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「つまり、皇太子を口説き落とせと?」


 借金完済には、テラナ公国からの褒賞金だけでは到底足りない。貸し主である父に金を返すアテを突きつけられた以上、応じないという選択肢は無しだ。


「わたしはそこまで親バカじゃないよ。でもこの額を払うにしては条件が相当ゆるいし、試してみる価値はあると思う」

「本気で言ってますか? それ」

「無論だ。もしわたしなら、少なくともあと五つは条件を付けてる」

「……」


 何故か得意げに言う元財務官を無視して、マシェリはもう一度書状を見返した。父が言うほど簡単だとは思えないが、当たって砕けるくらいの価値はありそうだ。

 ふむ、と腕を組むマシェリを、父が楽しそうに見つめる。


「お前はまったく、根っからの商売人だねえ」

「褒め言葉と受け取っておきますわ。自分の売りこみは空振り続きですけれど」


 刺繍よりも薔薇の採取、流行のドレスより最新の設備機器──と、世の淑女とは少しばかり違う趣味を追求し過ぎたせいかもしれない。

 夜会でせっかくダンスに誘われても、話題はいつしか事業の悩みや相談になり、気付けば恋人ではなく仕事仲間になってたりする。社交界デビューしてから約一年。見事なまでにその繰り返しだった。


「縁談の話ならきているよ」


 さらりと言う父に、マシェリは目を丸くした。皇太子の妃候補となった今、マシェリにその話を受ける資格はない。


「それ、いつのお話ですの?」

「昨夜。お前が寝た後、うちに使者が来たんだ」

「いったいどこの世間知らずが……?」

「お前も名前くらいは聞いたことがあるだろう。あのエクスター侯爵家の四男さ」


 小馬鹿にしたような父の口調で思い出した。

 エクスター侯爵家は、母いわく屋敷と名ばかり立派な上流貴族だ。広く豊かな領土を持ちながら、その当主にはそれを生かせるだけの才覚も、やる気もない。

 当然得ている利益も少ないはずだが、それでも生活の水準は落とさない。子息の妻の実家や、令嬢の嫁ぎ先の事業や財産を横取りし、家計の赤字補填をするという、清々しいまでの他力本願っぷり。大公の親戚でさえなかったら、とっくに爵位も領土も没収だ、と息巻いてたのは他でもない、財務官時代の父であった。


(堅実なお父様とは真逆のタイプ……! というか確実に嫌ってるでしょうこれ)


「三男が片付いて、やれ安心だと油断していたんだけどねえ。知らぬ間にひとり増えてたらしい。全く、そっちの才能だけは優秀な侯爵様だ」


 皮肉まじりに言い、フンと鼻で笑う。

 マシェリは思わず頰を引きつらせた。ここまで素を剥き出しにしている父も珍しい。


「でも直ぐにお断りするつもりなら、わたくしに話したりしませんわよね。何かあるのでしょう? お父様」

「お前には敵わないなあ。そう、実はあるんだよこれが。その四男がね、薬師の資格を持っているらしいんだ」

「薬師⁉︎」

「お前が考えた新事業には必要だろう? 薬の特許を取得するにも身内に薬師がいてくれた方が何かと都合がいいしね」


 マシェリは最近、伯爵領の空いてる土地を使って、少しの水でも育つ薬草の栽培を始めていた。まだ試験段階だが、この薬草の根を乾燥させれば鎮痛効果のある生薬ができる。

 目指すは、水脈に頼らずとも成り立つ事業。だが材料があり、作り方が分かっても、製造や販売を始めるのには国家資格を有する薬師が最低ひとり必要だった。


「四男でしかも薬師……確かに理想的ですわ」

「エクスター侯爵の子息でなければなお良かったんだが」

「もしも駄馬なら、わたくしが手綱を引けばいいだけのこと。それに、クロフォード伯爵家には公国一厳しい金庫番がおりますもの。お金の横取りなど、そうたやすくできるはずがございません」

「我が娘ながら頼もしいことだ。──では、話をすすめても?」

「ええ、帰国後にお会いしますと伝えて下さいませ」


 未婚の侯爵家の子息も薬師も、そうそう出会えるものじゃない。それが同時に、しかも向こうの方から転がり込んできたのだ。


(これを逃す手はないわ。薔薇の事業で得た利益をつぎ込んで、試薬作りを同時進行ですすめていけば、次の乾季前にはなんとか形にできる)


