細かな金細工が施された、綺麗な薬入れ。

 フタをくるりと回して開くと、瑞々しい花の香りが広がる。

 中身は祖母お手製の軟膏だ。


 のびが良くて全く沁みず、塗ればたちまち傷が薄くなる。


(もう、どこもいたくない)


 ホッとしたが、破れたドレスを見下ろし、再び青褪める。目を潤ませて祖母に縋るも、穏やかに笑い返すだけだった。

 祖母は優しいけれど、決して甘くない。

 その日は結局、父と母にこっぴどく叱られて疲れ果て、夕食後は湯浴みもせずに寝台の上へと転がった。


 ボーン……、ボーン……


 柱時計の音が、マシェリの部屋にまで届く。

 赤ん坊のころからずっと、この音とともに時を刻んできた。


(聴いてるとますます眠く……ええい。今日はもう、このまま寝ちゃえ)


 素敵な王子様の夢でも見られたら、明日は幸せな一日になるかもしれない。

 さっさと寝巻きに着替え、ゴソゴソとシーツの中へと潜り込む。横向きできゅっと丸まり準備完了……と思っていたら、ドアが二回叩扉された。


「起きてるかい? マシェリ」

「……もう寝たもん」

「おやおや。もしかして拗ねてるのかい? じゃあ、今夜のばあばのお話は無しでいいね」

「えっ⁉︎ ちょ、ちょっと待って。お祖母さま!」


 慌てて寝台から飛び降り、ドアをそっと開いて覗くと、寝巻き姿の祖母が廊下に立っていた。

 ランプの光に照らされた笑顔は悪戯っぽく、少女のように幼く見える。


「ふふふ。随分と可愛らしいタヌキさんだこと」

「……いじわる」


 ぷぅっと膨れてそっぽを向く。

 独身のころは図書館で司書を務めていたという祖母は、暇をみつけては様々な本を読み漁り、豊富な知識とともに世界各地の物語も仕入れていたらしい。

 祖母の話す物語は、売られている絵本では読んだことのないものばかり。

 寝たふりをすることを、東にあるレオストという国では『タヌキ寝入り』と言うのだと、教えてくれたのも祖母だった。


「ごめんごめん。今夜はとっときのお話をしてあげるから、許しておくれ」

「ほんと? お祖母さま大好き!」


 目を輝かせ、祖母に抱きつく。


 わくわくと胸躍らせながら寝台へいき、本を持った祖母と並んでごろんと横になる。その時ふと、祖母の足先に目が釘付けになった。


「お祖母さま、足に怪我してるの? 爪が赤いわ」

「ああ、これは怪我じゃなくて爪紅だよ」

「……つまべに?」

「そうさ。これはね、鎧なんだよ。悪いやつから自分の身を護るための」

「お祖母さま、もしかして借金したの?」


 思わずガバッと起き上がると、一瞬目を丸くした祖母がぷっと吹き出し、クスクスと笑い出す。

 死んだ祖父の借金の話もあるし、真剣に心配したのに……口を尖らせて睨むと、祖母が涙を拭いながら「ごめんよ」と謝ってきた。


「今日はふたりとも謝ってばかりだねえ」

「うん。だからね、わたし……素敵な王子様が、迎えに来てくれたらいいなと思って」

「王子様?」

「そう。そしてね、王子様と末長く幸せに暮らすの。そんな夢が見られたら、きっと明日は一日、幸せに過ごせるわ」


 いつか自分を迎えに来てくれる、白馬に乗った王子様は少女たち皆の憧れだ。

 普段はちょっぴり男勝りでお転婆なマシェリも、もちろん例外ではない。


「そうかい。でもねえ、マシェリ。お姫様が必ずしも幸せになれるとは限らないんだよ」

「どうして? 王子様にも借金があるの?」

「ふふふ、違うよ。……マシェリは、フランジア帝国を知っているかい?」

「うん! 水竜がいる国でしょう? もちろん知ってるわ」


 綺麗な翡翠色の竜だと父から聞いたことがある。

 大陸の中央にある一番大きな湖を、水で満たすことができるという、とても素敵な魔物だ。


(できれば友達になりたいなぁ。そしたら、水遊びし放題だもの)


 いつか、会えるだろうか。月明かりに照らされた美しい湖を思い浮かべ──ふわあ、と大きな欠伸が出た。

 祖母の手が、マシェリの赤髪を優しく梳いていく。


「今夜はね、そのフランジア帝国の昔話をしてあげよう。よぉく、覚えておおき」


 ボーン……


 半刻を告げる鐘が鳴る。


「ずっとずっと昔。魔界からふらりとやって来た水竜は、とある少女に恋をしたんだ。貯水湖に水を恵んでもらうため、貢ぎ物を捧げにきた綺麗な赤髪の女の子にね」

「……赤髪……」

「そう。ちょうどお前と同じ、薔薇のような深紅の髪をしていたらしい。水竜はその少女を赤髪姫と呼んだ」


 水竜は人の姿に変化し、赤髪姫の前に跪くと、必死に求婚を始めた。

 それは雨の日も風の日も、大雪の日ですらも。

 延々と繰り返される、魔物からの熱烈な求婚。戸惑いながらも、真摯な水竜の態度にいつしか絆され、一年後──彼女はついに求婚を受け入れる。


 赤髪姫のため、水竜が建国したのが帝国の前身、フランジア王国だった。


「湖のほとりに建てたお城で、水竜と赤髪姫はとても幸せに暮らしていたのだけれど、ある日──帰りの遅い水竜にしびれを切らせた魔王が、人界に乗り込んできた。それがきっかけで、ふたりの運命は一気に狂い出してしまうのさ」


