17
「何てもったいないことを……!」
「本当ですね。……ああ、こっちもルシンキ産の果物でいっぱいだわ」
ユーリィが大きな保管庫の中を覗き込み、ため息を吐く。
(入りきらずに捨てるくらいなら、受け取らなければいいのに)
マシェリは、怒りに肩を震わせていた。
ドレスの試着を終え、侍従長のフローラからようやく解放された夕方。クッキー作りのためキッチンへ向かう途中、マシェリが目にしたのは、保管庫の前に山と積まれた果物の箱だった。
廃棄予定だというそれらは、グレンとマシェリの婚約パーティー用に仕入れられていたもの。乾季の今、貴族ですら入手困難な葡萄や柑橘類、苺まで取り揃えられている。
保管庫に食材を取りに来たふたりの料理人が、マシェリに気付きペコリと頭を下げた。
「廃棄の果物、これでもずいぶん減ったんですよ。水竜の捧げ物にする分は選り分けましたし、使用人用の居城にも結構な量を運んで行きましたから」
「ビビアン宰相からは全部廃棄にまわせと言われてたんだがな。あとから皇子様が来て、『もったいないから使えるものは捨てずに使え』って指示されたんだ。陛下には、ちゃんと話をつけたからって」
「殿下の……指示?」
マシェリは目をまばたかせた。
十四歳の、しかも帝国の皇太子が、まさかそんな堅実な台詞を吐くなんて。
(意外と気が合うかもしれませんわね)
ふっと口端を上げ、苺の入った箱を一つ持ち上げる。
「それ、どうなさるんですか? マシェリ様」
「常温で保存できるように加工します。ユーリィ様も手伝ってくださらない? 人手は多ければ多いほどいいから」
「加工?」
「ええ。苺はジャムとソース、柑橘類はマーマレード。葡萄は果実水にして瓶に詰めるわ。できるだけ手間をかけずにやるつもりですけれど、ジャムを煮詰める時に鍋の見張り番が最低ひとり必要ですのよ」
「……は⁉︎ まさかこれ、全部使い切るつもりか? とんでもねえ量になるぞ」
料理人のひとりが、驚いた声で振り返る。よく見れば、こめかみに傷が一筋ついていた。
「忠告ついでに、砂糖の袋がどこにあるか教えてくださらない? 大量に使うから、キッチンにある分だけじゃ足りなくて」
「へいへい、かしこまりました。こっちだよ、姫」
「口を慎みなさい、ガレス。──マシェリ様、わたしはちょっと人手を集めて来ますわ」
「ええ、お願いするわ」
白銀の髪を揺らしながらユーリィが去っていくと、ガレスと呼ばれた料理人がぺろりと舌を出す。
「あの司書様も、黙ってりゃいい女なんだけどな」
「さっきから、ずいぶん失礼な方ね。もう結構。砂糖は、わたくしが自分で探します」
マシェリはそう言い捨て、テーブルに苺の箱を置いた。テラナ公国の実家では食料の在庫は大抵、奥のほうにしまってある。
試しに一番奥の保管庫を開けてみると、小麦粉や調味料の袋が積まれていた。
「なかなか勘がいいな、姫」
「わたくしは姫じゃありません。……すごいわ、砂糖だけで三種類もある」
「運ぶの手伝ってやろうか?」
「結構です。貴方のその顔、なんだか邪なんだもの。──あっ」
「どうした? 虫でもいたか」
ガレスが怪訝な顔で歩み寄ってくる。マシェリは咄嗟に、掴んだ物を後ろ手に隠した。
「なんでもありません。それより、お菓子用の砂糖ってこの袋で合ってたかしら」
「遠すぎてよく見えねえな」
「……なら、あと半歩くらい近付いてもよろしくってよ」
「半歩⁉︎ あのなあ、そんなんで見えるわけないだろ」
ずかずかと保管庫の前まで来ると、ガレスは棚の赤い袋を指差した。
「コレが菓子用の砂糖だ。何袋いる? 運んでやるから」
「あ、ありがとう。ええと、三袋お願い」
「了解。……そんな警戒しなくても、姫に手を出したりしないって。皇子様に剣で斬り殺されちまう」
ガレスはそう言って苦笑しながら、砂糖三袋を軽々と抱え上げた。
「殿下って、そんなに強くていらっしゃるの?」
