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 痛みが、背中まで這い上がってくる。


(いつまで続くんですの、これ? も、もう限界ですわ……!)


 マシェリはぎゅっと目をつぶり、思わず声を上げそうになる唇を引き結んだ。


「まぁったく。今時、子どもでもこんなところに怪我などせんぞ」


 だみ声で説教を垂れる、ジムリとかいうこの医官。ただでさえ沁みやすい塗り薬を、遠慮なくマシェリの足にすりこんでくる。

 皇帝の前でなければ、白髪のうっすら禿げ頭を思いきり引っぱたいてやるところだ。


「これさえ塗っときゃ明日の朝には綺麗に治る。そこに痛み止めも出しといたから、飲んでいくといい。──ああ、ただし副作用があるがな」

「あの。副作用ってまさか、眠くなるとか浮腫むとかですか?」

「なあに大した事はない、多少のどが渇きやすくなるだけだ。腫れはないし、あとは今日一日大人しくしておれば大丈夫じゃろ」


 そう言って、薬袋をマシェリに放り投げてくる。名医なのかもしれないが、行動がいちいち尊敬できない。


(鎮痛薬……でも、聞いた事のない薬草だわ)


 根を生薬に加工したもので、煎じて服用するらしいが、効果が高いぶん副作用も強めのようだ。

 そして、ひどく苦い。手間を惜しまず丸薬にでもすればいいのに、と内心で悪態をつきながら、一気に飲み干す。


「辛そうだな。せっかくの美人が台無しだ」


 医務室には似つかわしくない豪華な椅子の上で、頬杖をついた皇帝がにやにやと笑う。


「良薬は口に苦し、じゃよ。それくらい我慢できんかったら、皇太子妃には到底なれんぞ」

「苦い薬が良薬とは限りませんわよ」


 こん、と杯をテーブルに置いて息を吐く。

 効き目がどれだけ良くとも、これではあまりに飲みにくすぎる。


「この味、子どもには無理でしょう。殿下が小さい頃はどうなさってたんですの?」

「殿下? ああ、剣の鍛錬中によく怪我しとったから、確か十歳くらいの頃から処方してやってたな」

「……まさか、これと全く同じものを?」

「無論。だが、嫌な顔ひとつしないで飲んどったぞ」


(絶対、むりやり飲ませてたんだわ。十歳なんて、まだ子どもだもの。蜂蜜でも練り込んで、加工してさしあげるべきなのに)


 医官助手が用意してくれた口直しのお茶を飲みつつ、マシェリは白い壁の医務室を見回した。

 宮殿の中とは思えない、簡素で無駄のない造りは掃除や消毒もし易そうだ。助手がドアを開けた奥の小部屋には、壁一面に小さな引き出しが並んでいる。少々手狭ながら、薬の保管庫と調剤室も兼ねているのだろう。


「ああ、わたしの分も茶をくれ」

「陛下はさっき飲んだじゃろ。それに、そろそろ会議が始まる時間じゃなかったか? ……全く、毎日毎日朝から晩まで入り浸りおって」


 どうやら、皇帝の隠れ家も兼ねてるらしい。


「固いことを言うな。会議など出たところで、皇帝の仕事なんかどうせ署名くらいしか残ってないんだ。終わる間際だけ出て、ビビアンの話をうんうん頷いて聞いてやればそれで終わる」

「わしの意見書はどうした? 助手の増員について出しておいた」

「……。お茶のお代わりくれたらちゃんとやる。だからそんなに目くじらを立てるな、ジムリ」


 悪びれる様子もなく皇帝が言う。

 初日に目にした、威厳ただよう姿はどこへやら。軽口を叩き、自嘲気味に笑ったり拗ねてみたり、表情がくるくると変わる。

 まるで大きな子どものようだとマシェリは思った。


「陛下、そろそろお時間です」


 叩扉後にひょっこり姿を見せたのは、浅黒くいかつい顔立ちの近衛だった。中庭から付いて来た、皇帝の護衛である。


「ああ、今行く。──マシェリ」

「はい」

「明日の夜にはお前とグレンの婚約披露パーティーがある。今日はしっかり休んで養生しておけ」

「……はい。お心遣い感謝いたします」


(すっかり忘れてたわ)


