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「もう十分困ってますわよ。キッチンでいきなり剣を振り回すんですもの」


 鍋いっぱいの苺に砂糖を振りかけながら、マシェリは横目でグレンをにらんだ。


「僕は謝らないよ。だってあれは(カラス)が悪い」

「俺の妻に手を出すな、ってことですよね! やだー、素敵。きゅんときちゃう」

「静かにしなさい、ベル。──マシェリ様、こっちの鍋にも砂糖、入れてもらってよろしいですか?」

「それは俺がやるよ。それより姫。柑橘類はマーマレードとジャム、どっちにするんだ?」


 砂糖の袋を抱え上げながらガレスが言う。

 なかなか難しい問題だ。マシェリは木べらを手に「ふむ」と考えこんだ。


 個人的にはマーマレードのほうが好きだが、刻んだ皮も使うため、ジャムより時間も手間も多くかかる。

 時間がない今、適してるのはジャムだろう。だが、マシェリにはひとつだけ確認しておきたいことがあった。


「皇妃様は、どちらを作ってらしたのかしら」

「調べればたぶん分かるとは思いますが……。まさかマシェリ様、作ったジャムを孤児院に寄付するおつもりですか?」

「そのまさかよ。どうせ宮殿の保管庫はいっぱいなんだし、そうでなくても素人が作ったジャムなんか、宮殿では使ってもらえないでしょう。だったら、必要としているところへ届けてあげるべきではなくて?」


 クロフォード伯爵家でも、事業で得た利益の一部は慈善事業にあてていた。公金で購入したものなら尚のこと、国の社会的弱者にまず回すのが正しい活かし方だろう。

 財務官時代の父ならきっとそうしていたはずだ。


(もっとも、お父様は賄賂なんて受け取ったりしないでしょうけど)


「マシェリ様のお気持ちは分かりました。ではわたしはちょっと失礼して、ビビアン様の所へ行って参ります。たしか、バザーや孤児院についての記録をお待ちだったと思いますので」

「お願いしますわ、ユーリィ様」


 ランプを手に礼拝堂を出て行くユーリィを見送ると、マシェリは首を横に振り、脳裏に浮かぶ黒い顔を消し去った。──ここで抹殺しておかねば、きっと悪夢で蘇る。

 キッチンに戻ると、手にしたオレンジをグレンがじっと見つめていた。


「せめて僕が覚えてれば良かったんだけどね。……亡くなってからずっと、母上のことは思い出さないようにしてたから」

「殿下……」


 マシェリは棚の瓶をひとつ取り、グレンに差し出した。


「苺はわたくしが煮詰めますから、殿下はこれを煮沸消毒してくださいませ。ジャムをすぐに詰められるように」

「ジャム作りの方が面白そうなのに」

「残念ですがそれはダメです。ジャムを焦がさないよう鍋で煮詰めるのは、けっこう大変なんですのよ」


 下手をすれば全滅だ。苺のヘタ取りのようにふざけられては、お話にならない。 


(こういう子どもっぽいところは、陛下に似てなくもない……ような)


 そのふたりの相手をしていたのか。今は亡き皇妃の偉大さを、マシェリはつくづく感じた。


「火加減なら大丈夫ですよ。わたしがちゃんとコレで調節できます」


 ターシャがにっこり微笑む。

 さっき見たのと同じ赤い魔石が、ちょこんと手のひらに乗っかっていた。


「魔法でそんな事もできるの? 便利ね」

「ええ。ですからポットからお風呂のお湯に至るまで、いつでも適温にして差し上げられます」


 そう言って胸を張る。いかにもベテラン侍女らしい。


「そう言えば、ターシャはルシンキ出身だったか。……ちょっと、その魔石貸してもらえる?」

「え⁉︎ はっ、はい」

「それ、どうなさいますの? 殿下」


 コンロの釜の前で屈むグレンに歩み寄ると、左手を掴まれた。


「おいでマシェリ。君に魔法を教えてあげる」

「……魔法?」


 きょとんとしたマシェリの手のひらに、グレンが赤い石をのせる。

 ほんのり温かく、生き物のように脈打っているその魔石は、表面がつるりと滑らかで、先の尖った三角形をしていた。


(もしかして、魔物の牙か爪の化石かしら)