 魔王は赤髪姫に一目惚れし、何とか水竜から奪い取ろうとする。しかし、竜の婚約の証は強力なもの。魔王の力をもってしても、破棄することはできなかった。

 今世での奪還は叶わない。だが、来世なら──


「魔王は、水竜のヴェラド・フォルクに取り引きを持ちかけたんだ」

「とりひき?」

「ああ。このまま人界に留まり、赤髪姫と末長くともにいることを魔界の王の名に於いて許す。その代わり、彼女がもしも生まれ変わったなら、魔王の花嫁になってもらう。……とね」

「まっ、魔王のお嫁さんに⁉︎ そ、それで、水竜はどうしたの?」 

「どうしても今世をともに過ごしたかったふたりは、その条件を受け入れてしまうんだ。そこで魔王は、赤髪姫の足の爪に自分の血で印を付けた。来世で赤く色づき、契約の証となるように」


 祖母はおもむろに体を起こすと、爪紅の足をランプの明かりで照らして見せた。

 サッ、とマシェリの顔が青褪める。


「もも、もしかしてお祖母さま……そ、その赤い爪って」

「ふふふ、安心おし。この爪は花の汁で染めたものさ。ばあばは赤髪姫の生まれ変わりじゃないよ」


 コロコロと笑い、祖母がマシェリの頭を撫でてくる。からかわれたと解ったが、腹が立つより先にホッとした。


「なあんだ。よかったぁ」

「この昔話が(もと)でね。ばあばの故郷の里では、赤髪で生まれてきた女の子が十歳の誕生日を迎えると、足に爪紅を塗る風習があるんだよ。小指の爪に現れるという魔王の契約の証を隠し、娘を花嫁として奪われないように」

「ふうん。じゃあ、わたしも十歳になったら塗ろうかなぁ」


 同じ王族でも、魔王のお嫁さんは嫌だ。

 真剣に言うマシェリに、祖母がにっこり微笑む。


「そうだね。ばあばもそのほうが安心だ」

「じゃあわたしの十歳のお誕生日に、爪紅の作り方を教えてくれる? お祖母さま」

「ああ、いいともさ。──そうだ。マシェリも一つ、ばあばと約束してくれるかい?」

「やくそく? いいよ」


 少しうとうとしながら、マシェリはこくんと頷いた。

 祖母の細い指先が赤髪を一束つまみ、毛先を弄ぶ。


「いいかい? よくお聞き。神の御前で誓いを交わすまで、決して王子様と結ばれてはいけないよ」

「どうして?」

「魔王が化けてるかもしれないからさ。何しろ、あの男は狡猾だからね」

「うん、分かった。……でもお祖母さま。むすばれるってなあに? リボン?」


 眠い目をこすりつつ言うと、祖母はマシェリの頭を優しく撫でた。


「ふふふ。大人になれば、お前にもきっと解るよ。──さ、そろそろお休み。マシェリ」

「……うん。おやすみなさい、お祖母さま」



 ボーン……、ボーン……



 数年後、祖母は祖父のいる国へと召された。


 爪紅の作り方を教える、という約束はついに果たされないままに。











 ◇◇




「……マシェリ?」


 瞼を上げると、黒髪の麗しい少年が心配げに見下ろしていた。

 どこをどう見ても完璧な王子様だ。とてもこの世のものとは思えないほど。


(もしかして)


 思わず手を伸ばし、白い頬をきゅっとつまむ。


「痛っ! 何するの、マシェリ」

「痛がってる……。ということは、本物の殿下……?」

「本物に決まってるだろ! なかなか昼寝から目覚めないから、すごく心配してたのに……君はまさか、自分の夫になる男の顔を見忘れたの?」


 赤くなった両頬を押さえつつ、グレンが悲痛な声で叫ぶ。マシェリはハッと我に返り、慌ててソファから下りた。


「ご、ごめんなさい。ちょっと昔の夢を見ていたものだから。きっと、このペンダントを掛けてたせいね」


 苦笑いで首元を押さえると、グレンが「ああ」と頷いた。


「あの肖像画の。じゃあ、夢ってもしや、君のお祖母さまの夢かい?」

「ええ。……とても懐かしかったわ。とても、ね」


 そう言いながら自分の足を見下ろす。


 八歳になる赤髪姫は今日も、鎧の騎士にしっかりと護られていた。









最後までお読みいただきありがとうございます! 

魔界編に繋がる一話とさせていただきました。気に入っていただけると良いのですが。

現在更新の少ない作品ではありますが、ブクマ、評価など励みになっております!

第二部開始後は予告通りの更新を心がけますので、これからも水竜を宜しくお願い致します!

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