06
重要なお知らせ。
皆さまいつも拙著を閲覧いただきありがとうございます。
最近話数が増えまして、管理がしにくくなって来ましたので(主にスマホでのスクロールが)
1幕と2幕を分離させて頂こうと思います。
こちらには3幕のみを残す予定です。栞が移動する?ことになるかと思いますが、何とぞご理解下さいますようお願い申し上げます。
予定としては、1幕と2幕を完全に分離して二週間ほど期間を設けた後に、こちらの1幕、2幕の話を削除させて頂きます。詳細は追ってご連絡いたします。
ゆな
*
アストフィールドに辿り着いた頃には、既に日は暮れてしまっていた。村々の灯りだけを頼りに走っていたフォレストはもう限界の様子で、街の西門に着くと同時に脚を止める。
「よく頑張った」
僕はフォレストから降りて手綱を手近な木にくくりつけ、彼の頬を撫でてやる。暗闇は怖かっただろうに、ここまで休みなく頑張ってくれた。そんな彼に、心から感謝を込めて。
さぁ、ここからは僕の番だ。
「必ず、迎えに来るから」
僕はそう呟いて、踵を返し走り出した。東門を目指して街の中心部を一気に駆け抜ける。既に日が落ちた今、街に人気は殆ど無い――筈だった。
「……何だ?」
人気のない筈なのに、嫌に人が多い。しかも、皆酷く動揺した様子で……。
「――まさか」
僕の脳裏に思い出される、ステファンの言葉。それと同時に僕の耳に届いたのは、誰ともわからない叫び声と、罵声。
「――森が燃えてるぞ!」
「……っ」
人だかりの出来た東門に辿り着いた僕は、丘の上の草原の向こうに広がる森を見上げた。そこには本来なら、闇夜に同化して真っ黒に映る筈のユリアの森。それが今は森全体がぼんやりと赤く光り、昼間のように白んでいた。
「……ユリア」
僕は東門を抜けようと人混みを掻き分ける。けれど、誰かに腕を掴まれ足を止めた。
「――お兄さま!」
その声に振り向けば、そこには……。
「……ローラ?」
何者かに連れ去られた筈の、ローラの姿。3ヶ月前、最後に見たときと変わらない、妹の泣き出しそうな顔がそこにあった。
「……無事、だったのか」
僕の心に、一瞬だけ安堵の気持ちが広がる。
良かった。ローラは無事だったのだ。無事に、返されたのだ。
けれど、その気持ちはすぐに消し去られた。背後から伝わってくる、燃え盛る森の炎の熱に。気味の悪い明るさに。そして、僕の左腕を掴むローラの右手から伝わってくる、彼女の中の恐怖という名の感情に――。
「お兄さま、ステファンに私のことを聞いて帰ってきてくれたんでしょう? でも、私は大丈夫。ナサニエル先生が助けてくれたから……」
彼女はカタカタと身体を震わせながら、僕に訴える。
「ねぇ……ステファンは」
――一緒じゃないの?と、彼女の揺らめく丸い瞳がじっと僕を見つめた。
その声は酷く震えていた。無理もない。父さんは怪我をし、他でもない彼女自身は人質として連れ去られ、そして家族を捨てた僕を探す為に、ステファンは居なくなったのだ。
ローラは今にも泣き出しそうに、ただ僕を見つめるばかり。その表情に、僕の脳裏に過ぎるステファンの最後の姿。
「……ステファン、は……」
――死んだんだ。
思わずそう言いかけて、僕は口を噤んだ。
駄目だ。まだ伝えるわけにはいかない。彼が死んだことは、まだ内緒にしておかなければ。これから僕が、ステファンを殺した奴らのところへ行こうとしていることも。
あぁ――そんなことより一刻も早く、ユリアを助けに行かなければ。
「ローラ、……ユリアは今、どこにいる?」
僕は彼女に尋ねる。ローラは知らないかもしれない。でも、知っているかもしれない。
すると僕の問いに、彼女はびくりと肩を震わせた。その瞳に映るのは、僕の背中の向こうで燃え上がる、変わり果てたユリアの森。
僕は確信する。
「……そう」
やはり、ユリアは森にいるのだ。あの、赤い炎の中にいるのだ。
僕はもうそれ以上何も言わず、僕の手首を掴んだままのローラの手を、反対の手のひらでそっとどけた。
「……お兄、さま?」
