02
しばらくの間、僕らの間には沈黙が続いた。それはどこか駆け引きを感じさせる静寂。先生はそれ以上何も言わず、僕の反応を伺うようにこちらを見下ろしている。
僕はすぐに応えられなかった。何と言えばいいのかわからなくて。けれどその代わり、少しでも考える。先生の目的は何なのか、彼は一体何者なのか。どうしてユリアやウィリアムと同じく――千年前のあの頃の姿をしているのか。
そうだ、今の先生の言葉が正しいのなら――彼は最初から知っていたということになる。ユリアがエターニアの王女だと言うことを。けれど千年前のあの頃、先生はそんなことおくびにも出さなかったではないか。――それはつまり、先生は僕らのことをずっと騙していたということ。それに彼は、首飾りの存在を知っていながら、あんなことになるまで何も手を打たなかった。ユリアを連れて街を出ると言った僕を、無理矢理にでも止めるべきだったのに。それは一体、どうしてなのか――。
けれどその答えに、すぐに思い当たる。そう、それはきっと、ローレンスに命を狙われたソフィアの娘である、ユリアを守る為。ソフィアの娘としてではなくただの捨て子として育てられれば、ローレンスの目を欺くことも可能だろう――そう考えたのだろうと。実際、ユリアは自身が王女だなんて知らなかった。首飾りの存在も知らされていなかった。
けれど僕が首飾りを持ち出したせいで、ユリアはローレンスに見つかってしまったんだ。先生は僕が首飾りを持ち出していたことを、本当に知らなかったんだろう。そして先生は死に、ユリアまでもが命を落とした。
だが――あれから千年が経った今、再び先生は僕らの前に現れた。それはつまり、千年の時が過ぎ去った今も、まだ何も解決していないと、そういうことなのか。
あぁ、くそ――、……わからない。
先生の目的は何だ。今の口ぶりだと――王子ユリウスも、国王ローレンスも、恐らくまだ生きている。そしてそれが事実なら……ユリアは再び命を狙われると、そういうことになるのではないか――?
そこまで考えた僕の脳裏に、死ぬ間際に僕の手の中で白銀に輝いたユリアの首飾りが思い出された。そこで僕は、――ようやく悟る。
「……そういう、ことか」
僕は自分でも気づかないうちに、呟いていた。
そうだ――あの首飾りが全ての元凶。僕が身体を永遠に失った理由も、ユリアの記憶が消えない訳も、これなら全て説明が行く。先生の目的もローレンスの狙いも、本当は首飾りだったんだ。ユリアでは無く、あの首飾りだったのだ。
これでやっと全ての糸が繋がった。ユリアでは無く僕の半身であるウィリアムに接触したルイスと、今頃になって僕の前に再び現れたナサニエル先生。その、――全ての関係性が。
「――先生」
僕は、呟く。すると先生は僕の様子を伺うように、黙ったまま目を細めた。
「王子ユリウスとは、ルイスのことですね。……あなたたちは気が付いていたんだ、ウィリアムが僕であることを。だから王子ユリウスはウィリアムに近づいた。首飾りを取り戻す為に」
そうだ。ライオネルの中で僕が目覚めてから――僕は彼を通して全てを見ていた。ウィリアムの傍にいる、ルイスのことも。
「――先生、あなたは本当は誰ですか。その目的は……あなたは僕らを、一体どうしたいんだ」
そう尋ねれば、先生は更に目を細めて薄く微笑む。その表情は、察しが良くて助かると――そう言いたげな顔だった。
「君は本当に聡い子だ。話が速くて助かりますよ」
先生の藍色の双眼がギラリと光る。それは僕が先生と別れたあの日と、同じ色をしていた。
「私はサー・ナサニエル――ソフィア王妃陛下のただ一人の騎士。今も昔も――あのお方の御心のままに動く手足です。そして私の目的は、王妃陛下の最後のお言葉通りユリウス王子とユリア王女のお命をお守りすること。そしてその為に、失われた王妃陛下のお力を全て、ユリウス王子の手中に納めて頂かなければなりません」
「失われた……力?」
「……ええ。陛下はお亡くなりになる前に、ご自身のお力を七つの依り代に分けられたのです。私達はこの千年で、うちの五つを手に入れました。つまり残りはあと二つ。……一つはローレンスの右目。つまり現王太子アーサーの右目です。……そして、最後の一つ――」
先生の藍色の瞳が、興奮を宿したように再び揺らめく。
「それは――エリオット、あなたがあの日持ち去った首飾り。七つに分けられた力の中でも最も強力な、時間を司る力。我々はそれをあなたより返して頂くべく、ウィリアム・セシルに接触したのです」
言い終えた先生の唇が薄く微笑む。その続きを貴方は既に理解しているのでしょうと、そう言いたげに。それに応えようと、僕も微かに唇の端を上げた。
「けれど、ウィリアムが首飾りを持っている気配はない。だから王子ユリウスは、ユリアをウィリアムの婚約者に仕立て上げた。存在するのかもわからない、僕をおびき寄せる為に。――そういうことですか、先生」
僕が念押しするように語尾を上げれば、先生は更に笑みを深くした。僕は続ける。
「でも……残念でしたね。この力は僕一人ではどうしようもないくらい、この魂の奥深くに刻まれてしまっている。返したくても……返せない」
――そうだ。これは事実。現にそんなことが可能なら僕はとっくにそうしている。だってあの日、僕があんなことを願ってしまったせいで彼女は千年も苦しみ続けているのだから。僕の存在を忘れることも出来ず――不完全な魂である僕の半身と結ばれることも叶わないまま、消えない記憶と共に生きることを余儀なくされているのだから。
