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愛の戒め(グレン目線)

「グレン殿下。……ねえ、起きて」

「……うん? どうしたんだい、マシェリ」


 ウサギ枕越しに突っつかれ、寝ぼけ眼で振り返ると、婚約者のマシェリが自分を覗き込んでいた。

 胸元の大きく開いた色っぽいネグリジェ姿で。


(これはご褒美なのか、それとも拷問なのか。一体どっちなんだろう?)


 いくら考えても答えの出ない問いを頭の中でぐるぐると繰り返しつつ、呼びかけに応じて起き上がる。


「ごめんなさい。ひとりでずっと考え事をしていたら……何か、眠れなくて」


 潤んだ瞳で言いながら、おずおずと隣に潜り込むと、グレンの寝巻きの胸に頰を擦り寄せてくる。

 辛うじて押し倒さずに済んだのは、一重にフランジア王国の王太子として長年培ってきた忍耐力のたまものである。


(……くっ。これなら鞭で百回打たれるほうがいくらかマシだ)


 やっぱり拷問のほうだった。


 何とか平静を保ちつつ腕枕したものの、ここでも幾つかの試練が発生する。

 鼻腔をくすぐる魅惑の香りはもちろん、こう身体を密着させ過ぎると、それはそれで、年頃の男性としては色々と問題アリなのだ。

 中でもけっこう悩むのが、『腕枕した手の行き場』である。


 耳を指先でスリスリした時のうっとりした顔が見たいし、頭に持っていってまずは髪を撫でるべきか? しかし、ネグリジェから露出している肩を抱くのも捨てがたい。


(ここはとりあえず髪を撫でて、耳を重点的に責めた後、さりげなく肩へ移動させよう)


 今まさに城を攻め落とさんとする騎士の気分である。もっとも、陥落に関しては寸止め必須なのだが。

 この可愛らしい赤髪の婚約者は、短気な上に凶暴なのだ。

 甘い香りに誘われ、つい胸元に伸ばした手はつねられるし、料理中に背後から抱き締めた時には平手打ちが飛んできた。


(まあ、大抵は自業自得なんだけど)


 それでも時折、ふと考える。マシェリは本当に僕の事を好きなのか? 

 これは結婚間近のふたりにとって、早急に解消すべき疑問である。


「奇遇だね。僕もちょうど、色々と考え事をしていたところなんだ」

「まあ珍しい。グレン殿下、いつも寝付きがよろしいのに」

「どうせ、早寝早起きで子どもみたいだって言いたいんでしょ? 君は」

「……。まさか。成人男性に、そんな失礼な事思ったりしませんわよ」


 それなら今の間はなんだ? と、以前だったら口を突いて出たであろう言葉を呑み込む。

 どんなに長い時が経とうと、二歳の年齢差は縮まらない。

 しかしだからと言って──結婚の約束を交わした相手にいつまでも子ども扱いされるのは、さすがに少々面白くなかった。

 これはやはり、一度真剣に話し合っておくべきだろう。


「じゃあマシェリは、僕の事をちゃんと男として認識してるの?」

「ええ、もちろん。でなければ婚約なんてしませんもの」


(逃げたな)


