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 太古の昔、人と魔王が交わした平和条約には、様々な法規(ルール)が盛り込まれていた。


 人界での魔物の密猟や密売の禁止。逆に、魔界では魔物や魔女に対し、人間に危害を加える行為を厳に禁じている。

 そしてそれは、人界に住む魔物に関しても例外ではない。


「竜の魔法は効力がとても強い。ただでさえ、普通の人間にとっては激毒なんだ。今回は左眼の魔石のみで魔法が未完成だったから、鞭打ちの仕置きのみで済ませてやったが……蒼竜石を持ち出したと気付いた時には頭にきて、永久凍土の氷像にしても飽きたらないほどの気分だったぞ」

「もしかして……だから忘れたんですか?」

「忘れた? 何をだ」

「マシェリ様の身上調査書、宝物庫に放りっぱなしにしてたでしょう。因みに、陛下がアディルに剣を向けた原因はソレです」

「……年寄りは物忘れが激しいんだ。仕方ないだろ」


 首から手を離し、プイとそっぽを向く。とてもそうは見えないが、どうやら本気で耄碌してきているらしい。


「相変わらず嫌味な男だ。わたしがいなくなった後、ユーリィの面倒をみさせるつもりだったのに、うっかり殺してしまうところだったじゃないか」

「殺人は死刑確定の大罪ですよ。それに……この際だから言わせていただきますが、殿下が禁忌の魔法を使ったのはマシェリ様を気遣ってのこと。本当に責められるべきは、おかしな策略を巡らせ、彼女に怪我を負わせた我々のほうではありませんか」


 あまりに軽薄で矛盾に満ちたヴェラドの物言いに、ビビアンは思わず声を荒らげた。


「詳しい経緯は存じませんが、貴方とユーリィが兄妹同然の関係であること、マシェリ様がユーリィの命の恩人であることは、昨日階段でお聞きしました。ですが恩返しのためというなら、どうして彼女をフランジア帝国に連れて来たんです? わざわざルドルフの姿に化けてまで」

「あの騎士は女にだらしがない。だから代わりに迎えに行っただけだ」

「わたしが言っているのは、そういうことではありません。身上調査書を適当にでっち上げ、マシェリ様を妃候補から外すこともできたはず。なのに、なぜ貴方は──」

「……お前は少々、おしゃべりが過ぎるな」


 日の光よりも眩しい、右眼の蒼い輝きに、ビビアンの二度目の質問が遮られる。


 思わず瞑目して顔を上げると、見慣れた皇帝側近の姿がそこにあった。黒髪に、青灰色の双眸。右目の下に泣きぼくろのある甘い顔立ちは、どことなくユーリィに似ている。

 ルディは存在を確認するように左目を軽くさすると、黒い官吏服の襟を整えた。


「これより、ルシンキ並びにカイヤニの大公両名を、平和条約違反の罪で捕縛に向かう。──黙ってわたしについて来い、ビビアン」





 ◆

 ◇




(このまま、サラに連れて行かれるわけにはいかない)


 マシェリは、皇帝に首を斬られたアディルのことが気がかりだった。

 倒れたのが医局でジムリもいたのだから、心配など不要だろうが、無事を確認するまでは落ち着かない。


 マシェリは大広間の扉の前で足を止めると、飛ぶように先を走る黒猫に向かって声を張り上げた。


「待って、サラ!」

「にゃっ?」 


 足を止めたサラが振り返り、青い眼をぱちぱちさせてマシェリを見る。


「わたくしについて来なさい。控え室より先に、行きたい場所が──」

「失礼致します。マシェリ様」


 背の高い侍従がマシェリの前を横切っていき、大広間の扉を開く。

 そのとたん、まばゆい光の洪水が視界に飛び込んできた。


 豪奢な絵画が描かれた天井にはいくつものシャンデリアが輝き、壁面にも大小さまざまなランプが灯されている。そのきらめきを磨きあげられた大理石の床が反射し、大広間内の明るさや煌びやかさをより際立たせていた。