 そういえばルドルフもそんな事を言ってた気がする。

 咄嗟に顔を伏せたおかげで、何とか動揺を見せずにすんだ。ほっと胸を撫で下ろしたマシェリの耳元に、「またな」と皇帝が甘く囁く。


 思わず固まってしまったマシェリの手から、薬袋がぽろりと落ちた。




「大丈夫ですか? マシェリ様」


 医務室を出ると、廊下で待っていてくれたユーリィが、手を差し出してくる。


「平気ですわ。それより、卵は」

「それが……まだイヌルが戻って来てないんです。もしかしたら見失ってしまったのかも」

「そんなに逃げ足が早かったんですか? あの卵」


 マシェリは目を丸くした。

 いくら魔力があっても、水竜は空を飛べない。卵の殻を被ったままにしては早い程度の足取りだったはずなのに。


「違うんですよ。張り切りすぎたせいか、勢い余ってイヌルが堀に落ちてしまって。這い上がってる間に逃げられてしまったんです」

「……」


 マシェリは、思わず額に手をあてよろめいた。報酬はクッキーではなく、飴玉くらいでちょうど良かったのかもしれない。


「階段、お気を付けて。……あまり気落ちなさらないでください。とりあえずイヌルを信じて待ちましょう」

「そ、そうね。ユーリィ様の言うとおりですわ」


 きっと、お腹を空かせて帰ってくるに違いない。景気づけにクッキーでも焼きながら待っててやろう。


「ユーリィ様、後で一緒にお茶でもいかが? お菓子が焼き上がるのを待つ間に」

「いいですね。それならわたしは、とっておきの紅茶をお持ちします」

「楽しみにしてますわ」


 ユーリィと別れた後、ちょうど部屋に来たターシャに付き添ってもらい、キッチンへと向かう。


 卵にバター、砂糖も上等なものが揃っていた。休憩中で、誰もいない今がチャンスだ。髪をひとつにまとめ、エプロンとミトンも拝借すると、早速ボウルに分量分のバターを入れる。


(タネを作る間に温めておきましょう)


 鼻歌交じりにオーブンへ火を入れている時、ひょい、と覗き込んでくる人影があった。


「……殿下? どうしてこんな所へ」

「会議終わりで小腹が空いたから、何か作ってもらおうと思ったんだ。というか、君こそ何してるの? そんな可愛らしいエプロンなんか身に付けて」

「わ、わたくしは……その、イヌルのためにクッキーを焼いてあげようと」

「ふうん。僕には、お茶を淹れてくれた事すらないくせに」


 喉がやけに渇く。

 これはきっと、薬の副作用のせいだ。でなければ、温まりはじめたオーブンの熱のせい。


「なんか妬けちゃうなあ」


 子どもっぽく言いながら、グレンが後ろからマシェリに抱きついてきた。

 手にはめていた赤いミトンが、床に落ちる。


「……痛っ。殿下、少し力緩めて」

「やだ」

「オーブンに火が……ついたままなんです!だから」

「マシェリ、さっき陛下にお姫様だっこされてたでしょ。中庭で」

「! そ、それは」


 見られてたのか。いや、考えてみれば中庭は宮殿の真ん前で、丸見えなのは当然だった。


「……。もしかして、怒ってらっしゃいます? 殿下」

「まさか。僕はそんなに心の狭い人間じゃないよ。たとえ君が僕をさしおいてイヌルに手料理を振る舞おうが、父親に初体験を奪われようが、全然まったく気にしてない」

「しょっ、初体験って! 誤解を招く言い方をしないでください! たかがお姫様だっこじゃないですか。殿下なら、やろうと思えばいつだって──」


 つい叫んでしまった口を、両手でバッと押さえる。


「『いつだって』……なに?」

「い、今のはその、言葉のあやで」

「へーえ? ああ、大変だよマシェリ。このままだとオーブンから燃え移って、キッチンが火の海に」

「ッ分かりました! お姫様だっこでも何でも、好きになさって結構です! だから、今はどうか離してください!」


 言ったとたん、耳を噛まれた。


「おしおき」


 甘ったるく笑う皇子様には、もう蜂蜜など必要ないのだろう。


 砂糖抜きのクッキーを作って食わせてやる。マシェリは密かに決意して、赤く染まった顔を背けた。


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