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伯爵令嬢の不幸フラグ

「──マシェリ様!」


 ごく平均的な伯爵家邸の中庭に、若い庭師の快活な声が響く。


(そろそろお茶の時間かしら)


 茂みをかき分け、くせっ毛に絡んだ蜘蛛の巣をつまみ取る。作業用に着替えた古いドレスも、レースを木の枝でところどころ引っ掛け、穴が空いてしまった。

 今度、ちゃんとした作業着を新調しよう。つばの広い帽子をかぶり直すと、マシェリは籠を手に立ち上がった。


 生垣にぐるりと敷地を囲まれた屋敷の、唯一の出入り口。白いアーチの前で手を振る少年を見つけると、マシェリは長い赤髪を揺らしながら駆けて行った。


「マシェリ様……! またそんな格好で」

「ほら見て。わたくしずいぶん頑張ったでしょう? アディル」


 小言をさえぎり、得意げに見せた籠の中身は、隙間なくぎゅうぎゅうに詰めた満開の赤い薔薇。


「加工して茶葉やオイルにすれば、高値で売れるわ。乾季で枯れた花を片付ける手間も省けて一石二鳥! いいアイデアだと思わない?」

「ええ、きっと旦那様もお喜びになることでしょう。今、テラナ公国は帝国から水を止められてしまってますし……来月の雨季次第では、領地の作物が全滅する可能性もありますからね」

「今まで作物も生花も、市場にそのまま卸すだけだったでしょう? 売れ残りは廃棄するしかなくて……ずっと勿体ないと思ってたの、わたくし」

「さすがは堅実で知られるクロフォード伯爵家のご息女。マシェリ様は本当に、良くできたお嬢様です。──けれど」


 アディルの白銀の髪が、流れるように風になびいた。

 浅黒い頰に笑みを浮かべ、澄んだ(はなだ)色の双眸で真っ直ぐにマシェリを見つめてくる。


「貴女ももう十六歳。社交界デビューも済まされた事ですし、そろそろ土いじりなどはおやめになった方がいいですよ。花が必要なら、わたしが集めてまいりますから」


 にっこり笑って言うアディルに、マシェリはあら、と口を尖らせる。


「年上だからって、わたくしに意見するつもり? たった二つしか違わないくせに」

「いえ、そういうつもりでは。……ただ」


 一瞬言い淀み、アディルはマシェリから目を逸らした。


「わたしが嫌なんです。貴女の細い指が、傷だらけになると思うと」

「……アディル」


 籠を持つマシェリの手に、きゅっと力がこもる。

 だが口を突きかけた言葉は、アディルの肩越しに見えた人影に遮られた。


「サマリー! 薔薇は触っちゃダメよ。棘があるから危ないわ」


 生垣に手を伸ばす金髪の少女に、慌てて声を掛ける。

 サマリーはマシェリに気付き「お姉様!」と手を振ると、ドレスの裾を掴んで駆け寄って来た。


(! あのピンクのドレスは)


 背中に大きなリボンの付いた、パーティー用の一張羅。また勝手に引っ張り出して着たのだろうが、ここで破損を阻止しなければ、怒られるのはマシェリの仕事だ。

 怪我の心配以上に、やたらと長い母のお小言を聞くのが辛い。マシェリはため息を吐きつつ、サマリーを止めに走った。


「マシェリ! ──危ない!」


 アディルの声にハッとして足を止めると、黒い馬車が勢いよくアーチをくぐって来るのが見えた。


(このままでは跳ね飛ばされてしまう)


 マシェリは思い切ってサマリーに飛びつき、抱きかかえたまま地面を転がった。


「「きゃっ!」」


 泥まみれになったマシェリのドレスの端を、ガラガラと車輪が踏みつけて行く。

 玄関前の鉄製の輪止めで、馬車がようやく停車した。


 アディルが慌てて二人のもとに駆け寄ってくる。


「おふたりとも、ご無事ですか⁉」

「わ、私は大丈夫よ。でも、お姉様が……!」


 涙で潤んだサマリーの青い目に、顔を上げたマシェリの額が映る。

 転んだ拍子に出来たのだろう、小さな擦り傷に血が滲んでいた。


「平気よ。それより貴女が無事でよかった」


 これくらい、なんてことはない。姉としての名誉の負傷だ。

 マシェリはサマリーの美しい金髪を撫で、震える小さな体を抱き締めた。


(この子は自分が護らなければ)


