03
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――二人はテラスの椅子に腰かけ談笑していた。丸テーブルを挟んで座り、侍女に運ばせたティーセットでお茶を楽しむ。パーティーの騒がしさは扉一枚挟んだここには殆ど聞こえてこない。その為か――エリックは乳母車の中で穏やかに眠り続けていた。
テラスの先の庭園から、王女グレースとノアのはしゃぎ声が響いてくる。ときおり聞こえる、二人を追いかける侍女の声と共に。
そんな今は丁度昼下がり。ここテラスには、ただ穏やかな空気が流れていた。
「体調の方はもう宜しいのですか?」
アメリアはそう尋ねながら、庭園へと向けていた視線をカーラへと戻す。右手に持ったカップをティーソーサーに戻して、柔らかな笑顔を浮かべた。
カーラもそれに微笑み返す。
「はい、もう三ヵ月ですから、すっかり元通りですわ。だから本当はそろそろ外出したいのですけど、周りが許してくれなくて……」
カーラは小さく溜息をつく。彼女はアーサーの妻としてよくやっているが、元々天真爛漫といった性格のカーラには息苦しいことも多いのであろう。王子が産まれた今では尚更だ。とは言えこればかりはどうしようもない。
アメリアは潔く返す。
「ふふ、それは仕方がありませんわね。カーラ様はいずれ国母となる身ですもの。周りが神経質になるのも無理はないですわ」
するとカーラは、今度こそ深く溜息をついた。
「アメリア様までそんなこと仰るのね。アーサー様も最近忙しいみたいで。仕方がないのですけれど」
今のようにアメリアと二人きりのときだけが、カーラが王太子妃としてではなくただのカーラとしていられる貴重な時間だ。勿論アーサーと二人きりのときや親兄弟しかいない場所でもある程度は気を抜くことが出来るが、性別が違えば同じとはいかない。
「お寂しいのですか?」
アメリアが少し心配そうに尋ねれば、カーラは首を横に振る。
「そうではないの。ただ、最近結婚前のことを思い出してしまって。……あの頃は自由で楽しかったですわ」
「確かにそうですわね」
「いろいろ大変なこともありましたけど……、アメリア様と街に出かけたり、川べりで皆でお茶したり……お友達も沢山できて」
そこまで言って、カーラはハッとしたように顔を上げて笑みを浮かべる。
「――あ、でも、今だって十分幸せですのよ!だから今の言葉はわたしたちの間だけのことにして下さいませ」
「勿論、承知しておりますわ」
カーラの裏表ない正直な物言いに、アメリアも自然と笑みがこぼれる。
「ところで、あのお二方は今日も来ていらっしゃらないのですか?姿が見えませんでしたけれど」
あのお二方――というのは、エドワードとブライアンのことだ。
するとこのアメリアの言葉に、カーラはカッと目を見開いた。王太子妃らしからぬ様子で、テーブルに両手をたたきつけ、今にも椅子から立ち上がりそうな勢いでアメリアに詰め寄る。
「そう!そうなんですのよ!聞いて下さいアメリア様!こんなに大事な日ですのに、兄さまたちはまた欠席!いくら家長ではないからって信じられませんわ!領地の管理もクリスお兄様一人に全部押し付けて、もう半年も屋敷に帰っていないそうですのよ!一体どこで何をしていらっしゃるのやら!!」
カーラの鬼気迫る勢いに、流石のアメリアもやや腰が引けてしまう。
「それは……あの二人らしいと言うか何というか。現況を知らせる便りなどもないのですか?」
やや控えめに返すと、カーラは再び溜息をついて椅子に座りなおした。
「それは一応……クリスお兄様に。最も、いつもふざけた内容ばかりでお兄様はすぐに破り捨ててしまうそうですから、私が拝見したことは一度もないのですけれど。それに居所がすぐに変わるらしくて、エリック誕生の知らせも届いているのかどうか……。そもそも国内にいるのかすら怪しいんですのよ」
「それは……流石と言うか何というか」
ついつい乾いた笑いがでてしまう。
確かにエドワードとブライアンはここ一年程、公式の場に姿を見せていない。そもそもアーサーとカーラが結婚し、状況が落ち着いた辺りからそのような状態だった。今に始まったことではないが、仮にも二人は王太子妃となった妹と血を分けた兄弟だ。このようなあまりにも自由奔放すぎる行いは、王族の権威にも関わってくるのではないか。
そうは思っても、首輪をつけて縛りつけておくわけにもいかない。最も、あの二人ならその首輪すらするりと抜け出て知らぬ間に逃げ出してしまうだろうが。
アメリアはやや俯き、手元へと視線を落とす。
「何だか申し訳ありません。元はと言えば私のせいですわね……」
