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 魔道具のポケットから取り出されたのは、黒い魔本。


 マシェリは、一歩後ろに後ずさった。


「まさか、わたくしを封印するつもり?」

「……はい。シ、しあわせ、に、すルために」

「なにを馬鹿な事を。檻に閉じ込められて、しあわせになれるはずがないでしょう! わたくしは」

「左手の蒼竜紋ヲ取り消す」


 急に目覚めたかのように、ターシャの瞳が大きく見開く。

 その口調も声も、いつものターシャのものとは違う。カタカタと手を震わせながら本をマシェリに向けた仕草もまるで、誰かに糸引かれる操り人形のようだ。


「にゃっ、にゃあーあっ!」

「サラ⁉︎  ──だめよ、やめて‼︎」


 床を蹴って飛び出すサラに、ハッとして手を伸ばす。するとその瞬間、狙いすましたように漆黒の魔本が光った。

 思わず閉じた瞼の裏に、捕まえ損ねた子猫の残像が焼きつく。


「──サラ!」


 魔本に向かって駆け出すマシェリを、背後から誰かが抱き留める。


「行っちゃだめだ。マシェリ」

「殿下⁉︎ はっ、離してください。サラが……サラが、『檻』に封印されてしまったんです! 助けなくちゃ」


 そう言いながら顔だけ振り向き、息を呑んだ。

 蒼いガウンを羽織ったグレンの、首から下に巻かれた包帯にマシェリの目が釘付けになる。


「僕があいつから魔本を奪うよ。……危険だから、君はここにいて。マシェリ」

「その、包帯はどうしたんです? 怪我してるなら、殿下のほうこそ寝てなきゃダメじゃありませんか!」

「かすり傷だから大丈夫。それに、相手は傀儡だ。手足に絡んだ魔力の糸を絶ってやれば、動きは止められる」


 素早く抜いたグレンの剣が、ターシャの足元を一閃する。

 ──が、ギリギリのところで剣先が空を掠めた。


 後ろへ飛び退き、刃を軽々とよけるターシャの動きは、歴戦の騎士のような俊敏さ。

 音もなく床に着地した侍女が、口端を上げにたりと笑う。


「操る側の魔力が上乗せされてるな。……今の状況じゃ、長引かせるとこっちが不利か」


 身構える肩に掛かったガウンが床に落ち、包帯の上半身が露わになる。

 グレンの背中に、赤い染みが点々とにじんでいた。


(これ以上動いたら、傷口が開いてしまう)


 唇を噛み、魔法の靴を見下ろす。何もない左手を握り締めると、マシェリはグレンの背中にそっと抱きついた。


「……殿下。わたくしがテラナ公国へ帰る前に、マーマレードの試食をしてくださいませ」

「マシェリ?」

「約束、ですわよ」


 振り返ったグレンに、にっこり微笑む。

 マシェリはドレスの裾を掴むと、魔本に向かって駆け出した。


「さあ、とっととわたくしを封じなさい!」

「ここに手ヲ」


 マシェリは覚悟を決め、魔本の開いた頁に触れた。

 この中に吸い込まれてしまえば『檻』への投獄規定により、全ての所持品と契約が消滅する。


(婚約も破棄も。狙った通りにはいかないものね)


 商売と同じだ。自嘲気味に笑って目を伏せた時、魔本に触れた手を握り締められた。


 驚き、顔を上げる。


「これで僕も投獄対象だ」

「──殿下⁉︎ ど、どうして」

「こんな怪しげな『檻』、君ひとりでなんて行かせられないよ。それに、サラを連れ戻したら一刻も早く婚約の更新がしたいしね」


 戸惑うマシェリに、グレンが麗しい笑みで応える。

 半分ほど魔本にのまれたふたりの手に、黒い魔力の風が渦巻く。本を持つターシャの手が、小刻みに震え出した。


「や、めロ。おまエは、マシェリに相応しクない」

「お前に指図されるいわれはない。未来永劫、マシェリは僕だけのものだ」

「殿下……」


 昨日までは聞き流せていた台詞が、甘ったるく耳に残る。

 嬉しさと気恥ずかしさとでマシェリが狼狽えていると、急に目の前が真っ白になった。









 頰をやわらかな風が撫でていく。

 目をゆっくり開けてみると、丸い月がぽっかりと空に浮かんでいた。


(外? いいえ、魔本の檻の中に入ったはず)


