閑話1 孤児院の少女ハンナ(1)
読者の皆様、当作品を長らくご覧くださりありがとうございます。完結から随分時間が経っておりますが、今後はとりあえず、ぼちぼちマイペースにスピンオフでも書いていこうかと考えております。
スピンオフは思いつくままに書くので、時系列が行ったり来たりすると思いますがどうかご了承下さい。また、もし何かリクエスト(○○と○○のエピソードが知りたい!)などありましたら、感想欄に書き込んで下されば、書く優先度が上がるかもしれません。(確約は出来ませんが)
それから、スピンオフのくせに本編に出て来なかったキャラが追加されていたりもします。この人誰だっけ!?と慌てないでくださいね!
ではでは、まず最初はアメリアとハンナの出会いから。始まり始まり~。
そろそろ夜が冷え出す季節。そんなある日の午後、先月8歳になったばかりのアメリアは屋敷の従者四名を引き連れ、とある孤児院を訪れていた。
その孤児院は、サウスウェル家領地の中でも最北の、冬は寒さに厳しく穀物のなりにくい痩せた土地に建っていた。築二百年を裕に超える、かろうじて踏みとどまっている様子のさびれた建物は、言われなければ人が住んでいるとは思わせないほどの有り様だ。
そんな場所にアメリアが訪れた理由は一つ。この孤児院から、自らの侍女をもらい受ける為だった。
*
そもそものいきさつはこうだ。
アメリアは3ヵ月前――つまり彼女の8歳の誕生日の凡そ2ヵ月前、父であるリチャードから「誕生日プレゼントは何がいいか」と尋ねられた。すると彼女はこう答えた。「自分と歳の近い侍女が欲しい」と。
リチャードは驚いた。アメリアには既に侍女がいる。勿論年は離れているが、仕事は十分にしている筈だ。それにこの伯爵家の使用人教育はよく行き届いている。何か不手際でもあったのだろうか。
彼は念のため娘に、侍女に不満があるのかと尋ねた。が、それはあっさりと否定された。となると、歳の近いという部分が重要なのだろうか。
確かに8歳の貴族令嬢であるアメリアに、友人と呼べる間柄の者はいない。アメリアには5つ離れた兄がいるが、その兄は去年から寄宿学校に入ってしまっているし、そもそも性別も違えば年も違う。親の目から見ても、兄妹の仲がいいようには見えなかった。
それにアメリアの社交界デビューはまだまだ先だ。加えて、子女はもっぱら学問は家庭教師に習うため、学校に通うこともない。あるとすれば、貴族同士の家族ぐるみの付き合いだけ。だが、それもしょっちゅうというわけにもいかない。
しかし、それにしても……だ。
「友人が欲しいのか? だが、お前は外出に誘ってもいつも断るだろう。人付き合いが嫌いなのかと思っていたぞ」
リチャードが尋ねれば、アメリアは少しだけ考えて首を振る。
「友人が欲しいのではなく、侍女が欲しいのです。それも、孤児院出身の侍女が」
「孤児院だと? 伯爵家の娘であるお前の侍女を、孤児院出身の娘に任せると言うのか」
「はい、その通りですお父様。実はわたし、試してみたいことがあるのです」
「……試す? 一体何をだ」
「それはまだ秘密ですわ」
「言わねば承諾しかねると言ったら?」
「まぁ。たかが孤児院のむすめ一人に、お父様は一体何を不安がっておりますの? それにわたしは、お父様のお心の広さを存じております。何だかんだ言ったってお父様は、いつだって最後はわたしの希望を叶えてくださるじゃありませんか」
「……それはお前があまりにも口達者だからなのだが」
リチャードは、7歳とは思えないの娘の大人びた言葉と態度に大きなため息を吐く。それでも結局彼は、娘の希望を受け入れたのだった。
*
そうして先月8歳の誕生日を迎えたアメリアは、こうやって孤児院を訪れているのである。
「……酷いわね」
アメリアは侍従四人を背後に従えて、院長モリスに孤児院の礼拝堂や広間、そして各小部屋や台所まで隅々を案内させた。そうして、子供たちの寝室を除いたときだ。アメリアはその衛生状態の悲惨さに、思わず足を止め顔を歪めた。
彼女の右隣りには、顔色を悪くする院長モリス――やや小太りの小柄な中年男――の姿。孤児院の少年少女たちの身体の細さに比べどう見たって太りすぎなその院長は、見られたくないものを見られてしまった――と言いたげな様子で視線を挙動不審に揺らしている。
どうやらこの孤児院の寄付金はこの院長、モリスによって横領されているらしい。寄付金額は十二分にある筈だが、この様子を見るに、領地の中でも最北端のここはリチャードの管理が行き届いていないこと確定だ。勿論、それを知ってアメリアは訪問先をここに決めたのだが。
「ねぇモリス、ここはどうしてこんなに汚いの? それに、匂いも酷い。わたし、今にも鼻が曲がりそうよ」
「……も、申し訳ございません。ですからわたくし、先ほどお嬢様が院内を歩くと申された際、反対したのでございます。ここの子供たちは躾けが行き届いていない者ばかりでございますから。ええ、そうです。今からでも応接部屋にお戻りになられるのがよろしいでしょう。お嬢様と歳の近い娘らは既に先ほどの応接部屋の前に待機させておりますので。この様な場所は一刻も早く出られ――」
「お黙り」
「――っ」
院長モリスのこびへつらう態度に、アメリアは静かに、けれど鋭い口調で一喝した。
「躾け以前の問題よ。――それと、一番くさいのはあなたのお口。出来れば今後一切しゃべらないでいてくれないかしら。
ねぇハロルド、あなたもそう思わない?」