「すまんすまん。少しばかり馬車を飛ばし過ぎたようだ」


 黒塗りの馬車から降りて来たのは、目にも鮮やかな朱色のコートを着た白髪の紳士。

 眼力のあるぎょろりとした瞳で、マシェリ達を見下ろす。


「謝って済む事か! あやうく大怪我をするところだったんだぞ!」

「アディル……」


 普段穏やかなアディルが声を荒らげ、怒りを露わにするのを見て、マシェリは胸が熱くなった。

 しかし、この黒馬車と紳士には見覚えがある。


「使用人ふぜいが偉そうな口をきくな。私を誰だと思っている。ええ?」


 澄ましたようなしゃべり方から一転、低く、威圧感のある声で自分より背丈のあるアディルをギロリと睨みつける。

 マシェリは、その声に聞き覚えがあった。

 以前父と行った城の夜会で、一度だけ会った事がある。──大公の側近、ダグラス侯爵だ。 


 赤はテラナ公国の国色であり、朱色の衣は、城に仕える官吏の制服。

 馬車のドアに施されたテラナ公国の紋章を見て、マシェリの勘は確信に変わった。


「やめてアディル。わたくしひとりで大丈夫だから、貴方は仕事に戻ってちょうだい」 

「マシェリ様……」

「行って」


 アディルを遠ざけ、半泣きでうろつく妹のサマリーには、母の元へ戻るように言い含め、背中を押す。


(さて)


 マシェリは立ち上がってドレスの埃を払うと、ダグラスににっこりと笑い掛けた。


「お久しぶりでございます。ダグラス様」

「ほう。私の名前を憶えておったか。さすがは伯爵家のご令嬢。礼儀も記憶力も平民とは違うようだな」

「ええ、もちろん。けれど貴方の事については、今日を限りにきれいさっぱり忘れるつもりですわ」

「なんだと⁉」


 声を上げたダグラスの口元が歪み、眉間に深いしわが刻まれる。

 しかしそれには構わず、マシェリは籠の花を鷲掴みにした。朱色のコートに叩きつけられた薔薇の花びらが、風に舞い散る。


「どうぞお帰り下さいませ、ダグラス侯爵」

「……今、わたしに対してどれほどの無礼を働いたか、解っているのか?」


 低く抑えた声が、怒りの大きさを表していた。

 それでも伯爵令家の令嬢として、姉としての矜恃にかけて、どうしてもこの場で言っておかなければならない事がある。


「あら。無礼なのは、そちらの無能な馭者と駄馬のほうじゃありませんの? 大事な妹を轢きかけた事、例え大公閣下が貴方をお許しになったとしても、わたくしは断じて許しませんわよ」


 きっぱりとした口調で言い切り、唇を引き結ぶ。凛とした新緑色の瞳は、強い風にも揺るがなかった。


「まったく、よく口の回る……噂以上のじゃじゃ馬令嬢だな」

「褒め言葉と受け取っておきますわ」


 マシェリの言葉に一瞬口端を上げたダグラスが、急にくるりと踵を返す。

 馬車のドアを開くと、中に向かって声を掛けた。


「いかがでしたか?  閣下」

「……え⁉」

「噂と寸分違わぬ気の強さ。マシェリ・クロフォード。そなたこそ、この国の危機を救えるただ一人の女性だ」


 キョトンとするマシェリの前に降り立ったのは、赤のコートにマントを羽織った白髪の老人。小柄ながらシャンと伸ばした背筋と鋭い眼光に、テラナ公国の大公たる威厳を漂わせていた。


「ジェイス・テラナの名に於いて。フランジア帝国皇太子、グレン殿下の妃候補となる事をここに命ずる」


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