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「お取り込み中のところ失礼いたします、殿下」

「……分かってるなら邪魔しないでよ。ユーリィ」

「そうはいきません。マシェリ様との約束はわたしのほうが先ですから」


 入り口で腕組みをしていたユーリィが、キッチンにツカツカと入ってくる。


「怪我のこともご存知でしょう。手荒な真似はやめてください」

「足だろう? 抱き締めても問題ない」

「暴れれば負担になるわ。それと、ルディ様がお呼びです」

「ルディが?」


 一瞬、力が緩む。マシェリはその隙にグレンの腕を抜け出すと、オーブンの火を消した。


(なんとか間に合った……!)


 ほっとしてその場にへたり込む。

 もし宮殿で火事を起こしてしまったら、一生かけても償いきれやしないだろう。


「明日のパーティーに出す予定だった果物のことで、料理長と侍従長が会議室に呼びつけられたらしいんです」

「果物? そんなもの、今さら言っても変えられないだろ。……また、いつもの戯れ言か」

「このままだと他の業務に支障をきたすので、至急来ていただきたいとのご伝言です。殿下が来てくだされば、とりあえずふたりは解放できるからと」

「人質がいるんじゃ行くしかないな。どうにも、嫌な予感がするけど」


 壁に立て掛けられていた剣を手に取り、腰に携えたグレンが振り返る。 


「マシェリ」

「は、はい」

「僕にもクッキー焼いておいて。イヌルのより美味しいやつを、二皿くらい」

「かしこまりました。けれど、わたくしは素人です。殿下のお口に合うかどうかは分かりませんわよ?」


 マシェリの料理やお菓子作りは、花嫁修行のためではなく、売れ残った作物を少しでも活かそうとして覚えたものだ。

 舌の肥えた帝国の皇太子を、満足させられるような代物ではない。


「どんな出来でも、それが君の味なら喜んで受け入れよう。──じゃ、行ってくる」


 赤髪をよけたマシェリの頬に、グレンが唇を落とす。

 一瞬何が起きたか分からず、固まるマシェリに甘く微笑み、皇子様はキッチンを出て行った。


「大丈夫ですか? マシェリ様」

「……え、ええ。ここ床ですし、何とか倒れずには済みましたわ」


 赤い顔で応え、ユーリィにつかまりながら立ち上がる。


「殿下の色気は天然の兵器ですからね。毒抜きのためにも、少しサロンで休んだ方がいいですよ。今、お茶淹れてきますから」

「そうするわ。ありがとう、ユーリィ様」


 素直に礼を言い、ふらふらとテーブルに着く。


(頭がボーッとするし、呼吸も脈拍も、普段よりずっと早いような気がする)


 恋愛経験が皆無の自分に、男の色気など正直理解し難いが、こと毒抜きに関しては、一理ある気がしてしまった。


「良かったら、果実水でも先にお出ししましょうか? のどが渇いてらっしゃるでしょう」

「ええ、もう干からびてしまいそうです。是非いただきたいわ」


 薬の副作用に加えて、オーブンの近くにいすぎたのかも知れない。


 断じて、不意打ちのキスに動揺し過ぎたせいなんかじゃない。マシェリはユーリィに「どうぞ」と差し出された杯を、一気に飲み干した。酸味のある果実水が、爽やかにのどを潤してくれる。テラナ公国で口にしていたものより柑橘の味が濃くて、美味しい。

 ひと心地ついたところで、トレイを手にしたユーリィが戻って来た。


「卵は取り逃がしてしまいました」


 紅茶をテーブルに置きながら、どんよりとした顔でユーリィが切り出す。

 姿を見失い、さらに匂いが途切れてしまったことで、イヌルは自慢の脚を活かしきれず、意気消沈して帰還してきたらしい。


 思わずため息が漏れた。が、ある程度予想していたせいか思ったよりも落胆は少ない。


「ただ、逃げた方向だけは分かってるので、先ほどルディ様に捜索の協力を依頼してきました。果物の件が何とかなったら、すぐに動いてくださるそうです」

「その、ルディ様って何者なんですの? わたくし、お会いした事あったかしら」

「えっと……。近衛騎士団の団長です。陛下の側近も兼任してらっしゃる優秀な方ですわ。たぶん、マシェリ様も一度は会ってらっしゃると思いますよ。登城初日、謁見の間にいたはずですから」