アメリアは冷えた口調でそう告げると、後ろを振り向いて一番年長の侍従を見上げる。
彼の名はハロルド・ハードウィック。今年で23歳になる。身長は180センチでやや筋肉質。髪と瞳は灰色で、顔立ちは凛々しく表情はいたって穏やかな青年だ。だが、性格はややしたたかなところがある。
アメリアに同意を求められたハロルドは、それが突然のことだったにも関わらず表情を変えることはなかった。
彼は一度だけ瞬きをした後、淡々とこう答える。
「私からは何とも申し上げられません。――が、確かにお嬢様の仰る通り、ここの衛生状態はよくありませんね。王都に戻り次第、旦那様にご報告申し上げねば」
「あら、やっぱりあなたもそう思うのね。いつもは私に口答えばかりするあなたがそう言うんだから、相当ってことじゃない?」
二人の言葉に、モリスの顔が青ざめる。
「お……お嬢様、どうかそれだけは……」
「あら。誰が口を利いていいって言ったのかしら。――でも、そうね。人間誰しも間違いはあるものよね。お父様だって私にいつも、例え道を間違えても、悔い改めて善いことをすればいいって仰って下さるもの」
「……え、ええ、ええ! そうでございますよ、お嬢様! わたくしモリス、間違っておりました。これからは心を入れ替えてこの孤児院を運営して参りますので、どうか――!」
モリスはそう言って両ひざをついたかと思うと、8歳の少女を見上げて懇願するように両手を組む。その姿にアメリアは一瞬だけほくそ笑み――、そして次の瞬間には、年相応の少女らしく無邪気に微笑んだ。
「嬉しいわ、モリス! でもただ運営するだけなんてダメよ? それじゃあただ当たり前のことだもの。あなたはこれから良い事をしなければならないのだから。――その為には……そうね、モリスあなた、ここの子供たちに読み書きを教えたらいいんじゃないかしら? あとは算術も!」
「……は。孤児に……文字を、教えろと?」
アメリアの言い出した内容に、モリスは茫然とする。
「そうよ! 文字を教えるの! そうすればここを出てからも働くのに困らないもの! 勿論、ここに入って来た子供たち全員に!」
「……は……はは。そんなまさか……御冗談を。ここに教師を招く財源など」
「何言ってるの? あなたが教えるの。算術もよ。だってモリスあなた、お金を数えるのが大好きなんでしょう? あなたにぴったりなお仕事だと思うのだけど!」
「……っ!」
アメリアの言葉にモリスは愕然とし、侍従たちはとうとう噴き出した。
「お嬢様、流石にそれくらいにして差し上げては……」
「まぁ、ハロルド。あなたは反対なの? わたしは名案だと思うのだけれど」
「確かに、子供たちに文字を教えるというのは名案だと思いますよ。
ですが普段子供たちの世話をするのはシスターであって、モリス卿には管理運営という別の仕事があるのです。それさえもまともに出来ない彼に、それ以上の仕事を任せるのはいかがなものでしょうか。
それに私には、モリス卿に指導者としての手腕があるとはどうしても思えません」
ハロルドが真面目な顔で物申せば、アメリアは白けたように目を細めた。彼女がちらりとモリスの様子を伺うと、彼は顔を伏せったままプルプルと肩を震わせている。
「……ハロルド。あなたの方がよっぽど失礼よ」
「おっと。これは大変失礼いたしました」
アメリアが注意すればハロルドはあっさりと自分の非を認めた。けれどその態度はどことなく不遜だ。
「まぁいいわ。教師はこちらから派遣するとして……。モリス、この話はまた後にしましょう。あなたは一度下がっていいわ。わたし、側に置く人間は自分で決めることにしているの」
「さ……左様でございますか。では、わたくしは一旦失礼いたします」
モリスはそう言うと、頭を一度も上げることなく下がって行った。おそらく怒りのあまり顔を見せられないのだろう。
――ちょっとやり過ぎたかしらね。
モリスの震える背中を見送りながら、アメリアは多少なりとも後悔した。この孤児院の状態は先んじて調査済みだったのだが、実際は想像よりずっと酷い状態だった。であるからか、彼女は大人げなくもモリスを貶めるようなことを言ってしまった。
まぁ、これくらいのことで動じるような男ではないだろうが、しかし内容はともかくとして、8歳の子供に馬鹿にされたことは屈辱以外の何物でもないだろう。
「……ハロルド、わたし少し言い過ぎたかしら」
アメリアはハロルドを横目で見上げる。こんな風に問われたら、侍従という立場上否定しないわけにはいかないと知りながら。
そんなアメリアの想像通り、ハロルドは首を横に振る。
「いいえ、お嬢様が仰らなければ、恐れ多くも私が口にしていたことでしょう。気になさることはありませんよ。悪いのは誰が見たって彼の方ですからね」
「……そうよね」
アメリアはハロルドの言葉にほっと息を吐く。
千年の記憶はあれど、伯爵令嬢という立場は今回が初めてだ。どこまでが良くて、どこからがやりすぎなのか加減がわからない。それに自分はまだ8歳である。言えることもやれることも限られているだろう。――が、それでもいつか来るその時の為に、出来ることはしておかなければ。
――そんなことを考えながらもアメリアは気を取り直し、侍女候補を探し始めようと顔を上げた。すると、そのときだ。
「お、お嬢様っ! どうか私を、雇ってくださいませ!」
背後からしたその声に振り向けば、そこには真っ黒な服を着た赤毛の少女が、こちらをじっと見据えて立っていた。