 しかし仰向けのままキョロキョロと辺りを見回してみても、鬱蒼と生い茂った木の影以外なにもなく、ここが間違いなく外で、どこかの森の中である事は疑いようもなかった。

 『檻』と聞き、鉄格子のはまった牢屋とまではいかないまでも、てっきり建物の中に入れられると思っていたマシェリは、この状況に少々戸惑っていた。

 とりあえず、一緒に来たはずのグレンを探そうと草原の上に手をつき、むくりと起き上がる。その時──何か違和感を感じた。

 やけに手の指が細く、短い。というか小さく見える。


(もしかして、まだ寝ぼけているのかしら)


 首を傾げつつ、目の前で自分の手を開いたり、握ったりしてみる。……うん。やっぱり、どこからどう見ても小さい。

 『檻』の効果で、体が縮んだのだろうか? 焦って立ち上がりかけた時、どこかの茂みがガサガサ動いた。


「……マシェリ! 良かった、やっと見つけた」


 背後から上がった声に、くるりと振り返る。四つん這いで茂みをかき分けて出てきたのは──黒髪に大きな瞳。愛らしい顔立ちをした、七、八歳くらいの男の子だった。

 フロックコートのような上着にズボンを履いていて、身なりはどこかの貴族の坊ちゃんだ。が、初対面の年上の女性をいきなり呼び捨てにするなんて、一体どんな教育を受けてきたのだろう。

 マシェリはキッと男の子を睨んだ。


「貴方は誰ですの? 子どもだからといって、いきなり淑女(レディ)を呼び捨てにするなんて失礼でしょう」

「……もしかして、まだ起きたばかりなの? マシェリ。僕だよ、君の夫のグレンだ」

「殿下はまだ夫じゃありません! ……って、グレン? まさか貴方」

「ああ、君の婚約者のグレンだよ。……やっぱり、今の僕は子どもに見えるのか」


 雲に隠れていた月が顔を出したとたん、グレンと名乗る男の子の首に翡翠色の鱗が浮き出てくる。

 この子は間違いなくグレンだ。ホッとしたマシェリの心を汲みとったように、皇子様が蒼い瞳を細めて笑う。


「少し前に目を覚ました時、服を着ていたからおかしいなと思ってね。手も足も小さくなってるし、君もそうかと思ってたら案の定だった」

「……わたくし、何歳くらいに見えますの?」

「十歳くらいかな。靴のサイズからいって僕はたぶん八歳くらい。魔本の影響だと思うけど、お互い、六、七歳くらい若返ったみたいだよ」


 気軽い様子で言うグレンに少々呆れたが、それと同時に安心もした。


「首、怪我は治ったんですの? 背中は?」

「起きたら包帯と一緒にどっか行ってた。──さ、サラを探しに行こう」


 差し出された小さな手をとり、草原からよいしょ、と立ち上がる。

 グレンと同じく怪我は消えてなくなったようで、足にはもうまったく痛みがない。それでも、マシェリはあまり素直に喜べなかった。

 着ていたドレスだけでなく、魔法の靴もリボン付の可愛らしいデザインに変わってしまっていたのだ。


(このドレスも靴も、どこか見覚えがある。もしかして、子どもの頃に身に付けていたものかしら)


 グレンとの年齢差も今と変わりないし、ただ体が小さくなったわけではなく、時間を遡ってきたみたいだ。


「……サラ、無事だといいのだけれど」

「それは僕も考えてた。サラはまだ子猫だったし、若返ったりしたら消えて無くなっちゃうかもしれない」

「そ、そんな縁起の悪いことおっしゃらないでください!」


 思わず張り上げた声が、自分でもはっきり分かるほど幼い。口調とちぐはぐでおかしい。

 にやにやとマシェリを見てくるグレンを、膨れっ面で見返したとき、目線の高さのおかしさにも気がついた。


「背、縮んでませんか? 殿下」


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