ビビアンの休日
魔界編のプロローグ第一弾です
わたしはビビアン。フランジア王国の宰相である。
そしてこの国の王太子、グレン・ド=フランジアの幼い頃からの世話役でもある。
王宮に仕えてもうだいぶ年数が経つ。ただの人間というわけでもないので、見た目は若いが、もちろんその通りの年齢ではない。
しかしあまり詳しく話すのは少々面倒……もとい長くなるため省く。だいたい、深く人と関わり合うのは苦手な性質なのだ。
だから、もちろん恋などしたこともない。
(女はうるさい。わがままだし、男の行動をいちいち制限したり管理したがる)
ゆえに、グレンの心境が分からない。
「来週、水竜をテラナ公国に連れて行こうと思ってるんだ。果樹園への散水をしに」
「またですか。今度はなんです?」
「オレンジ。マシェリの父上から是非にと頼まれたんだ。断れないだろ。まだちゃんと結婚を認めてもらえてないし、いくらでも点数稼ぎをしておかないと」
だったらやめてしまえばいい。
結婚話など引く手数多、いくらでも都合のいいお姫様がいる。
赤髪が珍しいだけの強気で品格の足りない、たかが伯爵令嬢。面倒なご機嫌取りまでして手に入れる価値など、あるようには思えないのに。
まったくもって理解に苦しむ。
半開きの目であくびをしつつ寝室のドアを開けると、朝食を催促に来た黒い毛玉が首をかしげる。
「にゃーあ?」
「何でもないよ。まだ少し眠たいだけだ」
心配げに鳴き、足にすり寄ってきた黒猫を撫でてやる。このサラだって、無責任にも黙って返品してきたのだ。翌日問いただしたら「サラが戻りたがっていたから」。そう、けろりとした顔でのたまった。
貴方はサラの気持ちを理解していない。そう責められてるようで気分が悪い。
(解ってないのは彼女のほうなのに)
薬缶を火から下ろし、注いだポットの湯の中で踊る茶葉をついぼんやりと眺める。いつもなら砂時計を用意して蒸らし時間をきっちり測るところなのだが、今日は休日。
たまには正しくなくてもいいかもしれない。
いつもより少し遅めの朝食は、適当に淹れた紅茶と、マシェリが初挑戦して失敗したというアップルパイ。見た目は焦げだらけで不味そうだけど、味はちゃんと美味しいのよ! ──などと力説しながら押し付けられた。が、もちろんそんな言い分には騙されない。
どうせグレン殿下に美味しく作って差し上げるための練習台なのだ。それか、嫌がらせ。
正直見ているだけでも憂鬱だが、受け取ってしまった以上、ひと口くらいは食べて味の感想を述べなければならない。
実に面倒だ。
ナイフで小さく切り分け、およそ食べ物とはほど遠い見た目のソレを口に運ぶ。
一回噛んで後悔した。
(やっぱりマズい)
口中になんとも言えない苦味が広がる。ザリっとした舌触りと焼きすぎて風味が飛び、歯応えも皆無になった林檎。お世辞にも「美味しい」とは言えない代物だ。
しかし食べ物を粗末にすることをグレンはは好まない。我ながら莫迦莫迦しいほど生真面目だな、と苦笑しつつも空にした皿を流しに下げる。汚れ物を溜めるのが嫌いなので、いつもはすぐに洗ってしまうのだが、今日はこれも後回しにすることにした。
(洗濯だけは済ませていくか)
レオストから輸入した魔道具、『衣料品用浄化機』で洗い終えた洗濯物を取り出し、手早く外に干す。送料が高く少々値が張ったが、洗濯を手洗いしなくてよくなったぶん、だいぶ時間に余裕ができた。
金なら腐るほどあるし、それで時間が買えるなら惜しみなく払う。
特に今日は、これから王都へ買い物に行く予定がある。家事をする時間は短いに越したことはなかった。
久方ぶりの買い物の目当ては、香辛料とポスト。
(アップルパイにシナモンを使わないなんてありえない)