(陛下の側近……)


 しかしあの時、玉座の傍らにはビビアンしかいなかった。

 まさか、背後にいた騎士たちの中にまぎれていたのだろうか。側近でありながら、皇帝と離れた場所にいるなんて。少々変わった人物なのかもしれない。


「とりあえず、こちらのお茶をどうぞ。テラナ公国にはおそらく出回っていない、花茶というものです。珍しいでしょう? 花が丸ごとお茶に入ってるなんて」


(花茶って、まさか)


 眉を寄せてカップを覗き込むと、予想どおり、名前を覚えたばかりの小さな薔薇が浮いている。


「ごめんなさいユーリィ様。実はわたくし、この紅茶いただいた事があるの。一昨日、相談役のルドルフ様に」

「ルドルフ……? あ、ああ。そうだったんですか。大丈夫です、どうぞ気にしないでお飲みください。薔薇も食用ですので、よかったら」


 苦笑いを浮かべるユーリィを気遣いつつ、それでも、またのどが渇いて紅茶を飲み干す。

 カップの底には、真っ赤なダルクだけが残った。


 ふと、疑問に思っていた事を思い出す。


「ねえユーリィ様。あの魔本はどうして卵を解放してしまったのかしら。わたくしは魔力なんて持ってない、ただの人間なんですのに」

「『ただの人間』……。もしや、ご自身の体に起きた変化について、何もご存知なかったんですか? マシェリ様」


 ユーリィがどこか哀れむような眼差しでマシェリを見つめてくる。


「変化……?」

「殿下とのご婚約によって得られる、特別な力のことです。──わたしで良ければ、ご説明いたしますけど」


 青灰色のユーリィの瞳が妖しく輝く。思わず、こくんと喉が鳴った。


「ま、待って。いったん時期を改めましょう。なにか、今は聞かないほうがいいような気がしてきたから」

「あら。真実を受け入れるのを先延ばしにしても、何も良いことなんてありませんわよ? マシェリ様」


 話す気満々でテーブルに身をのり出してくる美人司書の迫力に、引きつりそうになる頬をマシェリは何とか抑えた。


「……分かったわ。話を聞きます。けれど、心臓に悪そうな内容だけは後回しにしてくださる?」

「そんな警戒しなくても、怖い話は出てきませんよ。マシェリ様は殿下と婚約した時、蒼竜石から祝福を受けたでしょう」


 グレンとともに左手をのせた時に感じた、鋭い痛みのことだろうか。

 もしもそうだとしたら、ずいぶんと手荒な祝福である。


「それと同時に、『鍵』となるための魔力を授けられているはずなんです。一見、左手の見た目に変わりがないので、分かりづらいかもしれませんが」

「鍵?」

「ええ。婚姻の儀が執り行われる、神殿の扉を開く鍵です。その扉は特殊な魔力によって固く閉ざされていて、蒼竜石の祝福を受けた皇太子と婚約者、おふたりが力を合わせた時のみ開くことができるんですよ」

「……その力が、魔力ということ?」

「そうです。今のマシェリ様は、子どもの魔術師に匹敵するくらいの魔力をお持ちなはずですわ」


 艶めく唇に笑みをのせ、ユーリィが白銀の髪をかきあげる。


(子どもの魔術師と同等の……魔力)


 ぜんぜん実感が湧かない。

 マシェリは小首を傾げつつ、変わり映えのない左手をじっと見つめた。


「まあでも、卵が解放された事とマシェリ様の魔力は、まったくの無関係なんですけどね」


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