野獣のキモチ
庭の片隅にトントン、と軽快な音が響く。
「冗談は苺のヘタ取りだけにしてくれよ? 王子様」
「うるさいカラス」
「俺はガレスだ。斬るのは得意なくせに打ち込むのは下手くそなんだな。あとあと苦労するぞ」
「初めてやるんだから仕方ないだろ。……ああもう、イライラしてきた」
板の上でコロンと転がる釘をつまみ上げ、ため息混じりに放り出す。
ふてくされた様子で胡座をかくグレンに、マシェリは果実水のコップを差し出した。
「少しお休みになられたら? 早朝からずっと働き詰めなんだもの。疲れてらっしゃるのよ、きっと」
半壊した家と小さな庭に、昼下がりの眩しい日差しが降り注ぐ。
朝早くから屋根の上で作業していた数人の業者と侍従達も、木陰や芝生の上など、皆、思い思いの場所で休憩を取っていた。
「一日中作業できる休日は貴重だし、モタモタしてたら半年なんてあっという間に過ぎちゃうからね。つい、気が焦っちゃって」
「そういえばあと半年で結婚だっけか。おめでとうさん」
こめかみに傷のあるいかつい顔で、ガレスが少々雑な祝辞を述べる。
しかし丸太に腰掛け、じっとりとマシェリを見る三白眼は、以前よりずっと穏やかだ。
(教会での火事の一件が無くなったからかしら)
魔本から帰還した後の世界で、フランジア帝国が王国に変わっていたのは心底驚いたが、『変わって良かった』と思う事のほうが多かった。
「おふたりさん、結婚後は宮殿に住むんだろ? てことはこの家、半年後は空き家になるのか」
「ええ。あくまでここは婚約中の仮住まいだもの」
「二階に子ども部屋もあるし、若夫婦にはもってこいの物件なんだけどね」
「そういや天窓付きの屋根裏もあったな」
「星がよく見えて、とっても素敵な場所なのよ。天体観測もできるから、きっと子どもが喜ぶでしょうね」
寒い夜、あたたかいカップ片手にグレンと寄り添い、毛布にくるまって暖を取りながら美しい星空を見上げた。
(すごくロマンチックだったわ。思い出すだけでうっとりしちゃう)
「……どうやら、喜ぶのは子どもだけじゃ無さそうだな」
「「えっ?」」
無意識に唇を寄せたふたりを、ガレスの咳払いが遮る。
「相変わらず仲のおよろしい事で。世継ぎも速攻で誕生しそうだし、国王陛下も安心だろう」
「もちろん。僕は男の子と女の子、それぞれ最低でも五人は欲しいと思ってる」
「そ、それはいくらなんでも多過ぎです!」
「これでも妥協したくらいなんだよ? そうだ、ついでに水竜も繁殖させて、ひとり一匹ずつ与えちゃおうかな」
関白宣言ならぬ親バカ宣言。魔本での矯正が及ばなかったのが、マシェリ的には心底残念である。
「それは魔界のほうで許しちゃくれないだろ。そもそも水竜が人界に住んでるのだって、平和条約違反なんだし」
「あの水竜はもううちの子です。もし返却を要求されたら、わたくしが魔王様を倒しに行きますわ」
テアドラ湖で再会して以来、毎日のように果物や野菜で餌付けして、我が子のように育ててきたのだ。
たまに甘噛みするのだってご愛嬌。
最近では背中に乗せて、湖をぐるりと回遊までしてくれる。
(人界で迷子になってるのを知ってて放ったらかしにしておいて、今さら返せだなんて冗談じゃないわ)
引き渡しなど断固拒否だ。
しかし相手は、人界の嵐や雷などの気象現象まで操れる魔界の王。
「魔王様って弱点ないのかしら? 塩をふりかけたら溶けるとか」
「マシェリ……君の中の魔王様って一体どうなってるの?」
「確実に別人、いや、違う生き物を想像してるよな」
「それって、もしかしてナメクジ?」
「「「滅相もない!」」」
合唱で振り返ると、腕組みをした美女が白銀の髪をなびかせながら立っていた。
「……なんだ、ユーリィか」
「なんだ、とはご挨拶ね。あ、グレン殿下、マシェリ様。お久しぶりです」
「お久しぶり……でもユーリィ様、どうしてここに?」
「僕が声を掛けておいたんだ。ジムリから話を聞いて、君の事を心配してたし」
「何かお手伝いしようと思って覗きに来たんです。皆さんへの差し入れも用意してきました」