「ああ。特に剣術が達者で、フランジアの大会で優勝したこともある。昔、一回だけボロ負けしたらしいけどな。しかも女の子に」
「女の子? もしかしてその方、どこかの国の公女様かしら」
「そうそう。たしかブルーナ公国の第二公女、アズミ姫。……っと、しまった。これ禁句だったんだよな」
テーブルに砂糖の袋をおろし、ガレスがぽりぽりと頰を掻く。
ブルーナ公国のアズミといえば、狩猟と剣が得意な男勝り。夜会やお茶会にはほとんど参加しない、変わり者の公女として有名だった。マシェリと同じ十六歳で、年齢的にもグレンと大きな差はない。
(見つけたわ……! 初恋のお姫様)
「わたくし、口は固いから大丈夫よ。それよりガレスさん」
「ガレス、でいいよ。『さん』付けなんかくすぐってえ」
「では、ガレス。鍋をいくつかお借りしたいんですけれど、持ってきていただける?」
「仰せのままに。お姫様」
おどけてウインクして見せながら、ガレスがキッチンへと入って行く。
中を覗くと、料理人達が数人、夕食の仕込みを始めていた。
ここにジャム作りをする余地はなさそうだ。腕を組んで思案しているところへ、ユーリィが頼もしい助っ人を連れて戻って来た。
「貴女たちに手伝って欲しいことがあるの。協力していただけるかしら?」
マシェリの話を聞いたベルとターシャが、顔を見合わせる。
「でもぉ。料理人は皆、仕込みで忙しそうですし。わたしたちだけでなんて無理ですよー」
「大丈夫、できるわ。テラナ公国でも、売れ残りの果物をジャムやマーマレードに加工した事があるもの」
「協力して差し上げたいのは山々なんですが……皇城内で調理に使えるのはここと、使用人の居城にある小さなキッチンだけなんです。他に調理できる場所なんて」
「場所なら、ちゃんとある」
割って入った声に振り返ると、なぜか侍従の仕事着姿のグレンが鍵束を手に立っていた。
後からやってきた数人の侍従たちが、果物の箱を次々と手に取る。
「礼拝堂の奥に、使ってないキッチンがあったはずだ。少し狭いが作業台もあるし、七、八人ならなんとか入れる」
「殿下……その格好は」
「ユーリィから話は聞いた。使い切れと言った張本人が、傍観してるわけにいかないだろう? ──果物を運ぶのは僕たちに任せて、君らは先に礼拝堂へ」
グレンが差し出してきた、ずっしりと重い鍵束をマシェリが受け取る。
歳の割に大きく、皮膚の硬い手が微かに触れた。
(……剣の、鍛錬を頑張ってきた手だわ)
グレンは、初恋相手のアズミに負けた事がとても悔しかったのだろう。だから怪我の痛みや苦い薬にも耐え、必死に努力を重ねてきた。
そんな強い想いが、簡単に消えて失くなるはずがない。
グレンとの婚約破棄をねらうマシェリにとって、これは喜ぶべき発見だ。なのに、なぜだか上手く顔を作れない。
「どうかしたの? マシェリ」
「……いいえ、何でもありません。礼拝堂でお待ちしておりますわ、殿下」
淑女の笑みになりそこねた顔のまま、グレンと向き合う。
「……」
「殿下?」
「い、いや。今の君の顔がその、すごく可愛かったから……つい、動揺して」
耳まで赤くなった顔でグレンが言う。
遅れて赤面したマシェリがうつむくと、グレンがその手を両手で包み込み、きゅっと握り締めた。
「僕は今すぐにでも君をお姫様だっこして、あの回廊を闊歩したい」
「しっ、しっかりしてください、殿下! 今はとにかくこの果物を何とかしないと」
「後じゃダメ? だってさっき、何でもするって約束してくれた」
「ダメです! 苺の風味が損なわれます!」
「……分かった。じゃあ、今夜は寝台の右側を空けておくから必ず来てね、マシェリ」
にっこり笑った皇子様の、瞳の輝きは完璧に肉食獣のそれだった。
マシェリの頰が思わず引きつる。右でも左でも、眠る以外の目的で寝台に入るのはお断りである。
(一瞬でも、心が揺れた自分を全力で殴ってやりたい……!)
でも、お姫様抱っこくらいなら許してあげてもいいかもしれない。
マシェリはぶら下げた鍵束を見つめながら呟いた。