 残る問題は妃候補と借金の件だが、女嫌いで名のしれた皇太子のことだ。例え登城初日に振られても、さほどマシェリの疵にはならないだろう。それでも国からの褒賞金は出るし、水脈も開放されるはず。残った借金は薬の事業を担保にして、分割払いにでもしてもらえばいい。


(怖いくらいに順調だわ……)


 ベッドの上で足に爪紅を塗り終えると、マシェリはようやくホッと息を吐いた。仰向けになり、ランプの明かりを消して──ふと、思い出す。


(そういえば、皇太子殿下の好きな色って)


『赤』だったな、と思った時には、マシェリは眠りに落ちていた。



 ◆



 二週間後──四頭立ての馬車が、クロフォード伯爵家の門をくぐり抜ける。


 母があつらえてくれた、純白の豪華なドレスや宝石を身に纏う。普段ほとんどしないメイクも、若い侍女が丁寧に施してくれた。

 深紅の髪は試作品の薔薇オイルを使って艶を出し、ゆるく編み込んだ残りを背中に流す。


 支度完了したマシェリが母に付き添われて応接室に向かうと、藍色の軍服に身を包んだ青年がソファに座って待っていた。

 濃い茶色の髪は少し長めで、その下に意志の強そうな眉と瞳が隠れている。騎士らしくピンと背筋を伸ばした姿は若々しく、二十四、五歳くらいに見えた。

 だが詰襟の部分には金のバッジが光っており、それなりに高い階級である事がうかがえる。もしかしたら、見た目よりも少々年上なのかもしれない。


「お待たせいたしました。わたくしがマシェリ・クロフォードでございます」


 テラナ公国の礼式に則って挨拶すると、青年も立ち上がり軍隊の礼を取る。


「わたしはフランジア帝国第一近衛騎士団副団長、ルドルフ・ダニエと申します。本日は皇帝陛下の命により、マシェリ様をお迎えに参上いたしました」

「まあ。副団長自ら?」

「当然ですよ。何しろ貴女様は皇太子妃候補なのですから」


(今日一日で終了かもしれませんけど)


 つい本音が口から洩れかけたマシェリを、母が肘で突っつき、睨む。青い瞳が三角に尖っていた。どうやら『余計な事を言うな』という事らしい。

 出発前に小言を聞くのも嫌なので、仕方なく口を噤む。そんなマシェリを、ルドルフは怪訝な顔で見つめていた。


「それでは行ってまいりますわ。お父様、お母様。サマリー、薔薇に触れてはダメよ。危ないから」

「分かったわ。だから早く帰ってきてね、お姉様」

「いいえ。帰ってきてはダメよマシェリ」

「無茶なことを言うんじゃない、マリア。明日だろうが一週間後だろうが、とにかく一度は帰ってくるんだ。その間、薔薇と薬草の事業の方はわたしがちゃんとやっておく。心配しないで行ってきなさい」

「はい」


 馬車の前で家族との別れを惜しんでいるところへ、アディルが歩み寄って来た。手にしていた四角い包みをマシェリに差し出し、日焼けした頬に笑みを浮かべる。


「以前頼まれていた薔薇の絵です。ようやく描きあがりました。……お戻りになられたら、お使い下さい」


 それは薔薇オイルのラベル用のデザイン画だった。優しいアディルの人柄を表すように、柔らかなタッチで描かれている。


「ありがとう。お守りがわりに、持って行くわ」

「はい。……お気を付けて。マシェリ様」


 ルドルフの目を気にしてか、父母が渋い表情でこちらを見る。だが当のルドルフは我関せず、とばかりに背を向け、見て見ぬ振りをしてくれていた。





 国境近くの大通りでは、道の両脇に祝福の人垣が出来ていた。あちこちから撒まかれる大量の花、歓声をあげる群衆。泣いてくれている、人たち。その光景を目の当たりにしたマシェリの胸に、じわりと熱いものがこみ上げてくる。


 国境出口の花のアーチをくぐり抜ける直前、マシェリは窓から身を乗り出し、皆に大きく手を振った。


「──皆んな、行って来ます!」

「え⁉︎ ちょ、ちょっと、マシェリ様?」


 ルドルフがぎょっとして声を上げる。だがマシェリはお構いなしに、手をぶんぶんと何度も振り回した。



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