そう言ってユーリィが開いたバスケットから、甘い匂いが漂う。
中にはチョコやドライフルーツをたっぷり使ったクッキーが綺麗に並べられていた。
思わず目を輝かせたマシェリの前を、筋肉質な腕が横切る。
「どう?」
「──うん。及第点かな」
クッキーをひとつ口に放るなり、ガレスがユーリィに小さく頷く。それを唖然として見つめるマシェリを、グレンが脇から突っついた。
「あのふたり、最近付き合い始めたんだよ」
「! そうだったんですの?」
「うん。ユーリィの話だと一応、結婚を前提にしてるらしい」
才色兼備の司書と怠惰な料理人。これぞまさしく美女と野獣である。
(そういえばさっき『司書様』じゃなく呼び捨てにしてたわね)
こっちは本物の亭主関白なのだろうか。
「貸せよ。俺が配ってくるから」
「でも……わたしも皆さんのご挨拶に」
「ダメだ。向こうには飢えた狼が──いや、血の気の多い連中が多いんだ。危険だから、お前は絶対、そこから一歩も動くなよ!」
オロオロするユーリィを制し、ガレスがさっさと業者らにクッキー配りを開始する。
──どうやら、見た目と力関係は必ずしも一致してなかったようだ。
「グレン殿下から聞いたわ。おめでとう、と言っていいのかしら? ユーリィ様」
「え、ええ。……実は、そのご報告もしたくてこちらへ来たんです。彼、休日でも調理場や教会に行ってていつも留守だし、今日は良い機会だと思って」
そう言いつつ、ちらりとガレスのほうを見る。
頰を染めて恥じらう仕草は、ガレス同様、以前よりずっと雰囲気が柔らかい。
(ふたりともすごく幸せそう。──そうだ!)
いい事を思いついた。早速グレンに耳打ちすると、秒で快諾。
「僕もそう思って、ユーリィに声を掛けてたんだ。やっぱり、女性の目で見てもらうのが一番だし」
「まあ、だからガレスに作業の手伝いを?」
「うん。本当の事を言ったら来ないと思ったからね、カラスは」
王城の調理場では今ごろ、ガレスの代わりを任された実験魔のリズと大食漢のラナが、香辛料の試作と試食に励んでくれているという。
休日の度にバザーの手伝いと言って訪れていた教会にも、グレンが抜かりなく手を回したらしい。
「ああ疲れた。『たまには休め』って牧師様に追い返されたと思ったらこれだもんな。調理場は侍女コンビに占拠されちまってるし。全く……今日は踏んだり蹴ったりだ」
「こんな所で、何をぶつぶつ独り言を言ってるの? ユーリィ様が心配してるわよ」
芝生の上で大の字になったガレスを覗き込むと、少し眩しげに細めた目でマシェリを見上げてきた。
「神の無慈悲を嘆いてたんだよ。──姫こそ、俺になんか構ってていいのか? 王子様に怒られるぞ」
「あら。グレン殿下はこれくらいで怒ったりしないわよ。わたくしの事を信頼してくださってるもの」
「嫌味なくらい自信たっぷりだもんな。…… 貴族どころか親の顔も知らない孤児で、しがない料理人の俺には到底、真似できない」
それは、マシェリにもよく解る感情だった。
『分不相応』だから、釣り合わないから。
物分かりの良いふりをして、自分の本心から目を逸らす。
「そうやって目を離してる隙に、他の男性にユーリィ様を奪られても知りませんわよ?」
「えっ⁉︎ 嘘」
跳ね起きたガレスの鳩尾に、拳を固めたマシェリが渾身の一撃をおみまいする。
この期に及んで、女々しい言い訳を並べた罰だ。
「──げふっ! い、いきなり何するんだよ? 姫」
「いい加減、目を覚ましなさい。貴方の姫はそこにいるユーリィ様だけでしょう」
「ガレス……」
「ユ、ユーリィ。いつからそこに」
「……『えっ⁉︎ 嘘』って飛び起きたあたりから」
俯き、赤面するふたりの間に風花が舞った。
──誰の元にも等しく時は流れ、季節が巡ってくる。
「ちょうど寒くなってきたし、中へ入ろう。物件の内見は明るいうちが一番だしね」
「そうね。さ、行きましょうユーリィ様。屋根裏部屋へ案内しますわ!」
「……屋根、半分は吹き飛んじまってるけどな」
憎まれ口を叩く野獣の手は、美女の手をしっかり繋ぎ止めていた。