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ヤマトタケル物語  作者: 現代人が古代人にツッコんでみた
9/13

今日はマルマル常陸

蝦夷の巣窟に乗り込んだ倭建、これから本番と言うところですが、『記』では「粗暴な蝦夷や神を平らげた」との一文だけで終わり、『紀』に至っては倭建の姿を見ただけで蝦夷が平伏してしまうので、『常陸国風土記(ひたちのくにふどき)』から引用しましょう。

上総(かずさ)下総(しもうさ)の風土記があればもっと良いんですが、長い歴史の中で失われたか、元々存在していないか、現代となっては分かりません)


とは言え、倭建と常陸の関係は深いので、その役目を充分に担っています。

そもそも、「常陸」という国の名前からして、当地で倭建が手を洗った時に袖を水に浸してしまったのが由来と言います。

「浸す」→「ひたす」→「ひたち」→「常陸」バンザーイバンザーイ(天皇家だけに)、という訳です。

まあ、これは相当苦しい地名説話で、もう1つ紹介している、道が海や川に隔てられずに真っ直ぐに続いている「直通(ひたみち)」から名付けられたというほうが、まだ順当でしょう。

国名はともかく、倭建が関係した地名は10個ほどあります。

その中で、海苔を「のり」、道が凸凹している様子を「たぎたぎし」と呼ぶのは常陸の方言と書かれているのは興味深いところです。


一方、倭建はちゃんと仕事をしていて、鳥日子(とりひこ)という佐伯(さえき)(逆らう者)や寸津毘古(きつひこ)という国栖(くず)(土着民)を倒したという記述があります。

また、同じく国栖の寸津毘売(きつひめ)は帰順したので、その一族は許したそうです。

(彼女らを含めて、倭建に従った佐伯や国栖は後々再登場します)


そんなこんなしている内に、驚くべき事実が判明します。

行方(なめかた)郡で、倭建は倭から来た大橘比売命(おおたちばなひめのみこと)と会った、と書かれているのです。

さらに、久慈(くじ)郡でも2人は合流したそうです。

走水で彼女は死んだはずじゃ?

もしかして生き延びていた?

あの感動を返せ!

と言いたいところですが、名前をよく見てください。

()橘ではなく()橘と書かれています。

彼女たちは別人なんでしょうか。

「大」は兄弟姉妹で年長者に付けられ、「弟」は年下の女性にも付けられるので、2人は姉妹かもしれません。

(厳密に言うと、「大」に対応するのは「若」で、「弟」に対応するのは「()」なので、錯綜していますが)

しかし、大方の説では、大橘と弟橘は同一人物なんだそうです。

日本古代における随一の悲劇のヒロインを真っ向から否定しています。

ま、それが古代史ですね。


現代人の思惑も知らずに、倭建と大橘は多珂(たか)郡でイチャイチャ比べっこをしました。

倭建は山で、大橘は海で、どちらが多く獲物を得られるか競争です。

結果、倭建がスッカラカンに対し、大橘は大漁で、圧倒的勝利を収めました。

(山幸彦海幸彦の伝説とそっくりですね)

常陸に来ても、倭建は情けない御仁なのでした。


※もっとも、その後、倭建は海の幸をたらふく食べる事ができたと、嫉妬せずに鷹揚なところを見せています。

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