けれど先生は、僕の言葉を覆すようにクスリと笑った。
「それは問題ありませんよ。あなた自身には不可能でも、ユリウス王子になら可能です。その力はもともと、王妃陛下の血を受け継ぐあの方の物になる筈だったのですから――」
そうして、焦点の合わない両目で僕を見下ろす彼の微笑み。その背後に立ち昇る黒々としたオーラに、僕は悟らざるを得なかった。この人は、ユリアにはまるで興味がない。興味があるのは――王妃ソフィアの遺言と、首飾りの力だけなのだと。
あぁ、本当に怖い人だ――。そう思いながら、僕は自嘲気味に顔を歪める。
「……確かに、それはそうだ。でも……これを取り出されたら僕は消えてしまう。そしたらウィリアムだってどうなるかわからない。もし彼に何かあれば、ユリアは泣くよ。――それは、貴方の今の主人が許さないんじゃないのかな。どうやら彼は、ユリアにもウィリアムにも情を感じているようだから。……その証拠に、彼はライオネルの中の僕の存在に気付いていながら、手を出して来なかった」
そう返せば、一瞬先生の眉がひそめられた。図星か――と、そう考えて、再び気が付く。
「あぁ、――そうか。あの教会の十字架の鎖……あれを断ち切ったのは先生、あなたですね。あなたは王子ユリウスがユリアとウィリアムに情を抱いていることに気が付いた。だから彼らを引き離そうと、こんなことをしたんだ。――そうでしょう、先生?」
僕がわざとらしく微笑めば、彼の顔から表情が消えた。それは怖い程に、欠片も感情を映していない。彼の唇が薄く開く。
「――本当に君は賢い子ですよ。やはり私の目は間違っていなかった。そんな君に、私から一つ提案があるのですが」
「――提案?」
刹那――無表情のままの口から、意味のわからない言葉が紡がれる。提案――それは、一体何に対してだ?
僕が眉をひそめれば、先生は微かに口角を上げた。
「私はその力が欲しい。そして君は、ユリアが欲しい。――違いますか?」
「――っ」
途端――先生の声が、低くなる。
「もう一度、あの日からやり直せるとしたら?あの日、君とユリアが死ぬ前の――彼女の傍でもう一度、生きられるとしたら……」
「……」
「君は――どうします」
僕の思考を乱すような声、試すような視線、そして――僕を支配するかのように彼の全身から発せられる重圧――その全てに、僕は息をするのも忘れてしまいそうになる。
あぁ――だってまさか、そんなことが可能だと?あの日のユリアともう一度生きられると、この男はそう言ったのか?
何も言えないままの僕が先生を見上げれば、先生は表情を変えることなく言葉を続ける。
「簡単なことです。ユリアのこの千年の記憶を封じ込め、――そしてあなたがウィリアムの身体を支配すればいい。さすれば君はこの世から消え去ることなく正真正銘のエリオットとして、あの日のユリアともう一度全てをやり直すことが出来る」
「――な」
――ユリアの記憶を封じる!?僕が、ウィリアムの身体を……!?
「そんなことが――可能なわけ……」
茫然と呟けば、先生は僕を嘲笑うかのように瞳を爛々と輝かせた。
「可能です。何故ならそれは――君とウィリアムの魂が、再び元の形に戻るだけのことですから。これならばユリウス王子の手を借りずとも、その力を君から切り離すことが出来る。何せ全てが本来のあるべき姿に戻るだけなのですからね」
「――っ」
あぁ、確かに理屈は通っている。確かにそれなら……。――だがまだわからないことが一つある。どうして先生は僕にこんな提案を持ちかけるんだ。だってそんなことが出来るなら、さっさとユリアの記憶を封じ、動けないままのこの僕の魂をウィリアムと一つにしてしまえばいいだけな筈。――それを、どうしてわざわざ僕に……。
「エリオット、これは正当な取引です。私はユリア王女の記憶を封じます。そしてあなたはウィリアムの身体を手に入れエリオットとして生きる。その見返りとして、その力を返して頂きます。これで晴れて君はこの悪夢から解放される。ユリア王女も、記憶を失くされたとなればユリウス王子は諦めざるを得ないでしょう。ユリア王女は王妃陛下の娘でありながら、その力を一滴も受け継ぐことの無かった“ただの人”ですからね」
――あぁ、これはきっと悪魔の囁き。きっと頷いてはいけない誘い。だけど……僕は、ずっと望んでいた筈だ。この千年、ユリアと生きることをずっとずっと待ち望んでいた。それだけが僕のただ一つの願いだった。
でもわかっている。彼女はそれを望まないと――だってユリアはもう既にウィリアムを愛してしまっているから。
あぁ――だけど、それでも僕はもう一度だけでも……君と共に生きたいんだ。もう一度、君をこの手に抱きしめたい。君の愛を、その身体を、僕だけのものにしたくてたまらない。
――あぁ、ごめんね、ユリア。馬鹿な僕を許してくれ。
僕はゆっくりと目を伏せた。そうだ――思い出せ、あの日の願いを。僕がこの力に込めた誓いを、この身に受けた永遠の呪いを。そう――それは、彼女を必ず迎えに行くと、それを叶える為だけに受けた恋の呪い。
だから僕はもう一度だけ、心に固く……誓う。
「――わかりました。僕は貴方の提案を受ける。それでユリアが、再び僕だけのものになるのなら」
僕は静かにそう告げて、先生に応えるように――ほんの小さく、笑って見せた。