 小首を傾げつつ屈みこむと、グレンが顔を覗きこんでくる。


「嬉しさのあまり、ついうっかり説明し忘れてたんだけど、君は蒼竜石の祝福を受けて、魔力を持ってるはずなんだ」

「そんな大切な事、うっかり忘れないでくださいませ。……というか、殿下はそこまで嬉しかったんですか? わたくしとの婚約が」

「それはもう。気分が高揚して、今なら水竜だって討ち倒せると思ったほどだよ。残念ながら、ルディに止められちゃったけど」


 そう言って肩を竦めるグレンに、マシェリは呆れた。


「止められて当然でしょう。水竜のケルトはフランジア帝国にとって、神獣と呼んでもいいほどの存在じゃありませんか。それを斬り捨てるだなんて」

「僕は水竜を崇拝なんかしてない」


 鋭く遮る声に、思わずマシェリは息を呑んだ。


「自分がその血を受け継いでる事も、正直あんまり嬉しくない。……ただ、さっきみたいに君が喜んでくれるなら、魔力を使えるのも悪くはないと思うけど」

「……責任重大ですわね、わたくし」

「火を調節するだけだから平気だよ。──その魔石を握って、蝋燭の炎を頭に思い浮かべてごらん」


(そういう意味じゃないのだけれど)


 婚約者の機嫌ひとつで、神獣との一騎討ちを始めるのだけはやめてほしい。

 マシェリは淑女の笑みを固持しつつ、赤い魔石を握り締めた。


「手の中が少し熱くなったら、すぐに火の中へ放り込んで。一瞬だけ炎が大きくなるけど、すぐにおさまるはずだから」

「こ、このまま火にくべてしまって、大丈夫なんですの? これ」

「大丈夫。簡単に溶けたり壊れたりはしないから。なにせ、これは火竜の牙の魔石だからね」


 魔物の化石が長い年月をかけ、結晶化したのが魔石と呼ばれているものだ。

 火竜といえば、鋼のような鱗を纏った火を吐く魔物。現存する竜の中でもっとも魔力が強く、採掘された魔石の価値も高いらしい。


「火を点けるのも調節するのも、魔石なしではできないんですの?」

「わたしは魔力が弱いので無理です。でも、ルシンキ公国の大公閣下は、魔石なしで結界や炎の魔法が使えるそうです。公国で随一の傀儡の使い手でもありますし」

「傀儡?」

「マリオネットと同じようなものだよ。要するに、操り人形の事だ」

「離れた場所から、魔力で人を操るんです。……ところでマシェリ様、石の方は大丈夫ですか?」


 ターシャのひと言で、手の中で急激に上がった『熱』に気付く。


「あつっ!」

「──マシェリ?」


 慌てて魔石を火の中に放り投げる。

 顔色を変え、マシェリの手を掴むグレンのズボンから、蒼く輝く宝石がコロリと落ちた。


「手のひらを見せて。……ああ、やっぱり赤くなってる」

「! 殿下、その石は……」

「いいからじっとしてて。火傷なら、氷魔法で応急処置できる」


 グレンはマシェリの言葉を遮り、石をポケットに突っ込んだ。

 ふたりが手を重ねると、蒼い光と冷たい風が渦巻く。その後わずか数秒ほどで風が消え、手の痛みと熱もひいた。


「これでよし。もう、痛くないでしょう?」

「ええ。……でも殿下、どうして貴方が蒼竜石を持ってるんですの?」

「僕が勝手にやった事だ。だから、君は何も気にしなくていい」


 グレンは漆黒の瞳を細め、マシェリに優しく笑いかけた。


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