32
茨のアーチをくぐったグレンとマシェリは、酔いがさめた案内役とともに、深い森の一本道を進んでいた。
しかし、行けども行けども出口が一向に見えてこない。
「ハリス。サラのいる『檻』まで、どのくらい時間がかかりますの?」
「三分ノ二マデキタ。アト、モウ少シ」
炎の翼で先を行く、ハリスが振り返りながら答える。
(……これだけ歩いて、まだ三分の一も残ってるだなんて)
少々げんなりしながら道の先を見ると、分厚く生い茂った木の葉の隙間から、一筋の光が射していた。
月のように真ん丸く、地面を照らしている。
「もしかして、あれが出口?」
「チガウ。……ナニカ、嫌ナ気配スル。オ嫁サンタチ、チョットココデ待ッテテ」
警戒しながら、ハリスが光の周りを旋回する。
「『籠鳥檻』」
声とともにパチン、と指を鳴らす音が響いた。
そのとたんハリスの炎が消え、黒い鳥籠に囚われる。姿は見えるが、叫ぶ声も暴れる羽根音も一切聞こえてこない。
「──ハリス⁉︎」
「さっすがリリア。一発で捕獲成功だね」
茂みから、首に赤いリボンを付けた黒い子猫が飛び出してくる。続いて現れたのは、黒ローブにとんがり帽を被った桃色髪の少女。
片手にぶら下げたハリスの鳥籠を覗き込むと、紅い目を細めて笑う。
「当然よ。なにせこれは、寿命四百三十年分のお仕事だもの。しくじるわけにはいかないわ」
「お前たち、何者だ?」
グレンが剣を向けると、鳥籠をとんがり帽に押しこみながら、リリアと呼ばれた少女がこちらを見た。
「わたしは魔女のリリア。で、こっちが使い魔のアイリスよ。ヴェラドフォルクに依頼されてね。貴女たちをずーーっと待ってたの」
「ヴェラドフォルク?」
「フランジアの初代国王の父であり、僕ら皇族にとっての始祖。……つまり、水竜だ」
苦々しげに言うグレンを「あら」と、リリアが腕組みをして見返す。
「自分のご先祖様なのに、ずいぶん冷たい言い方をするのね」
「当たり前だ。普通に考えて、人間の女の子が魔物に求婚されて喜ぶわけがないだろう。どうせ陛下と同じく水資源を盾にしたか、力で脅して承諾させたに決まってる。僕には断じて受け入れられない」
「殿下……」
(登城初日、出てこなかったのはそういう理由だったのか)
初めから、貢ぎ物の女性を国に帰すつもりだったのだ。
その場にグレンがいなくとも、登城した証明書さえあれば、水脈の開放は約束される。皇太子の責による妃候補の取り消しなら、テラナ公国やマシェリが皇帝に咎めを受けることもない。
〝女嫌い〟の噂がある皇太子なら、返品されたところでその女性の疵にはならないことも、きっと見越していたのだろう。
「自分のことはそっちのけで、他者の幸せばかり慮る。馬鹿みたいに優しい竜。貴方は嫌かもしれないけれど、そういうところ、ヴェラドフォルクとそっくりよ」
「馬鹿みたい、じゃなくて馬鹿でしょ。魔物が人間なんかのために、自分の寿命ほぼ全てを投げうって、時の魔女と契約するだなんてさ」
あくび交じりに言いながら、アイリスがしっぽをピン、と立てる。
その額が、仄かに光っていた。
「無駄話はもう終わりにしなよ、リリア。さっさと依頼を片付けてコレを消さないと、ぼくまで馬鹿がうつっちゃう」
「はいはい。分かったわよ、アイリス」
ローブの袖口から取り出した杖で触れると、煙がポンと弾け、黒猫が見覚えのあるまだら卵に変化。
リリアはそれを両手で持ち上げると、にっこり笑ってマシェリに差し出してきた。
「はいこれ。貴女が逃した、水竜の卵の代用品。迷子の子猫ちゃんを連れ帰るついでに、置いてきてちょうだい」
「水竜の卵って……サラが入って行ったのは、絵本の『檻』とは違う魔本でしたわよ?」
「わたしが時を止めてすり替えたの。貴女たちの時を巻き戻して、十歳未満の子どもの姿にしたのもわたし。魔王から護ってやるつもりが、逆効果になっちゃったけど」
「そんなことを、ヴェラドフォルクが依頼してたっていうのか? 四百年以上の寿命を対価にして? そもそも三十年も前に死んだ奴が、どうして逃げた卵のことを知ってるんだ」
「ヴェラドフォルクはまだ死んでないわ」
訝しげな目で見るグレンを、リリアが紅の瞳で見返す。
桃色の前髪を指先でよけると、額に蒼い竜の紋が光っていた。
「わたしには守秘義務があるから、依頼の詳しい内容は話せないの。でも、これだけは信じて。この蒼竜紋に誓って、貴女たちには決して危害を加えない」
「あれは……蒼竜石の?」
「いや、たぶん竜の契約だ。約束を果たせば確実に対価が手に入る反面、失敗した時のリスクも大きい」
「さすがによく知ってるわね。……そう。この依頼を達成できなければ、わたしは死ぬの。貴方にとっては『そんなこと』でも、ヴェラドフォルクとわたしにとっては、命がけの一大事。ふたりには是が非でも協力してもらうわ」
そう言ってマシェリに卵を押し付けると、リリアは袖口から短い杖を取り出した。地面の丸い光に杖先を向け、現れたのはドアくらいの茨のアーチ。
「ここをくぐれば、絵本の『檻』の中に入れるわ。蒼竜石の祝福は消えちゃうけどね」
「なるほど。たとえ魔界経由でも、『檻』に入ってしまえば規定通り契約は消えるということか」
「でっ、でも。貴女がこの『檻』を作った魔女なら、出入りは自由なはずじゃありませんか。……わざわざ、わたくしたちに頼まなくたって」
呟くように言い、唇をきゅっと噛む。
ほぼ無意識に、マシェリはグレンの腕にしがみついていた。
「あら。わたしが行ってあげてもいいけど、それ相応の対価をいただくことになるわよ。ほんの僅かな寿命しかない人間の貴女に、それが支払えるのかしら?」
「マシェリに手を出すな。──どうせ、テラナ公国の水脈を開放したら、破棄する予定でいた婚約だ。消されても構わない」
「こ、婚約破棄の予定⁉︎」
『関係を考え直す』というのは、やっぱりそういう意味だったのか。
戸惑うマシェリの手を取り、グレンがにっこり微笑む。
「そのあと改めて、クロフォード伯爵家に君を迎えに行くつもりだった。貢ぎ物などではなく、ひとりのご令嬢として」
「……父が、反対するかもしれませんわ。皇太子と伯爵家令嬢では、分不相応すぎる結婚だからと」
「妃に相応しいかどうか、決めるのは僕だ。必ず認めさせる」
向かい合って絡めた左手に、グレンが唇を落とす。
「二度目の求婚では、ちゃんと『はい』って言ってね。マシェリ」