いくら焼き方が上手くなっても、あのままでは焼き林檎の美味しさを活かし切れない。とびきり上等なシナモンパウダーを数種類見繕って購入すると、ビビアンの口元がつい綻んだ。
これをアップルパイのお礼として渡したら、あの跳ねっ返りはどんな顔をするだろう? ラッピングしてリボンでもかけて、『ごちそうさまでした』とにこやかに言いながら押し付けてやろうか。きっと上機嫌で受け取るだろうが、マシェリはああ見えて聡い女だ。開けて見た後は、こちらの意図にすぐさま勘付き、悔しがって地団駄を踏むに違いない。
そして懲りもせず、またアップルパイを焼くに違いない。
そしてまた、自分の家に持ってくる。『美味しかった』と言うまで、何度も何度も。
まったくもって迷惑な令嬢だ。
(これだけじゃ足りないかな)
練習は多すぎて悪いということはない。お得用の大袋も追加で購入し、ビビアンは店を後にした。
シナモンパウダーばかり入った紙袋を下げ、ぶらぶらと石畳の大通りを歩く。道沿いに並んでいる店が石造りなのは以前と変わりないが、背の高い建物が増えた。ショーウィンドウの大きなガラスに、夜になると勝手に点灯する魔石ランプ。どれもこれも、ビビアンの幼い頃にはなかったものだ。
王都は、いや、世界は少しずつ変わっていく。
工業大国のレオストと、魔道具の開発が得意なルシンキ。この二国が政略結婚によって同盟を結んだことで、人界の文明はこのところめまぐるしい発展を遂げている。
フランジア王国だけが変わらないわけにはいかない。
(水竜を使った恐怖政治でもすれば話は別だろうけど)
残念ながら、手懐けられたのは農業好きな伯爵令嬢ただひとりだけ。畑への水まきや曲芸を覚えて笑わせることはあっても、水竜が人を襲って怖がらせたことは今のところ一度もない。見た目は間違いなく巨大な竜だが、兵隊代わりには使えないだろう。
グレン殿下の側妃にと、ルシンキからもカイヤニからも、お姫様の釣書がすでに何度か届けられている。本人は目も通さずにゴミ箱行きにしているが、国王は考えが違う。愛だの恋だの甘いことばかり言っていては国や国民の生活は守れない。利益も後継者も多いに越したことはない。側妃など十人いてもいいくらいだと、寝台で愛人の肩を抱きながら豪語していた。
一途でいられるのも、今のうちだけかもしれない。何より、国王陛下がマシェリを気に入ってしまっているのが問題なのだ。
(あれは本気だ)
王妃亡き後、踊り子や侯爵家の後家といった愛人と色事に耽ってばかりいた国王が。
中庭を散歩中ぴたりと足を止め、初めて自身の再婚について口にしたのだ。噴水の前で、犬っぽい水の精霊と戯れる赤髪の少女を眩しげに眺めながら。
完全に獲物を狩る目をしていた。
(あの目になった国王が手に入れられなかった物など、今までにはない)
無論、マシェリがどうなろうとビビアンの知ったことではないが、彼女はグレンの大切な女性だ。万が一のことでもあれば、どれだけグレンが怒り、悲しむか。
だからこそ国王が苦手なサラを、お守り代わりにわざわざ置いてきてやったのに。
サラが自分を恋しがることなど想定内だ。それを解ったような顔で親切ぶって、しかもあんな雑な方法で突っ返してくるとは。勘違いも甚だしい。
(そっちがその気なら、こっちだって黙って置いてきてやる)
やられたらやり返すのが信条だ。
コレなら形もサイズも申し分ないし、何より前のものは少々ガタがきていたはず。新しいものを買ってきてやった、とでも言えばきっと上機嫌で受け取るだろう。
黒い顔の口端がくっと上がる。──明日が実に楽しみだ。
ビビアンはポストの入った箱をよいしょと抱え、夕暮れの道を歩き出した。
お読みいただきありがとうございます!
魔界編として第二部を四月スタート予定ですが、その前に登場人物やキャラたちの日常を数話届けたいと思っております。
宜しければ是非ご一読ください!