 白いクロスの丸テーブルに並べられた銀の食器とワイングラス。美しく折られ、花を添えて置かれた蒼色のナプキン。

 金の燭台の傍らには、瑞々しい果物が盃に盛られていた。


(もしやここが、殿下とわたくしの婚約パーティー会場? 夜会で行ったテラナの城の二倍、いいえ十倍くらいは豪華だわ)


 思わず押さえた胸が高鳴る。


 中央のひときわ大きなシャンデリアを見上げていると、さっきの侍従に「足元、気をつけてください」と、声を掛けられた。

 ぐるぐる巻きの絨毯が、二人がかりで大広間の床に転がされていく。


 レッド・カーペットは、パーティーの主役が歩く花道。

 そして今夜の主役はもちろん、グレンとマシェリだ。


「にゃっ!」


 ふりふりとお尻を振り、転がるカーペットに突撃の姿勢を見せたサラを、慌てて抱き上げる。


「……だめよ。あれは、わたくしの大切なものだから」

「にゃ、にゃあーーあ?」


 不思議そうな顔で眼をぱちくりさせる仔猫に、マシェリはふっと微笑んだ。


「マシェリ様、何してるんですかあ? 侍従長が探してらっしゃいましたよー」


 黒縁眼鏡の侍女がぱたぱたと走って来る。パーティー仕様なのか、エプロンとヘッドドレスのフリルが普段よりたっぷりめで、ふわふわ揺れて可愛らしい。


「ああ、ごめんなさいベル。医局に薬をもらいに行ってくるから少し遅れるって、フローラ様に伝えてもらえる?」

「薬って、もしかして殿下のですか? それなら、さっき侍女頭が持って行きましたよ」

「……何ですって?」

「あれ、ご存知なかったですか? マシェリ様のお部屋に行った時に頼まれたらしいんですよー。水と一緒に──って、マシェリ様⁉︎」


 気付けば、踵を返して駆け出していた。

 医務室へ向かう階段にも、煌びやかな大広間にも背を向けて。


 薬と言っても色々ある。目覚めを良くしたり、緊張を緩和したり。病気でなくとも飲む時はあるものだ。

 そんなことくらい分かっている。なのに、早くグレンのもとへと()く足を、どうしても止められない。


「にっ、にゃにゃーにゃ」

「分かってるわサラ。……わたくしだって、大丈夫だと信じたい」


 脳裏をよぎったのは昨夜礼拝堂で見た蒼竜石と、不穏な噂のある皇帝側近の後ろ姿。

 どうにも嫌な胸騒ぎがする。

 胸に抱いたサラを気遣いながら階段を駆けおりると、ちょうど廊下を歩いてきたターシャと鉢合わせた。


 手にしたトレイに、空になったグラス四つと、鎮痛薬の紙袋をのせている。


「マシェリ、様」

「今、戻って来たのね。殿下はどんな様子ですの?」

「殿下、は、薬を飲んで寝ています。背中を、怪我していて」

「……怪我ですって?」


 嫌な予感が的中した。

 ターシャの脇を駆け抜け、回廊に通じるドアを開く。


 そのとたん、足元のサラが全身の毛をぶわっと膨らませた。


「シャーッ!」

「どうしたの? サラ」


 ヴヴ、と唸り声を上げるサラに驚き、かがみ込む。その視線は、マシェリの背後に向けられていた。

 振り返ろうとしたとたん、背筋にぞわりと悪寒が走る。


 それは、はっきりと感じ取れる殺気だった。


「ダメです、よ。マシェリ様。……殿下は、(よこしま)だかラ」

「……ターシャ?」


 マシェリは思い切って振り向いた。


 するとそれが合図だったかのように、ターシャがトレイを手から滑り落とす。

 グラスの砕ける衝撃音が、回廊に響き渡った。


「! 何を」


 床に散らばるガラスの破片に一瞬目を奪われ、次に視線を上げた時──暗く翳った瞳の侍女が、エプロンのポケットをぽんと叩く。


「マ、シェリ。貴女を……しあワせにしてあげル」


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