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「はいそうですか、と引き下がるわけにはまいりませんわ」


 マシェリはグレンににじり寄った。 


「きちんと説明してくださいませ。宝物庫に保管してあるはずの国宝が、なぜ、殿下のポケットから出てきたのかを」

「……色目を使うにしては少し時間が早いよ、マシェリ」


 作業台の脚を背にしたグレンが、覆いかぶさるマシェリを上目遣いで見ながら言う。

 構図的には完璧に、マシェリがグレンを押し倒していた。


淑女(レディ)のくせにはしたないなあ。髪も乱れてるし。そんなに、夜が待ちきれなかったの?」

「ち、違います! わたくしは決して、そんな」


 言いかけた言葉を口づけで遮られる。


 唇を離そうとしても、頭を押さえつけられて逃げられない。自業自得とはいえ、手も足も出ない四つん這い状態が恨めしかった。


「──んぅっ?」


 口に入りこんできた違和感に、堪らずマシェリが足をバタつかせると、グレンがようやく手を放した。


 強引にキスされた唇が、まるで毒が回ったようにしびれる。

 マシェリはその場にぺたんと座り込み、熱の上がる頰を両手で覆った。


「……ひどいわ、殿下。わ、わたくし」

「ひどい? 心外だな。可愛らしくおねだりしてきた婚約者に対する礼儀のつもりだったのに」


 ケロッとした顔で、十四歳の皇子様がのたまう。そういえば、コレの父親はアレな皇帝だった。


(油断した自分が悪い。でも……! これだけは言ってやらなきゃ気が済みませんわ)


 マシェリは顔を上げ、グレンをキッとにらんだ。


「初キスは、結婚式でと決めてたんです‼︎ それを、貴方という人は」

「予行練習と思えばいいじゃない。どうせ相手は僕なんだし」

「よ、予行?」

「これから先も、手とり足とり教えてあげるよ。──さ、そろそろ火を何とかしないと。ねえ? ターシャ」


 マシェリの赤髪を指先で弄び、傍らに立つ侍女をちらりと見る。

 グレンと目が合ったターシャの顔が、みるみる真っ赤になっていった。


「おい、そろそろ苺の水分出てきてるぞ。鍋、火にかけなくていいのか?」


 鍋に手をかけたガレスが、半眼でにらんでくる。

 どうやら、目撃者はひとりではなかったらしい。


「ああ、ごめんガレス。もう少しだけ待っててね」

「何かムカつくから、急に名前で呼ぶのやめろ。……おっ、帰ってたのか司書様。早かったな」

「ただ今戻りました」


 冷たい風に当たったせいか、ユーリィの顔が少々青ざめている。マシェリは思わず立ち上がった。


「おかえりなさいユーリィ様。外、寒かったの? 顔色が……」

「平気です。それより、殿下」

「何?」

「さっきルディ様と会って、一緒にそこまで来たんです。大事な話がある、と仰ってました」

「出口で待ってるのか。……相変わらず、勘の鋭い男だな」


 苦笑したグレンが、独り言のようにつぶやく。


「もしかして、お仕事ですの? こんな時間に」

「うん。でも、たぶん急ぎの用件だから行かないと」


(……結局、蒼竜石のことは聞き出せなかったわ)


 キスで上手くはぐらかされた気がする。

 唇に触れながら、グレンにじっとりとした視線を向けると、蒼色の外套を羽織った横顔に笑みが浮かぶ。


「そんなに見つめられると行きにくいな」

「にらんでるんです。わたくしの純情を弄んだ罰ですわ」

「僕に言いたい事があるなら、今晩部屋においで。ベッドの上でゆっくり聞いてあげるから」


 耳元でからかうようにグレンが囁く。

 頭にきたマシェリが膨れっ面をそむけると、頰にキスを落とされた。


「……! な」

「また後でね、マシェリ」


 マシェリの平手をヒョイとかわし、グレンがキッチンを出て行く。思わず後を追いかけると、外套のフードを目深に被った男が、礼拝堂の出口に立っていた。

 薄暗いせいで人相は分からないが、肩幅が広く背が高い。


「お待たせ、ルディ」

「いいえ。こちらこそ、突然お呼び立てして申し訳ない」


(あの方が、ルディ様……)