ローラの顔が曇る。それは酷く動揺したように。僕の大事な妹の顔が、今にも泣き出しそうに歪んだ。
行かないでと、そう言いたげに。
その姿に、僕の心臓がぎゅっと締め付けられる。
あぁ――だけど、僕は行かなくちゃならないんだ。どうしても、彼女を助けに行かなきゃならないんだ。
せめて、君が無事で良かった。おかげで僕は何の躊躇いも心配もなく、ユリアを迎えに行くことが出来る。
僕は、微笑んだ。
これが本当に最後かもしれない。その覚悟は出来ていた。けれど、ローラにまでそれを押し付けるつもりはない。だから、僕は笑う。そして、彼女の頭に手を置いた。どうか、幸せになって欲しい。僕や、ステファンの分まで――。
「必ず、戻るよ」
僕は呟く。最後まで、僕は嘘付きだ。自分のことも、ステファンのことも――でも、それでも……。
僕は彼女に背を向けた。そして赤く燃え盛る森を見定める。
今、行くよ――ユリア。
僕は心の中でそう呟いて、ローラの呼び止めも無視し、森に向かって駆け出した。
***
***
火の手は既に、森の入り口へと迫る勢いだった。街の人々がこうなるまで気が付かなかったのは、きっと火が放たれたのが森の奥の方だったからだろう。それなのに、その火の手は森に踏み入れたばかりの僕の行く手をふさぐように、辺り一面に広がっていた。
「……酷い」
そこはもう、僕の知る森ではなかった。ユリアと過ごした、僕らの森ではなくなっていた。草も木も赤く燃え、煙と熱風が立ち込める。住んでいる筈の鳥や動物たちは皆逃げ出した後だった。もう――ここには何もいない、誰も、いない。
でも――いる筈なんだ。ここに、ユリアが――。
「ユリア!……ユリアッ!」
僕は叫びながら、かつてユリアが住んでいた家の方へと向かい森の中を駆け抜ける。火の手の弱いところを探しながら、何とか前へと進んで行った。途中の小さな川で、全身に水を浴びながら。――そうやって、少しでも熱さを凌ぎながら。
「ユリアッ!!」
――あぁ、誰か嘘だと言ってくれ。こんなところにユリアがいるなんて……。でも、きっと彼女は無事だ。だって彼女は僕なんかよりずっと、この森のことを知っているのだ。どこに川が流れていて、どこに湖があるのか――どこへ逃げたらいいのか、開けた場所はどこなのか――彼女は僕以上にこの森のことを熟知している。
だから――だから、きっと……。
そうだ、奴らはユリアを連れ去った。そこで彼女を殺さずに――わざわざこんな場所まで連れ去ったのだ。なら――彼女はきっと生きている筈。例えこの森の中に居らずとも……絶対に生きている。
それは僕の精いっぱいの強がりか、それともなけなしの虚勢か。僕にもよくわからなかった。けれど、これだけは言える。僕は、絶対に諦めない。彼女をこの手に抱きしめるまで、この足を止めるつもりはない。
「――っ、あれ……は……」
けれど、彼女の家まであと少しと言うところで、僕はあるものにくぎ付けになり足を止めた。いや、止まらずにいられなかった。地面に無造作に転がった、頭と胴体が切り離された……人間だったもの、に――。
「――っ」
刹那――無慈悲に打ち捨てられたであろうその頭部の――開いたままの目と、僕の視線がぶつかる。僕の心臓が飛び跳ねて、迫りくる熱気に焼かれたように、途端に息が出来なくなった。
それと同時に、酷い吐き気がこみ上げる。そしてそのまま――僕は胃の内容物を吐きだした。
「うっ……ぐ、げぇえええ」
なんだよ、これ――。
僕はもう立っていることもできず、すぐ横の木に寄りかかってその場にうずくまる。目眩がして、倒れてしまいそうになった。胃がひっくり返ったように痛い。――痛い。熱い。
僕は言いようのない吐き気に耐え切れず、何度も何度もその場で吐いた。――胃液すら、出てこなくなりそうな程に。
「……っ」
――なんだよ、これ。
僕がちらと横目で伺えば、まだ少し前まで生きていたであろうソレは、これでもかという程大きく目を見開いて、空虚な瞳をただ暗い空へと向けている。
「――っ、……ぐ」
――なんだよ、なんなんだよ!