 『僕のこと愛してる?』と聞いた時にもよく使う、困った時のマシェリの常套句だ。

 イラッとして思わず半眼になるも、幸か不幸か、肩を抱いたマシェリからグレンの顔は見えない。

 落ち着こうと、とりあえず左手で頰をぺちぺち叩く。

 自重のためにいつもは固く握り締めている、腕枕をしていないほうの手。


 これは、マシェリの祖母の遺言に従っているという事だけでなく、自分自身への戒めでもある。

 やり直した未来で幾らかマシにはなってたものの、好色な父──国王陛下の派手な女性関係のせいで、母である王妃は生前かなり苦労していた。

 ──自分は、父と同じにはならない。

 マシェリを大切に思うからこそ、この手で触れるのは新婚初夜と決めていた。


 だがそんな我慢強い王太子の心に、ふと魔がさす。


「寒い」

「え? ──きゃっ!」


 腰を左手で抱き寄せ、足を絡ませた婚約者の甲高い悲鳴が耳に響く。

 いつもの手加減など、今夜はしてやらない。


「寒い。僕をあたためてよ、マシェリ」

「グ、グレン殿下。待ってください、こういう事はわたしたちには」

「『こういう事』って、具体的には何?」

「だっ、だからそれは夫婦になったらする事で」


 どうしよう。顔を真っ赤にしてしどろもどろになる婚約者がすごく可愛い。

 勘弁してやろうかと腰を離した左手で、今度は細い手首を掴み──寝台に押し付ける。


 グレンはそのまま、マシェリの上に馬乗りになった。


「僕は今すぐ君が欲しい」

「グレン殿下……!」


 ぐっと両手を押さえつけ、見下ろした、愛する女性の瞳が戸惑いで揺れている。

 これ以上進んだら自分も父と同類だ。──そんな背徳感が、繰り返す口づけをいつもより甘くする。

 抗わない唇に許された気がして、自分で自分を止められない。


(……ダメだ。頭がぼぅっとする)


 何か言いかけたマシェリの口を無理やり塞ぎ、ネグリジェのボタンに手を掛ける。

 その左手の甲には、三本線の古傷があった。


 ──ふと、嫌な予感が頭をよぎる。


「にゃあっ!」


 勇ましい鳴き声とともにマシェリの影から飛び出したのは、黒毛玉の小さな護衛。

 あっという間もなくグレンの左手にバリッと『戒め』を上書きすると、飛び乗ったマシェリの手の上でフン、と鼻から息を吐き出した。


「サ、サラ……まだ起きてたのか」

「にゃっ! にゃにゃにゃ、にゃーにゃ?」


 苛立ったように前足をタンタンさせる仔猫の剣幕に押され、つい寝台の上で姿勢を正して聞いてしまうが、もちろん、グレンに猫語は解せない。


「だから注意しようとしましたのに。貴方ときたら話を聞いてくださらないんですもの」

「ごめん……マシェリ」


 頭に血が上って、つい周りが見えなくなっていた。

 呆れながらも、怪我をした手に優しく薬を塗り込んでくれるマシェリに、しゅんと首を垂れる。


「いつかこんな事になるんじゃないかと思ってましたの。……やっぱりわたくし達、そろそろ別れるべきですわね」

「! そ、そんな。確かに傷付けたのは悪かったけど、何もそこまで」


 顔を上げれば、思い詰めた顔の婚約者。──これってもしや天罰? グレンは青褪めた。


「今の時期に宮殿に戻って来たのも、神様からの何かの啓示かもしれません。……わたくし、覚悟を決めましたわ」

「待ってくれマシェリ、僕は」

「いいえ待てません。──サラは、ビビアン様にお返しいたします」

「………………え?」


 目を瞬くグレンの前に、ねずみの玩具をかじる黒い仔猫が差し出された。


「宮殿に戻って来てからずっと、ソワソワして落ち着かないんですのよ。きっと、ビビアン様のところへ帰りたいんですわ。この子」




「にゃあっ、にゃあーあ」


 廊下へ飛び出し、走り去って行く仔猫を見送り、パタンとドアを閉める。


「これできっと、サラももう寂しくありませんわね」

「君は寂しくないの? 一年半もずっと一緒にいたのに」

「ええ。宮殿にいればいつでも会えますし、それに──わたくしには貴方がいますもの」


 艶めく唇に笑みを浮かべながら、繋いだ左手に指を絡めてくる。

 これは戒めなのか、それとも甘い誘惑なのか。


(まあでも、そんなの別にどっちでもいいか)


 君がいつまでも、僕のそばにいてくれるのなら。



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