 声を掛けようかどうか一瞬悩む。皇帝の側近ならば、この機会に挨拶をしておくべきだろう。

 しかし、緊張のせいか足が前に踏み出せない。


「さ、参りましょう殿下」


 月光が照らす外へ、ふたりが歩き出す。


 結局、話しかけそびれてしまった。ため息とともに踵を返し、キッチンへと戻っていく。


「しっかり戸締りしてきたか? 姫」


 入り口で、腕組みをしたガレスが待ち構えていた。


「鍵はかけませんわ。だって、殿下が戻って来るかもしれないもの」

「……だから閉めろって言ってんだけど」

「ガレスさん、やめた方がいいですよー。横恋慕は。マシェリ様と殿下、今いいとこなんですから」

「たしかに、勝ち目のない勝負はすべきじゃないわね。貴方は大人しく料理人として活躍してちょうだい」

「へいへい。……で、どっち作ればいいんだ?」


 ユーリィは箱の中のオレンジをひとつ取り、ガレスに差し出した。


「マーマレードよ。記憶にないようだったけど、殿下もお好きだったらしいわ」

「えー? でも、マーマレードって少し苦いですよねぇ。殿下ったら大人っぽーい」

「マセガキなだけだろ」

「不敬よ、ガレス。……それじゃあ、苺の鍋はターシャに任せて、わたくしたちはマーマレードの下準備にとりかかりましょう」


 はーい、と間延びした返事がふたつ上がる。

 器用なベルとユーリィはオレンジの皮むき。マシェリはお湯を沸かすため、流し台に置いた大鍋に水を注ぐ。 

 皇城へ来て一番はじめに感動したのは、蛇口をひねるだけで綺麗な水が出たことだった。


(テラナ公国では水路からポンプで汲み上げて使ってたものね。断水する時もけっこうあったし)


 一昨日出した謝罪の手紙は、父のもとへ届いただろうか。

 当初一週間後に予定していたマシェリの帰国は実質、無期限の延期となった。エクスター侯爵家の四男との縁談も当然、白紙となる。計画が狂った事で父が苛つき、高価なオイル抽出機に八つ当たりをし始めてるかもしれない。


(皇子様との結婚なんて、送料の想定ミスどころじゃないほど怒ってらっしゃるわ。きっと)


 明日、父とパーティーで会うのが怖い。

 忙しさを理由に、いっそ欠席してくれたらいいのに。

 マシェリはため息を吐きつつ、蛇口を閉めた。


「それ、俺が運んでやるよ。姫」


 横から手を出してきたガレスが、水をなみなみ注いだ鍋の取手を掴む。


「ありがとう、ガレス」

「どういたしまして。……葡萄は調理場のほうで引き取ってくれたし、なんとか今日中に片付きそうだな」

「ええ。孤児院の子供たち、喜んでくれるといいのだけれど」

「それなんだけどさ。出来上がったら、俺に届けさせてくれないか? あのジャム」

「ガレスが?」


 鍋をコンロに置く、横顔がやや赤らんで見えた。


「実は最近、顔出してないんだ。用事があれば自然に行けると思って」

「そういう事情なら是非行ってらっしゃい。……家に帰りにくい状況の辛さは、わたくしにも良く分かるから」


 思わずそっと目を逸らす。


「よし、じゃあ配達は俺に任せろ。司書様、孤児院の住所教えてくれ」

「住所って……まさか、忘れるくらい帰ってなかったんですの?」

「そんなわけないだろ。火事で全焼しちまったから引越したんだよ。なあ、司書様」

「ええ。これが、ビビアン様から借りてきた孤児院の情報です」


 ユーリィが差し出してきた書類を確認してみると、教会と孤児院の住所の他に、入所している子ども達の名前や年齢などが記されていた。

 そのうち一枚をガレスが指差す。


「六年前、この孤児院には魔女がひとり紛れてた。火事が起きたのは、そいつが元凶だったんだ」


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