アメリアは思い出す。二人と出会った日のことを。あの日、舞踏会から連れ出してしまった日のことを。
ここまで自由奔放になってしまうと知っていたなら、あんなことはしなかったのに――と。
「まぁ、そんなことありませんわ!アメリア様に謝罪いただくことなど一つもありません!そもそも、昔からそういう面はあったんですのよ。型破りというか、身勝手というか――それに、アメリア様がそうして下さっていなければ今の私たちはありませんでしたし、私とアーサー様が結ばれることもなかった筈。ですから感謝しこそすれ、疎ましく思うことなど一つもありませんわ!」
「そうかしら……」
「そうですわ!」
カーラの強い押しに、アメリアは一先ず頷いておくことにした。一息つこうと、再びティーカップを口に運ぶ。
そして……少しの沈黙。今度はカーラが口を開いた。
「便りと言えば……ルイスのことなのですけれど」
“ルイス”――その名前に、アメリアのカップを持つ手がビクリと震える。
「その後何か連絡はありました?無事、ご家族と再会出来ているといいのですけど」
ルイスはこの国を出て行った。だが表立っての理由はナサニエルを追う為ではなく、孤児であったルイスの家族が見つかったから、ということにされていた。
ルイスから最後に手紙が届いたのはおよそ2年前。そこには、ナサニエルの居場所を突き止めたという内容が書かれていた。そしてまたこうも記されていた。しばらく便りは出せないが、心配は無用である、と。その手紙を最後に、ルイスから音沙汰はない。
アルデバラン公ヘンリーにも定期的にヴァイオレットから手紙が届いていたそうだが、それも丁度2年前からぱったりと途絶えてしまった。
「便りはありませんわ。でも……ルイスならきっと大丈夫だと、私は思っております。ウィリアムもそう申しておりましたわ」
正直なところ、心配していないと言えば嘘になる。ルイスは確かに生きる術と知識だけは豊富に持ち合わせているが、どこか浮世離れしたところがある。実際問題、ただの人間ではないわけであるし。だがそうであるからこそ、どこぞで野垂れ死ぬようなことはまずあり得ないだろう。
しかしさればこそ、自ら危険に飛び込んで行ってしまいそうな危うさを秘めていて……。
だがウィリアムは言っていた。“本人が心配無用だと言っているのだから、心配などしてやらん。君もそうしろ”と。それはどこか不満げに、それでいて清々しげに。
その心の内はアメリアにもわからなかった。けれど、十五年ルイスと共に過ごしたウィリアムにだからこそわかることもあるのだろう。だからアメリアは、なるべくルイスのことは考えないように過ごしてきた。
「そう。ウィリアム様がそう仰るなら、きっと大丈夫なのでしょうね」
そう言ったカーラの視線は、庭園のそのずっと向こうを見つめているようだった。カーラはきっと気づいているのだろう。本当は、ルイスが家族に会いに国を出たのではないと。だが、自分が踏み込んではならない一線というのをよく弁えていて、それでも、ルイスのことを気にかけずにはいられない。
それは6年の月日が流れた、今でも――。
「落ち着いたら、顔を見せにいらして下さるといいのだけど……」
庭園を見つめたまま、ふと、カーラが呟いた。
アメリアも、カーラの視線の先を追って、静かに答える。
「……そうね」
自分の物語は終わった。何度も何度も転生を繰り替えし、積み上げられてきた記憶はこの人生を最後に全てが真っ白に塗り替えられるであろう。ルイスのことも忘れてしまうのだろう。けれど――ルイスの――彼の物語は終わらない。この先もきっとずっと続いていくのだ。彼の本当の望みが叶えられる、その時まで。
――春風が花びらを舞い上がらせる。真っ青な空に、どこまでも果てしなく広がるこの空に、淡い色どりを添えるように。
アメリアはそんな空を見上げながら――この同じ空の下にいる筈のルイスを想い――祈る。どうか、彼の心に一刻も早く平穏が訪れんことを、……と。
そして、彼の心からの笑顔を見られるその日を、願って。
-Fin-
これにて一応完結です。
ここまで読んで下さった読者の皆さま、本当にありがとうございました。途中何度か挫けそうになりつつも、やや中途半端感は否めませんが最後まで書ききることができました。
ちなみに、まだまだルイスの物語は続くわけですが、続編……は今のところ書く予定はありません。スピンオフくらいなら書くかもしれませんが、コミカライズの方の反応も伺いつつ考えようと思います。またそのときは、是非読んで頂けると嬉しいです。
では皆さま、短い挨拶となりましたが、これにて失礼いたします。是非、またの機会に。
夕凪ゆな