聞いてない、こんな話聞いてない。首をはねられた死体だなんて……。誰がこんな……。いや、それよりユリアは、ユリアは本当に無事なのか!?
「く……」
こんなの――正気じゃない。
僕は袖で口を拭って、何とかその場に立ち上がった。早くここから離れなければ。ユリアを探しに行かなければ。――火の手はすぐそこまで迫っているのだ。ぐずぐずしている暇なんてない。
僕は再び込み上げてくる吐き気を必死の思いで押さえつけながら、まだ火の手の回っていないであろう風上に向かってなんとか歩きだす。
けれど、進めば進むほど、一人……そしてまた一人と、無残な死体が、通り過ぎる僕を嘲笑うかのようにあちこちに転がっていた。それらは皆、身体の一部が胴体から切り放された、惨すぎる死体ばかり。
しかしふとあることに気付く。よく見れば、それらは皆同じ服を着ているのだ。そうだ、僕は知っている。この、服は……。
「……兵士」
それも自国の兵士ではない。胸元に描かれた模様は、隣国エターニアの王家に伝わる紋章だ。この街に住む僕が間違える筈がない。だってここは、この森は、この国とエターニアを隔てる国境線なのだから。敵国に接するこの街の僕らが……この模様を知らない筈がない。
「……ユリア」
――ここで何があったんだ。一体何が起きているんだ。
僕の背中に、冷や汗が伝う。――熱いのに、死ぬほど熱いのに、どうしてだろう。酷く、寒気がするのだ。
剣で一刀両断されたようなそれらの死体。そこからは、強い殺意がはっきり見て取れる。だって、普通ならここまでする必要なんてないじゃないか。普通なら……こんな効率の悪い殺し方、するはずがない。
――こんなことをする奴が、この森にいるのか?そいつが、ユリアをさらったのか……?
「……くそ」
――あぁ、ユリア、君はどこにいるんだ。
そう考えて、ふと過る。そうだ――この先には湖があった筈。きっともう、ユリアの家は燃え尽きてしまっているだろう。とするなら、ユリアが向かうならあそこしかない。あそこなら、火の手は回らない。――あぁ、ユリア、すぐに迎えに行くからね。
僕は再び走りだした。パチパチと音をたてて燃え盛る森の木々の隙間を抜け、僕の肩に降りかかる火の粉を必死の思いでやり過ごしながら。
全身から吹き出すような汗も、焼けるような熱さも、脈打つ心拍数も――全てなぎ払うように。
けれど――。
「――っ」
再び、僕の足が止まる。人が――いた。勿論それは、ユリアではない。
僕の視線の先――そこには、燃え盛る炎の中で凛と佇む一人の男の姿。その男は迫りくる炎など気にも留めない様子で――金色の髪を熱風にそよがせて――何かを見下ろしているようだった。
「――あ、」
瞬間――僕の心臓が悲鳴を上げる。
男の見下ろす先に居たのは――先生だった。木の幹に力なく身体を預け額から血を流し、瞼を閉じたままのナサニエル先生の姿。
それに、気のせいだろうか。先生の藍色のローブが……黒く――血に染められているように見えるのは。
あぁ、一体どうして先生がここに。ローラと一緒に逃げたとばかり思っていたのに。
遠目でも、先生の命がもう長くないであろうことは察しがついた。けれど、それを見下ろす男は容赦しない。
どうすることもできない、ただその場に立ちつくしたままの僕の視線の先で――その男は、血に染まった剣を振り上げる。燃え盛る炎の中で、男の瞳が赤く染まり……。
そして男は、赤く煌く剣の鋭い切っ先を――何の躊躇いもなく――先生の胸に突き立てた。