前書きのようなもの
ヤマトタケル――。
日本で「英雄」と呼ばれる有名な古代人です。
その物語は、『古事記』(以下『記』と書きます)、『日本書紀』(以下『紀』と書きます)、そして、『常陸国風土記』(以下『風土記』と書きます)で主に読む事ができます。
これまで、熊襲を討伐したとか、蝦夷を制圧したとか、漠然とした内容は知っていましたが、今回、改めて原文を読み直してみるとツッコミどころ満載だったので、その「笑撃」を分かち合いたく執筆してみようと思いました。
さて、「ヤマトタケル」という人物ですが、もちろん、実在した訳ではなく、伝説上の創作物でしょう。
「ヤマトタケル」の表記も、『記』では「倭建命」、『紀』では「日本武尊」と一致せず、『風土記』に至っては「倭武天皇」と、『記』『紀』の漢字をミックスした上に帝位まで就いています。
恐らく、「ヤマトタケル」を天皇として作り上げた物語が『記』『紀』以前にあり、それが常陸の国に伝わって、そのまま『風土記』に採用されたと思われます。
『風土記』も中央(天皇家)の命令で書かれた地誌ですが、『記』『紀』の記述と矛盾して怒られなかったのかと言うと、結構、他の国の風土記も『記』『紀』と違う事を書いていますし、「中央は中央、地方は地方、中央としての物語は『記』で一本化してるもん」という感じのようです。
実は、『紀』も「一書曰」と、同じ内容の物語について色々な伝承を収録しています。
このように、『記』『紀』では、あっちの神様、こっちの王様、そっちの英雄の物語を切り張りして、まとめ上げた最終形態しか見る事ができません。
ヤマトタケルの物語も当然そんな感じで、そもそも『記』と『紀』すら違う話になっています。
ここでは、『記』を中心に話を進めていき、『紀』や『風土記』を要所要所に挟んでいくようにしましょう。
「ヤマトタケル」の表記も、『記』に準じて「倭建」と書く事にします。
(短い表記のほうが助かるという理由もあったりして)